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お兄ちゃん

最終部分です。


文中の歌、「朧月夜」は作者の知る限り、著作権フリーです。

 

 部屋の襖がガタガタ鳴った。

「入っていい?」

 黙ったまま開けた。

 そこには、キーボードを身体に立てかけ、コードを長く引き摺って、ヘッドフォンを首に、左手に本のページを持った信也がいた。


「ごめん」と言いながら紙を差し出した。

 受け取って机の上で、該当ページの切り口を突き合わせて貼った。

 どれ程慎重にやっても、そのページだけ何分の一ミリか飛び出してしまう。セロテープが劣化したら薄汚くもなる。内容は読めるけど、このダメージは消えない。

「もういいよ」と言うべきだろうに声にならなかった。


 振り向くと信也は、畳の上にキーボードを置きスタンバイしていた。僕のほうにヘッドフォンをぬっと突き出す。聴けってことかなと思い、斜め前に座りこんだ。

 イヤーマフのようにクッション厚めの二つの円盤から聞こえてきたのは、「水族館」だった。

 オリジナルに忠実。水槽の水の煌めき、巡る魚群の鱗の光、立ち昇る気泡が、次々と眼前に現れる。写実的でいてどこか宇宙に浮かんでいるみたい。僕の指は笛を吹くかのようにさざ波を作ってしまう。


 二曲目はチャイコフスキーのピアノコンチェルトだった。あの日、加藤さんが弾いてくれた曲。信也のほうが手荒いけど力強かった。

 メインテーマが終わると、飽きたといわんばかりに、クラシック・メドレーになった。有名な曲の有名な個所ばかりを集めた、ダイジェスト版。

 

 次は何だろう、次は、と僕はのせられて、聞き知った曲ばかりだからつい口ずさんでしまったりもした。

 だんだん小学唱歌や童謡が増えてくる。微笑ましくなって僕の口元は上がっていたんだろう。顔を上げると信也は鍵盤など見ていなく、僕に微笑んでいた。


 ヘッドフォンを外して話しかけた。

「ねえ、水族館の編曲どうなったの?」

「あ、あれ? だめだった。新曲が要る」

「作曲するの?」

「できたらね。見たんだ、スゴイの。ひらひらのタツノオトシゴ。普通のより白くて、透けてて、葉っぱみたいのがたくさんついてる。海藻に掴まってても、異次元に浮いてるみたいにふわふわゆらゆら、どこまでが身体かわかんないっぽくて……」


「サン=サーンスにも限界ありか……」

「それが作曲家さん? そのひとの行った水族館にはいなかったんだよ、きっと」

「そうだね」

「特別な水槽に居たから特別な曲が要るの」

 信也の出した結論が可愛かった。そしていつか「作曲」してしまうんだろうなあと思った。


 信也が急に小声を出した。

「あきふみはこの家に居たくないの?」

「わからない、居なくちゃだめだから」

「そっか……、ごめん」

 何を謝られているのか、僕に、「いなくなれ」と言ったことだろうか。

 ああ、信也は「9才で親神官につく」という教団の決まり事のために、僕が半ば強制的に東京に引っ越しさせられたことを知らないんだった。


「何か聴きたい曲ある?」

 信也の目がまんまるだ。俯いてもない。僕の大好きな加藤信也に戻ったみたいだ。嬉しくなって言ってみた。

「『朧月夜』弾ける?」

「唄ってよ、題名とか作者とか、僕よく知らないって知ってるだろ」

 僕はにっとしてから「菜の花畑ぇに〜」と歌った。

 信也はキーボードからヘッドフォンを引き抜いた。

 

 一度聞いただけで弾き始め、「そーらを見れば」の「そ」のところだけ間違えた。首を横に振るとすぐ直した。

 最後に行きついて、僕が

「お母さんの好きな歌なんだ」

 というと、信也は心から笑ってくれた気がした。


 最初に戻って左手が和音をつける。どんどんつける。僕は二番の歌詞を唄ってしまった。かなりの声量で。

 

 ばあちゃんの足音にも気付かなかった。

「何時だと思ってるの?! 電子ピアノは8時までの約束でしょ!」

 コンセントを抜いて、キーボードを抱え、ばあちゃんは僕の部屋を出ていく。信也は後に続きながら、僕にむかって舌を出してみせた。

「信ちゃん、おやすみ!」

 と声をかけると手をひらひらと振った。


 翌朝、座敷の前で信也と一緒になった。

「また怒られるかな?」

 と目をきらめかせている。

 ふたりでじっちゃんの前にかしこまって

「おはようございます」

 と頭を下げた。


 じっちゃんは「わかったか?」と信也に訊いた。信也は

「僕もあきふみもお母さんが好きです!」

 と元気よく答えた。

「そうだな、大好きでいなさい」

 とじっちゃん。

 この会話はちょっと不明だなと思っていると、「彬文はちょっと残ってくれ」と言われた。

 

 信也が出ていくと、じっちゃんが僕に、急に頭を下げた。

「彬文、ありがとう」

 僕は慌てて座布団を外して、もっと低くなれるように両手をついた。それが神社での、目上に対する礼儀だから、身体がすんなり動いてくれてほっとした。


「何のことでしょう?」

 土下座のまま訊いたけど、じっちゃんは「ありがとう……」と噛みしめるように言っただけだった。

「朝食に行こう」


 茶の間に座ってから思い至った。あれは信也のお父さんとしての言葉だ。

「うちの子を嫌わないでいてくれてありがとう。悪いことをしたらきちんと怒って、ケンカもできる間柄でいてくれてありがとう」

 という意味だろう。


 僕はこの日から加藤信也を「信ちゃん」と呼び、自分の「お兄ちゃん」だと思うことにした。

 信也はたぶん、千葉には行かない。僕たちが家族だって、心の奥のどこかでわかっている。赤ちゃんだった時の記憶が残ってる。

 

 集団登校の集合場所になっているうちの神社で、僕は「恐山、あっち行け」とか言われるし、信ちゃんはこっちの地区初めてで、みんな遠巻きに見てる感じだし、結局ふたりで歩くことにした。


 始業式でまた僕がいじめられないか、信ちゃんは気にした。

「もう、大丈夫だよ」


 だって、僕の気の持ちようがガラリと変わったのだから。

 まずは講堂へ行く前、教室で顔を見たら「おっはよう!」と大きな声で挨拶してあげよう。

 そして廊下を歩きながら、「夏休みどうだった? 僕はさんざんだったよ」って言う。


「親戚のお兄ちゃんと暮らすことになったんだけど、ソイツがとんでもないんだ。僕の座布団に松葉を敷き詰めたんだよ、信じられる? そんなこと、思いつくほうがスゴイよ。でもお蔭でちっとも退屈しなかったけどね」ってまくし立てるんだ。


 嫌がらせのアイディアひとつとっても、君は信ちゃんに敵わないんだよって意味も込めて。


 何なら、信也と一緒に、「何か悩みがあるなら僕らが相談に乗るよ」と言ってあげてもいい。


 「仕方なしに転校してきた学校」じゃない、「お兄ちゃん」も居る、これから僕が腰を据える学校だ。

 信ちゃんが前に唄った通り、「みんな大好き僕らの学校」にしていかなくちゃね。



―了― 


読んでいただきありがとうございました。


シリーズ内の「帰ってきた人」などに彬文を登場させているので、どんな性格で、信也とどんな関係か表現したくてアップしました。

ふたりのエピソードは限りなくあるのですが、それは次の機会に。

次の機会があれば、ですが。


ありがとうございました。

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