第41話 人生で一番怖いのは、努力していないものがいきなり報われて全てが順調に上手く行き過ぎることだ
──人生、十四年。
今まで生きてきた中で俺は、これほどまでに醜く酷い嘘を耳にしたことはない。
※
「その時僕は、この庶民をこうやって背に庇い、魔物に剣を突きつけ言った。
──去れ。僕がまだ本気を出さないうちに」
きゃー素敵! キャーキャー、と。
貴族令嬢たちから黄色い歓声があがる。
おぉ、とか。さすがカルロス様、とか。勇者に相応しい、とか。
カルロスの武勇伝に真剣に耳を傾け、感嘆の息をもらす白騎士や他貴族一同。
と、いうのも。
俺は今船内にある大広間の舞台で、カルロスの脇役を演じることを強要されていた。
夜を迎えた帆船は、その後何事なく順調で穏やかな航海をし、船を前へと進めていた。
砂海の一部に張られた結界内の航海ルートはとても安全なものだった。
夜が来て外が暗くなっても充分な明かりは用意してあるし、たとえ船内に影があったとしても魔物は出てこないので恐れる必要はない。
だからこそ貴族が乗っているわけだし、優雅な航海をのびのびと満喫しているわけである。
まぁ今回は例外中の例外が起きて、魔物が船内に現れてしまったわけだが。
勇者カルロスの存在と白騎士たちの存在とその機転のお陰で、大きな混乱を引き起こさずに済んでくれたわけである。
水兵服から一変。
カルロスは華麗かつ煌びやかな貴族の衣装に身を包み、ご自慢の長い金髪を優雅に靡かせていた。
相変わらず彼のファンに囲まれての一人活躍舞台。脚本演出は全て彼が取り仕切る。
聞こえてくるのは彼を褒め称える賞賛の声ばかり。
お前は皇帝ネロかと、心の中で思わずツッコミたくなるほどだった。
カルロスは俺を背にして、誰も居ない舞台で一人剣を突く。
優雅に心行くまで剣舞を披露したところで、カルロスが台詞を口にする。
「魔物が僕たちに襲いかかってきた。それを僕はこうやって剣を薙ぎ払い、避けたんだ。
そして僕はこの庶民の命を守る為、距離を置いて魔物を僕の方へと引きつけた。
僕は一人で戦った。全ての犠牲者の為に。この剣を振るい、魔物と戦ったんだ。
しかし相手は一匹だが雑魚ではなかった。この庶民を守りながらの戦いは少々危険を感じたんだ。
せめて最後に生き残っていたこの庶民は何としてでも助けたい。そう思った僕は──」
どん、と。
いきなりカルロスが俺を突き飛ばしてきた。
俺は前のめりになって数歩よろけて足を止める。
そして顔中に不機嫌さを滲ませて、俺はカルロスを睨みつけた。
台本もなければ指示も合図もない。
全部即興でカルロスが舞台を演じていく。
さらに打ち合わせも無しに急に突き飛ばされれば誰だって腹も立つ。
俺の苛立ちに気付かないでか、カルロスの演技は止まらない。
「咄嗟にこの庶民をこう突き飛ばしたんだ。そして僕は言った。
“ここは僕に任せて君は逃げろ! 安全な場所に早く隠れるんだ!”と」
俺は内心でツッコむ。
いや、安全な場所に隠れてたのはお前の方だったよな?
「この庶民は僕の言う通りにそこから逃げ出し……逃げ出し……」
ちらっ、ちらっと。
カルロスが俺を見てくる。
なんだよ? 何?
カルロスが小声で俺に何かを伝えてくる。
「礼だよ、礼。僕に礼を言って」
は? なんで?
「いいから言えよ、早く」
……。
かなり苛立つものがあったが、俺は脇役で、主役はコイツ。
内心舌打ちながらに俺は何の感情も込めずに棒読みで礼を言った。
ありが──
「違う違う! そこは“さすが勇者カルロス様、無力でごめんなさい、ありがとうございます”だろ!」
あぁ? なんで俺がそんなこと
「言えよ、早く。舞台が進まない」
……っち、クソだりぃー。めんどくせぇ。
「ごちゃごちゃ言わずにやれよ! 舞台が進まないって言ってるだろ、早く言え!」
はいはい。さすが勇者カルロス様、素敵ですねー、無力でごめんなさい、ありがとうございます。きゃあきゃあ。
俺が台詞を言い終わると同時。
カルロスが邪魔だとばかりに俺を舞台袖に突き飛ばした。
突き飛ばされた勢いで俺はよろめき。
そして足を止めて静かに拳を握り締めて怒りに堪える。
「そう礼を言って庶民は逃げ出し、どこかに隠れた。
だがあの庶民を非難しないでほしい。彼のとった行動は何も間違ってはいないんだ。
その場に残られても魔物に殺され命を無駄にするだけだ。
それから僕は一人で魔物と戦った」
カルロスが勇ましく剣を構える。
「えいっ! やぁっ! 僕の剣で壁は傷つき、そしてまた魔物も壁に鋭い爪痕を残した。
僕は勇敢に魔物と戦った。
怯まず臆まず、一振り二振り、えいっ! えいっ! えいっ!
たしかに魔物は雑魚ではなかったが、本気を出した僕にはなんとも物足りない相手だった」
カルロスが肩を竦めてお手上げすると、会場からどっと笑いが起こった。
機嫌を良くしたカルロスは改めてキメ顔で剣を構え、それを薙ぎ払い舞い踊った。
「僕は攻撃の手を休めなかった。魔物は守勢の一方。そして──」
フェンシングの突き姿勢で剣を止め、カルロスはフッと微笑する。
「僕はついに魔物の心臓部を捕らえた。あと一押しすれば魔物は絶命する。
すると魔物は泣き伏せながら僕に謝った。
“おぉ、勇者カルロスよ。慈悲深いあなた様の愛で、どうか命だけは助けてください”と。
僕は魔物にこう言ってやった。
──魔物に慈悲を与えるつもりはない。死をもって犠牲になった者たちに償え、と」
剣を払い、カルロスは意気揚々と胸を張った。
そのまま剣を腰の鞘へと戻し、舞台の真ん中に立つ。
「魔物は砂に還り、そして消え去った。
僕は剣を鞘に仕舞い、辺りの安全を確かめた後に、どこかに隠れたであろう庶民の行方を捜した」
言って、カルロスが舞台袖に来て俺の腕を掴んで引っ張り出し、無理やり舞台中央へと連れてくる。
カルロスは台詞を続けた。
「僕が色んな場所を捜している間に、この庶民は勇敢にも僕を助けようとバールを持ち出しうろついていたところだった。
そこに白騎士、そして他の者たちがこの庶民を見つけ、魔物と勘違いしたというわけだ。
彼らが勘違いするのも無理はない。なぜならあんな凶暴な魔物に出くわし、無力な一庶民である彼が、平然とこうして無傷で生きているはずないのだから」
舞台の真ん中で、カルロスは紳士的に一礼する。
幕が下りて、ようやく劇が終わりを告げた。
拍手喝采。
スタンディング・オベーション。
令嬢たちの歓声が響き渡る。
きっと、貴族たちにとってはとても素敵な舞台だったんだろう。
──って、なんだよこれ。何なんだよ? どこの文化祭の三流演劇ですか? 事実脚色にも程があるだろ。
鳴り止まない拍手の中で、再び幕は上がり、カルロスが舞台の真ん中で一礼する。
そしてくるりと向きを変え、カルロスが隣に居る俺に片手を差し出してくる。
「最高の舞台だったね」
は? どこが?
カルロスが声を潜めて言ってくる。
「ほら、握手だ。握手をしよう。早く握れ」
いや、なんでお前と握手なんか──
「いいから早く」
……。
俺の頬が最大限に引き攣った。
カルロスが苛々したようにさらに声を押し殺して急かしてくる。
「いつまで待たせる気だ、早く握れよ。舞台が締められないだろ。いいから何も考えずに僕と握手しろ」
……。
「早くしろよ。幕が下ろせないだろ」
……。
「いいかい? 僕はこの劇を演じることで君の命を救ったんだ。あのまま魔物として白騎士たちに介錯されるよりはマシだろ? 僕は君の命の恩人。君は僕に感謝こそするべきだ」
……。
ふと、俺の頭上に居たミニチュア・ジュゴンが片ヒレでぺしぺしと叩いてくる。
『カルロスの言う通りだ。カルロスと握手しろ』
は? なんで? 納得がいかないんだけど。
俺は内心で不満を愚痴る。
『納得どうこうの問題じゃない。よく考えてみろ。無力な一庶民であるお前が、魔物をたった一人でぶっ倒したなんて不審極まりない。
仮にお前が奇跡で倒したと主張しても、白騎士たちが黙っていないだろう。疑いの目を向けられ監視対象となれば自由に行動ができなくなる。
【オリロアン】でお前のダチを捜すんだろ?』
うん。
『だったら目立たず大人しく誰かの指示に従ってろ。真実がどうあれ、次の行動に移す為には白騎士たちが邪魔になる。今は友達を救う為だと思って我慢して感情を押し殺し、カルロスと仲良く握手しろ。
今後、事は、絶対に、穏便に、済ませろ。いいな?』
……わかった。
諦めるように、俺は溜め息を吐いて仕方なしにカルロスと笑顔で握手を交わした。
舞台の幕が下りる。
こうして俺はようやく解放されたのだった。
広間の端に居たアデルさんとミリアが、舞台を下りてきた俺を迎える。
アデルさんが俺に言う。
「この舞台の話は本当なのか?」
……。
俺は答えられなかった。
すると腕組みしたミリアが、それ見たことかとばかりに呆れた顔で俺を見てくる。
「やっぱりまた逃げ出していたんですね」
……。
いつものようには言い返せなかった。
今ここで否定をすれば、あの劇は嘘になってしまうから。
何も言い返せずにいると、ふいにアデルさんが俺の腕を掴んでぐいっと引き寄せた。
そのまま俺を胸にしっかりと抱き締めて、宥めるようにぽんぽんと背を叩いてくる。
「まぁなんでも良い。なんでも良いではないか。何も気にするな。魔物と出くわして怖くない者などおらぬ。
我輩もお前さんと同じ境遇になったら、きっと逃げ出して身を隠していたであろう。
何も恥じることはない。殺されなかっただけでも奇跡だ。どういう経緯であれ、お前さんが無事ならそれを喜ぼう」
……アデルさん、俺
「良い。何も語るな。分かっておる。言いたいこともあるであろう。苛立ち、辛み、悲しみ。だが時にはそれを我慢することも必要だ。お前さんが無事で生きていたことに、我輩は誇りに思うぞ」
アデルさん……。
ジン、と。アデルさんの言葉は俺の心に深く響いてきた。
カルロスのことなんてもうどうでもよくなった。
さっきまでの怒りなんてどこかに吹き飛んだ気がした。
俺はアデルさんにこそ礼を言いたい。
するとそれを横で見ていたミリアが、不機嫌極まりない顔で頬をむぅと膨らませて睨んでいた。
怒り曇った声で不満をつらつらと口にする。
「ケイケイケイケイと。
アデル様はずっとケイの心配ばかりしておいでです。師に迷惑をかける弟子なんて同じ弟子として恥ずかしく思います。
それに、仲間を見捨て、魔物と戦わずに逃げ出すなんて勇者として失格です。
まだカルロスとかいう者を勇者と呼ぶ方が相応しく私は思います」
「もう良いではないか、ミリア」
「良くありません!」
「ケイは我輩の決めた弟子なのだ。この気持ちは今でも変わらん。いいや、これからもずっと変わらぬであろう」
「アデル様はケイに甘過ぎます。こんな軟弱者で臆病者はもっと厳しく指導し、叱り育てるべきなのです!」
アデルさんがミリアの傍に寄り、その肩に優しく手を置く。
「良いか、ミリアよ。我輩は弟子を格差で育てるつもりはない。皆、個性はあれど平等なのだ。平等に我輩はミリアもケイも勇者として育てたい。
それが師としての勤めであり、また、お前さん達二人の親代わりとして、末永く大切に育てていこうと思っておる」
言って、アデルさんはミリアの頭を優しく撫でた。
撫でられたことで、ミリアの苛立ちの感情も緩んでくる。
ミリアの機嫌も少しは治ったようで、
「別に私はケイを……」
一旦はそう呟いたものの、やはり俺と目を合わせたことで再び感情が爆発したようだ。
不機嫌にツンと激しくそっぽを向いて、
「私はこんな軟弱者で臆病者はやっぱり嫌いです!」
「よし、と。腹が減ってきたな」
アデルさんが諦めたようだ。
話を逸らし、俺とミリアの肩を掴んで仲良く傍に寄せる。気持ちを切り替えるようにして、
「こういう時こそ皆で食事をしようじゃないか。見たか? 向こうのテーブルに並ぶご馳走の数々を。
皆が来ぬうちに我輩たちで早めに食べてしまおう」
アデルさんが俺とミリアの背をぐいぐいと押して、広間奥にあるテーブルへと仕向けた。
船上の立食パーティー。
大広間はそれも兼ねていて、舞台を見終えた貴族たちがそのまま移動してきた。
それぞれの決まった席に着いて、楽しく夕食を始める。
貴族たちが乗ってる船とあって、食事はすごく豪華絢爛だった。
どれもこれも涎が止まらないほどのご馳走だ。
漂うおいしい匂いに誘われて、俺は食べ物を取りに皿を片手にして、ご馳走の並ぶテーブルへと向かった。
おいしそうに盛られたご馳走を前にして、俺の腹がぐるると鳴る。
よし。さぁ、いざ食べ物へ!
──と、食べ物に手を伸ばした時だった。
俺の背後に近寄る影。
いきなり俺は近付いてきた男にぐいっと襟首を掴まれた。
な、なんだよ!
振り向けば。
そこに立っていたのは怒りに般若の顔した俺の上司だった。
いぃぃっ!?
「なんだよ、だと? お前、何か大事なこと忘れてねぇか?」
いえ、別に何も……
「ここで何している?」
え、いや、普通に食事ですけど。
「馬鹿野郎! お前何様のつもりだ? あぁ? この船の従業員だろうが、お前はよ! 雑用で働いてるんだろうがよ! 雑用の仕事も終わってねぇーのに何が食事だ、馬鹿野郎! 来い!」
えーそんなぁ。なぜですかーぁ?
ずるずるずると。
俺は食事を前にして上司から襟首掴まれ広間の外へと引っ張り出された。
「無賃で雑用のくせに態度だけは貴族面しやがって。仕事は山のように残ってるんだ。人手が足りてねぇんだからとっとと働け、この無能の雑用が」




