詭謀(8)
月面への大きな一歩と云う訳でもあるまいが、それでも自分の心が興奮しているのがわたしにも分かった。生身であったならば、或いは昂ぶりのあまり膝の震えが止まらなかったかもしれない。武者震いと、それ以上に未知の領域へ一人で突入せねばならない重責への不安によって。
先日のカカト達と共に交わした約束――この閉じた世界で虐げられし人々の救いとなると云う誓いが無ければ、逃げ出すまではいかずともこの場で足が竦んでいたとしてもおかしくはないと我ながら思う。
妹の亡骸を探し出す、その為にはどんな生き恥を晒してもいいという私事に固執していた私にとって、始めて胸を張る事のできる生き方――誰かを護るという使命を与えて貰ったこということは、何にも勝る喜びであり誇りであったのだから。
「ヴ」
決意を新たに私は単眼で四方に広がる宵闇を見渡した。
事前に聞いていた――単位は所長が私にも分かりやすく換算してくれたものだが――闇のカーテンに覆われたこの“黒い棺の丘”とは、直径約5kmのドーム型の“闇”の領域であった。
“丘”という名称は、この場所がこの世界の中心地であるという事と、伏せた黒の半円状の外観そのものが丘陵を想起させることから付いた云わば仮称である。よって闇のカーテンをくぐったその内部が本当に“丘”であるのかを断言できる者はいない。むしろ目視できる箇所が上半分のみであるから半円に見えるだけで、実際は球状であり内部の地面がすり鉢状にへこんでいる方がまだ道理に適っている可能性すらあった。
ともあれ、コルテラーナ達に見送られ闇の中を数m進んだ時点では、地面は上りも下りもしていない。そこまで見定めた後に、私は最優先で確認すべき二つのことに早速取り掛かった。
まず最初に行った事はカンテラの炎が燃え続けているかどうかの確認である。カンテラ自体は種油を燃料とした何の変哲も無い頑丈なだけの既製品である。それが燃えているという事は、少なくともこの闇の空間にも酸素だけは供給されていると云うことであった。
異世界で酸素だどうだと元居た地球の物理法則を判断基準として良いものかどうかを疑い出すときりがないが、所長が当然の様に注釈なく説明してくれたところを見るに、既に何らかの確証はあるのだろう。私としては素直にそれを受け入れるだけである。
そして更に重要なことがもう一点あった。それは荷車の荷台の中をもう一度仔細に確認することである。
事前に準備していた装備品に欠けがないかどうかの最終確認も無論であるが、それが最大の理由では無い。ナナムゥとファーラが荷台の中に身を潜めていないか、それを目視のみならず荷台に手を差し入れて確認することこそが最大の急務であった。
つい先程の見送りの場には確かに2人とも居はしたが、それだけで安堵して良い訳ではないことはこれまでの経験上明らかであった。ナナムゥのはしっこさは共に過ごした私自身が一番良く理解しているし、ファーラに至ってはあの謎の蒼い額の宝玉がある限り何があったとしても不思議ではない。
「ヴ」
荷台に確かに人影の無いことを確認し、私は自分でも滑稽なまでに安堵していた。所長とバロウルが目配せあって問題児2人の手をしっかと握っていた甲斐があったというものである。
(さて……)
私は改めて荷車の中から必要な道具を取り出す為に荷台の中に手を伸ばした。今回の斥候活動では細かい作業が必要となる場面が多い為に、両の手首から先を指の太さが人間とさして変わらぬ小さめの金属製の拳に交換してあった。機兵である私の俗に云う袖口がゴリラめいて太いこともあり、その先端に手首を長めに確保した小さな拳がちょこんと付いている様は、シルエットとしては随分と歪なものではあった。
その拳によって荷台から取り出した物――一瞥しただけでは銀色のレジャーシートを筒状に丸めた物にしか見えないその道具こそが、今回の斥候任務の要ともいうべき代物であった。
所長曰く、『ロールロード』。何の捻りも無い呼称であるが、元の――私にとっては未来の地球と思しき――世界の市販品とのことである。故に私でも扱えるという案配でもあった。
「ヴ!」
そもそも侵入口の場所からして計画時点で厳密に定められていただけあって、まずは最初の目標となる“始点”を見つけるのは容易い事であった。
荷車のカンテラの炎を受けて照り返しを放つ、太く真っ直ぐな“白線”。過去に三型を使った内部偵察の一環として埋め込まれたそのプレートこそ、文字通り私にとっての探索のスタートラインであった。
とは云え、この先が前人未到の地という訳では決してない。少なくとも1km程度の距離であれば、三型も無事に帰還出来てはいるとは聞いていた。持ち帰った映像にはただ“闇”のみが記録されていただけとは云え。
私は極力ズレないように、プレートの面と面を合わせて銀の筒を置いた。そして再度面の位置合わせの最終確認をした後に、筒の縁にある大きめの丸スイッチを押した。
その途端、ほぼ無音のままに銀の筒がシュルシュルと前方に自動で伸びていく。色こそ違えど、それはセレブが歩く為のレッドカーペットが伸ばされるのに似ていた。
観測船『瑞穂』から借り受けたロールロードであるが、本来は宇宙船外での測量なり補修作業で簡素に“直線”を確保する為の補助器具であるのだという。無論、設置や操作の段階で人の手が入っているので誤差はどうしても生じてしまうのだが、そこまでの精度を求められない範囲での作業で用いられるのだという。おそらくは精度が必要な際は別に物々しい機器が用いられ、ロールロードは廉価版なり携帯版なりといった位置付けの物なのであろう。
とは云え、如何に元が市販品であろうが瑞穂内に収蔵されている物が唯一無二の在庫であることに変わりはない。補充の効かぬ貴重品という訳である。浮遊城塞内の工廠で四肢のパーツの製造に成功している機兵よりもその意味では稀少なのではないのかと、借り受けた私は気後れすらしていた。
ちょうど100m伸びたところで――動作や使用方法に関しては完全に所長の受け売りであるが――筒は完全に伸び切り、一枚の長い敷物と化してその動きを止めた。本来ならばその縁に仕込まれた特殊塗料が染み出して接地部分にマーキングすることも可能だそうだが、今回は初めからその機能は用いないことになっていた。消費した特殊塗料の補充が効かないというのがその一番の理由ではあるが、塗料に永続性が見込めない為でもあった。この先どう変化するかは不明だが、少なくとも現在観測済の範囲では地面が通常の固い土壌であることは判明していた。そこに塗料を塗布したところで遅かれ早かれ染み込み薄れるので、目印としては別の手段をとることになったという次第である。
今回の一連の調査任務が無事に終わればまたそのフィードバックによって状況も変わってくるのであろうが、それは今の私が懸念するようなことでもない。
「ヴ」
まだ序の口ではあるが、今に至るまでに“闇”の内部には何の変化も見られない。拍子抜けしたなどとは口が裂けても言える立場ではないし、実際その様な余裕があるはずもない。私としてはこのままの静謐が続くことを祈るだけであった。神などいないと知りながらも。
荷車を牽きながら、私はロールロードの“道”の縁に沿って慎重に進んだ。1m程の幅の“道”のちょうど真ん中――要は50m進んだところで、銀色だったシートのその部分だけにオレンジ色の破線が浮かんでいるのがカンテラの光によって詳らかとなる。
私は歩みを停めると、荷台より鉱石から削り出した石杭を取り出した。それを先程の50mを示す破線を目印に、ちょうど“道”を挟む形で2本、己の石の袖口をハンマー代わりに地面へと打ち込んでいく。杭自体の長さは30?程であり、そのちょうど半分まで埋め込む形で作業を進めていく。一連の作業については事前より練習していたので流石に無様に杭を折るような事は無いが、15?程と云う半端な高さで突き出た杭は何とも絶妙に頼りなさげではあった。
工廠の中で作成された杭は六角形に面取りされており、カンテラの灯りの照り返しを受けてキラキラと反射していた。その素材は特筆するまでの“力”を有している訳ではないが、蓄光の特性を持つ鉱石であると私はバロウルより教えられていた。
カンテラのシャターを閉じ、淡いとは云え杭自体が発光するところまで確かめた後、私は再びカンテラのシャッターを戻し荷車を押しながら“道”の終点へと向かった。そして終点で再び歩みを停めると、その両側に再び同じ手順で杭を打ち付けた。
角の位置がズレないように留意するだけで、作業自体はそう難しいものではない。可能な限り丁寧に作業を――私なりに――終えた後に、私は終点側の端にも有る丸ボタンを再度押した。
僅かな間を置いて、始点側だった端から丸まりながらロールロードの銀の筒がクルクルと自動的に私の方に巻き戻って来る。幸いにも地面が固く不毛であるが故に、丸まる途中で余分な泥を噛むこともなく――そもそも表面のゴミを弾く造りにはなっているようだが――再び元の銀色の筒として私の手の中に納まるまでにそう時間はかからなかった。
中間地点に打った杭の蓄光は既に失せていたが、私の暗視の中では独特の白い棒として確かな存在を主張し映り続けていた。それは私や三型、そしていつか来るべき時に投入されるのであろう正規の六型機兵にとって、明確な道標として今後の探索の強い助けとなるのだろう。
最後に私は身体ごと元来た方角を向き、右腕を肩口より高く掲げた。
炸裂岩――
本来ならば、私の脳内で声なき声がそう高らかに発動を告げる筈であった。だが、この暗闇の中で声なき声はひたすらに沈黙を貫き、私の右腕に仕込まれた魔晶だけが無音のままに射出孔としてその役割を果たした。
「……」
ここに来て私が言い様のない不安を始めて感じたのは事実である。いざとなれば声なき声が共にあるという甘えがあったということだろう。
私の右腕から射出された炸裂岩自体は、そのまま真っ直ぐに頭上の暗闇の中に消え、闇のカーテンに弾かれて落ちて来るような気配も無い。
それは過去に私に先んじて突入した三型機兵達によって、既に実証済の事象ではあった。彼らによって闇のカーテンの内部より放たれた曳光弾は余さず外部でも確認されるのが常であった。しかしその一方、そのまま深部に向かった三型本体は残らず消息を絶ったままである。
可能であれば彼らを回収してやりたいというのも、バロウルに乞われるまでもなく私も念頭に置いてはいた。
「ヴ……」
ここまでの作業で1セット、時間にして30分と云ったところであろうか。終点の杭を打ち終わった時点で、外部に待機しているコルテラーナ達に向けて炸裂岩で合図をするというのも、無論事前の取り決め通りである。不測の事態の時はまず左腕の閃光弾を撃つ手筈ではあるが、初日の今日は浅部の作業に留まる取り決めである。深部には近付かない以上実際に撃つような羽目にはならないだろうと、私はお気楽にも確信していた。
この一連の道標を作る作業を今日は5セット、すなわち500m分行う予定であった。特に初手でもあるこの100m分は慎重に作業を行ったが、順次作業ペースを加速度的に上げていけるだろうという手応えは感じていた。
これ以上ないというまでの単純作業なので当然といえば当然なのではあるが。
(『まだ行けるはもう危ない』……)
取り合えず社会人になれるまで生きてきた結果、得てしてこういう時ほど足元を掬われる結果となることを私も知っていた。故に私は自重を心に誓った。
それは古き良きRPGにおける、私のお気に入りの標語でもあった。
(気楽なものだ……)
フッと私は、不意に心の中で苦笑した。
単純作業に過ぎないとは云え、我が事ながら重大かつ危険な任務であることは疑いようがない。三型が消息不明だという悪しき前例もある。
何よりもたった独りで――厳密には腰に御供がいるのだが――今までのように誰かの助力に頼れぬままに未知の領域に踏み込んでいるのだ。だがそれにも関わらず、つまらぬことを心に思い浮かべる程度には余裕がある自分自身が、たまらなく無性に滑稽に思えたのである。
人間としての肉体を失くしたこと、閉じた世界に囚われ二度と元の世界には帰れぬであろうこと、何よりも兄として護らねばならなかった妹を喪ったこと――自分の心の奥底で常に悲しみと苦しみが淀んでいることは今でも決して変わりはしない。
それでも、心の痛みに責め苛まれることがずいぶんと少なくなったと感じるのも間違いではない。コルテラーナを始めとする多くの人の善意に支えられ、自分のような無力な者を友として扱ってくれるナナムゥやカカト達のような良き仲間に恵まれ、そしてこうして自分が果たすべき使命というものまで与えて貰っている。
結局は全て他人任せではないかという誹りは甘んじて受けよう。それが私にとっての分相応の生き方であり、身の丈以上のものを望む気にもなれないのだから。
「ヴ」
荷台の小箱から取り出した新たな魔晶を右腕に再装填し、私は“道”を拓く作業を再開した。
最後に打ち込んだ二本の杭を新たな面とし、ロールロードの筒をそれに合わせて地面に設置すると、ズレないように留意しながら丸ボタンを押す。そして先程と同様に新たに伸びた100mの“道”の縁に沿って進み、中間と終点とにそれぞれ二本の杭を打つ。
あまりに単調過ぎて、無心でないとやっていられない類の作業であろう。しかし裏を返せば己の咄嗟の判断が求められることが無いということでもあり、私としては望ましい、むしろ得意とする作業でもあった。
それを今日は残り4セット、都合400m行うだけで良い。




