喜貌(16)
ナナムゥの指示に合わせ、私は再び空砲をスキューレに向けて撃ち込んだ。私の両腕の魔晶弾倉には原則として殺傷力の無い炸裂岩が装填されることになっており、実際に今日の夕刻にバロウルによって補充されたばかりであった。
空砲というその性質上直撃させる必要も無い為に、『当てねば』という私の精神的負担も少ない。何かこういう配下を使役して戦うゲームもあったななどと云う、他愛無い記憶を手繰る余裕すらあった程である。その間にも、ナナムゥはストンと私の頭の上から地面へと降り立っていた。
おそらくは、スキューレにとって本命はあくまで正面で対峙しているカカトに過ぎず、脇でウロチョロと空砲を撃っている私達など煩わしいだけの存在でしかないのだろう。それを示すかの如く掘削器の内のたった一つだけが、まるで蠅でも叩くかのように無造作に私達の頭上に唸りを上げて迫った。
ふふんとナナムゥが狡猾と呼んでも差し支えの無いもったいぶった笑みを浮かべ、腰のポシェットから一つの魔晶をスッと取り出す。
ポシェットの中を探る指が迷う様子もなかったところを見るに、既にナナムゥの頭の中では全ての物事の組み立てが済んでいるという事であろう。
「キャリバー、装填じゃ!」
ナナムゥが長い指先に挟んだ、表面に凹凸のある白い長方形の魔晶を私に向けて放る。それはおそらくはナナムゥの“糸”の補助を受けているのか、まるでガイドレールの上を進む荷物のように私の掌まで真っ直ぐに達した。
(そういうことか!)
さわりだけとは云え、流石に私も事前に所長とバロウルからナナムゥの保持する幾つかの魔晶に付いて簡単な説明を受けてはいた。羊羹のように四角く切り揃えられた魔晶の中で、唯一表層が歪なその白い魔晶のことを私は記憶に残していた。合わせてその効力も。
私の石の拳がその魔晶を握る。これまでと寸分違わず魔晶はたちまちの内に粒子となり、私の腕に内蔵された魔晶弾倉に“装填”された。
我ながら、事前の打ち合わせも無しに良くやるものだとは思う。ナナムゥに対する私の信頼が揺るぎ無いと云う事でもある――良いように言えば。
傍らの幼主の指示のまま何も考えず忠実な“手足”に徹してさえいれば、安堵と余裕が生まれるというものである――恥を忍んで告白すれば。
私は視界に遅延を掛け、そして頭上から雑に振り下ろされた掘削器をおもむろに避けた。ナナムゥが同じ様に飛び退ったことを確認する余裕がある程、それ自体は容易な事であった。
むしろ粒体装甲を展開するという誘惑に、私は辛うじて耐えていたくらいである。安易に装甲を展開して迎え撃つと、前回と同様に状況が拮抗してしまい魔晶弾倉を生かす機会さえ自ら捨てることになるのは明白であった。
もし妹がこの場にいてくれたなら、したり顔の私を関心して持ち上げてくれたのだろうか。
掘削器が、私が元々立っていた大地を虚しく抉る。如何なる能力によるものか、金槌が打ち付けられたように陥没した大地も又、見る見るうちにズブズブと泥土へと変じスキューレの座する沼の一部と化した。
「キャリバー!」
鋭いナナムゥの指示が飛んだ時には、既に私も次の動作に移っていた。幼主の指差す標的に向けて、心の内の声なき声が魔晶の名称を高らかに告げる。
“――灰澱氷!”
最初にその魔晶の概略を聞いた時には、私の掌から何らかの冷気がドライアイスの煙の様に噴き出すのだろうと漠然と思い描いてはいた。しかしいざ実際に魔晶を発動させた私の掌から勢いよく射出されたのは、霧などではなく実体を備えた白く濁った塊であった。
それが池に石を投げ込むが如く、振り下ろされた掘削器が依然としての潜ったままの泥水の中に着弾する。
ナナムゥの――そしておそらくガッハシュートも――目論見自体は口頭で指示されずとも理解できているつもりだった。泥水をスキューレの“管”ごと凍てつかせて逃走を封じる。加えてあくまで机上の空論ではあるが、或いは土を泥水に変えるスキューレの特殊能力自体が、氷相手だと無力化できるのではあるまいかという期待もあった。
流石にそこまでは都合が良すぎると自分を律しはしていたものの、私の予想は初手から覆されることとなった。灰澱氷は着弾点を中心に円が広がるように水面を凍結させていくのだろうという私の予測はまったくの誤りであった。実際は、着弾点から塩か何かを含んでいるかの様な荒い水柱が上がり、その噴水がたちどころに固形化することで掘削器とそれを繋ぐ“管”諸共にその場に押さえ込むかのように凍結した。
「どうじゃ!」
ナナムゥが得意げに胸を張る。彼女が自ら放った喝采は、見事に策に嵌ったスキューレに向けられたものか、或いは横で無言のまま涼しい貌で見守っているガッハシュートに向けられたものなのか。
何れにせよトラバサミに片足を挟まれた獣よろしく、スキューレ本体から直に伸びる“管”の一本をこの場に縫い付けることに成功したことは事実である。
突如としてくぐもった音が氷柱に絡み取られた掘削器から上がる。凍結した泥水を破砕しようとしているのは明らかであったが、しかしいくら氷の柱を再度泥水へと戻したところで、その端からまた凍結していく為にスキューレにとって状況が好転することはない。
それが魔晶弾倉の“力”であり、同時に自分には過ぎた“力”であることも痛感する。
与えられた“力”であると。
それだけは決して失念してはならないと、自分で自分を戒める。
流石に永続などということもあるまいが、魔晶の持続時間がどれ程のものであるかは発動させた当人である私にも判らない。
そもそも魔晶の取り扱い自体が、私に直接委ねられている訳では無い。標準装備として“装填”されている空砲である炸裂岩を除き、全ての魔晶はナナムゥの腰のポシェットの中に収められている。そして管理のみならずそれをどう使うかもナナムゥに一任されている。
それが一番良かろうというのがコルテラーナやバロウル、そして所長の一致した見解であり、私自身にも異存は無かった。
『思考停止』『責任逃れ』と云う汚名を敢えて否定はしないが、ナナムゥに任せるのが最良であろうという私の気持ちに偽りは無い。
完全に無視しているように見えながらも、その実チロリと片目でガッハシュートの方を盗み見るナナムゥ。その仕草には本来の幼女としての年相応の姿が垣間見えて微笑ましい。
始めてフッと笑ったガハッシュートも同じ気持ちなのだろうと、わたしはその時はそう思ってた。
「――満点はやれないな」
ナナムゥの方を、ガッハシュートは見てもいなかった。ただ涼やかな声だけが、その微笑を湛えた唇の端から漏れたのみである。
一瞬キョトンとしたナナムゥが、それがガッハシュートによる採点であることを理解した時に、正に一度に様々なことが重なった。
彼女の眉間に深い皺が刻まれる暇すら無いままに。
“――震空鋼!”
“――震空鋼!”
無機質な低音の機械音声が、ガッハシュートの両の脚から鳴り響く。その魔晶の効力を、私もナナムゥも知っていた。
震空鋼により空中で固定させた大気の“壁”を両脚で蹴り上がりながら、ガッハシュートが凄まじい勢いでスキューレ本体に向けて翔け寄って行く。
私達がそれを目で追う暇もなく、今度はすぐ間近でガコンという初めて聞く大きな異音が鳴り響いた。
「ぬかった!」
ナナムゥが心底悔しそうに、小さな拳を固く握り震わせる。
“魔獣”ならぬ“機械獣”の真骨頂とでも言うべきか、スキューレの下半身と末端の掘削器を繋いでいる“管”の、その途中に幾つか存在する接続部のリングが弾け飛んだ。
要はトカゲの尻尾切りである。凍結された掘削器の部分だけをその場に残し、自由となった“管”がズゾゾと泥沼の中に退く。そればかりでなくそれまで蛸足のように蠢いていた残る掘削器が一斉に水中にその頭を潜らせた。
逃走を試みようとしているのだということは、流石に私ですら判った。
「させるか!」
ライブで暴れるギタリストのようにカカトが電楽器を振りかぶってスキューレへと跳ぶ。だがそれよりも尚速くガッハシュートが、宙で身を翻しながら両腕をスキューレ足下の泥の水面へと向けた。
距離が近ければ灰澱氷と云う機械音声も聞けたのであろうか、ガッハシュートの白銀の手甲から私の時と同じ濁った白い氷塊が射出されたのが視えた。
だが、私と共通しているのは魔晶弾倉を発動させるその動作だけであった。着弾点から水柱が上がりはしたものの、そこを中心に凍結の始まる規模も勢いも、私が発動させた灰澱氷とは比べものにならない程に強力なものであった。
私の時の様に、“管”の接続部から不要部分を排除して逃れる事自体がまず不可能である。ガッハシュートの灰澱氷によって立ち昇った水柱は、スキューレの下半身そのものを巻き込むまでに巨大な氷柱と化していた。
カカトがその氷柱の出現を前に怯んだのも無理はない。その隙を逃さずガッハシュートは氷柱そのものを足場として蹴り上がり、そのままスキューレの人型の上半身の背後に取り付いた。
そこで新たな魔晶弾倉が発動したのかどうかまでは分からない。少なくとも、ガッハシュートがスキューレのうなじにおもむろに手を伸ばし触れたのは事実である。
ナナムゥの歯噛みする声がすぐ横で聴こえた。不意に横合いから現れたガッハシュートがそのままスキューレの首を獲るのではないか、そう彼女は危惧したのであろう。
スキューレを討ち果たすという目的上、むしろその方が望ましいと、少なくとも私はそう思っていた。面子や意地、その他諸々の積み重ねによりナナムゥにとってそれは譲れない重大事であるということを、私は認識できていなかったということになる。
幼主だけでなく、カカトにとっても。
一瞬の内に、そこにどのような攻防があったのかは定かではない。例えタイミング良く視界に遅延をかけていたとしても、何が起こったのかを私が認識できたとは到底思えない。
端的に言えば、飛びかかってきたカカトを軽くいなし、ガッハシュートはそのまま後ろに退いた。双方ともに空拳で虚空をただ一振り薙いだ事だけは視認できたが、そこに何が起こったのか、私にはついぞ判別できなかった。
スキューレに触れた他は特に何をするということもなく、カカトを凌いだガッハシュートが元来た私達の方へと翔け戻って来るのが見えた。スキューレの挙動にも然したる変化が見受けられない以上、本当に何もしていないようであった。
カカトがスキューレか或いは氷柱の何処かに“糸”を巻き付け、振り子のように沼の内の元の石柱の位置まで戻ったのも、ガッハシュートによる干渉の影響が皆無であることを見届けたからであろう。
少なくともカカトはガッハシュートをそれ以上追うことはせず、始めから何事もなかったかのように電楽器を構え直し再び氷柱に捕えられたスキューレへと相対した。
その割り切りの見事さに私は称賛を惜しまない。真の敵を見定めたカカトもそうであるし、何よりもナナムゥに対してもそうである。
あれほど不快の念を面に表していたにも関わらず、再び私達の目の前に着地したガッハシュートに対し、ナナムゥは私への指示を含め際立った反応を起こすことはなかった。
その代り、ナナムゥはただこれだけを訊いた。顔に反しその声色だけは、依然として不機嫌なままではあったが。
「……どういうつもりじゃ?」
カカトに無駄にちょっかいをかけたことか、スキューレに触れただけで止めを刺さなかったことか、或いはその両方か。
「俺の要件は済んだ」
相変わらず涼しい声で思わせ振りに答えるガッハシュート。
「後はどうするのかはお前達が決めることだ」
ガッハシュートはフッと笑うと、前振りもなくいきなり跳んだ。私達の頭上を飛び越え、背後の木々の内に着地する。
彼が今しがたまで立っていた位置に、カカカッという小気味良い音と共に3本の苦無が順に斜めに突き立つ。
シノバイド――所長達に予め聞かされていた事もあり、私は最初それが長であるモガミによるものだと思った。カカトが時間を稼いだ甲斐もあり、ようやく援軍として到着したのだと。
だが違った。コルテラーナを残してきた方角からこちらに駆けて来る人影が3つ。それが苦無を投擲した者であることは明らかであった。夜間でかつ覆面をしていることもあり個々の判別まで私につく筈もないが、それでも昼間に見かけたモガミ配下である使用人達であることは察しがついた。
もし、この閉じた世界有数の使い手であるというモガミ本人が駆け付けていたのなら、或いはガッハシュートもこう易々と退却できずに、魔晶の“力”を必要としたのだろうか。
「待て!」
木々の奥に去り行くガッハシュートに対して、ナナムゥが始めて声を張り上げる。白目の少ない碧眼が、零れんばかりに大きく見開かれる。
「お主、何を確かめておった!?」
それが、スキューレのうなじにわざわざ直に触れただけという、一見まったくの無駄に思える行為に対しての問い掛けだということに、私もすぐに気が付いた。
「――」
答えるべきガッハシュートの姿は既に無い。いつものように風に漂い流れて来る軽妙な独白めいた台詞すらも残されてはいない。
「……まあよい」
私達を一顧だにせずにそのままガッハシュートの後を追って林の中に消える使用人達。その姿を横目に見送りながらナナムゥは一人呟いた。
「わらわ達を放置したということは、今のシノバイドは単なる先触れ――」
ナナムゥが別の方角に視線を向ける。釣られるように私の単眼も。
遥か左手、コルテラーナを残してきた場所よりも更に先、揚陸艇を繋いだ居留地の方角を。
「キャリバー、本命のお出ましじゃ」
まるでナナムゥのその言葉を待っていたかの如く、私の脳裏で声なき声が高らかにその到来を告げていた。
“――改四型機兵接近中!”




