喜貌(19)
事前の準備には時間をかけた。
地下空洞の中空には落ちて来るであろう“魔獣”を捕らえる罠として、観測船『瑞穂』謹製の虎の子の特殊ワイヤーを蜘蛛の巣の様に張り巡らしており、周囲にも念の為の勢子としてシノバイドを多数潜ませてあった。事前演習については改めて語るまでも無い。
モガミにとって六旗手であるカカトもナイトゥナイもあくまでスキューレを釣る為の囮以上の何者でもなく、決着の場がこの遺構であることだけは強く言い含めてあった。
いくら師事した間柄であるとは云え、カカトとナイトゥナイがそう厳命するモガミに思うところが無かった訳でもあるまい。だが何にせよ、六旗手の2人は己に課せられた使命を全うした。
しかしモガミの意に反し、周囲の泥水ごと“氷”で固めるというガッハシュートの荒業によって、スキューレは逃走行為そのものを封じられ敢え無く地上でカカトに討たれたのである。
客観的に評するならば、“魔獣”の経路次第と云う不確定化要素を完全に払拭しきれなかったモガミの計画は、ガッハシュートの介入によって格段にマシにはなったのであろう。結果だけを見るならば。
(ガッハシュートか……)
初代の妖精機士団長として所長の許に仕えていた頃より、浮遊城塞オーファスの周囲を跋扈するその白を基調とした正体不明の青年の事をモガミも聞き及んではいた。
とは云え、それだけのことである。矛を交えるどころか、まともに対峙したことすらない。モガミにとってはその筈であった。とある憶測による可能性を除けば。
それでいいのだと、モガミは思う。得体の知れぬ――そして彼の勘ではそれ以上に厄介な謎に紐付いている筈の――存在と関わらずに済むならその方が良い。あくまで己は影。『昔から渾名が欲しかった』などと戯れに『所長』を名乗る御方を護る影なのだから。
「モガミ!」
ティラムが、2人が向かう先に浮かぶ光の珠を見つけ、杖の先でそれを指す。無論その輝きはモガミにとってはとっくに目星を付けていたものではあったが、彼はただ黙ってティラムに頷いて返した。
薄暗い地下空洞の中、やがて2人が辿り着いたのは横たわるスキューレの“亡骸”の前であった。最初はモガミの目論見通り空洞の宙に張り廻らされた網の目に――当初の予定に反し結果論めいた形ではあるが――濁流に紛れ流れ落ちて来た際に絡み取られたスキューレであったが、その時点で既にそれ以上地を掘り進んでの逃走が不可能であることは誰の目から見ても明らかであった。その掘削器ごと下半身全てを喪失していた為である。
そればかりか、スキューレ本体そのものが工作機械としての機能を完全に停止しているようでもあった。その何よりの証として、スキューレの躰を離れた光の珠がユラユラと浮遊していた。
まるでそれ自身が“魔獣”の墓標であるかのように。
「これが――」
モガミの指示により既にシノバイド達によって網から降ろされ横たえられているスキューレの上半身のみの“亡骸”は、今も微動だにする様子すらない。ハァハァと呼吸を整えながらも発せられたティラムの感嘆の声が、流入は既に止まっているとは云え泥水のすえた臭いの充満した地下空洞の中を漂っていく。
「“旗”……!」
伝え聞く“彼等”による救世の光球を前に、ティラムは珍しく興奮を抑えきれないようでもあった。
「……」
だが彼女とは対照的に、モガミは冷静に――むしろ冷め切った眼差しで――その“旗”の変じた光の珠を見ていた。彼にとって初見ではなかったということもある。
かつてモガミも“旗”を所持していた。とは云え六旗手の一人となった訳ではなく、あくまで猿人との闘いの中で偶然大森林の最深部で“旗”を手にしていたに過ぎない。
それを彼は当時まだ主人であった妖精皇――この頃はまだ『所長』なる渾名を用いてはいなかった――に献上し、妖精皇は“旗”をそのままモガミへ下賜しようとした。
だが六旗手となる事をモガミは固辞した。あくまで妖精皇の護衛として、それ以上の無用な重責を背負い込む訳にはいかなかった為である。
そして妖精皇の下で一時は秘匿されることとなった“旗”は、その後かつてモガミの部下であった妖精族であるナイ=トゥ=ナイが新たな機士団長に任命された際に改めて下賜されたという経緯があった。
皮肉な物だと、モガミは今“旗”を前に想う。
所長によってその護衛の任を解かれ、商都ナーガスまで流れ着いた今になって、彼は“旗”を求める事となった。六旗手が一人クォーバル大公の治めるコバル公国が、その領土的野心を露わとし始めた為である。商都ナーガスに対しても既に硬軟織り交ぜた様々な圧が掛けられていた。
所詮は寄合の悲しさ、モガミによる対抗措置としての“旗”の探索も今のところは他の会合衆に対して秘密裡に行われていた。懇意と言っても良いコルテラーナ達に対してさえ、補佐として傍らに置いているティラムの所在を『宿で寝ている』と偽って隠した程である。
とは云え、己自身は六旗手にならないというモガミの決意が翻ることはない。それはあくまでコバル公国への抑止力としての探索であり、“旗”を確保した後は商都の会合衆に譲渡することも視野に入れていた。海千山千の商家の古株達に対して、おそらくは秘匿しきれるものでもない。
「ようやくね……」
彼の横でティラムが感慨深くそう呟くのにも理由がある。
商都ナーガスの地下迷宮の何処かに“旗”が眠っている――それは殆ど御伽噺の類であったが、確かに子供達の間にまで伝えられていた古い噂話ではあった。
そもそもモガミが一人地下迷宮の探索に赴くようになったのはそのような与太話が目的では無く、鍛錬も兼ねたあくまで有事の際に備えての地形の把握の為であった。
引き取った孤児から見込みのある者を選別し私兵として鍛え上げ、その実地訓練も兼ねて迷宮に投入するようになって丸2年が経過し、思いの外長きに渡る探索となったが幸いにも犠牲者を出すこともなく――ミィアーのように不幸にも重傷を負う者はどうしても出てしまったが――着実に踏破は進んでいった。
そして地下迷宮の測量により間隙を埋めていった結果、最後の隠し部屋とでも云うべき区画のその奥に、ソレは“眠り”についていた。言うまでも無く“魔獣”スキューレである。その“眠り”は踏み込んだモガミの目の前でたちまちの内に破られた訳でもあるが。
今にして思えば、“再起動”の原因が自分にあったということはモガミにも判る。彼の目の前で再起動した工作機械はひたすらに彼だけを追って来たのである。地下迷宮を構成する石と土の壁をその掘削器で等しく泥土へと変えながら。
始めは、彼が秘匿し身に着けている電子機器のどれかが干渉しているのではないのかと思った。だが、目ぼしい物を全て外し文字通り着の身着のままの状態であっても、“魔獣”はモガミに対してだけ執拗に追い縋ったのである。
大地を瞬く間に泥に変える超常と言ってもよいその“力”、そして商都で古くから囁かれる地下迷宮に眠る“旗”の噂、何よりもモガミ自身が“旗”を保持していたという事実――それら全てが一つの推論に結び付くのにそう時間はかからなかった。
確かにモガミは六旗手には成らなかった。しかしもし“旗”の残り香とでも云うべき残滓めいたものがあり、それが同じく“旗”を保有している者を招き寄せるのだとしたら。
もし本当に商都の地下迷宮の奥底に“旗”が眠っていたのだとしたら。
そしてもし“旗”が“魔獣”の手の内にあり、泥土に変える超常の“力”を与えているのだとしたら。
全てはモガミとティラムが建てた仮説でしかない。肝心の“魔獣”には、真相を語る知能も口も有りはしない。だが或いはそれは天命であったのか、答えを得るに恰好の者達が商都ナーガスに逃げ込んで来たのである。
六旗手にしてモガミのかつての弟子でもある、カカトとナイトゥナイの2人組が。
同じ“旗”の保有者として、互いに互いを強く“感じる”のだと、問われたカカト達の答えはそうであった。ナイトゥナイに至っては半ば恍惚とした表情のままに。
そしてモガミ達の仮説に違わず、“魔獣”は新たにそのカカト達に狙いを定め、幾度も撃退されようともその度に地下に撤退し、そして再び追い縋って来た。それはすなわち御伽話だと思われていた地下迷宮に眠る“旗”を“魔獣”が手にしていると断ずるに充分であった。
何よりカカト達もまた、追って来る“魔獣”の気配を彼の方でも肌に感じると告げていた。
“旗”がどういう経緯で“魔獣”の手に流れ着いたのかは分からない。幾ら“旗”により超常の“力”を与えられ猛威を振るおうとも、“魂魄”無き工作機械を六旗手と称していいのかを知る由も無い。
“旗”を持つ者同士が惹かれあうという性質は、六旗手が互いに相争い易いように“彼等”が施した悪意ある“調整”なのだろう。
しかしながら、その全ては推測と仮説である。今この地下空洞の中でスキューレが完全に機能を停止し、所有していた“旗”が再び光の珠と化してモガミ達の眼前に浮遊している、それだけが確かな現実であった。
だが、それすらも――
「数が合わん……」
「……えっ?」
最初ティラムは、モガミが何を言っているのかを咄嗟には理解出来なかった。
それが目の前に浮かぶ“旗”に起因するということまでは察しが付いたものの、ティラムの貌はますます訝しげなものに変わるだけであった。
六旗手――すなわちこの閉じた世界に存在する6本の“旗”の内、5本までの持ち主は――主に移動図書館の司書達によって――広く喧伝されている。
曰く、移動図書館司書長ガザル・シークエ
曰く、コバル公国クォーバル大公
曰く、救世評議会“知恵者”ザラド
曰く、浮遊城塞オーファス“青の”カカト
曰く、妖精皇国“妖精機士”ナイ=トゥ=ナイ
そして目の前に浮かぶ光の珠こそ、行方知れずと伝えられる最後の一旗だとティラムが何の疑いも無くそう認識していた。それはむしろ当然の帰結であっただろう。
それを理解しているからこそ、モガミはティラムに対し疑念の核心のみを告げた。
「ミィアーの定期報告にあった所属不明の六旗手ティティルラファン。その“旗”と、ここに浮かんでいる“魔獣”の“旗”を含めると合わせて7本有ることになってしまう」
「でも――」
一瞬あっという顔をしたティラムであったが、しかし安易に納得はしなかった。自分の頭の中で、モガミへの反証を可能とする見落としがないか手早く理論構築を試みる。それが妻である自分達姉妹の役割であることを彼女は充分に心得ていた。
「そのミィアーの報告では最後に“旗”は何者かに奪われたと――」
「それだと時系列が合わない」
反証に反証を重ねるモガミの顔に、感情的な揺らぎは皆無である。
「ティティルラファンの襲撃の日と我々が“魔獣”を誘導していた日は重なっている。それぞれ別の“旗”だと見なすのが妥当だろう」
「では伝承に反し初めから“旗”が6本ではなかった可能性は……」
「それは――」
モガミの貌に、始めて苦笑とい名の感情が露わとなる。
「考えたくはないな。大前提が狂うのは」
仏頂面と云ってもいいモガミが偶に浮かべる笑顔がティラムは好きであった。何よりも――苦笑とは云え――モガミが浮かべる今の微笑が自分を必要以上に不安にさせない為の心遣いであることを彼女は知っていた。
「カカトとナイ、そして目の前の行方知れずの“旗”も含めて、6つの内の3つまでの所在は確かだ」
一転して、モガミがティラムにではなくまるで自分自身に言い聞かせているかの如く、淡々と言葉を続ける。
「コバル公国も文字通り御旗としてあれだけ喧伝している以上、それを手放すとは考え辛い」
「となると……」
ティラムは方術士特有の幾何学的な杖に寄り掛かりながら思案を重ねた。
「残る救世評議会か移動図書館のどちらかの手の者が“旗”を借り受け所長を襲ったと?」
「どうかな」
モガミは言葉を濁し、明言を避けた。六旗手であるクォーバル大公が既に公の場に姿を現さなくなって久しい事は、彼も既に確たる情報として得ていた。加えて政務を一手に司っていたデイガン宰相が、『勇退』と云う事実上の失脚に追い込まれたらしいと云うことも。
それらコバル公国の急激な政変が、仇敵と云っても良い間柄の妖精皇国への襲撃にまったくの無関係だなどとは到底思われなかった。
「……」
ティラムは、傍らで急に押し黙ってしまったモガミをジッと見つめた。こうなると、彼が胸の内を自分達姉妹にすら明かしはしないことを彼女は熟知していた。
――所長にならば話すのだろうか……?
自分の胸の内に芽生えた下卑た考えをティラムは慌てて振り払った。そして狼狽を取り繕うかのように、そっとモガミの手を取り語った。
「何にせよ、やはり貴男は六旗手となるべきだと私は思う」
妻からの突然の申し出に流石のモガミも虚を突かれたか、すぐには返す言葉がなかった。
それに反しティラムの方は一旦想いを口に上らせてしまうと、後は自然に言葉が流れ出ているかのようであった。妹であるヴァラムと2人、“旗”を目の当たりする今日この刻に備えて相談を重ねた結果であり、決して突然の思い付きではなかったという理由もある。
「貴男が“旗”を手にするのはこれで二度目。それは貴男が六旗手と成るべき宿命の元にあるという、何よりの証だと私は思うの」
「……」
とうに我を取り戻したモガミではあったが、今はただ懸命に説得を続けるティラムの貌を黙って見つめていた。
この場でこそティラムは流暢に喋り続けているが、それはあくまで彼やヴァラムの前だけのことである。それ以外の者が場に居るだけでティラムが酷い吃音でしか会話が交わせなくなるのは今でも変わりない。
それを目の当たりにする度に、自分はあの時に何を呆けていたのかとモガミは己を責める事しか出来ない。
あの日――野駈けに出掛けたカルコース姉妹の一団が賊に襲われた時に自分が直ちに忍びとして対応していれば、ティラムの心と体に決して消えない傷を負わせることも無かったのだと。
突然のお役御免で茫然自失のままであったこともある。商都ナーガスまで流れ流れて下男として先代に拾われ、新参者の雑事として山路への露払いの為に一団から独り先行していたということもある。何よりも、忍びとしての自分は死んだのだという捨て鉢な気持ちに囚われていたこともある。
躊躇いを捨てたのは、ティラムの自己犠牲によってヴァラムが泣き叫びながら逃れて来たところに鉢合わせした時である。必死に自分に抱き付き救いを求めてきた少女を前に、モガミはようやく所長の別れ際の言葉の意味を理解出来た。
これからは私の為ではなく、貴方自身の為に生きなさい――それはこの閉じた世界の人々を護る為に生きよというお達しだったのである。
愚かだったと、モガミは己を叱咤することしか出来ない。ヴァラムを追ってきた外道も、ティラム達を滅し辱めた賊の本隊すらも彼からすれば鎧袖一触ではあったのだ。
そもそも何故、所長によって護衛の任を解かれた時に、茫然自失のあまりただ言われるがままに彼女の許から去ると云う最悪の選択をしてしまったのか。
時を経た今ならば所長が自分を放逐したその真意は分かる。共にこの世界に墜ちてきた供の者達が――病死にしろ自死にしろ討死にしろ――次々と生命を落とし、遂にはモガミの他に最後まで残った老侍従と学友あがりの側近を所長は一度に亡くしてしまった。唯一人残ったモガミを放逐したのも、主従関係が軛となりこのままではモガミも自分の為に無為に死に兼ねないと云う所長の自責の念によるものだということを。
なればこそ、そこまで心砕いてもらいながら何故に自分は所長の真意にすら気付かず、ただ徒にその許を去ってしまったのかとモガミは済んだ過去に歯噛みする事しか叶わない。例えその厚意に背くことになろうとも、せめて身近で影ながら御守りする事こそ真の忠義ではなかったのかと。
ティラムとヴァラムはそのように苦悩するモガミに対し慰めの言葉を欠かさなかった。そうして彼が商都まで流れて来てくれたからこそ、あの時自分達は救われたのだと。
高家の護衛役の一族として生まれながらに激しい修行に明け暮れ、『葦名流』を極めたにも関わらず何も分からぬこの体たらくである。
自分を恩人として慕ってくれるカルコース姉妹、それを娶るにあたり愛情は確かにあった。だが、所長を陰ながら支援する為の権力基盤を得る手段と云う下心があったのも事実である。それを察せぬ姉妹でもあるまい。
そして引き取った孤児を選別し――もっともらしく弁明をしながら――私兵として死地に赴かせようとしている。
自分は地獄に落ちるだろうとモガミは覚悟している。この密閉された世界から尚堕ちる事の可能な地獄があるとすればであるが。
「――取ラヌノカ?」
「――!」
薄暗い空洞に不意にボソボソとした声が漂ってきたのと、一足先にその気配を察知したモガミがティラムをその背に庇ったのはほぼ同時であった。
次々回で第五章と物語の半分が終わる予定です




