喜貌(15)
『昔の様に』――ナナムゥとコルテラーナの間に交わされた沈黙にどれだけの想いが込められていたのか、新参者の私には分からない。だがそれはそれとして、二人の会話を聞いてようやく思い出した事があった。
最初に何処かに飛び去ったナイトゥナイ。彼女は助っ人としてそのモガミを呼びに走ったのではなかったか。
もし、私のその推測が的中していたのだとしても、ナイトゥナイがこの闘いの場に間に合う事は無いように思えた。カカトがスキューレの本体――人の姿を模したくすんだ黄金色の上半身に一気に肉薄した為である。
一連の動作としてはしごく単純なものであったと言える。“音”の反動を利用しカカトがスキューレを見下ろす高さまで舞い上がったところで、後はスキューレ自身の手近な部位に“糸”を直接捲き付け、アンカーとしてターザンばりに空中移動を遂げたのである。
実際にやってみろと言われて可能とする者は少ないだろうと云うのは置くとして、その接敵手段自体には物珍しい要素は無い。問題は、そこから後であった。
(――何だ!?)
私には、スキューレとの接触を果たしたカカトが何をしようとしているのか、咄嗟には理解できなかった。
拡大した私の視界の内で、額と額を突き合わせる程までに間近に――と云っても、スキューレの人型の上半身の部分だけで、カカトの身長を優に超えるだけの体格差があるのだが――接敵したカカトが、何かを語りかけていることまでは分かった。だが何を喋っているのかまでは、流石に機兵の耳でも聴き取る事の出来ない距離であった。
それでも真摯な、決して小細工を弄した行為ではない――それを卑怯だと断定できる程に私は優れた人間ではないが――ことだけは分かった。私にとってカカトとは出会ってまだ一日と経っていない間柄にも関わらず。
「今度は流石に無理じゃろう……」
私の肩の上で同じ様にカカトを注視していたナナムゥが、渋い顔で呟く。
「アレに“心”が有るようには到底思えん」
「まぁ、無理でしょうね」
当然の様に頷くコルテラーナの様子からも、カカトに対するこのやり取りが恒常的に繰り返されているのであろうことを私は知った。そして当のカカトが何をしようとしているのかも。
説得を試みているのだ、スキューレに。魂を持たぬ建設機械の成れの果てに。
石の躰の機兵に魂魄を移した存在である私には、スキューレを哀れと嗤うことなど出来はしない。カカトの行為を“説得”ではなく“懐柔”ではないのかと腐して良い謂れもない。
それでも私はカカトの厚意に異を唱える他なかった。あまりにも無謀に過ぎると。
或いは所長ならば――狂った建設機械にわざわざ『スキューレ』という名を与えた所長ならば、目的を持って暴走している以上、そこには既に“魂”が宿っているとでも言うのだろうか。
歯痒さに囚われる私の単眼にも、スキューレが激しく巨体を揺すったのが視えた。これが機械の躰では無く血肉を備えた本物の“魔獣”であったのならば、同時に闇夜を貫く咆哮を上げていたのではないかと思う。
「――!」
カカトはスキューレ本体から後方に大きく身を翻すと、泥沼の中に小舟の様に浮かんでいる横倒しの石の柱の上に着地した。彼の躰を受け止めてグラリともしなかったところを見るに、水面下で何らかの土台の上にでもあるのか、足場としてしばらくは保ちそうではあった。
「――ヴ!?」
カカト自身もそう判断したのか、私の躰に幾重にも巻き付いていた“糸”が、塵芥のように四散し消失する。それは彼の不退転の決意の表明であったのかどうか、改めてギターを抱えスローテンポの耳慣れぬ曲を奏で始めたその姿からは如何とも判別できなかった。
「寄るぞ、キャリバー!」
今までにない真摯な面持ちで、ナナムゥが私に指示を出す。耳打ちではなくコルテラーナにも聞こえるような大声であったのは、秘して物事を進めない彼女の善性だと思いたい。
「カカトが勝負をかけるぞ!」
「ならば、尚更ここで大人しく見届けるべきではないの?」
当然の如く、コルテラーナが小首を傾げてナナムゥに自重を促す。私がナナムゥの指示ですぐに駆け出すこともなく一旦この場に留まったのも、それと同じ理由であった。カカトに手を出さぬようにあらかじめ釘を刺されている以上、それを覆すだけの理由付けが必要ではある。けじめとして。
「さっきも言ったじゃろう、わらわは兎も角、キャリバーに関しては別に止められてもおらん」
いけしゃあしゃあと同じ主張を繰り返しているにも関わらず、ナナムゥの貌には先程の悪戯っ子めいた黒い笑みは既に微塵も浮かんではいない。むしろ生真面目な顔で凛と応える幼主の佇まいは勇ましく、決して背伸びでは無い真の大人びた雰囲気すら感じさせた。
「このままじゃと、またあの“魔獣”が地の奥底に逃げ帰る。わらわ達が足止めして、ここで決着を付けねば面倒じゃ」
“魔獣”が地の奥底に逃げ帰る――要はスキューレの敗退をナナムゥが断じているのであるが、そこにはカカトに対する強い信頼を感じさせた。事実、一堂に会した昼間の席でも事ここに至るまで何故とどめを刺させなかったのかと、ナナムゥがカカトに執拗に食い下がっていたことを今更ながらに私は思い出していた。
カカトの弁明では、あと一歩と云うところで泥土と化した地の底深くに逃走されて取り逃がすという事態を繰り返したという話ではあった。もっともそれを実際に抗弁したのはカカトではなく半ば逆キレ気味のナイトゥナイであり、カカトはむしろそれを宥める側であったのだが。
「何か策はあるの?」
コルテラーナの問い返しは、短いものであった。或いは彼女も昼間のナナムゥとカカト達のやり取りを思い出していたのかもしれない。彼女の足元の三型機兵が、まるで囃し立てるかのように単眼を赤く点滅させていた。
今ならば私にも判る。幼主が何故あそこまで執拗にカカトの口を割らせようとしたのか。それはカカトを不甲斐ないと詰る為ではなかった。
全てはスキューレに関する情報を得る為、そしてカカトに助力する為の案を練る為であったのだ。
ふふんと鼻を鳴らし、ナナムゥが腕を組んでおもむろに口を開く。幼女の甲高い声に、まったく同じタイミングで艶のある青年の声が重なった。
――ある、と。
「なんじゃっ!?」
一番虚を突かれたのはナナムゥ自身であっただろう。私の肩の上で弾かれたように躰ごと、ナナムゥは新たな声の主の方へと振り返った。コルテラーナの更に後ろ、廃墟に近い石壁の上に。
「ガッハシュート……!」
ギリリというナナムゥの歯噛みする音が、本当に音として聴こえて来るのではあるまいか。子供じみた話ではあるがそう私が錯覚するまでの渋面を、我が幼主は隠そうともしなかった。
ヴァラムの使用人達があちこちに据え付けておいたランタンの光源の中、石壁の上に立つガッハシュートの白い装いが夜の暗がりを背に幻想的なまでに浮かび上がっていた。
本来ならば闖入者に対してコルテラーナを庇うべく急いで前に進むべき私がそうしなかったのには理由が有る。
馴れ合いという訳でもないが、ガッハシュートに対する警戒心をなあなあの内に失くした訳では決してない。当のコルテラーナ自身が顔色一つ変えることなく、鷹揚にその場に構えていた為である。
「毎度毎度わらわの行く手に現れおって……!」
ギロリと睨むナナムゥの憤怒の形相をまったく意に介さぬ体で、石壁の上より軽やかに跳んで地に降り立ったガッハシュートは、そのまま私達の方へと歩を進めて来た。
当然、その途中で佇んだままのコルテラーナの脇をすれ違う形となる。けれどわたしの何とはなしの予感に反し、ガッハシュートとコルテラーナの間には何も起こらなかった。アイコンタクトの一つすら。
両者の関係を邪推していた訳でもないが、それでも何の想像を差し込む余地も無いままに、スィとガッハシュートが無言のまま過ぎるだけの結果に終わったのである。
そればかりではない。何よりも、一つ大きな誤解があったことを私は知った。流石にナナムゥに対しては何らかの軽口でも叩いてちょっかいをかけてくるのかと思いきや、そんな身構える私達主従ですら、ガッハシュートは華麗にスルーしたのである。
彼の向かう先はただ一つ、カカトとスキューレの対峙する泥沼の淵であろう。
「――キャリバー!!」
もし予想通りガッハシュートにからかいの言葉の一つでもかけられていたならば、ナナムゥは貌を真っ赤に染め上げて憤慨していたことだろう。しかし――言葉は悪いが――歯牙にも掛けられていない扱いを受けた今の幼主の怒りは、おそらくはそれを凌駕していた。面子と、矜持と、或いは一抹の寂しさか。それをおかしな話だとは私は思わない。
「追うぞ!」
再び馬に跨るように、ナナムゥが私の肩口から頭の上に跳ねるように移動した。普段は聡明な幼主がどれだけ怒りに我を忘れていたのかは、背後に残したコルテラーナの存在すら失念していることでも明らかであった。
ギッと単眼だけを向けた私に対し、コルテラーナはただコクリと頷いた。彼女を単身この場に残していくことに、未練と云うか後ろめたさを私が感じていたのは当然だと思う。
だが、その時私は初めて気付いた。三型機兵が、ヴァラムの残したバスケットを確保している元からの一台に加え、コルテラーナの背後の下生えより新たな三型が彼女を守護するかのように次々と姿を現した事を。
「ヴ!」
三型ならば私などよりも、護衛としてはよほど頼りになるだろう。謙遜などではなく心底安堵しながら、私はナナムゥを乗せてその場を後に駆け出した。
そこまで短慮ではあるまいが、私の頭の上で地団太を踏んでいるナナムゥが動かぬ私に痺れを切らし、単身ガッハシュートを追うような事態を懸念していたというのも有る。
ガッハシュートに追い縋りながらも私はチラリと遥か左前方、泥沼の中に浮かぶ柱の上に立つカカトの姿を改めて盗み見た。
双方が再び距離を取った事もあり、スキューレの掘削器による僅かながらの攻防はいまだに続いているようではあった。迫り来る掘削器の上に先んじてカカトが飛び乗り、そして振り払われて再び足場である石の柱の上に着地する。逆に言うと攻防と呼べる程のものでもない、ただそれだけの動作の繰り返しである。
依然としてスローテンポの歌謡曲じみた演奏を続けながら――それが実際に所長やモガミの元居た時代の流行歌であることを私は後に聞いた――カカトの方からはスキューレに特に何かを仕掛ける様子も無い。
おそらくは下手に仕掛けて地の底に逃亡される事態を懸念しているのだろうと云うことだけは分かった。ナイトゥナイの話ではこれまでもまさにそのパターンで取り逃がしていたということである。
であるならば『説得』にも失敗した以上、それを打破する為の鍵となる者の到来を待ち受けているのであろう。
誰を?
無論自ら釘を刺したナナムゥや、予期せぬ闖入者であるガッハシュートではあるまい。ましてや試製六型機兵などではある筈もない。
本来の相棒であるナイ=トゥ=ナイと、そしておそらくは因縁もあるという救い主であるモガミ・ケイジ・カルコースを、カカトは待っているとしか思えなかった。
だがそこに助っ人として介入する余地があると、ナナムゥは胸を張って言っていた。ガッハシュートも口を揃えて。
(やはり電撃か……?)
わざわざ私を引き連れて来たところを見ても、ナナムゥの描いた策が魔晶弾倉によるものであろうことは察しが付く。だがその具体的な内容となると、私には泥水に電流を流すくらいしか咄嗟には思いつかない。粘度の高いこの底なし沼めいた水質でそれがどこまで有効なのかまでは分からないが。
普段の私なら、『考えろ』と必死に己自身を鼓舞していたことだろう。しかし今そこまで必死の思いに駆られないのは、周囲を見るだけでカカトにナナムゥ、そしてガッハシュートと自分より優れている者が揃っていることに甘えてしまっているからだろう。
無駄に出しゃばらないというと聞こえはいいが、この油断と悪癖の報いがいつか己の身に返って来る日も来るのだろう。
私が追い付いた時には、ガッハシュートはスキューレの間近の沼の縁に立っていた。私達の到着を待っていたことは明らかであるし、頭上と云う位置的に視認こそ出来ないものの、そのおかげでナナムゥの機嫌が一層悪くなっていることだけは鼻息からも判った。この石の肌をも貫くようなピリピリとした痛みすら感じた気もするが、流石にそれは幻痛の類であろう。
「手出し無用じゃ!」
甲高い大きな声で、いきなりナナムゥがガッハシュートを牽制する。スキューレに気付かれる危険性をナナムゥが迂闊にも見落としたとも思えないが、頭に血の昇った今の状態だと断言はできない。少なくともナナムゥの大声がカカトのみならずスキューレにも届いたことだけは確かであった。
「ヴ!?」
焦りのあまり再び視覚の望遠に加え遅延まで加えてしまった為、私の視界は却って定かではなくなってしまった。俗に云う近視眼的なものである。しかしそれでも右往左往してしまう視界の端で、カカトの唇が苦笑を形作ったように私には視えた。
「キャリバー、炸裂岩じゃ!」




