詭謀(10)
「全部所長の受け売りじゃないか」
ドヤ顔――『兄妹』というだけあってナナムゥのそれと良く似ていた――で忠告してくれるカカトと、それに間髪入れずにツッコミを入れるナイトゥナイ。
それまで過剰なまでに膨れ上がっていた気負いの念が、毒気を抜かれてスゥと薄れていくのが自分でも分かった。
軽妙なやり取りに笑って応えることもできない石の身体ではあるが、それでも単眼に青い光を点灯させて私は最初の一歩を踏み出した。
先日までの作業が無駄に順調に終わったことで何を勘違いしてしまっていたのか、与えられた使命を完璧にこなすことが当然であると錯覚してしまっていた。元々自分が能無しの類であることは己自身が一番痛感している筈なのに、出来て当然であると浮足立ってしまっていた。
(出来る事を出来る所までやればいい……)
荷車を押しながら歩き続ける私に対し、カカトもナイトゥナイもそれ以上の声を掛けてはこなかった。
だがここまで見送ってくれた“友”の心強さを何よりの選別として、“闇”の奥へと向かう私の足取りは確として揺ぎ無かった。
(――とは言うものの……)
初日の帰路の際は、独り暗闇の中を進む自分の事をまるで深海魚のようだと感じたものであった。その時の寂寥感自体はカカト達と別れて進む今も変わりはしない。
だが自分の感傷は別として、本当に水の中を進んでいるようなこの“闇”の粘付きは何であるのか。侘しさだけがあった初日とは明らかに異なる、まるで水圧のように重くまとわりつく暗闇は見送りの二人と別れた心細さ故の錯覚だと本当に言えるのか。
私にとって唯一の心の慰めであるカンテラの炎は、揺らぎこそすれその勢いが減じている訳ではない。しかし私を孤独たらしめる“漆黒”が、歩を進めるごとにより一層濃くなっていくように感じるのは私の気の迷いが形となって表れただけであるのか。
「ヴ……」
別に恐慌状態に陥った訳ではない。それでも一抹の不安に駆られた私は恐る恐る背後を振り返った。
まっ直ぐに伸びるロールロードの銀の“道”は、まだ私が中間点である50mにも達していないことを示していた。にも関わらず、元の来た先に有る筈の光――カカトの持つカンテラの灯りと、その光を照り返し長く光の尾を曳く青いマフラーがまったく視認できないのはどういう理屈であるのか。
(まずいな……)
錯覚だと思った。再び独りとなった自分の心細さがもたらした、自業自得の障害だという確信もあった。足元の剥き出しの固い大地がいつしか硬質の黒檀のような床面と化していることも、100mの長さしか持たぬ筈のロールロードによる“道”が、前にも後ろにも永遠に続く一本道にしか見えないということも、単なるまやかし誑かしで片付く現象なのだと結論付ける他なかった。全ては鏡のように己の弱さを突き付けられているだけであるのだと。
でも、わたしは誰かに化かされているんじゃないかという気持ちも捨てきれなかった。
では誰に?
この音も無く風も無く光も無い、閉じた世界の更なる内側にある漆黒の世界の中にありながら、自分の他に誰がいるのかと。
知っている。そのような“存在”がこの閉じた世界に存在することを私は知っている。私だけではない。誰もが皆知っている。
だが、それを認めることができるのか?
助けとなる友の灯も絶たれ、この締め付けられるような暗黒の世界の只中に独り取り残されていながらも?
それを認め、対峙するだけの覚悟と“力”が、この私にあるとでもいうのか、本当に?
「――!」
私を惑わすべく永劫に白く伸びる“道”の中心に、何か小さなものが蹲っていることにようやく私は気付いた。
まず単眼を望遠として目視することすら忘れて、私は荷車を押しながら半ば弾かれたようにその塊へと駆け寄った。
(……三型か!?)
私の方へ――元来た外の世界へ向けて進みながらも力尽きたかのように停止しているその姿は、その脚部を展開した形状から地中より這い出ながら木に辿り着けずに果てた蝉の幼虫を私に思い起こさせた。
三型の蓄積したデータの回収云々などという重要な任務の一つは、既に私の中では頭の片隅に追いやられていた。ただ元の陽の当たる世界に連れ帰ってやりたいという憐憫の情に突き動かされ、私はしゃがみ込むと微動だにしない三型をそっと両手で抱え上げた。
「……!?」
安堵と共に顔を上げた私の単眼のその先にそれはあった。そこにあった。
彼方まで伸びる“道”の上に浮かぶ、霧の塊のような何かが。
(――ッ!?)
私は石の躰でありながら、思わず人間であった時のように両手で頭を抱えたまらず蹲った。一度は手にしていた三型が、再びガラクタのように床に転がり落ちる。音のないこの暗黒の空間においては、それはむやみにゆっくりとした挙動として、私の単眼に映り込んだ。
しかし今の私にとって、三型に再び手を伸ばすような余裕は無かった。頭の中を直接鷲掴みされているかのような鈍痛が私を襲っていたからである。徐々に和らぎ始めたとは云えそれは収まる様子も無く、私はかろうじて片膝を付いて体制を立て直すと、慄きながらも懸命に顔を上げ目の前の霧を凝視した。
今は聴こえぬとは云え“声なき声”により、脳裏に突如として響く第三者の声というものには慣れたつもりであった。だがこれは――“鈍痛”という形を取ったまるで私の頭部そのものを単なる受信機としか見做していない一方的な交信は、相対する私の意思というものを完全に無視した“暴力”に他ならなかった。
まるで弱き民の頭上に響く神の御言葉であるかのように。
“――ナ――ナン――”
辛うじて断片的に聴きとることが可能となった、ひたすらに私の脳裏に垂れ流される理解不能な言葉。日本語かどうかなどという問題以前に、何よりも音として認識することすら困難なその言葉に、このまま自分の精神がズタズタにされるのではないかという危機感がまず先に立った。
その圧が、不意に止んだ。
“――汝らの記憶に残るこの姿ならば我を認識するに差し障りあるまい?”
(なっ……!)
私の脳内を撫で回していたあの正体不明の音声がまるで下調べであったかのように、突如として今度ははっきりとした日本語が私の脳裏に響いた。
口調こそ古風ではあるものの、懐かしい女の声がそう告げた。明朗で、快活で、時に厳しく時に無邪気な、私の記憶と人格の根幹を成す声が。
忘れる筈もない声が。
(あぁっ……)
朧げな存在であった霧が波打ち、私の眼前でいつしかその姿を整える。それでもなお確たる実体を備えてはいないであろうことは、その表層をフワフワと浮遊している粒子の動きで察せられた。
だが、その“霧”の構造自体は私にとって驚愕の念の極々一部でしかなかった。
元は霧であった小柄な体躯の表面が、まるでモニターに映るスライドショーのように色調を変化させていく。余裕がある時の私であったならば、さながら人型のポリゴンのテクスチャを次々に貼り替えているようなものだという分析もできただろう。
だが、私は取り落とした三型の存在を完全に失念する程までに激しく狼狽していた。その霧によって新造された人間の似姿に、私は確かに見覚えがあった。
普段着として私達兄妹にとってはお馴染みのジーンズ姿。姉かと思ったと級友に驚かれて少し誇らしかった授業参観でのちょっと小洒落た余所行きの服。冬場になるといつも身に付けていたお気に入りの紫色のマフラー。
着せ替え人形のように次々と変わるその姿の全てを私は忘れる筈がない。見紛う筈もない。縋るように呼んだその名が、口の無いこの身で無論声となる筈もない。
(――母さん……!)
この機兵の石の躰と化して以降、その副作用か小心者であった私が恐怖を感じることは稀薄となった。だが、にも関わらずこの時の私は“声”として表に出ないだけで、おそらくは絶叫していたのだろう。反射的に左腕を向け至近距離でありながら衝動的に“弾”を撃ち込んでいた。この場に在ってはならない者に対して。
母の姿を模した忌まわしき“霧”の化身に。
おそらくは、“彼等”に。
右腕に装填されている炸裂岩が信号弾として単なる赤い煙を吐くだけの代物であるのに対し、左腕に装填されているのは文字通りの閃光弾であった。
闇を払拭する光の弾丸。それが現世とは隔離された闇のカーテンの内側でどれ程の効力を発揮するのかは不明であったが、それでも何らかの『隠し玉』となることを期待してバロウルが強引に私に押し付けたものであった。
だが焦燥により半ば錯乱状態にあった私は、どこかオカルト的な効能に縋って閃光弾を撃ち込んでしまった。すなわち、夜の闇に潜む化け物の類は光を嫌うという例のアレである。
当然の話であるが――私にとって――必殺の閃光弾は直撃した母の似姿の頭部を破裂させ、その勢いのまま彼方の闇の中へと飛び去った。期待と反し、閃光は遂に発っせられなかった。
霧散した“母”の頭部が綿あめのような粒子の雲から急速に元の貌へと戻り、何事も無かったかのように無言のまま私を見下ろしていた。その黒い瞳に、常に私を教え諭してくれた温かみのある英知の光など欠片も存在する筈もない。
焦燥の内にありながらも、私が惑うことなく“母”を撃てたのも、それが紛い者だという確信があった為である。
父も母も死んで久しい。血を分けた妹と唯二人、互いを気遣って生きてきたのだ。それを不幸などとは誰にも呼ばせはしない。この地獄のような密閉世界に落とされるまでは。
それがほんの一瞬の後であるのか、或いは相応の後のことであったのか、既に私自身にとっても漠としたものであった。それを補足してくれていた声なき声も、依然として沈黙を保ったままである。何れにせよ、私にとっても亡き母本人にとっても侮辱の塊でしかない忌まわしき似姿が、改めて私に対して口を開いたことだけは確かであった。
“サリアよ、サリアの子等よ、何故に安寧の眠りを拒むのか……?”
母の声が私の脳裏に淡々と語りかけてくる。懐かしくも聴き慣れた声色にも関わらず一切の感情を有していないその声は、私にとっては限りない恐怖であった。
否、恐怖というよりは、母の死の尊厳を冒されているという嫌悪感であるというのが正確なところであろう。完全な恐慌には陥らない自分自身を、どこか他人事のように認識できるという何とも妙な感覚が共にあった。
恐れを知らぬ機兵であるからこそコルテラーナが自分を独りこの地に送り出したのだという理由を、今ほど実感できたことはない。
それでも、紛い者の“母”の言葉の意味するものを詳しく吟味するまでの余裕はさすがの私にも無かった。この“声”を腰の三型が逐一記録してくれているのか、或いはとうの昔に私を見限って既に元来た道を独り駆け戻っているのかすらも、今の私には確認するだけの余裕が無かった。思い付きもしなかった。
“汝らサリアの子の子等よ、新たに此の地に足踏み入れし者等よ”
取り留めのない物言いでありながら、それが特に私自身に向けられた言葉であることだけは何故か分かった。焦点を持たぬ黒い瞳が私を見据えていた為でもあるが、或いは脳内に直接投影されている“言葉”そのものが、何か指向性のような効果を兼ね備えていたとしても不思議ではない。
その“声”が、私を『サリアの子の子』と呼んだのであれば、『サリア』とは誰なのか、『サリアの子』とは何者なのか――
“汝らも、サリアの墓守の列に加えよう”
天啓とは、こういうことを言うのであろうか。それまで私の周りに纏わりついていた粘付く“闇”が、母の似姿の言葉が合図であったかのようにその圧を消散させる。まるで舞台を照らすスポットライトのように、“母”の背にした“闇”の中に隠されていた一団の姿が初めて私の視界の中に照らし出される。
「ヴ……!」
片膝を付いた態勢のままであった私は、音にならない呻き声を上げるのが精一杯であった。
これまで余さず未帰還であった私の先駆たる三型の一団の姿があった。数は僅かながらも槍を携えた四型が転がっている姿もあった。
機兵だけではない。私がこれまでにこの世界では見知らぬ装甲車や飛行機めいた残骸すらあった。
だがそれすらも私にとっては驚愕の前座に過ぎない。
何よりも、私と同じ試製六型が擱座している姿が私の単眼を捕らえて離さなかった。鉱石と金属からなる群れなす機兵の捕囚の中で、何よりもまずその六型が私の注意を引いたのには理由がある。屍と何ら変わらぬ朽ちた一団の中で、ソレが、それだけがノロノロとではあるが地をのたうち回っていたからである。まるで死に切れぬ芋虫のように。
私の探し求めていたものが、私の全てであるものが、紛れもなくそれであり、そこにあった。
かつて浮遊城塞オーファスより落下した、妹の魂魄が収められているというもう一機の試製六型が。




