詭謀(16)
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私達を運んできた“早馬”は浮遊城塞オーファスに直接着艦するようなことはせずに、当初のバーハラの言葉通りそこから距離を置いた適当な空き地に垂直に着陸した。飛行機というよりは荷馬車がそのまま浮かんで進んでいるといった程度の速度であったが、再び“黒い棺の丘”を横断し老先生が待っている揚陸艇で戻る事を考えれば、それでも破格の速度ではあった。
地に完全に着陸した“早馬”の後部が上部と左右に開き、私達は狭い荷台からようやく開放され、固い大地の上へと降り立った。
極力人目を避ける為にザイフ村を大きく迂回する必要があったことは分かる。だが正直なところ、既に浮遊城塞の尖塔が見えるこの位置に降ろすのと、浮遊城塞の門前まで送り届けて貰うのとでそこまで状況が変わるとも思えない。ここから更に一時間かかるというならば話も分かるが、それ程までの差異の無い距離だとしか私には感じられなかった。
とは云え移動図書館内に何らかの規律があり、お役所仕事のようにそれを遵守せねばならないのだろうということも理解できる。何よりもこちらはわざわざ“早馬”で送ってもらった立場である。それ以上を望むのは確かに厚顔無恥であろうと私は考えを改める。
加えて移動図書館は“早馬”以外にも残ったコルテラーナ達にまで助力をしてくれるのだともいう。再び黒い森を抜け揚陸艇までの帰路を先導してくれるという守衛の“力”がどの程度のものなのか私は知らない。それでも肝入りの人選ではあろうからカカトとナイトゥナイが抜けた護衛の穴を充分に塞いでくれる事を期待してもいいのだろう。
不確定要素とは云えコルテラーナ達の戻りの速度が行きと同じだと仮定すると、私達は丸一日分は――甘く見積もると半日――コルテラーナ達に先んじた形となる。それだけでも破格の好意で接してもらっていることが判る。
それだけの厚遇が無償である筈もないとついつい考えてしまうのはまた別として。
「助かったぜ、バーハラ」
キャノピーこそ開放したが操縦席に搭乗したままのバーハラに対し、その前面に回ったカカトが衒いも無く礼を述べる。そのまま流れるように会話を進めるカカトの姿を見るに、やはり私とはまったく違うタイプなのだということを再認識させられる。無論、カカトにとっては良い意味で。
“彼等”によって閉ざされたこの世界の壁を打ち破る――それは数多の先人が挫折してきた虚しき夢物語の類であるのかもしれない。それでも夢を見させてくれるだけの魅力がカカトにはあった。夢を見させて欲しいとわたしも願った。
「“早馬”を浮遊城塞で借りる訳にはいかないか?」
「本気で言っているの?」
カカトのどこまでが本心か分からぬ軽口めいた要望を、バーハラは涼しい顔でバッサリと受け流した。だがそれも一瞬の事であり、移動図書館の“司書”のカカトを見る顔は一転して真剣なものと化した。
「貴方の方こそ、移動図書館の“守衛”となる話、考えておいて」
胸元から顔だけを覗かせるナイトゥナィが敵意に満ちた視線をバーハラに向ける一方、カカトの顔もまた真剣なものとなった。
「“守衛”か……」
その話が持ち上がったのは、移動図書館からこの場所に飛空している間の出来事である。
バーハラの操縦席と私達の座る荷台とでは隔壁で遮断されてはいたが、何がしかの通話機能を備えているらしくそのまま会話は可能であった。良くある操縦席側でオンオフ可能な通信装置というやつであろう。その機能を介して隔壁越しに唐突にバーハラはカカトに対し、図書館の守衛となるよう持ち掛けてきたのである。
移動図書館こそこの閉じた世界の陰ながらの守護機関であり、世界の安寧を護る図書館自体の護り人になる気はないかという勧誘であった。
それだけならば、良くある引き抜きだと理解は出来る。それよりも私が驚いたのは、カカトだけでなくバロウルも以前より司書として勧誘を受けているという事実であった。バーハラの漏らしたその情報にバロウルが思わず声を上げたのも、それを私達に秘していたからなのであろう。
工廠の責任者を務めるバロウルは紛れもなくこの世界有数の――個人的に私の憧れる『手に職を持つ』系の最上位である――技師であり、造幣施設を持つ図書館に勧誘されるのも不思議ではない。それはいい。
あれだけ自分の事を快く思っていないであろうバロウルが、それでも引き抜きにより浮遊城塞を去るかもしれないという話を聞いて一抹の寂しさを覚える自分自身が意外であった。
それだけ浮遊城塞オーファスのことを私が家族同然だと感じるようになっていたということでもあるし、それだけ良くしてもらっているということでもある。私の事を快く思っていないバロウルですら私の整備に関しては手も抜かずに良くやってくれているということは、素人の私でも分かる。
ともあれ、思わず抗議の声を上げたバロウルではあったが、それ以上バーハラや私達に対して何かを釈明をするような事はなかった。否、正確には体調悪化の為に話をすることすら困難な状況であった。あの黒い布状の群体であるティティルゥの遺児達の襲撃以来、バロウルの体調が優れない事は既に周知の事実である。試験計画の日程を一旦ズラすと次回が未定となる為に、バロウルは今回の稼働試験に自ら参加し不調ながらも己の受け持ちは確実に――私が立派だと内心称賛するまでに――こなしてきていた。それでもその時は、見た目で判別がつくまでには不調ではなかった。
それが“早馬”でオーファスに戻る帰路の途中に悪化の一途を辿っていたのである。或いは試験を終えて気が抜けたからであろうか。流石に危篤というところまでは行ってはいないが、それでも額に浮かぶ脂汗だけは隠しようもない。その褐色の肌色はバロウルの顔色の変化を明らかにはしていないけれど。
そのような状況もあり“早馬”の中ではカカトの勧誘の話はそれ以上進むことなく、逆にカカトの方から特例としてオーファスに直接降りることは出来ないかと打診する程であった。バーハラはそれは認可されていないとの一点張りだったが、バロウル本人も気遣いは無用だと頑として譲らなかった。
ただ却下したにせよバーハラ自身は私達に詫びの言葉を述べてくれたし、当初の予定通りオーファス手前に着地したとは云え、或いは本来の予定より飛行速度なり――それでも『飛行』と云うよりは『浮遊』と表現した方が妥当な速度ではあったが――着陸場所なりを融通してくれたのではないのかと私は推測していた。根拠のない、それこそ贔屓目ではあるが、私がバーハラに対して何故か見知った者に抱く信頼感のようなものを持っていたのは事実である。自分でもそれが何故かは分からねど。
それは兎も角、バロウルの容態のことを案じたのか、カカトがバーハラの誘いを受けて考え込んだのはほんの一瞬のことであり――或いはそれさえ私の勝手な憶測で元よりカカトに迷いは無かったのかもしれない――ニカッという爽やかな笑みと共に彼はバーハラに無邪気に返した。
「悪いが俺もバロウルも、仲間とやりたい事があるんでね」
「そのようね」
嘆息するバーハラであったが、むしろそのサバサバした表情からは彼女も元よりカカトの返答を予期していたとしか思えなかった。
「まあそれでも一応、考えるだけは考えておいて」
最後に念の為といった感じで言い添えるバーハラに対し、カカトの胸元から上半身を乗り出したナイトゥナイが私の見知らぬジェスチャーを彼女へと向けた。コラとばかりにカカトがその頭を軽く叩いたところを見るに、あまりお行儀の良くない意味が込められてはいたのだろう。
「まあいいや、急いで戻るか」
気を取り直してといった体で、カカトが私が両手に抱えたバロウルを心配げに見やりながら呟く。本来ならば“早馬”が飛び去るまで見送るのが礼儀ではあろうが、行けとばかりにバーハラ自身が頷き私達を促した。
カカトが軽く片手を振って謝辞と共にバーハラに別れを告げ、先頭に立って浮遊城塞に向け歩き出す。如何にも余裕の無い行進の始まりではあったが、バロウル本人が自分は問題無いから下に降ろせと――それでも多少は弱々しく――私の腕の中で身を捩って抵抗していることが、逆に私達にそこはかとない安心感を与えてくれてはいた。
徐々に駆け足気味となるカカトの後ろを、もがくバロウルを改めてお姫様抱っこに抱き抱えた私が続く。
それから幾ばくの後であっただろうか。
「……キャリバー」
不意にカカトが私の方へ振り返った。足を止め、先程の“守衛”になれと乞われた時のバーハラに向けた真面目な顔よりも、尚一層真摯な貌で。
カカトだけではない。今はカカトの胸元から彼の肩の上へと移動していたナイトゥナイも又、その顔には紛れもない焦燥の色があった。
「俺達はちょっと残ってやる事ができた。お前はバロウルを連れてオーファスに先に戻れ」
「ヴ?」
あまりに唐突な申し出に、私に困惑すること以上の何が出来たのだろうか。何を感知したにせよそれが決して良いものではないことは、二人の六旗手の貌を見るだけで明らかであった。
自分は愚か者だと改めて思う。六旗手の二人だけに察知できたというその事実が意味するものを、私はこの時には思い至ることすら出来なかったのである。
「まさか…六旗手か……?」
私の腕の中のバロウルが、苦し気にそう問い質すまでは。
「ヴ!?」
流石の私もバロウルの言葉に、ようやくカカト達が何に反応しているのかを知った。だが驚愕する私達に対し、少なくともカカトの方は悪戯の見つかった子供のような罰の悪い微笑みを浮かべただけであった。
「所長が昔言っていた。『六旗手同士は惹かれ合う』みたいなことを」
カカトのいう事は私にも所長から聴かされてはいた。六旗手同士は旗の“力”によってか互いの存在を察知でき、その不可思議な交感能力のおかげで先日の悲しき土木機械の化身である六旗手“スキューレ”を誘導できたのだとも。
今、六旗手の二人だけが揃って反応しているとなると、他の要因など有り得る筈も無い。ましてティティルゥの遺児達とスキューレの二人の――『二人』という表現も我ながらどうかと思うが――六旗手の襲来を立て続けに経験していた私は、今回もまずその可能性に気付くべきであった。
いつもならば――結局それで何一つ物事が好転したことのない愚の極みである――自責の念に駆られる私であるが、この時ばかりはそうも言っていられなかった。生身であったならばこめかみを冷や汗が流れ落ちていたことだろう。
今回も含めると、六旗手の襲来はこの短い間にこれで三度目となる。何らかの悪意が形となって浮遊城塞オーファスに、そしてその導き手であるコルテラーナに迫りつつあることはもはや疑いようがなかった。
私達が六旗手の到来に気付いた事に気付いたのであろう、カカトは私の腕の甲の部分をポンポンと叩きながら極めて明るい声で笑った。
「別に気にすることは無い。俺がこうしたいからしているだけだ」
カカトの笑みは依然として私には眩しいものであった。他人を護ることにこれ程衒いの無い生き方など私にはできない。私はここまで強くはなれない。
「この世界の壁を破る為にも、これからもお前達にはあのふざけた暗黒の空間に潜ってもらわないといけない。言うならば、お前達がこの世界を開放する為の希望の鍵だ」
また何か適当なことを言っているなというナイトゥナイの呆れ顔とは対照的に、カカトの言葉には増々熱が籠っていった。
「それでとっととこの世界を開放した後は、困ってる人々を助ける為に俺達でこの世界を回るんだ」
「ヴ……」
確かにそれは私達がカカトと交わした約束。私と、我が幼主ナナムゥと、そしてナイトゥナイと。
私の腕の中のバロウルが身動ぎし、上半身ごとカカトへと向いた。
「オーファスに戻ったらすぐに助っ人を頼む。だから、決して無茶はするな」
そうカカトを諫めるバロウルであったが、徐々に体調が悪化しつつあるのか半ば朦朧としつつも私にとって予想外の名を次いで口にした。或いは口を滑らせたという方が正解かもしれない。
「ガッハシュートは…たぶん間に合わない……」
「そうか、『間に合わない』か……」
カカトはバロウルが急にガッハシュートの名を出したことに対しても、さして怪訝な顔はしなかった。対照的にバロウルの発言を訝しむ私ではあったが、先日のスキューレ襲来の例を挙げるまでも無く、これまでもしばしばガッハシュートがカカトの前に予期せぬ乱入を行ってきたとも聞いてはいた。見知ったとは云え敵か味方かも定かではない者の助勢を当てにするなとバロウルはそう戒めたのだろうと、この時の私はそう自分を納得させるに留まった。
「やはりガッハシュートは、今は別の場所に居るということだな」
カカトの呟きは、不調に喘ぐバロウルの耳には届きはしなかっただろう。
見間違いの可能性も勿論あるとしても、ナナムゥがその姿を見たと言い張っていた以上、ガッハシュートが“黒い棺の丘”に潜み今この近辺に居ないというのは別段おかしな話ではない。
だが、私はこの時気付くべきだったのだ。カカトが黙考していたことが、ガッハシュートがこの場に居ないことではなく、この場に来ることのできないその理由であったのだということに。
「早く行け、キャリバー」
いずれにせよ、この場に姿を見せぬ者に囚われていても仕方がない。そう判断したのであろう、カカトが再度私を促した。
「ヴ……」
バロウルを近場の安全そうな木陰に隠してカカトの助力をするという選択もあった。だがそれは二人の六旗手に対しての足手まといでしかないことは、指摘されるまでもなく私自身が一番良く知っている。故に私は声を発せないその代わりに一礼をし、二人を残して足早にその地を離れた。
バーハラの“早馬”がいつの間にやら飛び去っているらしいことに気付いたのもようやくその時である。
カカトとナイトゥナイに護られてばかりでいることに負い目を感じない訳がない。今もまた新たな六旗手に対面することなく逃げ去ることしか出来はしない。
六型機兵が戦闘用ではないというのは確かであるが、よしんば戦闘用であったとしてもそれを制御する『魂魄』が戦闘などに対応できる筈も無い。
「キャリバー……」
この石の腕に抱いたバロウルが、気弱な声と共に身を震わせながら私の固い胸板に触れた。2mはある褐色の巨女でありながらも、この時のバロウルは如何にもか細く、そして無力な者に見えた。
あたかも不安に怯える子供のように。
己自身に絶望する無力な私と同じように。
「――ヴ!」
今までも痛感してきたことだった。嘆くだけでは何も始まりはしないのだと。
私は私に出来る事をやるしかない。
視界に映るオーファスの尖塔を目印に、私は大きな足音を立てるのにも構うことなく、バロウルを抱いてただひたすらに駆け続けた。
投稿間隔が開き気味なのは、今の時勢で幸か不幸か休業外の業種であることも勿論なのですが、それ以上に筆が乗らないという理由の方が大きいです。
身も蓋もない言い方をすれば、この先を書きたくないという・・・