第11話 夜十時
その日の夕食時──。
俺は父さんと母さんと一緒に食卓を囲んで、いつも通りにご飯を食べていた。
今夜のメニューは魚系。
アジの塩焼きと具沢山の貝の味噌汁。
いつものように父さんと母さんの会話を聞きながら、俺は黙ってご飯を食べる。
しかし、その日はなんだか様子が違った。
ふと、父さんが深刻な表情をして俺に話しかけてきた。
「急なことだが、家族旅行に出掛けようと思っている」
……え?
あまりに突然な話に、俺は箸を口にした状態で呆然と聞き返した。
すると横から母さんが、俺に嬉しそうに言ってくる。
「お父さんね、仕事の長期休暇が取れたんだって。どこか行ってみたい場所、ある?」
な、なんで急に……? それに俺、学校があるし。
「学校は旅行から帰った後からでもいつでも好きなだけ行けるんだから、こういう時くらい学校はお休みしなさい」
え……いや、でも……なんで急に……?
俺は母さんの意外な言葉に耳を疑い、戸惑い、目を瞬かせた。
その瞬間。
──!
父さんが鋭く母さんの名を呼ぶ。
ただ事じゃない雰囲気。
怒っているとか、機嫌が悪いとか、それ以上に何かトゲの刺さるような鋭い声。
今までに感じたことない重い雰囲気だった。
……。
母さんが気まずく黙り込む。
その後、母さんは何も言わず食器を片付けて席を立ち、流し台へと移動してしまった。
「……」
……。
父さんも黙り込む。
一度重く溜め息を吐いて黙々とご飯を食べていた。
……。
俺の中に残る、疑問と言い知れぬ不安。
言葉にならないくらいの重苦しい空気が食卓を包み込む。
気持ちのやり場に困った俺は、視線を落として静かに箸を置いた。
……ごちそうさま。
ぽつりと一言だけ呟いた後。
全てをそこに置き去るようにして席を立つと、二階に在る自室に向けて、魂の抜けた身体でふらふらと歩いていった。
※
二階の自室に閉じこもり──。
俺はそのまま雪崩れ込むようにベッドに倒れ込み、寝転がった。
仰向けに体勢を変えて大の字になり、呆然とした気持ちで天井を見つめる。
ふと、ぽつりと。
心に浮かぶ一つの言葉。
俺、本当に……元気なんだよな?
誰にでもなく呟き、重い溜め息を吐く。
盆と正月以外の家族旅行なんて初めてだった。
どうして急に……なぜ?
なぜ父さんと母さんは俺に、あんなこと言ってきたんだろう。それに父さんはわざわざ会社を休んでまでして。
家族で俺だけが知らない真実。
もしかして俺は……この世界で最期の時間を迎えようとしているんじゃないだろうか?
右の手の平を天井へと向けて翳す。
何事もない、いつも通りの天井。
手の平も身体も周囲も、ずっと何も変わらないと思っていた。
そう。
ずっと今まで思い込んでいたのかもしれない。
気付いていないのは……俺だけだったのか?
『センチメンタルだな』
──ぅおッ、びっくりした!
突然頭の中に聞こえてきたおっちゃんの声に、俺は飛び上がる思いで身を震わせた。
な、なんだよ急に
『あーあーテステス。俺の声は聞こえているか?』
聞こえているよ。──ってか、それ何の確認だ?
『あれ? おーい、聞こえているか? もしもーし』
聞こえているって。いったい何の確認
『あークソッ! このポンコツが! なんで開かねぇんだ!』
な、なにやってんだ? おっちゃん、今。
ガンガンと木箱か何かを蹴りまくるような荒い物音が聞こえてくる。
『うるせー! ちと黙ってろ! 俺は今忙しいんだ!』
いや、話しかけてきたのはおっちゃんの方だろ?
そして。
何かを爽快にぶち抜いたであろう物音が聞こえてきたかと思うと、シンと急に静かになった。
……。
おっちゃんが鼻で笑ってくる。
『ぶち抜いてやったぜ、大事な歴史文化財』
いや、本気で何やってんだよ、おっちゃん!
『チッ。ハズレ、か……。中身を抜かれてやがる』
な、なか、え?
『あれ? おーい、坊主。俺の声は聞こえているか? 聞こえていたら何とか言え、コラ』
だから聞こえているって。
『おっと、聞こえていたか。それはすまん。
──ところで、そっちは今何時だ?』
え?
俺はほぼ反射的に勉強机の上にある置時計へと目をやった。
今……夜の八時五分だけど……。
『八時五分か。まだ少し時間はあるな。用はそれだけだ。じゃぁな』
待ってくれ、おっちゃん。
『ん? なんだ? 何か用か?』
用っていうか……その……俺もおっちゃんに、頼みたいことがあって……。
『あぁ?』
え、いや、なんでそんな不機嫌に言い返してくるんだよ? 俺がおっちゃんに頼み事したらいけないのかよ?
『お前に利用されると腹が立つ』
おっちゃん、俺のこと嘗めてるだろ?
『嘗めてんじゃない、見下しているんだ』
どっちも一緒だろ。それより、なぁおっちゃん。
『なんだ?』
実はちょっとだけ、そっちの世界に行きたいなぁー……って言ったら、怒るのか?
『なぜだ?』
えっ。いや、“なぜ”って……そう言われても……
『こっちの世界に来たいのか?』
いや、あの……うーん。実は、その……行きたいんだ。
『どういう心変わりだ?』
いや、別に! そんな大した理由じゃないんだ。ただ……えっと……
『はっきり言え』
いや、その……た、たまにはそっちの世界に行って気分転換したいなぁ~……なんて。
『……』
いや、黙るなよ。別に俺何も企んでないし、すぐにログアウトするつもりだから。変に思うかもしれないけど、ちょっとの時間だけだから。
俺がそっちの世界に行きたいって思ったらいけないのかよ?
『……』
……って、あれ? おっちゃん? おーい。
『聞こえている』
聞こえているのかよ。だったら何か言ってくれよ。一瞬、交信が切れたのかと
『ふーん……』
……え? ちょ、“ふーん”って。それだけか?
『十時になったら改めて声をかける。それまでそこで大人しく正座して待ってろ』
え? 待つって──
『【自動音声案内に切り替えます。しばらくこのままでお待ちください】』
変なのが流れてきたぞ、おっちゃん! ってか、なんだよこれ! 自動音声案内って! おっちゃん!!




