2-2 異能力などあったらラブコメは困難だ 『どエム』松保
「いやー、驚いた。私があんな格好で充足感を得てしまうとは」
冬華は須土の住居を出ると、直立歩行で明るく笑っていた。
「私も、あの状態から二分で回復してしまった博士には驚くばかりです」
秋実の複雑な笑顔は不満のほうが大きい。
「幹春くんが私をどんな風に思っていたかも、よーくわかってなによりだ」
冬華の声が低くなり、笑っているのは口の形だけになる。
「彼なら急な腹痛で席をはずしていますが、伝えておきましょうねえ」
インカムごしに中年男の声が答えた。
「それはともかく、やはり須土さんの異能力『どエス』は相変わらずの威力だな。発動にこれといった意識も必要なく、触れたり話したり視線を合わせないでも、かなりの効果が出てしまう」
冬華はもちろん面会前から知っていた情報だが、効果を意識することで影響を制御しやすくなるため、あえて口に出して確認する。
決して不自然な説明セリフではない。
「調査情報が悲惨ですよね。小学校の五年あたりから同級生や教員に影響が出はじめ、後遺症として『困った嗜好』が抜けない被害者は確認できるだけでも六名。中学になると生徒と教員を合わせて三十七名が生活に支障をきたす俗称『マゾブタ教室』事件を引き起こし、収容対象に……」
影響の強かった秋実はなおさら入念に読み続ける。
「耐性に個人差があるとはいえ、被虐嗜好は誰にでも少しはあるし、影響が蓄積されやすい傾向もやっかいだ。もし須土くんを特定の組織……政府や捜査機関などへ接近させれば、ひそかに急速にマゾブタの群れに変え、破滅へ誘導できる」
「それが『ランクA』……『広く社会的な混乱を起こす危険性が高い』ですか。でもそうなると、須土さん自身の生活は……」
「彼女は身近に多くの犠牲を出したことで、自身の危険性を自覚している。あの生活も望んで受け入れているよ……おっと、早く離れてあげよう」
冬華が苦い顔でカートを走らせると、建物の窓シャッターからモーター音が聞こえてくる。
「日光を入れたり、空気の入れ換えをできる時間も決められている。しかも人が近くにいる時は、常に閉じておく規則だ。ただでさえ小鳥や葉っぱなどで誤作動が多い」
四十メートルほど離れた、もう一軒の建物へ向かう。
「あのまま何年も閉じこめる以外に、解決方法はないのですか?」
「閉じこめて済む影響範囲だっただけでも幸運かもしれない。もちろん能力の制御や消去の手段も探しているが……次の患者も協力的ではあるんだ。能力もよく似ていて、今の生活にも同意している。まあ人柄となると、かなりちがうのだが」
『ランクA』能力名『どエム』
『近くで対した相手の加虐嗜好を助長する』
「似ているというか、これは……」
「効果だけ正反対で、範囲などの性質はほぼ同じだ。どちらがより危険とは言いがたいが、彼はずっと校内暴力の対象になってきたし、彼のいる学校では暴力事件が相次いだ。しかもそれを止める教員まで問題行動を起こしている。引っ越しをくりかえしてようやく、その異常性に周囲も気がついた」
「同じ威力で逆だと……むしろ、よくそれまで生きのびましたね?」
「助長するのは加虐嗜好であって、敵意や殺意ではないからな」
「被害は同じですよね?」
「え。痛めつけたいのに死なれたら困るだろう?」
冬華が一般常識のように言い放ち、秋実の目が遠くなる。
調査情報を入念に再確認してから突入する。
建物の間取りは同じで、一階も同じく運動場になっていたが、小さなカラーボックスがいくつか追加されていて、土産グッズのような置物といっしょにアニメや特撮のフィギュアが飾られていた。
「松保くんはそろえが中途半端なんだよな~。蹴り壊したくならない?」
冬華は笑っているが、早くも影響が出ているのか、影響が出ているそぶりの冗談なのか、通常時における所業のせいで秋実には判断しがたい。
二階のリビングは並んだ本棚にマンガやラノベやDVDやぬいぐるみが詰められ、ふたつある応接室の両方にゲーム機のついたモニターが置かれていた。
小柄で丸ぽちゃの男子がうんうんうなりながら床においたコントローラーにとりついている。
「えっ。あれ……もう来ていたんですか冬華さん……はは……」
丸顔を赤くして立ち上がるが、背にしたモニターは半分ほどしか隠れず、恋愛ゲームのヒロインがくねくね動く姿も見えていた。
「あの、入るならチャイムとかは……別にいいですよね。来てもらえるのはうれしいです……けど……」
松保少年の態度は非難か歓迎か煮えきらず、冬華はにこやかに震える。
「いやー、ごめん。忘れていたよ。これを置いてくるのを……」
そう言って背から電撃警棒を抜き出したので、秋実はとっさに奪い取った。
「博士はもう退室したほうがよくありませんか?」
「いや、だいじょうぶだよ? 松保くんともすでに何度か会っているが、私が彼を医務班に送ったことはない。うん、それだけは『まだ』だ」
秋実は冬華の不自然な笑顔へ調査書をつきつけ、背後を向かせる。
ふりかえると、松保は中途半端にかがんでコントローラーへ近づくかどうかで迷っていた。
「あの、たとえばぼくは、セーブできるところまで……その……」
「画面だけ消せばいいのでは?」
秋実は答えたあとで自分の口を押さえ、余計な厳しさがなかったかを反省する。
「うん、やっぱり……そう思うかもね……」
「いえいえ、いきなり押しかけてもうしわけありません。先に聞いているかもしれませんが、研究助手になった紺堂秋実です」
意識して目をそらし、本棚をながめて話題を探す。
家族でも観やすい有名作品が多い。あとはやや男性向け。
露骨に深夜向けのタイトルもちらほらと散っているが、それらに限ってよく見れば全巻そろっている。
「どうも松保です。よろしくしてくださいアキエさん。あ、いけない……アキエさんはたぶん、このゲームで五番目くらいに好きなヒロインで、それで……」
秋実の好きな少女マンガ作品もあったが、それはまとめて並んでいる。
二十巻完結の作品で、三巻から十九巻まで。
「攻略も途中のままで、でも攻略したくないとかではなくて……」
松保へ視線をもどすと、まだ中途半端な背の曲げのばしでコントローラーをちらちら見ながら、秋実の顔もうかがっていた。
「よければ私が消しますよ?」
秋実が笑顔で電撃警棒のスイッチを入れ、冬華が白衣をつかんで押さえる。
「リビングには踏み入らない規則だろうが」
「博士なんかに言われなくたって、わかっていますよ。投げつけるならセーフってことですか?」
「いかんな。思ったより自制心の欠落したガキだったようだ」
ふたりのインカムへ中年男性の声が入る。
「秋実くん、すぐに退室してくださいねえ? これは課長としての命令ですからねえ?」
「ほら失せろ役立たず」
「なっ……なんでこの有害ポンコツ女は野放しでいいんですか!?」
「冬華くんは普段どおりですよねえ?」
面談が終って冬華が階段を降りると、秋実が深々と頭を下げていた。
「気にしないでいいってば。松保くんのせいだ」
「とはいえ、いくらなんでも」
赤くした顔を上げられないでいる。
「立ち直りは早いほうだよ。私の発言も、この建物内に限っては勘弁してくれ」
冬華が優しく肩をたたき、秋実は首をかしげる。
「博士は別に影響されていませんよね?」
「秋実くんは普段の私をどんな風に見ているのかな?」
冬華は笑顔のまま、秋実の肩から首へ手を移す。
カートで塀の外へ出てから、冬華は気まずそうに調査書を読み直した。
「彼らの能力に限らず、対象の素質が薄いか、あるいはすでに重度の嗜好者だと、耐性が高い傾向もあるのだけど……まだ不明な点は多くて、結果の分析に頼る部分が大きいのだよ」
「記録をよく見たら、ほかの職員は何人か医務班のお世話になっているじゃないですか。もしかしてぜんぶ博士が原因じゃないですか?」
秋実は首についた指の跡をさすって涙目になっていた。
「な、なにを失礼な……ふたりだけだ」
秋実は大きなため息をつき、背後の高すぎる塀を見上げる。
「でも松保くんは、あの口調や態度を変えれば、効果も抑制できませんかね?」
「それではただの『いらつかせるやつ』だ。互いの視聴覚を遮断しても効果があることは確認されている。そんな簡単なら、とっくに調教しているよ」
その夜、敷地全体に警報が鳴り響く。
研究室で資料束を枕にしていた冬華も跳ね起き、インカムへ飛びつく。
廊下から大声が聞こえていた。
「脱走だ! 『どエス』と『どエム』が、建物を出ている!」