東京に来てみたら
彬文と信也が初めて出会った場面です。
*BL要素は全くありません。可愛い男の子を応援するお話。
東京はホットミルクの表面にできた皮みたいなところだと思った。ひとえに僕が、ミルク嫌いなせいだ。
嫌いというよりは、身体が受け付けない。どうもお腹がごろごろする。給食なんかでムリに飲まされると効果てきめんだ。
山では、「やっぱり彬文様なのねぇ」などと言われて飲まずに済んだ。父からの遺伝だから。父も僕も、乳製品は苦手で、痩せの大食い、ひょろひょろ、ガリガリと言われやすい体型をしている。
四月、小三になるや否や、誕生日が来て東京の祖父の元にきた。
九才にしては僕の日本語は大人っぽ過ぎると思われるだろう。それについては、物心ついた時から神社で古文書を暗誦させられるとこうなると言うしかない。
ミルクの皮というのは、何でも皆と同じにしなくちゃならないということだ。山の分校ではクラスは親戚ばかり、学年もバラバラだった。課題が済めば、六年の進さんの教科書を読んだりもした。東京では、37人が同じクラスでもちろん同学年、同じことを同じ時間かけてやらなきゃならない。これはかなりの苦痛だ。
先にできてもできてないフリ。知っていても初耳の顔。面白そうと思ってもめんどくさいと横を向く。
生まれてこの方立場上、その他大勢と同じではいけないと育てられた。ある神社の跡取りだというだけのことなのに。
自宅、親戚、氏子に信者、親も大人も僕を特別視する。
それが急に学校では「周囲と同じようにしなさい」と言われる混乱をわかって欲しい。
それでなくても目立つ転校生の立場で出身が恐山となると、クラスメイトたちは僕を恐がろうかいじめようか様子を窺っているようだ。僕はただ、放っておいて欲しいのに。
僕は日々、ミルクの皮を厚く厚くするのに忙しく、下のミルク自体がどんどん薄くなる気がしている。
陽射しの明るい土曜日の午後二時頃だった。縁側の向こうの庭石が光っている。読んでいた本をパタンと閉じて机を離れた。
「ジュースでももらってから神社に行こう。拭き掃除くらいできる」
じっちゃんが「今日の午後は社を休む。来客があるから」と朝言っていた。
父は何があろうと恐山の社を閉めない。信者でない来客があれば社務所で会っていた。自宅自体が神社の敷地内にあるのだからどうしようもない。
客が来るのなら、僕に留守番させればいい。ここ東京でも、神社と自宅は隣り合わせ。石段ではなく裏道を滑り降りれば一分かからない。
社内にいて、手に負えそうになければ父を呼ぶ、山ではずうっとそうしてきた。神官見習いとして神主の補佐を。
廊下を歩いていると十畳ある広い座敷から笑い声がした。若い女の人、ばあちゃん、そして男の子。
「じゃあ次、これはこれは?」
襖が少し開いていたのか、じっちゃんが僕に気付いて
「彬文入りなさい」
と言った。
お客さんに挨拶しなさいということだと思って、膝をついて襖を開けて、作法通りに頭を下げた。
「彬文でございます」
「こちらは加藤奈緒子さんと息子さんだ」
じっちゃんの顔はなぜかほころんでいる。
あれっと思った。信者さんなら「こちらが彬文さまですか」とか言われるのが普通だ。
その若い女の人はにっこりと微笑んでいる。
「加藤です。息子の名は信也といいます」
男の子はきょとんと僕を見つめて、挨拶しそうにもなかった。
一つ二つ、年上だと思う。
目が合うと、
「今の何か忍者っぽかった!」
と声を上げた。
僕は内心「ニンジャー?」って叫んだけど、一応きちんと座敷に入り、襖を閉めた。
その子、信也君は
「忍者が殿様に作戦失敗しましたって謝ってるとこ!」
と言いながらまだ僕のほうを見ていた。
お母さんが訊いている、
「作戦失敗なの? 困るじゃない」
「だって、作戦受ける時はこう、片方膝ついて、片手ついて、えーと、何て言うんだっけ? 『ははあ』かな?」
「承知」
じっちゃんがぼそっと声を出した。
「それそれ、ショーチ。それで、びゅんって塀に上がる。低い姿勢のまま辺りを見廻す。足音をたてないで、屋根の上を走る!」
信也はひとつずつ身振りをつけながら、でも畳の上を走りはしなかった。暴れてはいけないと言われているのだろう、足を前後に開いて両腕だけ振った。
それでも、間の取り方が絶妙で目を奪われる。
演劇でも習っていそうだ。