黒騎士様は令嬢を守りたい3
王城に戻ると、ギルバートはすぐに第二小隊の執務室へと向かった。室内には既にギルバート以外の隊員が揃っている。
「副隊長、お疲れ様です」
かけられる声に頷き、室内を見回した。予定の時間より早いが、全員がいることを確認し部屋の扉に鍵を掛ける。念の為に、防音魔法も掛けておく。
「お待たせして申し訳ございません」
「構わん、定刻前だ。お前は昨日から働き通しだろう。悪りぃな」
アーベルが鋭い目を更に細める。悪いと思っていないことは分かっていた。有事なのだ。このようなときに役に立たず、騎士とは言えないだろう。
「いいえ」
短く答えたギルバートは、すぐに皆の輪に加わった。中心の机の上には、隣国であるナパイアとの国境付近を拡大した地図が広げられている。アーベルはインクの付いていないペンを、地図の国境線上に滑らせた。
「現在の戦線はバーガン辺境伯領内にある国境線上の、この地点だ。バーガン伯の尽力により、戦線は昨日の開戦時より動いていない」
各地の辺境伯には有事に備え、王城の近衛騎士団長に直接連絡が可能な魔道具を渡している。現地からの報告にはそれが使われていた。
「宣戦布告はエラトスの国王名の書状によって為され、こっちの返答を待たずに最初の砲弾が防御壁に発射されている」
その言葉に、事情を詳しく知らなかった隊員数名が驚いたように目を見開いた。
「バーガン伯は応戦する形で設置されていた砲台を破壊。小競り合いはあったが、現在はほぼ膠着状態と言って良い。現在領兵に負傷者数名、領内の医師達が介抱にあたっている」
昨日事態を把握したギルバートも、強引な開戦からして、より大きな被害を予想した。しかし被害規模は、予想を大きく下回っている。
「開戦方法を見るに、エラトスにしては戦術を練っていると思われます。破壊されたのは魔道具でしたので」
アーベルの言葉にギルバートが付け加えると、隊員達が険しい表情をした。アーベルが大きく頷き、地図に赤く印付けられた数ヶ所の地点を指す。
「エラトスとの国境線には、皆の知る通り防御壁が築かれている。防御壁の起点が図の地点──魔道具が設置されている場所だ。今回の砲撃により、内一点が破壊されている。既に数名の魔法騎士と魔道具師が応急処置に向かっている」
起点には魔石に魔力を込めた特殊な魔道具が置かれており、それらを繋ぎ防御壁としている。一点が破壊されると、その左右の地点までの間の守りが弱くなるのだ。今はまだ大きな被害は出ていないようだったが、今後どうなるか分からない。アーベルは話を締め括るため、一度大きく息を吐いた。
「近衛騎士団は一時王都にて待機。先に国軍の三分の一をエラトスに向かわせる。第二小隊は戦況を見て殿下の指示に従う。ギルバート、王都にいる魔法騎士は三日後に出発だ」
近衛騎士団長の指揮下に設置されている国軍は、街の警備兵や近衛騎士団の一般兵が掛け持ちしていることが多い。平和な時代だ。国が軍を単独で保有する必要はなかった。この第二小隊は王太子直属で、国軍との掛け持ちは認められていない。しかし魔法騎士だけはその括りからは外れる。更に魔法による移動装置を使っての移動になる為、現地での受け入れ体制が整ってからの投入になる。受け入れ準備に掛かるのが、今回は三日、ということだろう。
「かしこまりました」
ギルバートは表情を動かさないまま頷いた。隊員達にはギルバートの任務を知られてはならない。魔法騎士の任務は通常、補給と魔力による武力増強等だ。また激戦になれば直接戦闘を行うこともある。しかし、ギルバートに限ってはその範囲ではない。たった今アーベルが言った投入の予定もフェイクだ。
「以降休日の報告義務を適用する。以上、解散!」
有事の際にすぐに動けるよう、近衛騎士団では、特例で隊員にどこにいるのか常に報告させることができる。今回もその特例を適用するということだろう。誰からも不満の声は上がらず、その場は解散となった。
「ギルバート」
それぞれが己の職務に戻って行く中、アーベルはギルバートを呼び止めた。マティアスの元へと向かおうとしていたギルバートは足を止め、振り返る。アーベルの顔には、不満の色がありありと浮かんでいた。ギルバートは思わず表情を緩めて苦笑する。
「隊長、気にし過ぎです」
「だが──」
否定の言葉を紡ぐのを、首を左右に振って止める。まだ執務室に残っている者もいるのだ。
「──いつものことですので」
ギルバートに与えられた任務は、単独でのエラトスへの潜入捜査だった。報告には通信用の魔道具を使用し、直接戦争の原因を探ることになる。以前エラトスから貴族の男が一人、単独で王城内に潜入していたことがあった。援護体制は異なるが、その指示自体はほぼ同じものだ。勿論ギルバートの場合はより忍んでの行動となる上、状況によって交渉権も行使できるが。出発も他の魔法騎士より早く、二日後──明後日となる。
「お前……奥さんはこのこと、知ってんのか?」
アーベルは、通常の魔法騎士の任務よりも危険な任務に向かうギルバートを心配していた。ギルバートの脳裏にソフィアの顔が浮かぶ。心細い思いをさせたのだろう、心配をさせているのだろう。邸で別れたとき、ソフィアは泣くのを堪えているような表情をしていた。湧き上がる気持ちをぐっと押し込めて、ギルバートは口を開く。
「彼女は大丈夫です」
フォルスター侯爵邸にいる限り、ソフィアの安全は保障されている。警備も増やしているし、使用人の中には武術を学ばせている者もいる。一騎士であるギルバートにできる精一杯だ。きっと、ソフィアも分かってくれているだろう。
アーベルは何か言いたそうに口を開いたが、ギルバートの顔を見て言葉を飲み込んだ。
「お前なぁ……。分かった、気を付けろよ」
アーベルはギルバートの背を叩き、立ち止まったままのギルバートを追い抜いて執務室を出て行った。残されたギルバートを、まだ室内にいたケヴィンが険しい顔で見ていることを、他の誰も、ギルバートですら気付かなかった。