出し物を繰り出す子
加藤信也の一人芝居は続いていた。
「手裏剣はこう投げる」
手のひらを上下に合わせて滑らせる。
「驚いた敵をズバッと斬り殺して城に戻る」
大上段から斬り払った。帰りの走りも付いている。
ああ、そうだと思った。忍者は走る時、手を拳に握らない。信也がやった通り、手刀型で、空気を切るようにして走るんだ。
妙に納得しているとばあちゃんが言った。
「お城に戻る前にひとつ忘れてる」
「そうだな」
じっちゃんも頷く。
「え〜、僕何か忘れたっけ?」
信也はお母さんのほうを見たけれど、加藤さんも首を傾げるだけだ。
「追手がかからないようにしなくちゃ」とばあちゃん。
「おってって追いかけてくる人?」
「そう」
「僕は素早いからみんな寝静まってて気付かないよ」
「それでも念を入れて」
「玄関先に撒いて帰るんだ」じっちゃんが助け舟を出す。
「何を?」
信也は知らなそうだ。
「とげとげの」
「昔はみんな草履か草鞋か、裸足だから痛いのよ」
僕はつい呟いてしまう。
「まきびし」
信也はまた僕をじっと見つめて、時代劇なのか、目に見えない閉じた扇子で僕を指すような仕草をした。
「やっぱおまえ忍者だな? 何をたくらんでおる? この家で何をしておるのじゃ?」
口調が変わった息子にお母さんがツッコミをかける。
「何、今度は信也がお殿様なの?」
「そう。怪しい忍者捕まえたら拷問して泥を吐かせるんだ」
信也はついっと近付いてきて、ひょいっと僕を畳に転がした。何が起こったのかわからなかった。
「拷問は止めて欲しいな」とばあちゃんが窘める。
「彬文君は怪しい者じゃないのよ、ばあちゃんたちのお孫さんなんだから」
加藤さんが説明した。
信也は仰向けに寝転がったままの僕をじっと見て、
「忍者じゃないの?」
と訊いた。
「ない」
ほとんど口パク、小声で信也にしか届かなかったかもしれない。
「ここに住むことになったんだって。ごめんなさいね、彬文君、驚かせて」
じっちゃんの声がした。
「道場以外で柔道の技を使ってはいけない。ただ、手を添えたのは良かった」
信也はじっちゃんのほうを見ていたかと思うと、明るく
「ごめんなさあい」
と言った。
次の瞬間、両腕を掴まれて、僕はもとの正座に戻っていた。何事もなかったかのように。
加藤さんが台所から二人分のジュースを持ってきてくれた。元々喉が渇いていたからよっぽど美味しかった。信也もごくごく飲んでいた。
骨太というんだろうか、太ってはないけれど身体つきがしっかりしている。目が二重でまんまるだ。
「動物園のことどこまで話したんだっけ?」
「話したんじゃないでしょ、ゾウとキリンとサルの物真似して、ライオンとトラの違いがわからないとか言ってたのよ」
「あ、そうか」
「じゃ、上野が済んでからの宿題ね」
じっちゃん、ばあちゃん、おばさん、信也、まるで一つの家族のようだ。僕は離れて眺める観客のような気分がした。
「お母さん……」心の中で呼びかけた。
「次は歌だ!」
突然信也の声がして、畳の上に身体が浮いた。
「少し休憩時間にしたら?」とおばさん。
「今ジュースもらって休憩終わり。何唄おうか?」
僕は思った。この子は、僕が来る前から動物園ごっこをしていて、忍者ごっこになって、ジュースをもらって今度は歌を唄うらしい。何か、次から次へと出し物を繰り出す子だ。
「小学校の校歌が聞きたい」
じっちゃんが言った。じっちゃんが子どもの相手をするのは神主の仕事としてだけだと思っていた。普段家では僕にでさえ、返事をしてくれないこともあるのに。
「えー、校歌? ダサいじゃん。ちょっとクラいんだよね。日本語ヘンだし」
「聞きたいな」
信也は、立ち上がると背伸びか深呼吸かわからない動作の後で、澄んだ声で唄い出した。
♪ 武蔵野の風にも負けず集い来る
つぶらな瞳の同胞よ
この地を護る精霊に
祈りて夢を成し遂げん。
健やかにあれ空の下
強く羽ばたけ風切って
心優しく緑の中に
洗足森の小学校、この学び舎で」
僕は始業式後に転校してきたから、校歌は担任の先生から一度聞いたきりだったけど、信也が同じ学校だということはわかった。
加藤さんが、
「青造さん、もしかして?」
と訊いた。
青造とはじっちゃんの普通の名前だ。普通というのは、神主としての名前が別にあるから。加藤さんはやはり、信者じゃなさそうだ。
じっちゃんはコクリと頷いて、「ダサくてクラくてヘンだそうだが」と微笑んだ。
作詞作曲じっちゃん、らしい。
信也は、大人たちが拍手もせずにおしゃべりしているのが気に喰わなかったのかもしれない、また唄い出した。
♪ 武蔵野の風にも負けず飛んでくよ
つぶらな瞳の僕たちは
精霊たちも見守って
僕らの夢を叶えるさ。
元気一杯空の下
強く羽ばたく風切って
緑の中で育つんだ
「ほらやっぱり、信也ののほうがいい」
じっちゃんが加藤さんにウィンクしていた。
信也は、
♪ 洗足森の小学校 みんな大好き僕らの学校
と歌を終えて、また僕のほうに近付いてきた。
「今度は何?」と思った。
「おまえが恐山から来たイタコ? 三年の謎の転校生?」
「僕はイタコじゃありません」
正座したまま信也を見上げて答えた。
そういう噂が広まっているのは知っている。そのせいでクラスの子も僕を恐がって遠巻きに見ているのだから。
「お母さん、イタコってなにぃ?」
ガクッとした。知らないで言っていたらしい。
「えっと、死んだ人とお話させてくれる巫女さんかな」
加藤のおばさんは自信無げに答えた。
「死んだ人と? 話せるの? それスゴイじゃん! 忍者よりスゴイ。おまえ、イタコじゃないの?」
「違います!」
「なあんだ。でも恐山にいけば、そのイタコの人ってたくさんいる?」
「きっと十人くらい……?」
口籠る僕に信也は
「ヤッター!」
と両手を上げて喜んだ。
「信也、会いたい人がいるの? 死んじゃった人で」
「まだいない。でもこれで安心。もし僕の知らないところで僕のお父さんが死んじゃっても、恐山に行けば会える!」
信也は座敷の内に走った硬い空気を気にもせず、花火のように「歓びの歌」を唄い踊った。
この子はお父さん知らないんだ、その時はそう思っただけだった。