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詭謀(15)


        *


 結局のところ、宿代の支払いを始めとする諸々の手続きを済ませオズナ達がザイフ村を出立したのは、昼食を少し過ぎた時間どころの騒ぎではなかった。そこからどれだけ馬を駆けさせたところで、目指す浮遊城塞が遠景として見えて来る頃には既に時刻は夕方近くとなっていた。

 こんな時間になるなんてと馬上のオズナは不安を募らせたが、精算を済ましてからの出発を言い渡したのはむしろアルスの方であった。

 相変わらず妙なところで律儀な人だと、そこだけは改めてオズナは可笑しく思う。アルスが清算をオズナに言い含めた事自体は無論、二度とザイフ村には戻らぬと云う意味合いでもあったのだが、オズナの気がそこまで回る筈も無い。

 コバル公国を出発地とするこれまでの旅路では、オズナを馬上にその先導役として仏頂面のアルスが徒歩で進むのが常であった。“少年”の範疇を超えた俊足であることは勿論ではあるが、それでも他の旅人の無用な注意を惹く事を避けたのか、或いはどれだけ毒付こうとも一度は同行を許したオズナを中途半端に置き去りすることには流石に抵抗があったのか、アルスの移動速度は馬の速度を超えるものではなかった。

 この頃には“少年”の破天荒さに良くも悪くも慣れつつあったオズナは、本人の鷹揚な性格もありいつしかそれが当たり前だと感じるようになっていた。それでも前を征くアルスが異様な速度であったこと自体に変わりはない。ただ極力目立たぬように振舞っていただけのことである。

 だが、完全に無人の野を行く今のアルスが選んだ移動手段は実に奇抜なものであった。オズナの駆る馬の速度には流石に合わせはしているが、少年は背に一対の紅い皮翼を広げ地面に沿って飛んでいた。あまりに地にスレスレであった為、一見しただけでは這っているのではないかと誤認しかねぬ程である。

 実際、アルスの進んだ跡にはまるで舗装でもされたかのような馬が駆けるに充分に固く平らな“道”が形成されていた。アルス本人が超高速で進むロードローラーであるかのように。言うならば足元に魔法の絨毯が出現し続けているようなものだが、飛行するアルスの体勢があまりに奇抜過ぎてオズナがそれに気付いたのは後の独りザイフ村への帰路の途中であった。

 “道”の生成される過程は兎も角、先導するアルスの進路そのものにも迷いは無かった。何ヶ所かの迂回こそあったが――馬の移動を阻害する急勾配や断崖を避けるという意味で――それさえ除けば実質直線で突っ走ったと言ってもいい。

 その代償として道中の方々に刻まれた方術の陣の一部を接触粉砕する場面も幾度かあったが、浮遊城塞オーファスからの帰路の時とは異なりアルスにはそれを忌避する気すらなかった。身を隠さずに始めから派手に飛行している以上は当然の帰結でもある。少し高度を保つことで地に施された術式に抵触しないように取り計らうことも容易ではあるのだが、アルスは敢えて粉砕する方を選んだ。

 術者を誘い出す為に。

 無論、後に続くオズナの目にはその隠された方術の陣や術式が目視できる筈もない。そもそも常人であれば、無意識に触れたところで方術が壊れるようなこともない。術者であるザーザートの意思により始動しない限り、それは存在しないのとまったくの同意義であった。

 それ故にまばらな林道を抜け開けた場所に出た時にザーザートが仁王立ちで彼らを待ち受けていた時も、オズナはただその“偶然”に驚くばかりであった。


 「――無作法はそこまでにしていただきたい」


 右手にした長杖の先端で地をトンと強く突きながら、ザーザートがアルスを咎める。この地で遭遇するのを察知でもしていたのか、アルスは既に飛ぶことを止めていた。

 ザーザートの正体が六旗手の一人である“知恵者”ザラドだということを知るのは公国内でもほんの僅かであるが、手にしたその長杖こそが形を変じた“旗”であることを知る者となると皆無である。ただ一人、ザーザートが“盟友”と呼ぶメブカを除いて。ザラドが投降してきた際、その旗はクォーバル大公に奉じられたことになっている為である。

 大公が表舞台に出てこなくなった今、公国の貴族の中で旗の所在を疑問視しているのは宰相デイガンだけではない。だがザーザート自らがそれを誇示でもしない限り実証する手段がないというのも事実であった。

 それよりも今は他の“洞”に後れを取らぬよう出陣の前準備に忙殺されているというのもある。大公が六旗手として腕尽くで形にした寄り合い所帯の悲しさでもあった。


 「貴様の方術は、末端を破壊しただけで発動不能になるまでに脆弱なのか?」


 嗤いもせずに素面のまま、アルスはザーザートに対して冷淡にそう切り返した。表情はどうあれその言葉自体は嘲り以外の何物でもなかったが、投げ掛けられたザーザートの方も又、能面のような固い表情を崩さぬままに更に返した。


 「方術の何たるかを知らぬ者の短慮として、今の発言は聴かなかったことにしましょう。とは云え――」


 ザーザートの長杖の先端がアルスへと突き付けられる。


 「これ以上我が方術陣に傷を付けるのならば、その代償を払ってもらうこととなる」


 ザーザートの恫喝は、虚勢ではなかった。彼が少年に施した“圧潰”“爆破”“灰塵”の解除不能の三重の枷はいまだに健在であり、ザーザートにしか視えぬとは云えアルスの躰を軸として今もゆっくりと回転していた。

 六旗手として旗の“力”によって構築されたその方術は、ザーザートが念じるだけでアルスという存在をこの閉じた世界から消し去ることが可能であった。例えば今この瞬間にも。

 アルスとザーザートが共に顔を立てていた――例えそれが建前上のものだったとしても――老宰相デイガンの姿もこの場には無く、張り詰めた静かな敵愾心が今にも音を立てて破裂するであろうことは、当のアルスとザーザート自身がその身にひしひしと感じていた。

 対峙する両者に一つの共通の認識があるとすれば、それは決して自分の方からは仕掛けないという、それこそ子供じみた面子のみであっただろう。敢えて方術陣の末端を破壊することでザーザートの方から自分の前に現れるように仕向けたアルスであったが、そこだけは徹底していた。

 仲裁者のいない今、後はどのタイミングで事が動くかという睨み合いである。

 と、この場に急に割って入る者がいた。場に漂う緊迫感もまったく意に介さず――否、そもそも気付いてすらいないからこそ、馬から降りたオズナは両者の間に躊躇なく駆け込んで来た。その意味では急に脚を停めて一切前に進もうとしなくなったオズナの乗馬の方こそが、よほど場の空気を読んでいたとも言える。


 「ちょっとちょっと何なんです、二人とも!?」


 そこそこいい歳をした小太りの青年がワタワタと躰を揺らしながら小走りに駆け寄って来る様は、有り体に言って滑稽以外の何ものでもない。流石にオズナの乱入で破願するような両者でもないが、それでも毒気を抜かれてしまったのは事実であった。


 「貴殿の助勢として派遣されたと言っても、納得はしないのでしょう?」


 困惑気味の目配せの後、ややあって先に口を開いたのはザーザートの方であった。灰色の地味な外套の上から軽く左胸を抑え、アルスに対し口上を述べる。

 一見すると持病持ちのようなその擦る動作を、公都に居る時よりたまにザーザートは行ってきた。癖であるのかその際は常に、僅かに物憂げな色を瞳に浮かべて。

 「興味もないな」

 吐き捨てるように言うアルスのそれは本心か、或いは強がりであったのか。もし捜し人であるファーラがこの場にいたならば、またかと眉を顰めていたところである。

 「浮遊城塞を落とすのが俺の管轄というだけだ。それ以外に貴様が何を企もうと知ったことではないし、関わるつもりもない」

 「しかし――」

 アルスが、口を挟んできたザーザートを遮り更に被せるように訊く。

 「『しかし』なんだ、言ってみろ」

 紅い三白眼に無作法に睨みつけられ、流石にザーザートの貌にも一瞬とは云え不快の色が浮かぶ。

 「オーファスの六旗手である“青の”カカトについては、その処遇はこちら任せてもらう」

 それまで慇懃無礼な口調を崩すことの無かったザーザートの物言いが、初めて有無を言わさぬ強固なものへと変わる。

 「六旗手…旗狙いか?」

 まるでザーザートの意思に連動しているかのように回転を速める自身の“不可視の枷”に一瞥をくれながら、アルスは肩をすくめ如何にもくだらないことであるかのように問い質した。

 「大公の思し召しだと言えば満足か?」

 アルスの問い掛けを何かの鎌かけとでも見たのか、ザーザートは明言を避けた。

 ザーザートが敬語を止めたばかりかアルスに負けず劣らずの嫌味な物言いとなった以上、両者の会話はあたかも言葉による剣戟の様相を呈していた。双方に縁の有るオズナ一人だけが、舌戦を前にオロオロと両者の顔を見比べるのみであった。

 と、不意にアルスの目線がザーザートから離れ、頭上へと向いた。まるで耳をそばだてるかのように一刻だけその三白眼が閉じ、そして思わせぶりに再び開いた。そしてザーザートに告げる。

 「浮遊城塞の主達が不在だと聞いて今から方術陣を敷いていたのだろうが――」

 その情報をアルス自身はオーファスの子供達から直に聞いた。それは特殊としてもオズナですらその情報をザイフ村で得ていた。ならば一足先にこの地に辿り着いたザーザートがそれを知らぬことなど有り得ない。

 それが一気呵成に攻め込むならばいざ知らず、わざわざ浮遊城塞を取り囲むように方術の陣を張っていた理由が――興味が無いとはいえ――アルスには今一つ釈然としなかったのだが、それは今しがたザーザート自身の口から語られた。オーファスを相手取るのではなく、帰還する“青の”カカトを捕縛すべく、その為の仕掛けとして方術の陣を張っていたのである。要は待ち伏せの準備であった。

 だが――

 「間に合わなかったようだな。何かこちらに向けて飛来してきているぞ?」

 「――!?」

 アルスの嘲り交じりの“忠告”に、ザーザートの冷静を装った顔に陰りが生じる。それに合わせたように、左胸を抑える手に力が籠ったように見えたのは気のせいではあるまい。

 「せいぜい好きにするがいい」

 アルスはザーザートそのものへの興味が失せたかのように、独りのその場で踵を返した。唐突にしか見えないその心変わりの理由が、こちらに向かって来ている飛翔体に探し求めるファーラの気配――正確には彼女が身に着けている宝珠の波動――が無いことを知ったからであるということを、その場にいた他の者が知る術もない。

 「俺はしばらく見物させてもらう」

 半ば笑いながらそのまま歩み去ろうとしたアルスであったが、一番大事なことを失念していた事を今更ながらに思い出した。そこで彼は急に足を止めると、顔だけを立ち尽くすオズナへと向けた。

 「公国へはそいつと戻れ。さらばだ」

 「えっ!?」

 いきなり想定外の別れの言葉を一方的に告げられ、オズナはその場から飛び上がらんばかりに驚いた。しかしいつもならすぐに焦ってアルスの背を追うところを、オズナは心配げな目線をザーザートに向けた。

 長い月日ではなかったとは云え、デイガンの下で共に暮らした間柄である。ティティルゥが死にザーザートが逐電した時も心根の甘い(やさしい)オズナはその行方を気に掛けてはいたし、“知恵者”ザラドとして公都に戻って来たと聞いた時には心の底から安堵した。例えその外見がまったくの別人と化していたとしてもである。

 それが境遇の恵まれた者だからこその余裕が成せる業でもある事を、オズナ本人に自覚せよというのも酷な話ではあった。

 「行けよ」

 長杖の先でアルスの去った方角を指し示すザーザートの声は、既に取り付く島もない程に固くそして素っ気ない。

 「前にも言った筈だ。お前の知るザーザートもティティルゥももういないんだと」

 「……」

 オズナは絶縁とも取れるザーザートの言葉に、しかしうなだれはしなかった。ザーザートはアルスに対する慇懃無礼な口調を止めた。そして今、オズナに対しては更に砕けた口調となった。それはオズナを小馬鹿にしているからということではなく、かつて共に過ごした時の口調に戻っただけのことであった。

 それをザーザート自身が意識しているのかまではオズナには分からない。それでもオズナは懐かしく、そして嬉しく思ったのである。

 「分かった……」

 馬の手綱を引きアルスの後を追うべく歩み始めたオズナだが、最後に未練がましくもう一度だけザーザートの方を振り返った。口調が昔に戻ったこともあり、或いはその見慣れぬ仮面のような顔にも何か表情の一つでも浮かんでやしないかと、虚しい願いを抱いての事である。

 だが既に自分に背を向けたザーザートの姿に、もう声をかけることすら出来ないことをオズナは知った。

 (ザーザート……)

 オズナは始めてうな垂れると、それでもアルスを追うべく馬を進ませた。


 (甘い御曹司だ……)


 アルスが去り、そして今オズナの気配が完全に消え去ったのを見計らってから、ザーザートはようやく“盟友”の名を呼んだ。


 「――メブカ」


 夕暮れ間近い陽の中で、すぐに彼の目の前の大気が蜃気楼のようにたわむ。その直下の大地に黒い染みのような空間が広がり、その中心からまるで地下墓地から這い出てくる亡者のように黒衣の人影が出現した。それは呼び出した当のザーザートから見ても、あたかも『生えてきた』ようでもあった。

 「あの“少年”(こども)の言う事、どう見る?」

 僅かに苛立ちの残滓のあるザーザートの問い掛けに、メブカの躰がまず不安定に揺らいだ。そのまま左右に傾ぎながらも上空へと向けられた陰鬱にして端正でもあるその貌は、まるで何かの気配を探っているかのようにバチバチと大きな瞬きを止めようとはしなかった。

 「……飛来してくるというのが真であるなら、地に足の着くまでは我々(・・)には感知できん」

 そう呟くように言いながらも、メブカの躰の揺れは徐々に振れ幅を減じていき、そしてやがては治まった。直立した際にその顔が改めて向いたのはアルスとオズナが立ち去った林の奥であり、“早馬”が飛来する方角とは異なる。メブカの注意を惹くのは依然として“真紅の少年”の方であるという顕れでもあった。

 だがそれも刹那の事であり、メブカはザーザートへと向き直りただ端的に事実だけを告げた。

 「――そして今、地に降り立った」

 「……」

 ザーザートはすぐには応えず、ただ己が握った旗の変じた長杖を見つめた。

 どこかで女の咽び泣くような声が漏れ聞こえたのは、風が木の葉を揺らす空耳であったのであろうか。

 旗を持つ六旗手同士は互いの存在を感知することが出来る。それはおそらくは“彼等”による旗の奪い合いを加速させる“仕掛け”の一つでもあったのだろうが、今のザーザートにとってはこの上ない助力でもあった。

 六本の旗の内、ザーザートが正確に所在を把握しているのが二つ。そして今、彼が新たに感知した六旗手は二人。つるんで行動している六旗手となると、該当する者など改めて考えるまでも無い。


 「――始めるぞ、メブカ」


 己の(つえ)を強く握り、ザーザートが宣言する。


 「全ての者に、報いと安寧を与える為に」


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