詭謀(14)
アルスが本来合流すべきはファーラの額を飾る蒼珠のみで良い。にも関わらず“少年”自身がファーラを捜し、そしてこうして迎えに来たというのは、流浪者の戯れの一言で済ますには度を越したものであるのも事実であった。当のアルス本人がそれをくだらぬ邪推だと鼻で笑うのだとしても。
湖面スレスレに浮かんだまま停泊している浮遊城塞オーファスに潜入することは、アルスにとっては造作もない事であった。予期せぬ侵入者を阻む為に敢えて湖に着水せず高度を保ち、本来は移動時の風圧除けの為の防護膜をそのまま障壁代わりに展開したままであったのだが、それらも全てアルスの前では詮無き備えであった。
もしコルテラーナやカカト、そして何よりガッハシュートが浮遊城塞内に居たのであれば、或いはアルスもここまで容易に城塞内部に潜り込めなかったのかもしれない。だが子供達より城塞の主達が揃って不在であることを知ったからといって、アルスが己の僥倖に胸を撫で下ろすようなことも無い。
アルスは同じ“三客将”であるメブカの顔は知るがガッハシュートの事は知らぬ。コルテラーナの事もカカトの事も名でしか知らぬ。だが如何なる相手であろうと、そしてどのような要因や起因があろうと、結果が変わるようなことはないという絶対の自信があるからである。
そのような自負の下に城塞内部に潜入したアルスであったが、その一方まず何をしたかといえば子供相手に尋ね人の事を問い質すという些か場当たりめいた行動であった。予期せぬ侵入者である以上、分別の付く大人相手だと色々と齟齬が生じるというのがその最たる理由ではあるのだが、実のところ誰何されたところでどうとでも出来る――面倒ではあるが――のも事実であった。例えファーラに殺害を禁じられていても、である。
結局のところ、単に最初に目に付いたのが子供達であったという雑な理由によるものであり、“従者”と離別してしまった事がアルスにとってじわりじわりと効いてきたということでもある。
そのような事情自体は置くとして、ファーラの性格上大人しくはしておるまいというアルスの推量に違わず、子供相手とは云え求めるだけの情報はすぐに手に入った。当の子供達と共に寝泊まりしていたというところまでは、流石にアルスの予測の範囲外であったが。
結果は得たのでそれはいい。それよりも、無駄に人目に付かぬよう建造物の物陰で尋問を行っていたつもりが、何処からともなく新手の子供が次から次にワラワラと湧いて出てきたことはアルス唯一の誤算であった。
脅して負い散らかす事は容易いが、幼体であるが故の衝撃死の可能性が『約束』に縛られるアルスをして躊躇わせた。
「……なんだ?」
物怖じしない子供達の中で、自分に対してオズオズと何か言いたげな一人の幼女にアルスが気付き声を掛けたのは、ファーラの居場所が知れたという達成感による言わば“おまけ”のようなものであった。
今のアルスの躰が少年期のソレとはいえ、それでも幼女にとっては懸命に見上げるだけの背丈の差はあった。
「お兄ちゃんが、ファーラの言ってた友達でしょう?」
「……分かるか?」
アルスは物珍しげに纏わりついてくる――無知の成せる業でもある――数多の子供達の手から巧みに身を躱しながらも幼女に問うた。触ったと思ったつもりが決して指先にすら掠ることの無いアルスという存在そのものが玩具のように子供達の気を惹いていることを彼自身が気付いているのかどうか。
幼女は最初こそもじもじとより一層身を縮こまらせていたが、意を決したのか打って変わって満面の笑みと共にアルスに答えた。
「真っ赤だから見たら分かるってファーラが言ってたもん!」
「そうか……、あの馬鹿の言いそうなことだ……」
フンと鼻を鳴らしながらアルスが一瞬だけ浮かべた微笑とも憮然ともつかない表情の意味を、まだ幼い少女が理解することなど出来はすまい。
(潮時だな……)
アルスは軽く鼻から大気を吸うと、そのままその紅い三白眼を閉じた。そこからフッと、まるで蝋燭の火でも消すかのように少年の口から吐かれた息は、如何なる魔力が込められていたのかたちまちの内に渦巻く紅蓮の炎を帯びた。目を瞠る子供達の前で、炎の息は紅蓮から蒼炎にそして黄金色へと目まぐるしくその色を変えた。もしオーファスの子供達が花火というものを知っていたならば、その輝きを連想していたことだろう。
いまや完全にその形を整えた“炎の竜”が、子供達の頭上をゆっくりと飛行する。無謀にも手を伸ばす子供の手を、創造主であるアルスと同じように巧みにすり抜けクルクルと舞いながら、“竜”はやがてポンと唐突に弾けて消えた。
子供達の上げる大きな嬌声は、流石に表通りを通りがかった洗濯籠を抱えた二人の母親の気を引いた。子供達が密かに――と、本人達だけは思っている――結成している“団”の長であるナナムゥがいる時なら、子供達がこのようにはしゃぐのも珍しい事ではない。だが逆に言うとナナムゥ不在の今、子供達がここまで騒ぐのは尋常ではなかった。
とは云え、悲鳴ならば兎も角あくまで嬌声である。二人の母親が困惑気味に顔を見合わせながらも、声の出処である路地裏を覗き込む動作はゆったりとしたものであった。
だがその時には、後に子供達が身振り手振りを交え興奮気味に話すこととなる“真っ赤な子供”の姿は、浮遊城塞オーファスの中から跡形もなく消え失せていた。
*
ザイフ村――
「あー忙しい忙しい」
誰が聴いている訳でもないのに何に対するアピールか、オズナ・ケーンが小太りの躰を揺らしながら小走りに駆けていく。ザイフ村唯一の宿屋に戻り、そのまま昨日から滞在している一階に取った部屋の扉の取っ手に手を掛ける。
「うわっ!?」
扉を押し開けた瞬間にオズナが素っ頓狂な声を上げたのは、室内に真紅の少年がつまらなさそうに椅子に腰掛けている姿を見たせいである。
「騒ぐな」
アルスの冷ややかな言葉に突き動かされて、オズナがはっと我に返る。転がるように部屋の中に駆け込み慌てて後ろ手に扉を閉める動作は、小太りにしては機敏なものであった。
「お早いお帰りで……」
額に変な汗をかきながらしどろもどろにオズナがアルスにそう聞いたのは、単に予期せぬ帰還であったからに他ならない。
浮遊城塞の調査に出かけると、朝方にアルスがフラリと村を単身出て行くところまではオズナも知っていた。ここザイフ村から浮遊城塞が係留している湖までは馬を飛ばしても片道一時間は掛かる事をオズナに告げたのもそのアルス当人であり、自分一人ならばすぐに済むとオズナを置いて行く理由としたことも納得はできる。
だが行って帰って来るだけならば兎も角、城塞内部に侵入し尋ね人の調査まで行うことを考えると、アルスの戻りはどんなに早くとも夕食の時間まではかかるだろうとオズナは踏んでいた。それが幾ら“足手まとい”であると身も蓋もない理由で自分を置き去りにしたとは云え、まさか昼食の時間に戻ってくるとまでは思わなかったのである。
「……アルス卿?」
普段ならばここまでのやり取りでアルスからの冷ややかな――或いは呆れた――声がオズナ目掛けて飛んでくるのが常であったが今日に限ってそれが無かった。
明らかにいつもとは異なるアルスの様子にオズナは顔を上げるとまじまじと改めて少年の貌を見た。無論、微笑など浮かべている筈も無く、いつも通りの仏頂面ではある。それでもやはり何か醸し出す雰囲気が違う事を確信めいて感じ取れる処までには、これまでの日々の中でオズナはアルスと共にあった。
「尋ね人が見つかったんです?」
いくらオズナの察しが悪いとは云え、流石にそれ以外に心当たりは無い。この短い時間でどうやって浮遊城塞に潜り込めたのかは謎ではあるが、“客将”としてザーザートのお墨付きである少年にとっては決して難事ではなかったのだろうと、オズナも理屈ではなく半ば本能的にそれを理解していた。
と、始めて薄く少年が笑った。
「――これでようやく、この忌々しい世界との縁を絶つことが出来る」
少年の真紅の三白眼が、その煌めきだけで彼の喜色を明らかとする。
「そして、貴様ともな……」
「はぁ」
アルスが常にそういう突き放した物言いしかしない事に慣れてしまったのか、或いは元より嫌味を言われているという認識自体が薄いのか、オズナはオズナで自分がザイフ村で集めた情報の報告を一方的に始めた。無論、尋ね人が見つかったかどうかのアルスからの明確な返答が無い事を踏まえてのことであるが、何とも云えぬ阿吽の呼吸めいた流れであったのも事実である。
そもそもオズナを置いて単身浮遊城塞の調査に出向くに当たって、ザイフ村での情報収集を彼に命じたのもアルス自身であった。足手纏いだとただ放置しておくだけだと碌な結果にならないことを、アルスはこれまでの流浪の旅路で――狙ったかのように無駄に動き回る――ファーラより痛い程学んでいた。それ故に似たタイプであると看破したオズナに対し、アルスはそれらしい“任務”を与えてその余計な動きを制したのである。
その意味でオズナの集めた情報そのものは端から期待などしていないというのが正直なところであったが、流石のオズナもそれには薄々気付いていた。それでもさぼることもなく――オズナなりに――懸命に聞き取りを行ったのは、彼の性分と育ちの良さによるものなのであろう。
ともあれ、住民の数そのものが少ない辺鄙な村のことである。加えて商都ナーガスの豪商であるカルコース商会主催という名目で村人を交えての宴会などという派手な催しまで行われていた。通常の情報収集であれば口の固い相手に袖の下を渡すなどという――オズナにとっては果てしなく険しい――駆け引きが必要であるのだが、そういう経緯もありオズナはさして労せずに“情報”を得ることができた。
戯れか或いはオズナの好奇心に対する根負けか、旅の合間にアルスの口から語られた『額に青い宝珠を常に身に着けている』という尋ね人に関する特徴的な目印があったことも幸いした。
間違いなくファーラを含む浮遊城塞から来た一行がこのザイフ村に滞在していたこと、その間に大きな地鳴りがありその警戒の為と称して近郊にカルコース商会が封鎖している地があること、その監視の為の人員を残しカルコース商会の主だった者は商都に戻ったことなどをオズナは切々と告げた。
「……」
アルスはただ無言であった。オズナの報告に耳本当にを傾けているのかも定かではないが、気にせず報告を続ける辺りがオズナがボンボンである所以だったのだろう。
カルコース商会の一行と別れ村を出立したファーラ達一行はいまだに宿の2部屋を借り受けたままであること、そして戻りの予定――どこに向かったのかまでは流石に村の者達には確たる場所は知らされてはいなかった――が明日か明後日であるという報告を聞いても尚、アルスは椅子に座って黙したままであった。
「アルス卿……?」
手持ちの報告事項が無くなり、流石に不安となったか声を掛けてくるオズナに対し、ようやくアルスは一言だけ言葉を発した。
分かったと、ただその一言だけを。
それが少年なりの謝辞を多少なりとも含んでいることに気付く者があるすれば、“少年”の“従者”であるリリム=アルセリア=02と星機兵A・ルフェリオン、そして彼と共に螺旋宇宙を流浪してきたファーラ・ファタ・シルヴェストルのみであるのだろう。
潮時だと、改めてアルスは思う。それは商都ナーガスを出立した時から常に彼が胸の内に呟いてきたことではあった。このまま自分の身近に置くことにより結果的にオズナがその因果により死ぬことになったとして、それはそれで“煩わしい”ことであると。
「あっ、そういえばですね……」
アルスの胸中など知る由も無く、不意にオズナが声を潜める。
「自分達がザイフ村に来るまであちこちの集落に結構寄り道してきたじゃないですか。その間に自分達を追い抜いて先にこの村に来た者がいるらしくて――」
オズナの報告が途端に歯切れの悪くなったその理由を、実のところ既にアルスは察知済みのことではあった。単身で浮遊城塞に乗り込み、そして内部の子供達の目を晦まし戻る途上で、幾重にも張り巡らされつつある方術の“圧”を直にその肌に感じたのはむしろアルスの方であった。
にも関わらずアルスが方術の陣を看過したばかりか半ば身を隠すように陣を避けてザイフ村に戻って来たのは、単に関わりを持つのが煩わしいからというただそれだけの理由でしかない。
だがいくら接触を避けたとは云え、そのような大掛かりな方術陣を構築できる術士をアルスが判別できぬなどという事もない。
(方術士ザーザートか……)
クォーバル大公の代行を名乗るザーザートこそが、素知らぬ顔でオズナを介してファーラがそこに居ると自分を浮遊城塞に向かうように差し向けた張本人であることは間違いあるまい。そもそもこの閉じた世界に引きずり込まれた際の強制的な肉体変異からファーラを護る為に“力”を使い果たし、一時的に――不覚にも――“休眠”状態になったアルスに“不可視の枷”なる軛を付けたのもザーザートである。
アルスにとっては到底気を許せる相手ではなかった。本来ならば。
くだらぬと、アルスは思う。“休眠”中だったとは云え彼がファーラを見失ったというのも突き詰めるならば、何者かが彼女を意図的に“隠した”としかその理由に説明が付かない。加えて、ファーラが浮遊城塞に居るという情報をザーザートが有していたともなると、誰がファーラを掌中としていたか自ずと答えが導き出されるようなものである。
くだらぬ目論見だともアルスは思う。
ザーザートなる定命の者がどのような謀を巡らそうとも、正面から粉砕すればいいだけの話であった。
「――ならばその抜け駆けしに来た者を冷やかしに行くとするか」
「えっ?」
不意に、そして事も無げに言うアルスに対し、驚愕したのはむしろオズナの方であった。予期せぬ先客がいる事を伝えたのはオズナ自身であるが、煩わしいという理由で“些事”には首を突っ込むことなどしなかったのがアルスの常であった為である。
「何を呆けている?」
いつもの如く単身出向くのだろうと黙ってアルスを見送ろうと立ちっぱなしであったオズナを、そうアルスは見咎めた。
「貴様もだ、支度をしろ」
アルスがオズナを連れてザーザートの許を訪ねる気になったのは、戯れではなくとある使い道を思い付いた為である。
「ちょっと待ってください。すぐに支度します!」
慌てて水差しの水を一杯だけ飲んだオズナが、これまた不意にアルスに尋ねた。
「自分は昼食を済ませましたけど、アルス卿は?」
「無聊を慰める為というだけで、俺に食事は無用だ」
何のことかと呆れたようにアルスは吐き捨てるように返すと、これまでで幾度めかも分からぬ呟きを再び胸中で放った。
(潮時だな……)