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第32話 嘘の代償


 家に帰って速攻──。

 俺は有無言わさず、母さんに頬を思いっきりぶっ叩かれた。

 乾いた音。

 唇をきつく噛み締め、俺は叩かれた頬に手を当てる。


 ……。


 母さんの言いたいことは分かっている。

 とっくに過ぎた門限。

 父さんの厳しく怒った顔つき。

 そして。

 母さんの目に溜まっていく涙。

 そのまま無言で、母さんが俺をぎゅっと抱き締めてくる。

 俺の背の服を強く握り締めてくる母さんの力が、何も言われずとも俺を失うことへの不安と心配を伝えてきた。

 警察に電話をする寸前だったらしい。


 ……。


 それなのに俺は、素直に謝ることすらしなかった。

 いつまでも子供扱いされることへの反抗心と、約束を破ったことへの罪悪感が、俺の中で激しく葛藤していたからかもしれない。

 どう言葉にしていいのか分からず、俺は母さんを引き離すと無言のまま靴を脱いで玄関から上がった。

 父さんの横すらも無言のまま通り過ぎる。

 そして廊下を歩き、階段を上ろうとしたところで、背後から父さんの罵声が飛んでくる。


「ごめんなさいぐらい言ったらどうだ!」


 ……。


 言わなかったわけじゃない、言えなかったんだ。

 両親と目を合わせたくなくて俺は、何も言わず背中を向けたまま二階に上がり、自室のドアを激しく閉めて引きこもった。






 ※







 自室に入って。

 俺はすぐさまベッドに仰向けに寝転がる。


 ……。


 溜め息を一つ。

 叩かれた頬がじりじりと痛んだ。

 痛みを抑えようと再度頬に手を当てる。

 だが本当に痛んでいたのは頬ではなく心だったのかもしれない。

 すると。

 しばらくして、静かにドアがノックされた。


 ……。


 俺は何も言わない。

 誰がノックしたのかが分かったからだ。

 ドアの向こうから母さんが話しかけてくる。


「上田君から電話があったの。朝倉君のことで聞きたい事があるって。本当は友達のところになんて行っていないんでしょ?」


 カチンときた俺は語気を強めて言い返す。


 別に! 嘘ついたわけじゃねーし!

 勝手に決めつけてくんなよな。上田や朝倉んとこには行ってねぇから。別のダチのとこだから。


「友達って誰なの? お母さんの知ってる人?」


 別に誰だっていいだろ! なんでいちいち母さんに言わないといけないんだよ! 小学生じゃねんだからさ!


 こんなことなら上田と都合を打ち合わせておくべきだったか、と物事を上手く運べない自分に苛立つ。

 ──いや、きっとそんなことをしても余計に嘘が増えただけだろう。ダチとの信頼関係も、取り返しつかないくらい崩れていたかもしれない。

 やはり母さんには本当のことを打ち明けるべきだろうか?

 ある日いきなり変なおっちゃんの声が頭の中に聞こえてきて、眠っている間だけ、俺はゲームみたいな異世界に行けるんだって。そんな経験をしている人達が他にも居るんだってことを。


 ……。


 たぶん、そう告白した時点で精神科病院に連れて行かれるのは目に見えて明らかだ。

 俺は溜め息混じりに鼻で笑った。


 信じてくれるわけがない。

 誰も信じられるはずないんだ、こんな非現実的なこと。

 逆に俺だって、母さんからそう告げられたとしても絶対信じないし、母さんの頭を疑うと思う。


 やがて。

 母さんが何も言わずに一階へと下りていった。

 俺は癇癪気味に、壁に向けて枕を投げつけた。

 内心で叫ぶ。


 クソッ! なんだよ! なんで俺だけがこんな辛い目ばっかりに合わなきゃいけないんだよ!


 ふいに俺の脳裏を過ぎる女子大生の言葉。


【絶対ってわけじゃないけど、普通の人と比べて異常だと思う。自力で呼吸は出来てるんだけど、眼球の反応も反射神経の反応もないし、眠りが深すぎるっていうか。いつこのまま呼吸が止まって脳死しても不思議じゃない状態。

 あー、でもまだ勉強中なんで。私の言ったことは気にしないで、病院でちゃんとした診断を受けてね】


 ……。


 今夜がすごく眠り辛い。

 なんで俺、あの時彼女に聞いてしまったんだろう。

 これじゃ不安で何も出来なくなる。

 病院の先生からは薬を飲んでいれば生活に影響ないって言われて──あ。そういや、昼の薬飲んでねぇ。


 はぁ……。


 何もかもが最悪だ。

 少しは前に物事が進めていると思ったんだが、これじゃ何もしてないのと変わらない。

 せめて朝倉と話が出来たら──。

 ふと。

 階下から漂ってくるおいしそうなご飯の香り。

 今夜は俺の好物のカレーか。

 そう思った途端、俺の腹のムシがきゅるると鳴いた。


 一階に下り辛れーなぁ……。あんなこと言わなければ良かった。


 空腹のまま今夜を過ごさなければいけない。

 嘘の代償っていうか。

 色んなことが俺には辛過ぎる。


 再度。

 一階からの足音が聞こえてきた後に、部屋のドアがノックされる。


 ……。


 ただそれだけ。

 何も言わずに、足音は一階へと下りていった。


 ……?


 不思議に思い、俺はベッドから身を起こす。

 足を下ろし、そのまま部屋のドアへと歩み寄る。

 ドアを開けて。

 ふいに漂うカレーの香り。

 視線を向ければ。

 ドアの傍にカレーとサラダと飲み物と、一枚のメッセージが添えられて置かれていた。

 母さんの字だった。


【叩いてごめんね。気持ちが落ち着いたら下りてらっしゃい】


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