令嬢は黒騎士様に拾われる10
近衛騎士団の演習場には、鋭い剣戟の音が響いていた。今日の騎士団の合同訓練では、団員によるトーナメント戦が行われている。この訓練では魔法の使用は不可とされており、普段魔法で攻撃範囲を広げたり、防御魔法で援護に回ることの多い魔法騎士にとっては不利なものとなっていた。模造剣での戦いは、どちらかの動きを封じるか、剣を手から奪えば勝利となる。
一戦終えたギルバートは額に浮かぶ汗を拭い、第二小隊の面々の戦績を確認する。残り数試合を残すばかりとなった夕刻では、まだ残っているのはギルバート以外に二人のみであるようだった。二人とも魔法騎士ではなく、うち一人はギルバートの上官である。
「ギルバート、今日は機嫌が良いな」
「隊長、お疲れ様です」
赤い癖毛を雑に散らした鋭い目の男──近衛騎士団第二小隊長であるアーベルが、ギルバートの隣に立った。アーベルは同じ第二小隊でも、ギルバートとは違う青色の隊服を着ている。背が高くよく陽に焼けた肌に、がっしりとした筋肉。アーベルはその女子供に恐れられるような見た目で、無邪気にも顔をくしゃりと寄せて笑った。
「ギルバートもお疲れ。……それで、何かあったのか?」
アーベルは興味を隠し切れないようにギルバートに聞いた。ギルバートはそんなに分かり易い顔をしていただろうかと反省する。思い出すのは、ソフィアの無邪気な瞳だった。魔法に対してあのように純粋な反応を返されたのは、久しぶりのことだ。俯いて表情を曇らせていたソフィアが、自らの小さな魔法一つで表情を変えた。そのことを単純に嬉しく思う。
「──何もありません」
「何もないってお前、剣の音が違うんだよ。俺に分からねぇはずがないだろうが」
言いたくないなら深く聞かないが、と言葉を足したアーベルに、ギルバートは内心で嘆息した。アーベルは、ギルバートがマティアスに気に入られ、魔法の才を見込まれ騎士団に入団した頃から面倒を見てくれた上官である。魔法騎士であるにも関わらず、ギルバートに剣だけで戦う術を教えてくれたのもまたアーベルだった。今戦っている者も順に決着がついていく。終われば次は準々決勝で、ギルバートはアーベルと当たることになっていた。
「今回は隊長と当たって良かったです。勉強させてもらいます」
飄々と言うギルバートに、アーベルは深い溜息を吐いた。眉間に皺を寄せ、声を落とす。
「──お前、それは態と負けずに済むからだろう。俺はそもそも、この雰囲気も好きじゃないんだ」
試合が進むにつれ、元々少なかった黒い騎士服が減っていく。黒は魔法騎士の証だ。勝ち進んでいるのは、ギルバートだけだった。普段何かと重用されることの多い魔法騎士は、嫉妬の感情を向けられることも多い。まして剣の腕だけならば、一般騎士の方が優れていることが殆どなのだ。この合同訓練では、数の少ない魔法騎士は格好の標的でもあった。アーベルに鍛えられてきたギルバートは難なく試合をこなしてきたが、では優勝していいかと言うとそれは違う。一般騎士には一般騎士の誇りがある。互いの領域を侵してはならないのだ。ギルバートはアーベルの言葉を聞かない振りで口を開いた。
「そろそろ始まります、向かいましょう」
笛が大きく鳴り、演習場にいた騎士達が端に寄った。準々決勝に当たる、四組八人の騎士が入れ替わりに演習場に出て、それぞれの位置に着く。既に負けた者は、この先の精鋭達の姿から少しでも何かを盗もうと、目を皿にして試合が始まるのを待っていた。
ギルバートは少し距離を置いた先で剣を構えているアーベルを見る。正面から向き合う隙のない構えに、ギルバートは嬉しくなった。好き好んで負けたい訳ではないが、今のギルバートは純粋な剣の腕でアーベルには敵わない。それが分かっているからこそ、全力でぶつかって良いことが嬉しかった。折角の合同訓練だ。機嫌取りだけで終えるのは退屈だと思っていたギルバートにとっては、この上ない喜びである。
笛が短く吹かれ、動きのないアーベルにギルバートから斬りかかった。アーベルは斜めに走らせた剣で衝撃を流す。ギルバートは次に予測される攻撃を避けるため飛び退った。剣を構え直す隙を与えないとばかりに、アーベルがギルバートとの距離を詰める。軽く打ち合わさる剣が、互いの距離を測っている。ギルバートがアーベルの表情を窺うと、アーベルはにっと唇の端を上げた。
「なかなか張り合いがある。──負けてやろうか?」
ギルバートはアーベルの言葉に攻撃的に目を細める。
「結構です」
ギルバートは一歩踏み出し、アーベルの剣を狙った。アーベルはそれを知っていたかのように身を翻す。演習場に、観客と化した騎士達の歓声が響き渡った。