詭謀(5)
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コバル公国 公都――
大公の“代弁者”を自称する方術士ザーザートが、老宰相デイガンを始めとする公国の貴族達に面談を申し出たのは、ちょうどアルスとオズナが未明に出立した日の朝の事であった。
無論、偶然などでは有り得ない。この閉じた世界に居る限りアルスの動向は――正確には彼に施された“不可視の枷”の所在は――ザーザートには常に筒抜けであり、それがようやく商都ナーガスを発った事を見定めたからでもあった。
この世界の中心である、黒い森の方面へと“不可視の枷”は移動していた。それはザーザートによる手引きに違わず、彼等がその近辺にある浮遊城塞オーファスの浮かぶティエンマ湖に誘導されていると云うことでもあった。
その目論見を知るのはザーザートと、もう一人の“客将”である“亡者”メブカの二人だけではあるのだが。
近い内に是非に検討いただきたい事案があると、ザーザートも多少の根回しは事前にしておいた。それも敢えて衆目の集まる場を見計らってである。火急の要件として妙な勘繰りをされることをザーザートは避けた。
それでも実際の登壇としては流石に即日は急であった為か、“洞”を統べる貴族達の中で午前に開催された議会に顔を出した者は僅かであった。
クォーバル大公が公の場に姿を現さなくなって後、議会そのものがないがしろにされる光景は別段珍しいものではない。だが今回に限っては、名代であるザーザート自体が敬遠されていた――身も蓋も無い言い方をすれば忌避されていた――という理由の方が大きかったかもしれない。
そしてそれはザーザートの狙い通りでもあった。
「――それで?」
既に勇退の時期まで決まっているとは云え、議会の進行役を宰相デイガンが務めることに変わりはない。既に議会が形骸化していることもあり宰相の地位にさしたる旨みが無い――極論すれば、議会の進行役と云う厄介事を果たすだけ――こともあって、己の後任はザーザートがなし崩しに務めることになるのではないかとデイガンは予測していた。
だがそれは自分の隠棲後の事であり自らの手の及ばぬ人事ではある。今はまだ現行の宰相としておそらくは次代の宰相たるザーザートを詰問する立場にある事に、デイガンは何とも言えぬ滑稽さみすら感じていた。
「では――」
デイガンに促されたことに応えて、壇上のザーザートが恭しく一礼をしてから少ない頭数の貴族の面々を見渡す。その芝居じみた態度が慇懃無礼だと内心憤る者も決して少なくはなかった。
今日に限らず下賤の成りあがり者めと云う侮蔑の目にザーザートは常に晒されており、何かのきっかけ一つで弾劾にまで進展したとしてもおかしくはない。尤も、率先して大公に繋がる火種となりかねない“名代”に手を出そうと云う迂闊な貴族がいなかった訳ではあるが。
「――浮遊城塞オーファスの調略に向かった“客将”アルスの助勢として、私も彼の地に赴く認可を頂きたいと思いまして、こうして皆様にご足労いただいた次第です」
ザーザートの請願に対し、その場に居た貴族達が改めてどよめくような事は無かった。流石にシンと静まり返るとまではいかなかったが、それでも驚きを口にする者は極僅かであった。勝手な事をと云う反発はあったのかもしれない。だが殆どの貴族達にとってはザーザートの請願などは――言葉は悪いが――どうでも良いことだったというのが正直なところであろう。
さもありなんと、一人苦々しげな表情のままデイガンは胸中で嘆息した。
熱に浮かされたかのように競って南部との戦支度――それも戦力比的に負けようの無い戦である――に備える貴族や貴士達にとって、あれだけ警戒していた浮遊城塞など今更着目するに値しない存在と成り果てていた。空を飛ぶとは云え所詮は常備軍も持たぬ一艘でしかなく、大勢に影響を与えるとも思えない。取り敢えずは無視して構わないだろうというのが、貴族達の見解の主流となりつつあったのである。
その意味では、目立たぬように南の空のみを往復していたコルテラーナ達の目論見が実を結んだのだと言えるだろう。
それでも、オーファスとの間には清算せねばならぬ因縁自体はあった。国策でもある――富国強兵といえば響きはいいが、要は別世界より奴隷を招来して使役するという人狩りめいた――“紅星計画”がオーファスの代表を名乗るカカトに潰されたことは記憶に新しい。しかし痛打であるその反面、責任者でもあったザーザートにとっていい面の皮だとほくそ笑んだ貴族が大半であったのも事実である。
貴族達の鼻先には商都ナーガスという熟れた果実がぶら下がっており、後は早急にそれをもぎ取ることが公国の繁栄の為の急務だという建前に貴族達の目が眩んでいた事が、浮遊城塞とカカトが揃って放置された最大の理由ではあるのだが。
貴族達が来たるべき戦の功を先駆けされぬよう反目にも近い状態で互いを注視していたからこそ、今の公国全体の“視線”は商都や妖精皇国にのみ注がれており、『労多くして功少なし』とみなされた浮遊城塞は最も公国に実害をもたらしたにも関わらず、皮肉にも戦火からは一番遠い拠点であったと言えるだろう。
その意味で浮遊城塞と同じ様に戦支度の渦中で放置されたままでいたのがザーザートであった。
クォーバル大公直々の口添えがまったく無いにも関わらず、姿を隠して久しいその大公の名代を自称し、あまつさえ管理下にあった“紅星計画”を喪失させたザーザートは、本来ならば早々に必罰されるべき対象であった。にも関わらず彼がそのままの立ち位置で放置されているのは『代わりがいない』――正確には『代わりとして名乗り出る者がいない』というその一点のみに他ならなかった。
益の無い地位に留まるザーザートには、それだけで貴族達にとっても意味があったのである。
クォーバル大公が政務を放棄しても問題なく合議制に移行できていた――国家を名乗っても実質公都一箇所だけで全て賄える小規模な寄合であった為でもある――ことと、ザーザート自身が政務そのものには決して口を出さなかったこともある。それを殊勝だなと評価する貴族がいる筈も無いが、“取次役”でしかないザーザートを侮り軽んじる空気だけは確かに存在していた。
何よりもザーザート本人を糾弾する前に、近年のクォーバル大公の老耄ぶりがあまりにも酷過ぎたという事実があった。単に後宮に鍵を掛けて閉じ籠っているのか、或いはもしや既に身罷っていることを秘匿されているのか、それは宰相であるデイガンですら知る術が無いという異常事態ではある。
だが『暴君』から目を逸らしたままにする事が一番有益であることは誰の目にも明らかである以上、いざとなればその矢面に成りかねないザーザートの立場にわざわざとって代わろうなどという奇特な者はいなかった。それよりも自らの“洞”に籠り財を蓄える事の方が遥かに有意義であった。
事実上の合議制へと移行したことで、確かに表裏問わず政争が激しさを増していくと云う弊害はある。だがそれでも大公による独裁政治――六旗手としての“力”によって絶対的な支配者が臣下を不条理に蹂躙する恐怖政治――の時代に比べると雲泥の差であった。
故に“取次役”のザーザートの存在を生死すら定かでない『暴君』への盾とすることで、今更敢えて大公の現況を好き好んで探ろうとする者はいない。実態はどうであれ、国の元首であるにも関わらず、である。
報いであろうと、デイガンは自嘲気味に思う。
半ば無頼の徒の集団として反目することの多かった“洞”を一つにまとめる為に、旗の“力”を後ろ盾に文字通り『力尽く』で抑え付けるやり方は必要悪であったと、当時を知るどころか当事者でもあったデイガンは迷いなく言える。
つまらぬ意地の張り合いとくだらぬ面子の潰し合いに拘るあまり、山岳の貧しい土地に押し込められ慢性的な飢えに苛まれていた北部の住人達。実際に六旗手クォーバルの“旗”の威光があったからこそ、有象無象の集まりがコバル公国として一つの確たる集団としてまとまった事は間違いない。
それまでは商都の商人連中に足元を見られていた食料の調達も、武力を背景にかなり改善された。多少の癒着はこの際仕方の無い。
“貴族”や“貴士”という支配者階級を新たに設ける事には、デイガン自身が尽力した。今はまだ無頼の徒崩れに近いと言ってもいい“洞”の“親方”達も、富貴を与え世代が進めば文弱の方向に進むことで血の気も薄れていくだろう。それはデイガンの元居た世界も含め、あらゆる歴史が証明していた。
その代償として今は『どちらが先に手を出したか』レベルに過ぎない政争が、目を覆う程に陰惨としたものになるであろう。それも歴史の常ではあるが、それは後の世代に託すしかないとデイガンは割り切っていた。功罪には暇が無いが、デイガン自身には尽力したという自負はあった。後は時間が解決していくところまでは体裁を整えたつもりであった。
だが巧くはいかなかった。この世界に墜ちる前に多少の政務の“心得”はあったとは云え、それだけで巧くいくなど思い上がりも甚だしいとデイガンは思い知らされた。
クォーバル大公はいつしか人身獣面の暴君と化し、商都の商人達が思い思いに“貴族”に擦り寄り佞臣めいて諍いを助長し、合議制を体の良い言い訳として責任の所在も曖昧なままに戦を――無駄な戦を引き起こそうとしている。
その戦の第一目標が商人達の本拠地である商都ナーガスであることは皮肉としては痛快であったが、それも含めて所詮は偶々クォーバル親方が拾っただけに過ぎない“旗”に頼ったツケが巡って来たのであろう。
(儂自身も含めた報いなのであろうな……)
デイガンが苦々しく臍を噛んでいる間にも、ザーザートに対し場に居る貴族達の誰一人として意見を発しようとはしなかった。そればかりか早く降壇せよという苛立った視線を向ける者が殆どであった。
合意が成ったとザーザートが判断しても誰も意を唱えることが出来ない状況であった。短い謝辞と共に一人足早に議事堂そのものから退出するザーザートの貌からは、如何なる表情も窺う事は出来なかった。
他に何か重要な議題が有る訳でも無い。残された形となった貴族達も幾人かは隅の暗がりで密談を交す者がいたものの、その殆どは時間の無駄だとザーザートに悪態を吐きつつ、各々の“洞”なりに戻って行った。
(何を企むザーザート……)
議会の壇上に唯一人残ったデイガンは、ザーザートの消え去った出入り口をいつまでも見つめていた。
その老いた胸に去来するのは、単なる感傷に留まらず公国の機密事項に関わることでもあった。
(否、“賢者”ザラドよ……)
六旗手が一人にして、コバル公国よりの逃亡者の寄合である救世評議会の長である“賢者”ザラド。
救世評議会という存在自体が思い詰めた下民が蜂起しないように“逃げ道”として敢えて放置してあり、また軍拡を必要以上に商都や妖精皇国に警戒させない為の“仮想敵”としても必要であるというのが、ザーザートの――あくまでクォーバル大公の代弁という形であるが――“洞”をそれぞれ束ねる有力貴族への説明であった。
その弁明自体に嘘偽りの無いことは、宰相という立場上デイガンも良く知っている。だが、救世評議会の長である“賢者”ザラドそのものが、コバル公国の息のかかった完全なる傀儡であることを知るのは宰相である彼を含めたほんの一握りの要人だけであった。
今も廃洞の奥深くに身を隠し逃亡者達を指揮している『ザラド』は、代替わりした云わば“二代目”である。無論、組織の首魁のみのすげ替えなど出来得る筈も無いので、今の救世評議会の指導者層そのものが全て公国の息のかかった人間である。
そして“初代”ザラドとして救世評議会をまとめていた者こそ、今は大公の名代に収まった方術士ザーザートその人であった。
救世評議会も始めから公国の傀儡であった訳では無い。ザーザートが己を頼りに身を寄せる配下の逃亡者全てを裏切り、公国に売り渡したのである。
それ自体は構わぬと、デイガンは喝破する。裏切りと欺瞞の末だとして、それで公国の平穏が保てるならばそれで構わぬと。救世評議会には公国の為の礎として殉じてもらう他ないのだと。
デイガン・ケーンは元より大の為に小を犠牲とするべきだと標榜していた。何に対してであろうと誰に対してであろうと、その理念に些かの揺らぎも無い。
唯一、孫であるオズナの事以外は。
そのデイガンをして裏があるどころの話ではないザーザートを首輪も付けずに野放しにしているのには訳があった。
大公の名代を自称する方術士が、その実何を目論んでいるのか今一つ捉えどころがないというのがその理由である。要は泳がせているといったところである。
公国の私物化――三文小説の小悪党の様な明快な目的であれば看過するような事もないのだが、ザーザートが国政に口を挟むことは依然として皆無であった。彼の口を通して告げられる大公の言葉すらも、要は『良きに計らえ』以上のなにものでもなかった。
今回のアルスへの助勢願いにしてもそうである。ザーザートの言によれば、オーファスへの行軍も早馬を用いた単騎駆けで向かうのだという。流石にそれを鵜呑みとする訳にもいかないであろうが、それでも己はあくまで裏方に徹するという意思表示でもあった。
これが手勢の一軍を率いての行軍であったならば、越権行為だ開戦前の抜け駆けだなどと、貴族達の詰問を免れなかったであろう。
だがザーザートの殊勝な態度には裏が無い訳がないことも、デイガンだけは確信していた。彼とザーザートもまた、暗き因縁によって結ばれていた為である。
(復讐か……)
それしかあるまいとは、デイガンも覚悟はしていた。
消去法による推測ではない。ザーザートには確たる動機があることを、当事者の一人でもあるデイガンは痛い程承知していた。
議会に残って密談を交していた者達もいつの間にやら退室し、正真正銘一人議事堂に残されたデイガンは虚空を見つめつつ過去に思いを馳せる。七年前のことを。
バルダー廃洞を本拠地にしている救世評議会――当時はその名前すら無かったが――最大の集落に突入し、そこに身を潜めていた公国からの逃亡者全員を束縛する陣頭指揮を取ったのは、当時既に宰相の地位にあったデイガン自らであった。
娘夫婦を突然の落盤事故で亡くし、政務や政務に含まれない事案に没頭し悲しみを少しでも紛らせようとしていた時期でもある。本来ならばわざわざ陣頭に立つような身分でも歳でもなかったので、今にして思えば現場の者達に随分負担を強いたのであろうと、デイガンは回顧の中でふと気付く。
それは兎も角、その捕囚の群れの中にティティルゥとザーザートの姉弟の姿はあった。
囚われた他の者が皆“罪人”として再び鉱山送りとなった中で、その姉弟だけはデイガンが拾い上げたのも、一度に両親を喪い独り残された身となった孫に近しい年齢であった両者に、ふと憐憫の情が湧いたからであった。常人とは異なる姉弟の独特の瞳の輝きに惹かれたというのもある。
それが善行などではなく単なる自己欺瞞に等しいものであったことは、デイガン自身も当時から自覚していた。
流石に我が孫同然に、などという寝物語のような扱いをする訳にはいかなかったが、それでも市民として戸籍と相応の待遇は与えた。
贔屓目と云う余分な感情を差し引いた言い方をしても尚、姉弟は正に“拾い物”であった。彼女達が卓越した才知を備えていることを、デイガンはすぐに見抜いた。
それもあり姉弟に人並みの教育のみならず方術の触りすら正式に学ぶ事を許したのは、老い先短い自身が逝った後に残される孫のオズナに気心の知れた補佐を置いておきたいと云う、身贔屓以外の何物でもない理由であった。加えて、姉のティティルゥをオズナの嫁に迎えても良いと云う下世話な考えがあったことも否定しない。
ともあれ、数年の間は概ねデイガンの望み通りに事は進んでいた。親友という域にまで達したかは怪しいところだが、ザーザートも常にオズナを立てる事を忘れなかった。全ては順風満帆に思えた。
ほんの些細な偶然からクォーバル大公の目に触れたティティルゥが、その瞳の輝きを気に入られて見初められるまでは。




