第15話 ムカムカ反抗期 VS イライラ更年期
一旦、近場の門から街の外へと出て。
人けのないだだっ広い荒野にまで引っ張り出された俺は、そこで思いっきり突飛ばされるようにしておっちゃんに解放された。
俺は勢いで地面に手をついて倒れ込む。
起き上がる間もなく、おっちゃんが俺の体に細剣をぶつけてくる。
痛っ! なにすんだよ!
『その剣を持って構えろ』
はぁ?
わけわからず疑問符を浮かべる俺に、おっちゃんが苛立つように言ってくる。
『いいから、その剣から鞘を抜いて真剣で構えろ!』
だから、剣なんて持たないって言ってんだろ。
『うるせぇ! 黙って構えろ!』
なんなんだよ、急にキレて。意味わかんねぇ。
『苛立ってんのはお前も同じだろうが。いいから黙って俺が言う通りに鞘から抜いて剣を構えろ』
構えろって言ったって、そんなの分かるわけねぇだろ。素人だぞ? 俺。イチから教えてもらわないと分かるわけねーじゃん。……ったく。ほんとにどうかしてるだろ、このおっちゃん。
構えろの一点張りのまま鋭い目で睨み付けてくるおっちゃんに敵うはずもなく。
俺はぶちぶち文句を言いながら、仕方なくその場で胡座をかいて座り込み、細剣を鞘から引き抜いた。
鞘から引き抜かれた刃を目の前に、その刃を空に向けて垂直に立てて眺める。
陽の光を浴びて閃く一刃は、曇り無き輝きを流星のごとく放った。
鋭い刃は誰かを殺す為。
その目的で作られた斬撃武器。
血をすすり、やがては持ち主を殺人鬼へと変える。
……。
俺は溜め息を吐いた。
とてもじゃないが、細剣を構える気にはなれない。
たとえ護身とはいえ、俺は武器を習い、人殺しをする為にこの世界へ来たわけじゃないから。
細剣を膝の上に置く。
それを反抗の意として、俺はおっちゃんを睨み返した。
おっちゃんの眉根が不機嫌につり上がる。
『何をしている? 俺は構えろと言ったはずだ。なぜ下ろす?』
なぁ、おっちゃん。俺に何やらせたいんだ? 人殺しさせたいのか?
無言で。
おっちゃんが俺の傍へと歩み寄ってくる。
さすがに戦場を経験してるだけあって、おっちゃんのその気迫は俺を凄ませるのに充分だった。
俺はびくりと身を震わせる。
な、なんだよ。
体罰でモノを言う気だろうか。
するとおっちゃんが、俺の手から鞘だけを荒く奪い取った。
戸惑う俺に向けて吐き捨てるように言ってくる。
『立て』
……い、嫌だと言ったら?
『いいから立て! 今すぐに!』
……。
一喝するおっちゃんの鋭い声は、俺を黙って従わせるのに充分だった。
俺は細剣を手に、黙ってその場から立ち上がる。
それと同時におっちゃんが鞘を片手に後退していく。
俺からある程度の距離を置いたところで。
そこで向かい合う形で足を止める。
声を落とし、おっちゃんが真顔で俺に言う。
『お前はさっき、人殺しをさせたいのかと言ったな? それは逆だ。今からお前を人殺しにさせない為の訓練をする』
それなら棍棒持たせてくれよ。真剣なんて持ったら──
『俺を病院送りにする気か? 棍棒だとリーチが短い。
いいから俺に言われた通りに剣を構えろ。
構えは自由だ。適当でいい。お前の好きに構えろ』
……。
俺は言われた通りに剣を両手で握り、中段に構えた。
それを見たおっちゃんが、手持ちの鞘を剣のようにして片手に構え、真っ直ぐにその先端を俺に向けてくる。
『今から俺はこの鞘で、本気でお前をぶん殴りに行く』
ち、ちょっと待てよ。
俺は慌てた。
本気とか意味わかんねーし。俺、素人だぞ?
おっちゃんが当然といった顔で言い返してくる。
『頭は素人でも体は玄人だ。生半可な手加減したら俺が死ぬ』
待てよ。冗談だろ? マジで手加減無しにくる気か? しかも俺が持ってるのは真剣だぞ? もし当たったりしたら──
おっちゃんが鞘先をぴたりと俺の顔に狙い定めてくる。
『俺に刃が当たる心配より自分の心配をしたらどうだ?
痛い程度で済むと思うなよ? 全力で行くからには本気で、お前の骨を粉砕するつもりで行く』
──。
ゾクリとした殺気が一瞬で俺の背を駆け上がる。
おっちゃんの目は本気だった。
本気で俺を叩きに来るつもりなんだ。
自然と。
俺は震える両手で柄を強く握り締めた。
自分を奮い立たせる為に。
刃の先を、おっちゃんへと向ける。
『そうだ。それでいい』
そう言って、おっちゃんがゆっくりと鞘を薙ぐようにして構え、腰を落としてくる。
相手の威圧に怯え、俺は引き腰に一歩後退した。
素人目の俺からしても、おっちゃんの戦い慣れした隙のない構えには身の危険を覚えるほどだった。
完全に怯えきった俺を見て、おっちゃんが鼻で笑ってくる。
『まるで雨に濡れて怯える捨て犬みたいな顔してるな、お前。
戦いを知らないお前に俺は殺せない。だがクトゥルクなら俺を殺せる。──こうやってな』
──!
攻撃は直後。
一瞬の隙をついて、おっちゃんが俺との間合いを詰めてくる。
瞬きも一呼吸すらも与えず、おっちゃんは構えた鞘で俺の胴めがけて本気で薙いできた。
俺の意識がぷつりとそこで飛んだ。
いや、そう感じただけかもしれない。
でも確実に。
俺の記憶は完全に抜け落ちていた。
『呑まれるな!』
おっちゃんの怒鳴り声が頭の中に響いた。
それと同時に俺はハッと意識を取り戻す。
気付いて見やれば。
俺はいつの間にかおっちゃんの背後をとり、心臓位置目掛けて細剣で串刺そうとしていたところだった。
あと数ミリ。
意識を取り戻すのがあと一秒でも遅れていたら。
俺は自分のやった行動に理解できず、愕然と目を見開いた。
力なく俺の手から細剣が滑り落ちる。
じっとりと汗に濡れる掌。
体が小刻みに震えて止まらない。
貧血を起こしたかのような目眩に襲われ、足元がふらつく。
お、俺……なんでこんなこと……?
目の前の出来事を受け入れきれなかった。
俺は無意識におっちゃんを殺そうとした。
その現実が残酷なまでに重く圧しかかってくる。
体が勝手に動いた。
それ以外に言葉はない。
記憶を辿るも何も思い出せない空白の時間。
なぜ思い出せないんだ? 自分がとった行動を……?
振り返ることなく、おっちゃんが冷静に声をかけてくる。
『これで分かっただろ? 戦うのが嫌い。人を殺めるのが怖い。クトゥルクの力を持つお前の場合、それは口先だけの道化に過ぎない。
いざ戦いを仕掛けられた時、お前は咄嗟の恐怖心からクトゥルクに自我を呑まれ、確実に人を殺すだろう。
今のはそのわかりやすい実戦例だ。
殺人鬼になれとは言わん。だがそれをしないだけの訓練は身につけろ。
まぁ、敵を油断させて殺すってんなら止めはしない。もってこいの手法だからな。お前がその手法をとりたいんなら俺は喜んで薦めよう。
もうお前に何も言うことはない。自分の人生だ。人生勝手に生きろ』
……。
その言葉を受けると同時、俺はその場に膝を折って座り込んだ。
おっちゃんが振り向いてくる。
『反抗的な態度をとるのは結構だが、後で泣きを見るのはお前だ。
なぜオリロアンへ行こうとしていたか、なぜ俺に頑なまでに隠し事をするのか知らないが、何をするでもそれはお前の権利だ。勝手にすればいい。
だがもし、お前が今ここで正直に話してくれるというのであれば、俺はお前に協力しよう。お前のことも全力で助けてやる。
それでも話したくないというのであれば、それは俺には関係ない。たとえ最悪な結果の運びとなろうとも、それはお前が選んだ運命だ。お前自身でどうにかしろ。
お前の今のその行動は、自分でケツ拭く覚悟があっての行動なんだろ?』
……。
皮肉たっぷりに俺に向けて吐き捨てた後、おっちゃんは地面に落ちた細剣を奪い、手持ちの鞘へと戻した。
俺は静かに俯く。
胸中に込み上げくる溢れんばかりの悩み。
考えに行き詰まった俺は、涙つまる声でおっちゃんに尋ねた。
……なぁ、おっちゃん。
『なんだ?』
本当にこの力、誰にも譲れないのか?
『何度も言わせるな。その力はお前にしか適合しない』
だったら……。
『だったら、なんだ?』
……。
俺は運命を呪うように地面に爪を掻き立てた。
砂を掴み、その拳を握り締めていく。
助けてくれ、おっちゃん。俺のせいで、朝く──ダチが黒騎士に捕まってこの世界に閉じ込められたまま戻ってこないんだ。オリロアンへ行けばダチに会わせるって条件出されて、俺……。
ダチを助けたいんだ。どうすれば助けられる?
『……』
溜め息を吐いて、おっちゃんがぽりぽりと面倒くさげに頭を掻いた。
『なるほどな。それで急にこっちの世界に行きたいと言い出したわけか』
……。
俺は無言で頷く。
『事情は分かった。
お前のダチ救出に全面協力してやる。その代わり今後一切、俺に隠し事は無しだ』
じゃぁ、おっちゃんが俺に隠し事するのも無しだよな?
『それとこれとは話が別だ。
──で、お前を脅した黒騎士の名は?』
……。
俺は首を横に振る。
分からない。聞いていないんだ。
『じゃぁ聞き出す努力をしろ。いいな?』
……。
その言葉に、俺は無言で小さく頷いた。
成功の確率は低いけど。
ふとおっちゃんが俺の傍に座り込んでくる。
目線を合わせ、そして安心させるかの笑みを浮かべて、俺の頭をくしゃりと撫でてくる。
『よく正直に話してくれた。後のことは俺に任せろ。お前を脅した黒騎士は俺がとっつかまえて成敗してやる』
本当か? 本当に朝く──ダチは助かるんだな?
おっちゃんが俺の肩を軽く叩く。
『何もかも一人で背負い込もうとするな。誰かに脅されたら真っ先に俺に言え。いいな?』
うん、わかった。そうする。
『それと。もう一つ言っておく。
お前はゲームの駒じゃない。俺とお前は信頼できるパートナーだ。お前に何かあったら俺は助ける。俺が困っていたら手を貸せ。それでイーブンだ』
だったらおっちゃんの隠していることも全部正直に俺に話してくれ。
『それは断る』
どこがイーブンだと俺は思った。
『だからパートナーでもない。そう言いたいのか?』
……。
おっちゃんが俺に手を差し出してくる。
それを俺は無言で掴んだ。




