父と甥、祖父と孫
お社で教典を音読した後、僕の水練のために丹沢の山荘へいつ行くかという話になった。肺活量を鍛えるためなのか、うちの神社修業には古式泳法が取り入れられている。
夏休みの内にメニューはできる限り消化してしまいたい。というのも、恐山と京都なら神社の敷地内に泳げる池がある。宮津のお社なら海。ここ東京だけは、丹沢まで泊まり込みでいかないとだめだからだ。
どうせしなくちゃならないことは、都合のいいときにテキパキ片付けるのがいい。一度及第すれば二度とやらなくて済む。
「うちをあけて信也さまは大丈夫でしょうか?」
「ああ、静香がいうに、最近学校へ行ってるらしい」
「えっと、プールに入りに?」
「最初はそう言っていた。だが、帰っても水着が濡れてない。それで気にはしていたんだが、昨日学校から電話があったそうだ」
「何て?」
「ピアノを弾いてると」
「ひとりで?」
「六年生の清水先生といったかな、卒業式に向けて『威風堂々』を練習していたら、信也が現れて。初日は泣いていたそうだ、『弾けるようになりたい曲があるのに、ピアノもお母さんももういない』と」
「泣いて……」
信也が、あの加藤君が……泣いて。
もしかして自分の部屋でも夜泣いているかもしれない。僕は就寝時間が早いから気付かなかった。僕だって、布団に入ってもすぐに眠れないときは、お母さんを想って泣いてしまったりもするんだから。
「私にピアノ一台買わせてくれないのにな。まあ、うちに閉じ籠って独りで弾くよりも、誰かと交流があったほうがいいだろう」
「遠慮があるんでしょうね。食後の片付け手伝いながら『僕はイソーローだから』と呟いてました」
「イソーロー? バカな」
「居候だと思えば、孫にやきもち焼くこともあるでしょう」
初めて会った日、僕に居場所がないと感じたように、今は信也のほうが肩身の狭い気分を味わっている。それがイタズラになってると思う。
「そうか、そうだな。おまえはどうなんだ? 大丈夫なのか?」
「私、ですか?」
「かなりいじめられてないか?」
「あれはイジメじゃありません」
「学校で体操服隠されたりしたのとは違うのか?」
「違いますね。何か妙に明るい。僕を潰そうと思ってやってないですから。『今まだ本調子じゃないけど僕は信也だぞ』って自分の存在主張みたいな感じ?」
「おまえはやはりすごいな。初代神官の生まれ変わりと呼ばれるだけある」
「狐の血が濃いですか?」
僕のジョークにじっちゃんが笑う。
音楽の得意な親友の死に際し、御霊として、神として祀り上げたのが初代神官。自分と親友の妹との間にできた息子を親友の養子にしていた。その養子の人が二代目。彼から見れば、神さまは養父で伯父さん、初代神官が実の父親。
僕たちは表向き、自分たちは神さまになった「親友」のほうの子孫と説明するが、ほんとは神官の直系だ。その人の母親は狐だったという伝説があるんだから、胡散臭い一族なわけだ。
でもこのことは、絶対禁句の口外法度、うちの神社の古文書に記述があるだけ。彼の名を発音することも許されない。
「座布団の松葉については翌朝に探りをいれた。『地獄には針のムシロというものがあるそうだ』と言ってみたが」
「信也さまの答えは?」
「『痛い?』『行ってみなきゃわからない。死んでからじゃ遅いだろう?』と睨みつけたら、『松葉はそんなに痛くない』と言った」
「自分も試したの?」
「そのようだ。おまえの言う通り、イジメたくてやっているようではない」
「親の欲目でなければ」
「甥がかばいだてしてなければ」
普通、五十代の祖父と9才の孫はこんな会話しないだろうが、僕たちにとっては、日常茶飯事。
神の使いとして信者さんからの相談を受けた場合に、「大変だね」というか「そんなのたいしたことない」というか「こう考えればいいんじゃないかな」か、「悪いのは相手だね」というか。
神官だって人間だからいつも悩む。自分ひとりの判断で不安な時は、「今の話どう思う?」などとお互いの意見を、祭壇の裏で訊きあったりもする。
年の功が物をいう時が大半だけれど、僕の子供なりの直感が当たることもある。
数日後、いくら甥でもかばいだてし切れないことが起きた。




