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奇郷(3)

 館長様――役職に「様」は付かない。王侯貴族ならばまだ分からなくはないが、少なくとも「館長」に「様」を付けるなど聞いたこともない。

 日本語に訳する際の些細なニュアンスのズレの可能性もあるだろう。だが私は固有名詞である人名をそのまま直訳しているのではないかという可能性に、不意に思い至った。

 そもそもがあの褐色雌ゴリラの「ヒトミ」という名前、それが偶然日本語の「瞳」と発音が同一であるというのならまだ話は分かる。しかし私の脳裏に示された“見出し”は間違いなく“瞳”という漢字表記だった。

 言語が異なるのに漢字表記だけは共通して使用しているなど有り得る筈がない。

 となると私が試すべき手は一つ、私の内で固有名詞を訳さずに発音そのままの表記にするよう手を加えるだけである。

 私は脳裏の声なき声にそう念じた。何となくコツも掴めてきたとは云え、漠然としたやり方だと自分でも不安になるが、脳内で念じるだけで結果に反映されるのならば慣れてくると楽は楽なのだろう。

 それは兎も角としても、効果は覿面だった。

 “館長”は“コルテラーナ”に、“瞳”は“バロウル”に脳内の“見出し”が変化した。

 唯一つ私の“試製六型”だけは“試製六型”のままであった。

 固有名詞を訳さずに発音そのままに表記することによる弊害も今は表に出ていないだけで、それはそれとして有るのだろう。そこは割り切って少しずつ矯正していく他はない。

 ゲームの学習型AIを育てていく感触を思い出し、私はほんの少しだけ自分の中の声なき声に愛着を覚えた。

 自分の内の何処かに、もう一人の何者かがいる――その感覚は、未だに私を戸惑わせはしているけれど。

 そのような雑多な事をつらつらと考え巡らしている内に手足の装着はつつがなく終わった。

 見ていた限り、四肢それぞれのパーツにこれまた私の躰から伸びる各3本のケーブルを接続するだけの単純な作業であった。所要時間は――工員が雌ゴリラを含め皆手慣れていた感じであった事もあり――15分程度といったところであろうか。

 結局のところ、ケーブルが人間でいうところの神経だという私の推測は正しかったようである。各部位を接続する時に私の感じるむず痒さがそれを証明していた。

 ようやく五体満足の状態を保持することができた。加えてこの四肢も付け替え可能である。

 オタ――もとい、ロボット好きの平均的日本男子として生まれたからには、胸躍る仕様だと云えた。

 ハンガーの固定機能を解除しているのだろう、私の背後に立った雌ゴリラ――バロウルが、心の奥底で無邪気にはしゃぐ私の耳元に無慈悲にこう囁いた。

 「お前の躰には自爆装置を組み込んである。ヘタな事は考えるなよ」

 「……!」

 いきなりの冷や水。馬が合わないとはこういうことを言うのだろう。就職してまだ数年とはいえ社会で揉まれた私としては、しかし表面上は唯々諾々と従うことにした。

 それが正しい処世術。妹を探す目処が立つまでの辛抱である。

 勝ち負けになど意味は無い。自分の中で忍耐が必要な時期が明確であるだけ遥かにマシだろうと己を慰める。

 「どう?」

 ハンガーから解放された私は、コルテラーナに促されるまま慎重に脚を2、3歩前に進めた。

 「ヴ」

 悪い感触は無い。まるで人としての肉体がそのまま戻ってきたかのような違和感の無さであった。

 唯一つだけ馴染めないところがあるとすれば、元は小柄だった私にとって天井に頭が付く程の巨体である。不慣れな視線の高さにはいまだに不安を覚える。

 本当ならば試運転と称して、もう少し派手に手足を動かしたいところではある。しかしバロウルが険しい貌でこちらを監視しているので自重することにした。

 単に信用されていないのか、或いはこの躰に何か欠陥でもあるのか。少なくともバロウルの私を凝視する目線は尋常なものではなかった。

 「では改めて」

 助手の亜人が片付けに入った頃を見計らって、コホンとあざとい仕草と共に館長――コルテラーナがニッコリと微笑む。

 「私が貴方の霊魂の保持を担当するコルテラーナ」

 霊魂の保持というパワーワードに、私は改めて自分が人非人であることを痛感させられた。

 少なくとも、二度と元の人間の身体には戻れないであろうことは分かった。私も、妹も。

 「そして、この子が――」

 コルテラーナが隣で私に目線を合わせないままに突っ立った巨女の脇腹をつついて促す。

 「機体の整備担当のバロウルだ」

 義務感のみで発せられたであろう、最低限のそっけない挨拶。記憶が無い以上、自分がかつて彼女に何かやらかしたその報いではないのかという不安を覚える程であった。

 「もう…」

 嘆息したコルテラーナが場の空気を取り繕うように先を続ける。

 「後は設計担当が一人いるけど、委託だからここに常駐しているわけではないの。近々会う機会もあるから、その時に改めて紹介するわ」

 「ヴ」

 承諾の意で私は頷いた。首が短く半ば胸部にめり込んでいる楕円型の頭部で、その動作がコルテラーナに認識できるものであったのかは分からない。

 ましてや小柄な彼女からすれば見上げるような形である。見えなかったと考えるのが妥当だろう。

 しかし彼女は私の意を察してくれたのか笑顔で応えてくれた。その笑みは少女のようなあどけなさと、母のような慈愛を兼ね備えていた――ように私には思えた。

 贔屓目だと、無駄な私情だと自分でも思う。己に都合の良い錯覚だと自分自身に強く言い聞かせる。

もしこの場に妹がいたならば、それが恋だとしたり顔で言うのだろうか。或いは騙されるなと、渋い顔で苦言を呈すのだろうか。

 「コルテラーナ、そろそろ」

 コルテラーナを促すバロウルが私へと向ける視線は、依然として刺々しいものであった。

 正直、なぜ自分がここまであからさまな敵意を向けられるのかは分からない。

 得てしてこういう気の合わぬ輩とは不本意ながら長い付き合いになりがちである。

 私自身にもその嫌な予感はあった。可能な限りバロウルと接する時間を少なくするようにと、私は心に留めた。

 だが、この時私は己が放り込まれた環境の変化に気を取られ大事なことを失念していた。

 自分の予感など当たる筈が無いということを。


        *


 ドスンドスンと、整然とした長い回廊に似つかわしくない重い足音が響く。

 言うまでもなくこの私、“試製六型”の足音である。

 (ゴルゴダの丘でもあるまいし……)

 私は独りごちると、改めて周囲を見渡した。

 私を先導するのは小脇に束ねた書類を幾つか抱えたコルテラーナであり、私の背後に看守のように張り付いて歩んでいるのが例の雌ゴリラ――女性に対し、私としたことが失礼――バロウルである。

 無言の、しかし射るような彼女の視線を背後に感じるだけで、刑場に引き立てられる囚人のような想いが私の心を曇らせる。

 そして危ういな、とも思う。

 幾ら私の方が衝突を避けたとしても、遅かれ早かれバロウルとの間でなにがしかのもう一悶着起こるのは必然と云えた。

 人と争うのは哀しいことだ。更に本音を言うならば、今の私に他人と争っている暇など無い。

 私には、大事な目的があるのだから。

 (ふた……)

 それは兎も角、私が先程四肢を装着した工廠とおぼしき区画から、おそらくは中枢部へと淡々と歩を進めて行く中で、不可思議な事に人影には殆ど出くわさなかった。

 軽く一瞥しただけでも分かる広大な建築物である。あの夜に見上げた浮遊城塞の中だと思って間違いはないだろう。

 それ故に私は当初、ゲームや漫画でよく見る中世風の城のように使用人や衛兵の類が行き来しているものだと予想していた。

 だが、私の予想が当たった試しなど無いという前例に違わず、そのような人々が行き交う姿はついぞ見られなかった。

 とは云え、流石にまったくの無人というわけではない。途中で幾人かとすれ違いはした。

しかしその全てが背の丸まった粗野な亜人の類であり、それが私に城の中ではなく山賊か何かの砦にいるような錯覚を覚えさせた。

 尤もいくら面構えが醜悪であったとはいえ、一応は庭師のような衣服を身に纏いコルテラーナに丁寧に挨拶を交わしているところを見るに、見た目がどうであれ礼節を知らぬ輩という訳ではなさそうであった。

 何を上から目線でと、怒る人もいるだろう。外見の美醜でつい無駄な先入観を持ってしまうところが、我々兄妹の悪い癖である。

 それは兎も角として、人の姿の少なさは確かに私の予想に違うものではあった。

 しかしその一方、むしろ亜人よりも目を引くもの達の姿があった。

 床を這う“汎用三型”の集団である。

 手足を本体に折り畳んだ“彼ら”の外観は完全に厚み五割増しの床上掃除機そのものであり、台車に積んだ木箱や筒の類を回廊の端から端まで絶えることなく運搬していた。

 自動化――“彼ら”が私の様に自我を有する社畜の群れだとは考えたくない――が進んでいるので人影が少ないのか、住人の少なさ故に汎用三型に仕事を割り振らざるを得ないのか。

 更に注意して回廊内を観察すると、オブジェとして壁面に半ば同化している“記録用三型”なる個体すら定期的に配置されていることが分かった。

 さも当然のように語ってはみたが、声なき声による“見出し”で注意喚起されていなければ、私単体では“記録用”の存在に気付きもしなかっただろう。

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