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喜貌(14)

 これが部外者として暢気に観戦するだけで良ければ、よくRPGであるような多頭蛇(ハイドラ)大蛸(クラーケン)のゲームグラフィックそのままだと喝采するだけで済んだのだろう。座したスキューレの人型の上半身がゆらゆらと中空に揺れ、泥水の中の“管”が触手じみて蠢く様はまさにゲームの中ボス然としていた。

 しかし――

 (どうするつもりだ!?)

 私の内心の動揺は、一見すると余裕綽々に見えるカカトに対して向けられたものであった。何の心得も無い私でも――幼少期のほんの短い間だけ空手を習いはしたものの――戦う際に今の足元が覚束ない状態が非常にまずいことくらいは知っている。

 ナナムゥがそうしたように、本来ならば周囲に“糸”を張り巡らしその上を文字通り蜘蛛の様に移動することで対応出来たのであろう。そうであれば足元が泥沼へと変わった今の状況でも充分に渡り合うことが可能である。

 だが今はその“糸”を張るべき支えが無い。手近な樹木も石壁も全ては泥の中に沈み、カカト自身が立っている石柱ですら今はゆっくりと傾き始めたのが目に見えて明らかな程である。

 「出番のようじゃな」

 私と同じ点に着目していたのであろうか、それまで私の頭部に跨がっていたナナムゥが肩の上に降り立ち、ニタリと不敵な笑みを浮かべる。

 「大人しくしてなさい」

 幼女に似つかわしくない含みのある黒い笑みに、コルテラーナが心配げに声をかける。

 「カカトからも自重するように言われていたでしょう?」

 「わらわについてはな」

 腰のポシェットをポンと一つ叩きながら、ナナムゥが白眼の少ない宝石のような緑色の瞳を煌めかせる。

 「じゃが、キャリバーに関しては特にどうこう言われてはおらぬ」

 「ヴ!?」

 嫌な予感があっという間に具体的な形を取り始めた事に、私はギョッとして顔全体ごと肩口のナナムゥへと振り向こうとした。

 刹那、派手な水音が前方で上がる。スキューレの掘削器(シールド)の一つがハンマーのようにカカトの立つ柱に振り下ろされ、濁った大きな水柱を上げながら泥水に突っ込んだ音であった。

 「ヴ!?」

 咄嗟に前方に粒体装甲を展開した私の判断は正しかったのか否か。少なくとも降り注ぐ泥水をコルテラーナやナナムゥが頭から被るような惨事だけは避けられた。

 透明のビニールシートを張り巡らせたように、大粒の泥水の滴が私の前面で全て弾き飛ばされる。ボタボタという傘で雨水を弾く時の音が生じないことに一抹の奇妙な寂しさを感じつつも、私はすぐに紅く輝く粒体装甲を収束し停止した。

 期せずして有事における粒体装甲の稼働テストの形となってしまった訳だが、だからといって――後にして思うと『だからこそ』とはならなかったのが、私がズブの素人である所以なのだろう――いつまでも無駄に装甲を展開したままで稼働可能時間を消費していいとは思えなかった為である。

 そして、殴打され完全に傾いだ足場の柱を蹴って、カカトはギターを首からぶら下げたまま華麗に宙を舞っていた。これまでと同じノリで景気の良い旋律の一節でも奏でるのかと思いきや、カカトはいまだ離れた位置にあるスキューレの人型の上半身に対し右腕を突き出した。

 その分かりやすい体勢から、カカトが“糸”を射出したのであろうことはすぐに判った。おそらくは、己の足場とする為に不敵にもスキューレ自体を“糸”の支点としたのである。

 (だが――)

 いくら文系の私でもそれくらいは分かる。“糸”を空中にピンと張る為には、始点と終点の二ヶ所の支えが必要であることを。

 「しもうた!」

 ナナムゥが歯噛みしたその意味を、私は咄嗟には理解できなかった。この時、私の脳裏の声なき声が警告の声を一切あげなかったのは、カカトが味方であるせいか、或いは“糸”そのものになんら殺傷能力が無かった為か。

 何れにせよ、気付いた時はカカトの手から放たれた半透明のワイヤー状の“糸”が、私の躰に十重二十重に巻き付いていた。

 「動くな、キャリバー!」

 小さな唇を尖らせ眉間に大きな皺を寄せながらも、間髪入れずに的確な指示を出せたのは流石ナナムゥというべきか。

 「お主も“糸”の支えじゃ!」

 「ヴ!」

 あまりにも突然であったが故に動揺はしたものの、ナナムゥの言っている意味自体はすぐに理解できた。確かに重量が有り、大地の泥土化を避けてゆっくりと移動することもできる試製六型(わたし)は、“糸”の支点としては申し分ない存在なのだろう。

 逆に言えばナナムゥの主導による積極的な闘いへの介入を封じられたということでもあるが、果たしてカカトがそこまで見越して私を“糸”で文字通り縛ったのかどうか、それを訊く機会はついぞ訪れることはなかった。

 トスと、張った“糸”の上にカカトが着地する。夜間で、かつ“糸”も太いとは云え半透明な事もあり、傍から一瞥しただけでは摩訶不思議にも自力で宙に浮かんでいるようにしか見えなかった。

 燐光を纏った青いマフラーと、星明りを反射するメタルブルーのエレキギターが、それぞれ色合いの異なった煌めきを放つ。

 (まずい……!)

 だが今の私はその幻想的な光景に目を奪われるような余裕など無かった。

 慌てて周囲を見回し、まだ沼に呑まれていない石壁や柱がそれなりに点在していることを確認し僅かに安堵する。

 流石に私とスキューレの二点間だけに足場としての“糸”を張った訳では無いと思いたい。さもないとこれから始まるカカトの大立ち回りに対する“足場”としての私の負担と責任が大き過ぎる。

 男として情けない事は自分でも分かる。しかし、カカトの足を引っ張ってしまう結果となることが目に見えているということが、私にとって何よりの負荷であった。

 再度振り上げられたスキューレの別の掘削器が、足場の“糸”に接触したのかその動きを不自然に止める。バトル物の漫画やアニメなどで良くある気の利いた“糸”ならば、そこから接触面をスッパリ両断するところまでがお約束の演出である。だが、カカトの“糸”はそこまでの特殊能力を備えてはいないようであった。惜しむらくは。

 カカトの“糸”が足場としての役割でしかないことを改めて示すかの如く、掘削器の打撃の荷重を受けたのであろう彼方の石壁が、過負荷によって崩れるのが視えた。

 『次はお前がそうなる番だ』――という訳でもあるまいが、私にとってはいつ荷重がかかるのかも定かでは無い死活問題である事には違いない。いざとなればナナムゥを何とか肩から放り投げ、変に踏んばったりせずに素直に泥沼の中に身を投じて凌ぐだけの話ではあるが。

 (お笑い芸人か……!)

 胸中で俗に言うノリツッコミで毒づくのが自分の不安の裏返しであることは自覚している。私はそこまで強くはない。

 だが、全ては杞憂に終わりそうであった。私にとっては。

 実際、いくら間近に妥当な支点が無かったとは云え、こんな遠距離感で“糸”を張っても苦し紛れでしかないのは分かっていた――余裕がある時であったならば、私はしたり顔でそう含み笑いと共に頷いていただろう。しかし今の私にとって、足場である“糸”を蹴りスキューレ本体に向かって宙を翔けるカカトの姿は理解不能であり衝撃的ですらあった。

 焦り過ぎだと私は愕然とした。スキューレとの間に別の“糸”が予め張ってあれば良し。さもなくば――

 「相変わらず巧いの」

 「ヴ?」

 自分とはまったく正反対のナナムゥの感嘆に、私は一瞬己が耳を疑った。とは云え、幼主の言葉に改めて凝視してみると、確かにスキューレの胸元に自ら飛び込むことは戦法としては理に適っていることはすぐに飲み込めた。

 カカトよりは遥かに巨体で、かつ手脚の代わりを果たす掘削器(シールド)を先端に備えた“管”は触手めいて長大である。それ故に一気に胸元に飛び込んで来た相手に対しては、逆に自らの動きを阻害する要因でしかない。

 一寸法師の逸話から連綿と続く、それはある意味王道の戦法であろう。私は己の不明を恥じた。

 だがスキューレにとってもまた、そのカカトの動きは想定内であったのか。

 或いはここに来るまでカカト達の“旗”を追って来たという言葉を額面通りに受け取るならば、その過程で今と同じような状況をこれまで幾度か経験済みであったのか。何れにせよ、スキューレの動きに惑いは無かった。

 夜気を震わす重低音が周囲に響く。それもどこか一箇所からでは無く、明らかに複数の箇所から。

 流石に私達の足元をぐらつかせる程の振動ではなかったが、私にとってそのくぐもった音はどこか聞き覚えのある懐かしさすら感じさせるものであった。

 だが、私がその音の正体に思い至るよりも遙かに早く、スキューレはその音の効力を最大限に発揮させた。

 「なんじゃ!?」

 ナナムゥと、そしてコルテラーナまでもが息を呑む声が聴こえた。

 (――そうかっ!)

 周囲を威圧するくぐもった音がジューサーミキサーのそれに似ているのだとようやく私が気付いた時には、既に泥水の中に浸っていた掘削器が一斉に撹拌を始めていた。それはむしろ泡だて器とでも認識すべきであったのか、たちまちの内に泥水が分厚い障壁と化してカカトとスキューレの間に噴出した。

 触れた物を切断するウォーターカッターというものを聞いたことがあるが、さすがにカーテン状の水の幕はそこまで高圧縮には見えなかった。しかしその濁った水の防壁は確実にカカトの飛翔の勢いを削ぎ、そして巧妙にもスキューレの本体もカカトから距離を取るべく後方に蠢き退いた。

 そのスキューレの退く動き自体は至極当然の選択である。

 だがそれすらも陽動であったのか。次の瞬間にカカトに対して正拳のように突き出された掘削器がどこから湧いて出たものなのか――濁った泥水のカーテン越しか、或いは足下の泥沼の中からか、それすらも濃霧の様に立ち込める泥しぶきに遮られ、離れた位置から観戦していた私達ですら定かに判別できるものではなかった。

 刹那。全ては刹那の出来事である。

 一際甲高いカカトのエレキギターの音が鳴り響き、吸引を試みジャリジャリと回転する掘削器がアッパーカットのように夜空に突き上げられる。その円筒の掘削器の縁スレスレを掠めるように、青い光の尾を曳きながら背後に飛び退るカカトの姿が影絵のように夜空に浮かび上がった。

 燐光を放つその青いマフラーの存在が無ければ、私は咄嗟にはその交錯する攻防を視認できなかっただろう。何はともあれ、その光景を見た私の頭にまず浮かんだ場違いなイメージは、陽気に波に乗るサーファーと、それを餌食にしようと大咢を拡げ海面を割って飛びかかる巨大鮫であった。恥ずかしながら、要はB級鮫映画の世界である。

 ポスターじみた絵面のあまりの見事さに、私はカカトが有り得ない制動を駆使している事を見事に看過してしまっていた。

 足場の“糸”の上に立つ、或いはその“糸”を蹴って飛ぶ――そのような予備動作を一切無しに、カカトは器用に空中を舞っていた。

 同じように空を翔けた人物を私は知っている。知っているどころか、実際に対峙し拳を交した――躱された――相手こそ、白銀の意匠に身を固めたガッハシュートである。

 しかしそのガッハシュートでさえ、魔晶弾倉である震空鋼(オリハルコ)によって空中に設置した不可視の“壁”を蹴って跳躍していたに過ぎない。全てはバロウルからの受け売りではあるが。

 それは兎も角、今のカカトのように足場も無く背面に跳ぶなど有り得ない。自分が理系で無い事が悔やまれるが、まず間違いなく物理的にも不可能である筈である。

 幸いにも、私の疑問にはすぐに回答が出た。それこそ有り得ない解法が。


 「――いやっふぅっ!」


 別の新たな掘削器が横薙ぎに殴りつけて来るのに対し、カカトが奇声じみた掛け声を上げながら、手にしたエレキギターを高らかに掻き鳴らす。

 その掘削器に手向けられた演奏そのものが推力であるかのように、再びカカトの躰が上空に勢い良く高く舞い上がる。

 いまだ周囲を漂う濁った霧を突き破り、昇る龍の様に青い光の尾を曳いて。

 「どうじゃ、見事なもんじゃろう!」

 パンパンと私の石の頬を叩きながらナナムゥが我がことのようにはしゃぐ。

 「あの電楽器(エレキ)そのものが“旗”でな、演奏した“音”をぶつけることができるのじゃ。巧く当てれば、あんな風に空を舞う事すら可能なのじゃ!」

 そうは(そがん)ならないだろう(ならんやろ)――もし私に口が有ったならば、間抜け面のまま方言丸出しで唖然としていたのだろうとは思う。

 だが如何に私の理解の範疇を超えているとは云え、実際にカカトが空中で軌道を変えながらエレキギターを奏で、そして滞空しているのは事実である。スライドめいたその空中制御は、宇宙飛行士がスラスターを用いて移動している様を私に連想させた。

 「相変わらず、見事なものね……」

 背に護ったコルテラーナの呟く声は、珍しく感傷の色に溢れているようにも聴こえた。実際に、彼女が昔の事を思い出していたのであろうことは、次の言葉からも明らかであった。

 「シノバイドの修行、とても頑張っていたものね」

 「そうじゃな……」

 それまではしゃぐ一方であったナナムゥも、釣られた訳ではあるまいが急にしんみりとした声で答えた。

 「今度の事をきっかけに、カカトも所長も昔の様にモガミと丸く収まると良いのじゃがな……」

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