第22話 ふざけんな!
微かに届く穏やかな波の音。
ほんのりとした潮の香りが鼻腔びこうをくすぐる。
温かな砂の地面を肌に感じながら、俺はゆっくりと目を開いていった。
ぼやける視界に映る砂の浜辺。
漂流していた覚えもないのだが、なぜか俺はそこで寝ていた。
……ん?
感覚を確かめるように、砂を手で掻き掴み、握り締める。
その握り締めた手を少しずつ開いていけば、サラサラと指の隙間から砂が零れ落ちていった。
砂……?
そして気付く、手首にはめた腕時計。
日付も付いた最新式。
お年玉を貯めに貯めてようやく手に入れた俺の自慢のGーSHICだった。
時計はしっかりと秒針を刻み、今現在の時間を正確に告げてくる。
俺は笑みを浮かべた。
やっぱりな。俺の思った通りだ。転送成功だ。
確認して。
ゆっくりとそこから身を起こす。
状況を知ろうと周囲を見回せば。
見知らぬ場所の、岩山に囲まれた入り江に打ち上げられた形で俺は寝ていたようだ。
ここは……いったいどこなんだ……?
時折聞こえてくる波の音。
小高い砂丘を越えた向こうに、蜃気楼のごとく揺れて映る──あれ? なんかあの街に見覚えがあるぞ。
たしかあれは勇者祭りで──って、全然場所変わってねーじゃねぇか!
あれ【オリロアン】の街じゃないよな、絶対。
ちゃんとおっちゃんに、【オリロアン】に転移できるよう頼んでおいたはずなのに……。
いったいどういうことなんだ?
準備できてるってどういう意味だったんだ?
服へと視線を落としてみても、以前このまえと全く変わり映えのない──相変わらず目と手だけを露出した怪しげな格好のまま。
変わったのは以前よりもちょっと方角違いに、遠く移動しただけだった。
ふと。
足に当たる波の違和感。
視線をさらに足元へと下ろしてみれば、まるで押し寄せる海水のごとく、サラサラとした砂の波が満ち引きを繰り返していた。
え? なんだこれ……。
その場に座り込んで、砂の波へと手を伸ばし、砂を掴んだ。
生きているのか、それともただの砂なのか。
手に掴んだ砂はサラサラと指の隙間から零れ落ちていった。
砂の波の源流へと目を向ければ。
どうやら岩山入り江の向こうから、波は押し寄せてきているようで、しかも入り江の向こうが……
俺はその場から立ち上がって呆然と呟く。
なんだ、これ。
まるで砂の大海原みたいだ。
陽の光を浴びて波打つ砂漠は、眩い宝石のように黄金色に輝き、穏やかに波打っていた。
なんなんだ、この世界。砂が海みたいに……砂海っていうんだろうか。こういうの。
試しに、打ち寄せてきた砂を両手ですくい取ってみる。
砂は水に触れているような感触で、でもたしかに砂の感触もあり、指の隙間から零れ落ちていった。
生まれて初めて体感する砂海。
俺はものすごくショックを受けた。
なんだろう。なんというか……
小学生の頃に“どうして海水は塩辛いのか?”という疑問を真剣に考えたことがある。
そしてこの瞬間、それがものすごくどうでもいいことに気付いた。
砂が海……? いや、海が砂なのか……?
そんな時だった。
頭の中でおっちゃんが声を掛けてくる。
『お。お前、そんなとこに居たのか』
え?
俺は激しく辺りを見回した。
だが、どこにも人らしき姿はない。
おっちゃん? どこに居る?
『お前ちょっとそこで待ってろ。今そっちに行く』
行くって、今どこにいるんだ?
『ここだ』
え? どこに?
『下だ』
下ぁ?
視線を足元へと落としてみれば。
ちょうど打ち寄せる波に乗って、一頭の手乗りサイズの赤ちゃんジュゴンが、俺の傍に流れ着いた。
赤ちゃんジュゴンが俺を見つめてきて、小さな片翼をかわいらしく振ってくる。
『遅れてすまんな。俺だ、俺』
は?
俺は思わず赤ちゃんジュゴンを二度見した。
目を瞬せる。
え、な? な、なんなんだ? この癒し系ミニチュア・ジュゴンは。
『成り行きだ』
いや、どんな成り行きだよ。
『あっ! しまったッ!』
え、な、何……?
ミニチュア・ジュゴンがショックを受けた顔で固まる。
『俺、この体だと陸地移動が出来ねーじゃねぇか』
知らねーよ、そんなこと。っつーか、成り行きってなんだよ。何があってそんなことになったんだ?
『詳しい話は後だ。とりあえず悪いが、俺を運んでくれ』
ふざけんな。自分でそうなったんだろ? だったら自分の力でどうにかすればいいじゃないか。
ったく、なんだよ。俺には散々偉そうに説教してきて自分の身になったらそれかよ。
無視して、俺は砂のついた手を叩き払った。
服についた砂を手で払い落としながら、ミニチュア・ジュゴンを睨みつける。
俺の視線を受けて、ミニチュア・ジュゴンがシュンと悲しそうにうなだれたように見えた。
もう一度、俺はきつく言葉を言い返す。
ほんと、マジふざけんな。俺には時間がないんだ。おっちゃんの無駄な遊びにいちいち付き合ってられないよ。
全くもってふざけてる。
こっちは真剣に取り組んでいるというのに、その矢先にこれだ。
憤慨を露わにした俺は、ミニチュア・ジュゴンをその場に置き去りにして歩き出した。
俺はここに遊びに来たわけじゃないんだ。
朝倉を助けたくてこの世界に来たというのに。
それに俺の体を預かっているJにも迷惑をかけるわけにはいかない。
ここに居る滞在時間は限られている。
一分一秒も無駄にしたくはなかった。
俺は腕時計へと視線を落とす。
最低でも四時間。
それまでにはログアウトして目を覚まさなければいけない。
計画的にやらないと何もかもが最悪になる。
責任という二文字が俺の背に重く圧しかかる。
──四時間だ。
その時間内に朝倉を見つけ出したい。
もしダメだった時は今夜の睡眠時間も使おう。
見つけ出すまでそれの繰り返しだ。
絶対に朝倉を見つけ出してみせる。
俺が、必ず。
……。
しばらく歩いてから、俺はふと足を止めた。
ちらりと後ろを振り返る。
遠く離れたスタート地点から必死に俺を追いかけてくるミニチュア・ジュゴンの姿。
ぐ……っ!
俺の心がものすごく痛んだ。
これじゃまるで俺が悪者みたいじゃないか。
なんだよ、今まで俺のこと偉そうに説教しておいて、いざ自分の身になったらそれかよ。
俺もおっちゃんと同じことしているだけなのに……。
なのに、なんで?
なんでこんなに心が痛むんだ?
そういえば、おっちゃんはこんなに俺のことをここまで突き放していたか? 俺、なんか冷た過ぎないか? おっちゃんがいったい何したっていうんだ? ただ俺が勝手にあの時の延長みたいに苛立ってるだけじゃないか。
仕方なく。
俺は溜め息を吐いて、元来た道を引き返した。
ミニチュア・ジュゴンのところへと歩いていく。
辿り着いて。
俺はミニチュア・ジュゴンを抱き上げた。
まるで水風船みたいな感触だった。
ミニチュア・ジュゴンが俺を見上げてくる。
『お。なんだ、俺を運んでくれるのか。優しいな、お前』
うるせー! 何も言ってくんな!
ムシャクシャする遣り場のない腹立たしい心境を言葉に代えて。
俺はフードを剥いで、ミニチュア・ジュゴンを頭の上に乗っけると、再びフードを被った。
少しでもミニチュア・ジュゴンの日除けになればと思ったからだ。
意外とミニチュア・ジュゴンはひんやりとしており、頭の上が気持ち良かった。
じゃぁ行くぞ、おっちゃん。
『よろしく頼む』
……。
無言で。
俺は蜃気楼のごとく揺れる見覚えある街へと向けて歩き出した。
今日は大変死にかけました、まる。




