6 ばあすでい
ふと、顔を上げた虎娘が神妙な面持ちで問いかけてきた。
「あの、ワタシの名前は何だったでしょうか?」
「んっ? 名前? えっ? 名前?」
聞き慣れない質問に思わず二回聞いてしまった。
思わず考え込みそうになりつつ、さっき神様が言っていたことを思い出した。
『君と同じレベルで基本知能が付いた、記憶喪失な感じかな』
だから警視庁やら何やらを知りつつも、名前がわからないのだ。ただこちらの魂を与えたことも関係するのか、他人なのだが他人の気がしない。
わかりやすく言うなら、毎年正月には会うが、距離も血筋も遠い親戚みたいな感じか。
親しみやすさと他人行儀という矛盾が混じり合うなかなかに持て余した関係である。
とは言え、名前が無いのは不便だし、ブツになる前のプロフィールすらわからない。なんだったら元が女性かすら危ういのだ。
正直に言うべきか……。
いや、巻き込まれたと思われても嫌だし。
いや、巻き込んでないし! 寧ろ巻き込んだのは──。
「いやいや、違う違う。誤解だよ」
特に焦った様子もなく言う気まぐれな神を疑わしげに思いつつ言い訳を聞くことにする。
「言い訳じゃないから。そもそも、ここにいるのは選択者だけだからね。君もこちらを選んだだろ? ボクは無理強いさせたつもりはないよ。たまたま君以外は魂が境界を越えられなかっただけだもの」
「はい、出ました! なんか重要ワードみたいなやつ! じゃあ何か? 一歩間違えたらこうなってたのか?」
マジか! マジか!? 冗談にしたって笑えないわっ! 場合によってはそこに転がっていたのは──。
考えただけでゾッとするだけじゃ済まない。
だが、そんな心情すら踏みにじるが如く、クソ神様は平然と答えてきた。
「そうだよ? まあ、君の場合は他よりもダメージが少なかったから、イケるっ! て、思ってたけど」
最初に聞いた『デメリット』は一切説明されてなかった。ああ、そうか。魂消えたら結局あのまま刻んですり潰すのと変わらない訳で……。
この瞬間までのやりとりすら──。
『 試練 』
て、訳か……。
取りあえず継続的コンテニューが使えたのだから、これ以上考えるのはよそう。ネガティブタラレバを続けていたら此方の精神衛生上良くない。
性悪小悪魔な邪神は取りあえずおいておこう。
それよりも先ず、虎娘の名前だ。
大分待たせたせいか、不安がっているし、正直に言ってみよう!
「あー、えーと、名前ぇーの、ことー、なんだーけどー」
いざ言おうとすると、不安と恐怖に緊張が止まらない!
変な間延びした話し方になってしまったが、虎娘も緊張した面持ちで待っている。
これはもう勢いしかないか!
ビシッと音が鳴りそうなほどしっかりと直立し、一気に腰を曲げて叫んだ。
「ごめんなさい! 実はわかりません!!」
怒り出すのか、はたまた泣き出してしまうのか?
特にも各にも録な事にはならない気がして、目をつぶったまま最敬礼を維持していたのだが──。
何も聞こえて来ない?
ふと、不安になってゆっくりと正面を覗いてみると、残念そうな、しかし、知っていたような苦笑いを浮かべて此方を見ていた。
「あ、あの……、その」
上手く言葉を纏められない。だが、虎娘は気にした様子もなく少しずつ口を開いた。
「何となく──、察してました。神様と貴方が話していることもわかるようになったので」
ゆっくりと視線を例のブツに合わせ続けて話しだす。
「ワタシ、死んじゃったんですね。話せるし、身体は自分でも違和感が無いほどよく動くし、整ってるけど……、産まれたばかりの赤ちゃんといっしょ、なんですね?」
静かに言う彼女を見て、罪悪感がこみ上げてくる。
変なテンションで自分の性癖を押し付け、まるたでチガウモノにしてしまったのは誰だ?
彼女か彼かも知らずに創りあげたのは誰だ?
遊びでぐちゃぐちゃにして、取り返しがつかなくしたのは、誰だ?
本来の世界とは違う、異物に仕立てあげたのは誰だ?
人 を 玩 具 に し た の は
『 誰 だ ? 』
「うぁ、ご、ごめ──、ごめんなさ……」
人が1人を『つくりかえた』。
その1人は、異物となり独りとなった。
「そんな、そんなつもりじゃなかったんだ!!」
本当にそうか?
「し、知らな……、そう! 知らなかったんだ!!」
本当に知らなかったか?
視線が定まらない。
呼吸が辛い。
『異世界の来訪者』『こうならなくて良かった』『綺麗に洗って刻んだ魂』『君を含め5人分』…………………………………………………………………………………………。
嘘だ。
知っていたし、気付いていた。
ぞくりと背筋に感じる冷たいものは、神が絡みつくような視線で観ているからか?
こちらの言葉に唖然として立ち尽くしているだろう、彼女の顔が見えないからか?
進んでしまった。戻れないとこへ。
まだスタートすらしていなかったはずなのに──。
いや、それこそがそもそもの間違いだった。
死んで、選んだ。その時点で始まっていたのだから。
でも、そんなことはどうでもいい。これからどうすれば良い? どうすれば償える? どうすれば責任とれる?
悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて──。
それが相手の何のプラスになる?
言い訳でも探しているのか? やたらと頭が回ることが嫌になる。
神の目はきっとこちらを捉えて離さない。
文字通り頭を抱えてしゃがみこむ。
わからない。でも、何かから護らなくてはならない。人1人に絶望を与えて、なに得意がってキャラメイクとか言ってるんだ? これはゲームか? リセットが効くのか? 効くわけが無い。
ここで自分を終わらす選択すら、神からすれば『試練の結果』神は止めない。止めてもらいたいのか? 今更? こんなこ──。
不意に、何か、暖かく、柔らかいモノに抱えこまれた。
頭に何か暖かい水が、ポタポタと落ちてきた。
それが何なのか、顔を上げて振り返るまではわからなかった。
振り返った先にあったのは、大きな瞳を潤ませ、幾つもの雫を落としていた虎っぽい彼女がいた。
大事なものを抱き締めるように、抱えたものを無くさないように、優しく、でも、しっかりと。
目が合うと、彼女は少し俯き、またしっかりと目を合わせてからゆっくりと言った。
「ワタシは、死んでしまった……、いえ、この身体を使ってた人が死んでしまった、が正しいと思います」
彼女の言葉に疑問しか残らない。結局、自分好みの改造をしたことには変わらないのだから──。
だが、まだ話は終わりではないようで、一拍置いてからまた話始める。
「ワタシは、ワタシとして産まれた。貴方が考えて……、そして産まれた。どうしてかわからないけど、貴方と共有した知識を持って、貴方と記憶は共有出来ずに、産ま、れだの……」
途端に彼女は更にポロポロと涙を落とし始め嗚咽を交えながら一生懸命に伝えてきた。
「ワダシ、産まれてぎたのっ! あなだに創ってもらえだがら……、あなだが必要としでくれたから!!」
叫ぶような訴えに、今度こそわからなくなる。
彼女の言葉を反芻し、何を言いたいのか、彼女が何を思ってそう言うのかを思い至り、自分の目が見開いたことがわかる。驚いたからなのか? それとも──。
「お願いだから悔やまないで……、後悔しないで……。じゃないと、ワタシは、何も無いだけじゃない、何の意味も無くなってしまうから」
気付けば自分も泣いていた。
あんなに後悔していたのに、あんなに罪悪感に押し潰されそうになっていたのに──。
「……いいのか? 許して、くれる、の?」
何とか絞り出したそんな言葉は相変わらず自分よがりな言葉だった。しかし、彼女は涙をそのままに笑顔をつくり、ゆっくりと頷いてしっかりと言ってくれた。
「生みだしてくれて、ありがとうございます」
再び二人で叫ぶように泣いた。
色んな感情がごちゃ混ぜになりながら、とにかく泣いた。
赤ん坊が産まれた瞬間に泣くのこんな感じなのか、とふと思いながら──。
こうして、二人目の異邦人がこの世界に誕生した。