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第29話 誰にでも出来る簡単なお仕事です


 連れて来られたのは、船底にある寂れて狭い物置部屋だった。

 古びた鉄の片扉ドアを開け、男がその部屋の中へと俺を乱暴に蹴飛ばして押し込む。

 蹴られた衝撃で、俺は前のめるようにして部屋に踏み入った。

 入ってみて、俺が見たのは──。

 部屋の中に大量に山積みされた木製の箱物だった。

 俺の頬が引きつる。


 な、なんですか? これは……この箱の中身は一体……?


「“なんですか?”じゃねぇ、馬鹿野郎!

 見て分からんのか? 全部ジャガイモだ。お前の持ち場はここだ。今日中にこの部屋にあるジャガイモの皮を全部剥け」


 ぜ、全部……?


「全部だ。これ全部が仕込みに使われる。日暮れまでに仕上げろ。これが終わったら次は調理場の掃除だ」


 ち、ちょっと待ってください。これほんとに全部剥くんですか?


「うるせーガキだな。全部っつってんだろうが」


 これ全部……日暮れまでに俺一人で?


二人・・で、だ」


 二人?


 俺は部屋の中を見回した。

 どう見ても俺以外に人は居ない。


 あの……もう一人はどこに? え? もしかして一緒やってくれるって意味ですか?


「馬鹿野郎! 俺がこんなことやるわけねぇだろうが。これは雑用の仕事だ」


 じゃぁ俺以外に誰が? どこにも居ないですけど。


「もう一人の雑用が今、隣の部屋でげーげーゲロってやがる。ただの船酔いだ。しばらくしたら戻ってくるだろう」


 え、いや、あの、


「あぁ?」


 ……もし日暮れまでに戻ってきてくれなかったら?


「お前一人で全部やれ。しばらくしたら様子を見に来てやる。サボったら次は海に蹴落としてやるからな」


 そんなっ! 絶対こんなの── 


「なんだ? 文句でもあるっていうのか?」


 こういうのって、魔法で何とかならないんですか? こう、パパッと、呪文唱えたら部屋のジャガイモの皮が全部一瞬で剥けちゃう魔法とか……?


 男が鼻で笑ってくる。


「だったら妖精でも精霊でも自分てめぇで勝手に呼び出して、魔法でパパッと片付けてもらえばいい。お前のアホみたいな妄想には付き合ってられん」


 吐き捨てるようにそう言って。

 男は激しくドアを閉めてどこかへ去っていった。


 ……。


 妄想、なのか?


 俺は疑問に思う。


 魔法が存在して、魔物が居て、明らかにファンタジー・ゲームな世界で……俺の妄想だと……?

 俺がおかしいのか? だって──


 いくら疑問を持ったところで、妖精も呼び出せなければ、魔法も使えない。

 俺は溜め息を吐いた。


 はぁ……。結局、全部俺一人で日暮れまでに手作業しろってことかよ。


 絶対無理。

 こんな大量のジャガイモ、俺一人で終わるわけない。

 諦めが肝心だった。

 俺にはこんなところで作業している時間はない。

 袖口を捲って腕時計を確認する。


 もう戻る時間だ。ログアウトしないと。


 辺りを見回して、ふとあることに気付く。


 ん? もしかして今が絶好のチャンスなんじゃないか?


 俺以外に部屋には誰も居ない。

 要するに個室。

 つまりそれは──


 ログアウトする絶好のチャンスじゃないか!


 もうこの船のどこかに居るであろうおっちゃんを捜している時間なんて無い。

 この絶好の機会を逃すわけにはいかないんだ。

 おっちゃんに頼らず俺一人で出来得る限りのことをしよう。


 ……。


 問題はどうやって、この世界からログアウトするか。その方法だ。

 今まで一人でログアウトしたことは何度かある。

 やり方は未だ掴めてないが。

 でももしかすると、J達の言っていた通り、実は俺にもログアウト・コマンドはちゃんとあって、あまりにも透明で見え辛い為に俺自身が気付いていなかったとか?


 よし。


 気合いを入れて、俺は視界に入る全ての空間に対しパントマイムを始めた。

 きっとどこかに隠れて表示されているであろう虚空に浮かぶ“ログアウト”という文字を探して。

 端から見て、俺は異様だった。

 だがそんなことは今の俺とってどうでもいい。

 ここは俺しか居ない完全個室だ。

 羞恥心なんて捨ててやる。

 今の俺なら全裸にだってなれそうだ。

 ひたすら真剣にパントマイムを続ける。


 しばらくの間。

 ジャガイモ箱に囲まれた部屋の中で、俺の怪しげな一人踊りが続いた。


 よし。


 気合いを入れ直す。

 結局元の世界に戻れることはなかった。

 恥ずかしい思い出だけが心に残った。


 次だ。次の方法に移ろう。


 気持ちの切り替えだけが俺の心の支えだった。


 考えるんだ。過去を思い出せ、俺。 

 そう、あれはおっちゃんの言っていたあの言葉。

 おっちゃんが一度だけログアウトの仕方を教えてくれたことがあった。

 あの例えは意味不明だったが、今の俺なら理解できるはず。


 俺はその場で静かに目を閉じる。

 手に拳を作り、大きく深呼吸をした。


 俺は今バッターボックスに立っている。

 ピッチャーが投げたボールを爽快に打つ感覚だ。

 よし、ホームランでいこう。

 ホームランを打った瞬間がログアウトだ。

 イメージが大事。

 集中して想像するんだ。


 ……。


 次の瞬間!

 俺はカッと目を見開いて叫ぶ。


 ──っしゃぁッ! ホームランだ!


 しかし、そこに見えた風景は全く変わらないものだった。

 次第に焦りを感じる。

 戻れないかもしれない不安に胸が締めつけられそうになる。


 お、落ち着け、俺。まだ試すべき方法があるはずだ。

 絶対帰れる。

 最後まで諦めるもんか。

 諦めたらそこで終わりだ。あと残り時間は──


 腕時計を確認する。

 予定時刻を完全に過ぎてしまっている。


 こうなったらとことんやってやる!

 プライドもクソもあるもんか!


 記憶を辿り、ログアウトの瞬間だけをピックアップしていく。

 あれは確か誘拐されて箱に閉じこめられた時。

 体を動かしていたらいつの間にかログアウト出来ていた。


 そうだ! きっとこれだ! 分かったぞ!

 ポーズだ、ポーズが必要なんだ!


 俺は焦りに混乱していた。

 混乱した思考のままに、思いついたポーズを取り始める。

 握り締めた両拳を水平に構えて片足を挙げ、拳法のようなポーズをとる。

 コゥ……、と。それらしき息を吐く。

 型は整った。

 ──いざ!


 来い! ログアウト!


 ……。


 虚しいだけだった。

 変わらない風景に、俺はその場に愕然と崩れ折れる。


 もうダメだ。心が折れてしまいそうだ。


 待てよ。そういえばまだ一つ試していないことがある。


 これが最後の可能性になるかもしれない。

 俺の精神的ライフケージがゼロになるかもしれない。

 それでも、試す価値はある。

 今度こそ。

 俺は気合いを入れて立ち上がる。


 ここは魔法が存在する世界だ。ならばもしかしたら、ログアウトを発動させるには呪文を唱える必要があるのかもしれない。


 呪文……。それらしい呪文、か。


 もう一度、先ほどのポーズを固めて意識を集中させる。


 全身全霊。

 森羅万象。

 全ての域とし生ける生命たちよ。

 どうか俺に力を貸してくれ。


 変な汗が俺の頬を伝い、流れ落ちる。

 冷静な思考を保ったまま。

 俺は口を開いていく。

 今にして思えば、この世界で初めて俺は呪文を口にしようとしている。

 思い出す、小学五年の夏。

 夢中になったファンタジー・ゲームの勇者の魔法を億劫もなく公道で叫んでいたあの日。

 俺の中で緊張が走る。

 もし何も起こらなかったら羞恥心に一生立ち直れないかもしれない。

 今めちゃくちゃ同級生に目撃されたくない恥ずかしい瞬間だった。


 やべ。どうしよう。

 なんか今ものすごく家に帰って枕に全力で顔を埋めたい気分だ。

 これミスったら恥ずかしいってもんじゃねーぞ。


 ……。


 一度だけ。

 そう、ただ一度だけでいいんだ。

 元の世界に戻れる為なら俺は何だって出来る。

 奮い立て勇気。

 思い出せ、小五時代。

 ──そう。俺は今日だけ大魔法使いの勇者だぁッ!



 ザ……ザキル。



 めちゃくちゃ小さい声で俺は呟いた。

 それが精一杯だった。

 呪文なんて、今適当に思いついた。


 ……しん、と。

 部屋の中が闇より深く静まり返った。

 その部屋の中で俺はただ固まる。


 ふと。

 その沈黙を破るようにしてジャガイモが一つ、箱から落ちてきた。

 コロコロと。

 虚しく床を転がっていく。


 ……。


 俺はポーズを崩し、素に戻った。

 両手を顔に当ててその場に座り込む。


 消えたい……。

 なんか色んな意味で、この世界から消え去りたい……。


 ──ん?


 俺の傍に転がってきた一個のジャガイモ。

 それにふと目を向ける。


 ……あれ?


 なぜだろう。

 そのジャガイモは皮がきれいに剥かれた裸の状態で転がっていた。

 思わず手に取って確かめる。


 え? な、一体どういうことだ? これ。


 不思議に思って。

 今度は箱へと駆け寄り、箱の中のジャガイモを次々と手に取って確認する。

 なぜかどれもこれも、ジャガイモの皮だけがきれいに消えてなくなっていた。


 え? え? ど、どういうことだ?


 ──ふいに。

 ガチャリと、ドアの開く音が聞こえてきて俺は振り返る。

 そこには皮付きジャガイモを数個手にした金髪の青年が具合悪そうな顔で立っていた。

 俺は慌ててジャガイモの箱を背に隠す。

 青年が俺を一目見て、鬱陶しそうに長い金髪を手で払い、不機嫌に話しかけてくる。


「君もここの担当なのかい?」


 ……。


 俺はこくりと頷く。

 青年の服装も俺と同じことから“もう一人の雑用”であることを伺わせる。


 いや、なんかこの人、どこかで見たような。

 それに声もなんだか聞き覚えがある。


 青年が部屋に入ってくるなりその出入り口付近で、皮付きジャガイモを床に落とし、俺に背を向けた状態のままどっかり腰を下ろして座り込んだ。


 あ、あの……


 声をかけるも青年は、背中越しのまま不機嫌に言ってくる。


「僕のことは気にしないでくれ。僕の頭の中はジャガイモのことでいっぱいなんだ。

 おっと、サインは求めないでくれよ。僕はカルロス・ラスカルド・ロズウェイとは別人だから」


 ……。


 俺は内心で思った。

 この人、間違いなくカルロス本人だ。


「君はきっと内心で僕のことをカルロス本人だと思うかもしれない。だがそれは否定させてもらう。

 もし君が、僕に関する変な噂を流そうものならラスカルド国を敵に回すことになる。

 悪戯に嘘は広めない方がいい。僕がこんなところでジャガイモの皮剥きなんて人生の汚点だ。

 僕には約束された未来がある。

 なぜなら僕はクトゥルクに選ばれし勇者だからね」


 いや、それもう後半から本人だと暴露したようなもんだろ。


「僕がカルロスじゃないと何度言えばいい? 君は馬鹿か?」


 もう俺が馬鹿でいいです。


「フン。これだから下民は。頭が悪いのを棚に上げて僕を馬鹿にしたような目で見てくる。

 下民どもはどいつもこいつも腐ってる。

 宿に泊まれば宿代を徴収するし、道を聞けば道に迷うし、髪が整ってなければ浮浪者扱いするし、道に捨ててあったバナナの皮には滑って転ぶし、角笛を貸しても絶対に返してこない。

 本当にどうしようもない下民ばかりだ」


 ……。


 思い出して俺は胸元に手を当てた。

 そういえばカルロスに借りた角笛をまだ返していなかった。


「あの時あの覆面馬鹿から角笛を返してもらっていれば、今頃僕は家に帰ってのんびり美味い飯をたらふく食べながら風呂に入り、女どもを周りに侍らせて、親の金で贅沢三昧楽しんでいたはずだったのに。

 それもこれも全部あの覆面馬鹿のせいだ。アイツのせいで僕はこんな惨めな思いを……。

 思い出しただけでも腹の立つ! あの覆面馬鹿を見つけ次第、決闘を申し込んでギッタギッタに叩きのめして、最後はドラゴンの餌にしてやる! クソ! クソ!!」


 ……。


 角笛を首から外そうとしていた俺は、そのまま静かに首元に戻した。

 返却にはタイミングが必要のようだ。


「あーそうそう。君のノルマはそこの箱全部だ。見て分かる通り、僕は今具合が悪い。僕のノルマはこれだけだから。いいね?」


 そう言って、青年──カルロスが床に転がしていた数個の皮付きジャガイモを指し示してくる。


 いや、あの……


「早く作業を始めた方がいい。僕は手伝わないよ。怒られるのは君だけだ」


 あの……もうこれ、全部皮剥きが終わってるんですけど。


「そんな嘘はつかなくていい。早く作業を始めたまえ。陽が暮れて怒られるのは君だよ」


 いや、あの……だからもう終わって──


「終わっただって? はは。クトゥルクの魔法きせきじゃあるまいし、そんな嘘は僕には通じないよ。──フン、これだから下民は。嘘をつくことしか能がない。

 こんな短時間で本当にこの部屋全部のジャガイモの皮が剥き終わっているというのなら、僕は君をクトゥルクと認めて土下座でも靴舐めでも何でもして君を崇めるよ。嘘を言ってる暇があるのなら少しでも作業の手を動かすべきだ」


 ごめん。嘘ついた。謝るよ。クトゥルクの魔法なんてあるわけないのにな。


 俺は引きつる笑顔で謝った。


「おっと、今のは聞かなかったことにするよ。君みたいな下民がクトゥルク様の名を口にするなんて烏滸がましい。ムチ打ちにあいたくなければ、今後は口を慎んだ方がいい」


 あ、うん。ごめん。今後は気をつけるよ。


「謝ってる暇があるならさっさと皮剥きをやったらどうだい? 僕は本当にこれだけしかしないから」


 うん。それでいいよ。あとは全部俺がやるから。


 背中を蹴り飛ばしてやりたい衝動をグッと堪えて、俺は明るく返事を返した。

 そのままドアへ向けて、一歩一歩と壁伝いに足を進める。


 ……。


 ドアに近付いたところで。

 俺はカルロスと目が合った。

 カルロスが不審に問いかけてくる。


「どこに行こうとしているんだい?」


 いや、あの、ちょっとそこまで……


 ぎこちない顔の俺に何かを察したのか、カルロスが言ってくる。


「十数えている間に戻って来なければ、僕は君のサボりを告げ口する」


 だ、大丈夫。すぐ戻るから。


 誤魔化すように口早にそう言い残して。

 俺はすぐさまドアを開けて部屋を飛び出すと、そのまま全力で逃げ出した。


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