詭謀(3)
*
“前夜祭”という表現は、我ながら浮かれ過ぎだとは思う。場の雰囲気の絆されて気分が高揚していたにしても程があるだろう。それは兎も角、愉しい夕食の時間も幕を引き、今は各々が各自のテントに引き籠り明日に備えて眠りに就いていた。
もっとも、流石に何ヶ所にも分けて個々人のテントを設置するような余裕があるわけでも無く、大型のテントを二つ張るに留まっていた。その内の一回り大きな方のテントを女性陣が使い、残る一つをシノバイド2人とカカトの計3人が夜の見張りの詰所代わりに交代して使うといった割り振りである。
不意に荒ぶった時にコルテラーナがすぐに“鎮静”できるよう、沼牛は女性陣のテントの近くに簡素な柵を設けその内に繋がれており、守衛の様にクロが柵とテントの間に陣取っていた。
そして――常の如く――巨体であるが故にテントの中に入れない私はと云うと、不眠の番として二つのテントと闇のカーテンとの中間の位置に歩哨として突っ立っていた。
試製六型機兵として本来ならば夜間は“眠り”に就いておくのが運用上も望ましいということではあるが、揚陸艇ならまだしも補助設備の一つも無い今の環境だと一度“火を落としてしまう”と再起動が困難だとの理由で、機械で云うところのアイドリング状態を維持している次第であった。
そういう半端な状態であるが故に、“歩哨”としての私は単なる背の高い風除けのオブジェ以外の何物でもなかった。実際の見張りであるカカトやシノバイド達の哨戒は外周とも言える黒い森との境目に沿って行われており、それも“魔獣”は決して森から出て来ない先例があるが故に、臨戦態勢という雰囲気には程遠いものであった。
確かに沼牛がそうであるように、或いは“恐れ”というものに愚鈍な“魔獣”が新たに出現していないとは言い切れない。その為に哨戒自体は欠かせないものではあったが、賑やかだった宴とは一変して何の騒ぎも起こらぬ静かな時間が過ぎていった。
「……」
人間で例えるならばうたた寝に該当するとは云え、それはあくまで機体のみの話である。私自身の意識はと云えば、いまだに軽い酩酊じみた状態にあった。
“――テント内より移動する人物有り”
“熟睡”も出来ず、かといって夜中に独りウロウロと歩き回る訳にもいかず、生身であったならば大口を開けてただボーッと闇のカーテンを眺めている状態であった私の脳裏に、突如として声なき声が警告を発する。それはまだ真夜中にも程遠い、それこそ皆がテントに引き上げてから1、2時間後といったところであろう。
“――ファーラ・ファタ・シルヴェストル”
一張羅とまではいかないが、無駄に荷を増やす訳にはいかない為に始めから寝間着の類は持ち込んではいない。何が起こるか分からないという懸念も無論有るが為に、有事に備えて全員が普段着のまま就寝することになっていた。それ故に声なき声が私にその名を告げたファーラの姿もまた、これまでとは寸分変わらぬ旅装束に準じたものであった。
だからであろうか、スゥと闇のカーテンに不用心に近付くファーラの姿を目の当たりにした時に、私は何故か彼女がそのまま“闇”の内側に入り込みそのまま姿を消すのではないのかと云う錯覚に囚われた。
「――ヴ!?」
そこが私の迂闊なところであり、他人から見ても頼りなく思われてしまう要因なのだろう。しばし秘かにファーラの様子を観察しておくべきだったにも関わらず、私は慌てて彼女を止めようと先走って動いてしまっていた。
「あれ」
仁王像の様な私が上から覆い被さったにも関わらず、ファーラにはまったく怯えた様子も悪びれた様子すらも無かった。ただその代わりに彼女の額を飾る例の蒼い宝玉が一瞬煌めいたように見えたのは、あくまで私の錯覚だったのであろうか。
「貴方も眠れないの?」
石の巨人である私に対しても普通の人間相手のように、自分の方から人懐っこい笑みと共に話し掛けてくるファーラ。器が大きいと評すべきか、或いはそこまで頭の回らぬ愚者の類と見るべきか。何れにせよ、私が何らかの行動を――と云っても私の方にも明確な目的は無かったのではあるが――起こす前に、もう一つの新たな声がそれを制した。
「お主ら、お目付け役のわらわ抜きで何の真似じゃ」
詰問というよりはドヤ顔に近い表情で、ナナムゥが腰に手を当て私達へと声を掛けた。その姿は我々より遥かに大人じみたものに視えた程である。
ファーラと同様にナナムゥのその姿は着の身着のままではあったが、昼間との唯一の相違として裸足であるところが、私にとっては妙に微笑ましく思えた。わたしに妹がいたらこんな感じだったのだろうか。
「お主達がわらわにだけ内緒で何か企もうとも、わらわにはすぐに判るんじゃぞ!」
指先で何かを手繰るようなナナムゥの仕草に、私は幼主がファーラに“糸”を繋いでいると以前に言っていたことを思い出した。流石に先程の宴の様な煩雑な場では解除してあったのだろうが、ある程度気心が知れるようになった今でも就寝時には依然として“糸”を結わいでいるのだろう。
その用心深さと妙な生真面目さには感心するものの、それはそれとして私はナナムゥの平時と変わらぬ声の大きさの方が気になっていた。歩哨であるカカト達の気を惹いてはいないかと慌てて周囲を見回したぐらいである。
やましいことなど何一つ無いにも関わらず。
カカトがちょうどこの時間の見回り担当であったならば、或いは嬉々として首を突っ込もうと寄って来たのかもしれない。しかし幸か不幸か今の時間はシノバイドの内の1人が哨戒を担当しており、それもこちらが何かよほどの奇行でもしでかさない限り、基本的には放置してくれているようであった。或いは頭領であるモガミに必要以上の干渉をせぬよう予め言い含められていたのかもしれない。
その代わりという訳でもあるまいがクロからは注視されている事は、その黒い頭部がこちらを真っ直ぐに向いている事から窺い知る事は出来た。
「で、何をやっとるんじゃお主らは? こんな夜更けにコソコソと」
ナナムゥの尤もな詰問に――夜更けには程遠いのだが――私とファーラはどちらからともなく顔を見合わせた。
幼女に叱られる巨人と“姫”の取り合わせと云うのは、傍から見れば珍妙に過ぎるだろう。そういう他愛無い想いを胸に浮かべる程度には私も余裕が有る状況ではあったが、如何せん私は言葉を喋る事が出来ない。結果としてファーラがナナムゥにさしで答える形となった。それも実にあっけらかんと。
「ちょっと、眠れなくて」
そして何を思ったか、ファーラは最後に小首を傾げつつ可愛く一言付け加えた。
「ほんとよ?」
「まったく……」
ファーラの媚びに対し、ナナムゥはわざとらしいまでに大きな溜息で応えた。はにかんだ笑みを浮かべるファーラに対し、次にナナムゥが口にしたのは先程の私の危惧とまったく同一のものであった。
「てっきりあのまま闇のカーテンをくぐるのではないかと焦ったぞ」
ナナムゥによるカマかけでもあったのだろう。意外であったのはそのカマかけに対し、ファーラが心底ビックリした様子で素で返したことであった。
「あ、大丈夫、大丈夫」
まるで無邪気な子供の様に、ファーラはフルフルと伸ばした両手を貌の前で振ってみせた。
「そういうのはやっちゃだめって言われてるから」
その言葉が完全に終わらぬ内にナナムゥがスッとファーラの目と鼻の先まで詰め寄ったのも、声を抑えきれずにシノバイドの注意を惹くのを避ける為であったのだろう。
「改めて問うぞ。お主、何者じゃ?」
「私? 私は……」
ナナムゥとファーラが共に過ごしたのはまだ短い期間であるとは云え、私から見ても非常に仲良さげであった。そのナナムゥに真剣な面持ちで詰め寄られ、ファーラは少し迷ったような表情を浮かべた後、やがて観念したように口を開いた。それまでの、どこかのほほんとした雰囲気が、そのまま鷹揚とした独特のものへと変じる。
「――実は私は、ここより遥か遠くケルドランス王国の第一王女、ファーラ・ファタ・シルヴェストル――」
「そういうことを訊いておるのではない!」
声こそ辛うじて抑えてはいたものの、ナナムゥはその場で今にも地団太を踏まんばかりの勢いであった。
「そもそも王女など、わらわはお主の他にも知っておる! そうではなくてお主、先程『やってはならぬ』と言ったということは、その気になれば『やれる』という意味ではないのか!?」
一気に捲し立てるナナムゥの興奮が不用意に見張りのシノバイドの気を惹かぬように、私なりにこの巨体で隠しはしたつもりだった。
「もしそうであるならば――」
圧し掛かる私の巨体の陰で、ナナムゥがしっかとファーラの手を握る。不自然なまでに長いその指で、“第一王女”を決して逃すまいと。
ファーラの額を飾る宝玉が今度こそ蒼く煌めき、そして彼女が軽く頭を振るとすぐにその輝きが消えた。そこに如何なる合図があったのか、それを不審と思う間も無くナナムゥがファーラへとにじり寄った。
「友として頼む。この世界を覆う殻を破れとまでは、わらわも期待してはおらん。じゃが、せめてこやつの――明日この“暗闇”の奥へと向かうキャリバーの為に、その“力”を貸してやってはくれぬか?」
「……うぅん」
焦燥感すら滲ませるナナムゥとは対照的に、ファーラは唯ゆっくりと頭を振った。それが人を小馬鹿にした仕草に見えないのはファーラが『第一王女』として備えた生来の気品か、或いは『第一王女』と聞いたことで私の見る目自体に偏向がかかったか。
ファーラはその場に膝を揃えてしゃがみ込むと、ジッとナナムゥの目を見た。頭上から見下ろす形となる私にはその瞳に映る感情の色までは覗き込むことは叶わなかったが、それでも『第一王女』の貌が真剣な面持ちである事だけは充分に見て取れた。
「ナナムゥ、私自身は何の“力”も持ってないのよ。ただ、周りのみんなが凄い“力”を持っていて、それを私に貸してくれているだけなの」
(……!)
自分と同じだと、私は思った。締め付けられるような胸の痛みと共に。
何所へ行っても何処に居ても、何故か皆が良くしてくれる。邪推をすれば――母の嘆きを真実とするならば――無力であるが故に、無能であるが故に、人は庇護欲と僅かな優越感を得る為に私に手を差し伸べてくれているのだろう。
常に私の心の奥を充たす思い。大いなる感謝の念と、迸る申し訳なさと――そして刺さった棘の様に残る恥辱とが。
だから私は誰かを助ける側に回りたかった。例え叶わずとも。
だから私は――
「だから私は……」
私の胸の叫びとファーラの呟きが重なったのはまったくの偶然であった。しかし次いで『第一王女』の口から発せられた言葉は、いわば私の暗い願望とは似ても似つかぬものであった。
「そのみんなが貸してくれた“力”を悪いことに使わないようにすることしかできないのよ」
私ならば、所詮は借り物の“力”だ他力本願を都合よく言い換えているだけだと身悶えしていたであろうその決意は、ファーラにとってはまったく衒いの無いものに視えた。元より持って生まれた性格の違いか、或いは血統と育ちの良さが庶民でしかない私との絶対的な差であったのか。
生まれ育った環境に要因を求めてしまうこと自体が、私という男の卑しさの何よりの証なのであろうが。
「そうか……」
未練がましさこそ多少残ってはいたものの、それ以上ナナムゥも駄々をこねはしなかった。
「わらわとしたことが、急いてしまったようじゃな。忘れてくれ」
(……)
私は改めて幼女とはとても思えぬナナムゥの聡明さに内心で舌を巻いていた。私の妹が同じ年の頃には、いつもオドオドして私の後を付いて回るのが精一杯であった。
「ごめんね」
今はナナムゥの小さな手を逆に握り返しながら、申し訳なさそうに謝るファーラ。ふと何かを思い出したようにその顔が上がり、化粧っけの無いその唇がナナムゥに対してもう一つの謝意を告げる。それが先程の夕食の最中にカカト達と騒ぎ合っていた際に言い掛けていたものであることを、私は何とはなしに察することができた。
「それに、海にも一緒に行けないの」
「それは……」
何故じゃと言い掛けたのであろうナナムゥは、何かに気付いたかのように不意に口を噤んだ。しばし記憶を探ったのか、僅かな間を置いて声をひそめて再び口を開く。
「お主に迎えが来るからか?」
コクリと頷くファーラに対し、ナナムゥが更なる質問を矢継ぎ早に投げかける。更に一際声をひそめて。
「その者がお主に“力”を貸している者なのか……?」
再びコクリと頷くファーラを見ながら、私はかつて彼女が秘かに洩らした予言について思いを巡らしていた。
『赤い彗星がこの世界を解放する、だったかしら? その預言、もうすぐ叶う筈よ』
私がコルテラーナに聞いた話では正確には『紅い流星』である。それが何を、或いは何者を意味するのかは誰も知らない。これまでのファーラの言動を考慮するならば、その彼女の迎えの者こそがこの閉じた世界の救世主となるべき『紅い流星』だということになる。
少なくともファーラの見立てでは。そして彼女にとってそれが確信である事も確かであった。
秘密だというファーラとの約束に違う訳にもいかず、全てを自分の胸に秘めたるままではあるのだが。
「わらわも今更無茶は言わぬ。だが一つだけ教えてくれ」
拡大した私の視界の中で、ナナムゥはファーラと互いの額がぶつかるのではないかと錯覚するくらいまでグイと迫った。私の耳でも辛うじて拾えるまでに声色が更に一層低くなる。
「お主を迎えに来る者は、化け物かなにかなのか?」
「よくそう言われてるけど……」
過剰とも言える慎重さを隠さぬナナムゥに対し、ファーラはクスクスと思い出し笑いを浮かべるほどにあっけらかんとしていた。
「只の、私のお友達よ」
それ以上何か聞き出せはしないことを、私は悟らざるを得なかった。それもまたファーラを護る何がしかの“力”の賜物であったのかは分からない。それでも結果だけは――抗えないことも含めて――知れた。
同じ思いを得たのだろう。わざとらしくも盛大なナナムゥの溜息が私の耳に響いた。




