令嬢と黒騎士様は日々を重ねる2
「──ソフィア、決まったか」
ソフィアが採寸を終えて仕立屋の広げた生地を見ながら悩んでいると、ギルバートが顔を出した。
「ギルバート様、お疲れ様です。あの……なかなか決められなくて」
「いや、大丈夫だ。それで、ドレスは──」
ギルバートがソフィアの手元にあるデザイン図と生地を上からひょいと覗き込む。そこに描かれたものを見て、ギルバートは僅かに眉をひそめた。
「ソフィア、遠慮はいらないと言った筈だが」
「ですが、私には勿体無くて……っ」
仕立屋はたくさんの生地と華やかなデザイン図を持ってやってきていた。しかしどれもレースや宝石等の高価な装飾があり、ソフィアはなかなか選べずにいたのだ。手元にあるデザイン図は、装飾の少ないシンプルなものばかり。生地も落ち着いた色味の物が多い。
思わずギルバートが小さく嘆息すると、ソフィアは首を竦める。
「ごめんなさい、でも」
「──分かった。私も共に選ぼう」
ギルバートはソフィアの隣に腰を下ろした。仕立屋が一度は端に寄せていたデザイン図を、テーブルの上に広げる。
「ソフィアは華奢だから、これや……これも似合う」
ギルバートが手に取ったのは、肩にリボンがあしらわれていて、スカート部分が広がったデザインだ。裾に向かって似た色味の生地を重ね、グラデーションになっている。生地の重なりの部分には小粒の宝石がいくつも付いているようだ。
もう一つは、まるで物語に出てくる妖精のようなものだった。シフォンとオーガンジーとレースが重ねられ、繊細で可憐な透け感なのが図からも分かる。
「え、あの。ギルバート様?」
ソフィアは慌ててギルバートの表情を窺った。ギルバートはわざとだろう、意に介さない素振りで生地見本に手を伸ばす。
「瞳に合わせて深緑から若草も良いが、ソフィアの柔らかい雰囲気にはピンクも良い」
「そ、そんな……私にそんな華やかなの似合いませんっ!」
ソフィアは慌てて両手を振って否定した。しかしギルバートはソフィアの顔を覗き込むように見て、笑う。
「そんなことはない。私の見立てだ。これらは決めるが、好みでないものはあるか。言わねば分からない。──勝手に決めるぞ」
らしくなく身勝手と言って良い程の言葉を吐いて、ギルバートは言葉の通りどんどん生地を並べていく。ソフィアが選ばなかった華やかで可愛らしいデザインを更に追加で選んでは、生地と重ねていく。
「この石は何だ」
ギルバートがデザイン図の中の胸飾りを指差す。
「こちらはダイヤモンドでございます。奥様の透明感にきっとお似合いになりますよ」
「ではそれを使おう」
「──ま、待ってくださいっ」
ソフィアは耐え切れず困惑の声を上げた。ギルバートの言葉のままに選ばせたら、一体いくらになるのだろう。最初に選んだものでさえ、ソフィアの予測の金額を大きく超えている。
「そんな……私なんかに、勿体ないです」
高価な石は、華やかな人達に似合う物だろう。左手の小指に着けている藍晶石の指輪と、薬指の純度の高い小粒のダイヤモンドがあしらわれたギルバートと揃いの結婚指輪を、右手でぎゅっと握り締める。これだけだって、充分過ぎるほどだ。
「しかし、お前の社交用ドレスは数が少ない。今年は昨年までよりも私も参加しなければならない夜会が多くなる筈だ。私の為にも、ソフィアの希望を聞かせてくれ」
ギルバートの言葉は、いつだってソフィアに優しい。今も、それが負担になると思わせないようにしてくれているのが分かる。
「分かり、ました」
おずおずと返事をすると、ギルバートは甘く微笑んだ。ソフィアはいまだに見慣れることのないその表情に、素直に頬を染める。
「それで、どれが好みだ」
ギルバートはここぞとばかりにソフィアにいくつものデザイン図を見せてくる。らしくなくはしゃいでいるようなその姿にソフィアも嬉しくなり、自然と笑顔になった。
「──私、ギルバート様の瞳の色が良いです」
藍晶石に似た、透明感のある藍色。それはソフィアが一番好きな色だった。仕立屋がギルバートの瞳を横から盗み見る。いくつもの生地の中から、光沢のある藍色の絹と、青みの強いシフォンを取り出した。
「では、こちらの生地を重ねてはいかがでしょう。奥様の優しく清楚な雰囲気に、シフォンの素材が良く合うかと存じます。もし宜しければ、部分使いで、こちらや、こちらを合わせてはいかがですか」
更にソフィアの瞳の深緑色によく似た緑のシフォンと、ペリドットの見本が並べられる。ギルバートはそれを見て満足そうに頷いた。
「では、それで仕立ててくれ」
「かしこまりました、侯爵様」
それからギルバートの採寸と衣装を選び、更にソフィアのドレスも追加で選んだ。最初にギルバートが選んだものも、しっかり発注しているようだった。
仕立屋の帰った応接間で、ソフィアは少し拗ねてギルバートを見上げる。
「こんなにお買い物なさるなんて……聞いておりません」
「驚かせて悪かった。だが、まだお前はあまりドレスを持っていなかっただろう。心配するな。私はそれなりに稼いでいるし、必要経費だ」
「それは──」
ソフィアは言い返すことができずに言葉を飲み込んだ。確かにフォルスター侯爵家当主であり、近衛騎士団第二小隊副隊長でもあるギルバートの稼ぎが少ない筈がないのだ。ギルバートは満足そうな顔でソフィアの頭をあやすように撫でる。
「ドレスに合わせて装飾品も発注している。社交が楽しみだと思ったのは初めてだ」
「あの、それは……良かったです」
疑問は残りつつも、ギルバートが撫でてくれる感触は優しく心地良い。しかし元来人見知りのソフィアは、どうしても不安だった。曖昧に笑うと、ギルバートは全てを見透かしているかのように、大丈夫だ、とソフィアを緩く抱き締めた。