喜貌(13)
「来るぞ!」
カカトの声と、我々の直近で地鳴りが生じたのが殆ど同時であった。地面がグラリと波打ち、前方の石畳が崩れ地に沈み込むのが視えた。
泥土からなる即席の沼の中から出現する、先端に円筒を備えた幾本もの太い“管”。それがうねうねとゆっくりのたうつ様は、私に触手を連想させた。
ギリシャ神話の多頭蛇を思わせる禍々しいシルエット。その中央では、最初の遭遇では私が視認できなかった部位が夜気の中にその身を起こしていた。
“人”の上半身を模した、くすんだ黄金色の中央部。それは、それぞれの“管”の繋がった始点でもあった。泥水の中から身を起こしたその表面装甲を泥水が滴り落ち、墓地から蘇った亡者の様な陰惨な印象を私達に与えた。
“本体”に該当するのであろうその人型の上半身のサイズだけを見れば、ちょうど私と同じくらいであるのだろうか。頭頂から人で云う“腰”の部分まで3m程だと推測されるその巨体は、服を着せる前のマネキンを思わせる素っ気ない外観をしていた。
一方“腰”から下は細い鉛色の“管”が10本程伸びており、そこから間に幾つかの接続部を介して太い口径のそれへと変わっていった。終点は勿論、人間を頭から一呑みすることも可能であろう例の茶筒の様な掘削器である。
『スキューレ』――ギリシャ神話に語られる、女の上半身と幾体もの獣の頭部が生えた下半身を併せ持つ怪物。それが、カカトより姿形を聞いた所長が名付けた古き工作機械の成れの果ての名であった。
“名前の無いモノには魂が宿らない” “心あるモノには名を付けなければならない”――その信念により所長はこの閉じた世界の様々なモノに固有の名前を与えたのだという。この世界の新参者である私にとって耳慣れた単語をやけに多く感じたのは、その副次的な恩恵でもある。
「搦め手の一つでも使うて来るかと思っておったが……」
私の頭の上に跨り、頭頂に沿って伏せたままの“角”を手すり代わりに握ったナナムゥが、半ば憮然とした口調で呟く。
「何の策も無しに攻め寄せて来たの」
「ヴ」
確かに、と私も思う。
地中を往くスキューレの接近に備え、要所要所に杭を打ち立て“糸”を渡し、そこに小さな鐘を吊るすという細工を行う事は、例の一同が座した打ち合わせの席で私も聞いていた。その目論見通りスキューレの進行によって、ヴァラムの使用人達が設置したその鐘が鳴る事で我々は接近を知った訳だが、その音の進路によりスキューレがただ真っ直ぐにここを目指して来たのは明らかであった。
知恵の無い工作機械の哀しさか。そしてそれを笑う資格が私にはあるのか。少なくとも一つだけはっきりしていることは、ここまでは概ね計画通りだと云うことである。
私達の右脇から、ギャインというエレキギターの音色が一段と大きく響く。飛翔するその音色を追って単眼を巡らすと、夜の暗がりの中に燐光を放つ青いマフラーがたなびいているのがまず視えた。
「では聴け!」
泥水の沼の中、いまだ倒壊を免れた高い柱の上に、カカトは“旗”が変じたと云うエレキギターを片手に立っていた。長い指がその弦を撫で下し、闘いの始まりを告げる硬質の音色を周囲に鳴り響かせた。
「――!」
目も鼻も無い無貌でありながらも、スキューレの“目線”がカカトへと向いたことは私にも感じられた。黄金色の人型の上半身のみならず、蛇の鎌首のような茶筒型の掘削器も一つ残らず。
背にコルテラーナを庇いつつも、私はその相対する両者をただ黙って見守るより他なかった。スキューレの上半身が3mだと見積もっても、その腰から下の“管”は優にその2倍どころか3倍の長さがあるのは明らかであった。高さだけ見ると、ちょっとしたビル程度の圧である。
巨獣に挑むたった一人の勇者。星明りの下、その構図はどこか神話めいてさえいた。
いつの間にか天板の上にヴァラムが持参したバスケットを保護していた三型機兵が、コルテラーナの足元まで退避するのが視界の端に見えた。
(やはり、“旗”に惹かれているというのは間違いないのか)
泥沼の淵から更に数歩下がりながら、私は互いの出方を窺っているのか睨み合ったままの両者の姿を前に、老先生の言葉を思い出していた。
「――“守護者”?」
カカトの訝しげな問いに、老先生はこれまでと同じようなボソボソとしたくぐもった声で答えた。
「ト言ッテモ、守護サレルベキ主ハ既ニ命ヲ落トシテ久シイガ」
まるで見てきたかのように過去の話を語り始める老先生を前に、いつもはすぐに口を挟むナナムゥを含めた誰もが皆、黙ってそれに耳を傾けた。
かつて――所長やモガミ達が観測船瑞穂と共に墜ちて来た時よりも遥か以前に、同じ様に“館”と呼ばれる大規模な敷地と共にこの世界に落ちて来た者がいた。
“館”の主自体は、それが肉体的な要因か精神的な要因かまでは定かではないが、時を置かずして敢え無く死んだのだと云う。幸か不幸か、この閉じた世界にさして影響を及ぼすこともなく。
だが、“館”の“守護者”だけは残った。そしてこの密封された世界から脱出する為に活動を始めたのである。
己が主の為に。
「――ん?」
ここで何かに気付いたか、ナナムゥが目をパチクリとさせながらもっともな質問を放つ。
「いやいや、主の為もなにも、その主とやらは早々に死んでおるのじゃろう?」
「確カニ」
老先生のフードがフルフルと揺らぎ、その小柄な語り手が僅かに頷いたことが知れた。
「ダガ、主ノ“幽霊”ハ残ッタ。人ノ形ヲ残シテナ」
「あ……!」
バロウルの息を呑む声が聞こえた。
“幽霊”――この世界で恨みや無念を遺した者の成れの果てである、心持たぬ白亜の亡者。
老先生の言う様に、スキューレが依然としてその“幽霊”を主として認識していたのかどうは確かめようも無い。或いは追い詰められた人間のそれと同じく、“幽霊”を敢えて元の主のままだと誤認して己の存在理由を保っていたのかもしれない。
ただの工作機械がそのような自己欺瞞の思考に至るとは普通は有り得ないだろう。
だが、この世界の防御障壁を通過する際に人の躰が環境に適応できるよう造り替えられているのと同様に、“守護者”たる半人型のスキューレも何らかの影響を受けたの可能性も零ではあるまい。
ともあれと、長々とした仮説の後に老先生は更に続けた。
スキューレは“館”の内部に籠もり自らの躰の構成する機器を組み替え、この閉じた世界の防壁を破り解放する事を至上の命題として活動を始めた。
その手段として誰もが最初に思い付く、大地を穿ち脱出口とする方法が一番確実であろうと判断し実行に移したのである。
もっともと、フードの奥から告げる老先生の擦れ声がどこか哀愁を帯びていたように聴こえたのは単に私の錯覚か。
“彼等”の手による防御障壁は等しく球形を描くように地の底までも形成されており、スキューレの企ては掘削器と共に虚しく阻止され弾かれた……らしい。
らしいと云うのには理由が有る。老先生が“守護者”スキューレの存在そのものに気付いたのは、その時点で果たして地下のどれだけの箇所を試掘したのか、万策尽きて地表に姿を現して後のことである。
ある場所では井戸の水が涸れ、またある場所では逆に大地の陥没と共に地下水が噴き出し、その異変の原因を老先生達が探り始めた矢先の出来事であったと云う。
「ソノママ奴ガ使命ヲ断念シ主ノ墓守ニデモ徹シテイレバ、ソレガ一番良カッタノダガナ」
「ヴ……」
“墓守”と云う老先生の言葉に、私は一瞬己が事のように胸の痛みを感じた。使命を果たせなかったと云う哀れな機械人形。それが、妹を護れず、その亡骸を見出した後は墓守として朽ちていこうと――漠然と――考えていた自分の姿に重なっているように思えたからである。
「狂ウタトシカ形容ノシヨウガナイガ、“守護者”ハ再ビ“館”ニ落チ延ビ武装ヲ整エ、ソシテ今度ハ人里ヘノ侵攻ヲ開始シタ。当時ハソノ意味ヲ測リカネタガ、今ニシテ思エバ――」
意外にも、老先生の言葉を引き継いだのは、それまで沈黙を保っていた横のコルテラーナであった。
「“旗”を集め始めたのでしょう」
座がシンと静まりかえる中、それまでコルテラーナと同じ様に黙って聞いていたカカトが、得心がいったとばかりに口を開いた。
「だとすれば、俺やナイトゥナイをヤツが追って来たのにも納得がいく」
「本当に私達の“旗”目当てだったとすればね」
カカトとは異なりどこかまだ懐疑的な口調で、ナイトゥナイがボソリと呟く。
「御老人、よろしいか」
しばし場に漂う沈黙を破り口を開いたのは、それまで一人思索にふけっているかに見えたモガミであった。
「確かに商都には、この地の何処かに“魔獣”が眠っているという半ば伝説めいた言い伝えは幾つか残されています。ですが幾ら昔の事とは云え、人里を襲ったなどと云う記録はわらべ唄にすら残ってはいません」
敬語を用い滔々と述べるモガミの隣で、青白い貌のティラムがカクカクカクと玩具のように頷いて同意を示す。
「移動図書館ガ事ノ収拾ニアタッタカラナ」
老先生の答えもモガミに劣らず淀みなく、そして簡潔だった。まるでその場に居合わせたかのように。
「司書達ノ手ニヨリ“管理者”ハ機能ヲ停止シ、地ノ底深クニ沈ンダ。“館”モマタ司書達ニヨッテ解体サレ、ソコニ眠ル遺物ハ図書館ニ接収サレタト聞ク」
「また、図書館か……」
何故モガミが感情も露わに苦々しい口調でその言葉を吐いたのか、この時の私には窺い知る由も無かった。モガミが鉄面皮のように顔自体の表情は変えなかったせいもある。
だが老先生と、そしてその隣に座るコルテラーナへと向けられる彼の視線が内心剣呑としたものであることを、私は微かな不安と共に胸の内に悟っていた。
ちょうど所長とティラムとヴァラムの双子が、互いに射交す視線の様に。
「過去がどうであれ、今も野放しにできないことには変わりないだろう」
歪な雰囲気を掻き消すように、エレキギターの弦を短く爪弾きながらカカトが一同に告げる。一見、まるで単なる賑やかしの様な軽薄な態度にも見えたがそうではなかった。“旗”が変じたというそのエレキギターをこれ見よがしに掲げながら、カカトが椅子より勢い良く立ち上がる。
「旗を餌に商都からここまで苦労して引きずり出して来たんだ。俺がおとりとなるから、そろそろ引導を渡してやるべきだろう」
不敵な笑みを浮かべ、カカトが一同の顔を見渡した。その決意に特に異を挟む者も無く、シンとした静寂が再び場を支配する。やがて誰かがつい漏らした苦笑を皮切りに、スキューレを待ち構える具体的な打ち合わせが始まった。
一歩引いた位置で黙ってそれを見守るだけとなった私の耳に、ナイトゥナイのあからさまな溜息だけが届いた。
「また自分で貧乏くじをひくのか……」
かくして、カカトとそのお目付け役を自認するナイトゥナイの2人をおとりとし、敢えて“旗”の力を行使する――要はカカトがギターを奏でるという非常に判りやすい行為である――ことで、任意の場所に誘い出すという運びとなった次第である。
そして、警報代わりの杭と鐘とを薙ぎ倒し、目論見通りに誘い出された“守護者”スキューレとカカトが対峙したというのがまさに今の状況である。
「よう」
ニッとニヒルな笑みを浮かべるカカトからスキューレへとかけられた言葉は、夜気の中に凛として良く響いた。
「今宵、決着を付けるとしようか」
どこか時代劇めいたその口調に合わせるかの如く、カカトの青いマフラーが燐光と共に夜風にリズミカルに揺れる。
「思いのほかあっさりと出てきたのでな」
ナナムゥのぶすっとした呟きに、コルテラーナが宥めるように声をかける。
「最初の計画通りでしょう、ナナムゥちゃん?」
カカトより周囲の警戒という大事な役目を任されながら、ナナムゥがその腕を振るう間もなくスキューレは真正面から乗り込んで来た。理屈では分かっているが、その事に対する無念の呟きであることは私にも判った。
「ナナムゥちゃんは勇ましいのね」
そのナナムゥが私の頭の上によじ登ったままである為、声色以外に私が幼主のご機嫌をの程を知る術は無い。コルテラーナの元気付けに対し、我が幼主がどのような貌を向けているのかまでは分からない。ただ、応よというナナムゥの短い返答だけが私の耳に聴こえた。
何だかんだで私がナナムゥと共に過ごすようになって久しい。そのどこか含みのある幼女の応答が宜しくない兆候であることを、私は否が応でも悟らざるを得なかった。
とは云え、私も護衛を任された二人の女性の応酬にのみいつまでもかかずらう訳にもいかなかった。
「ヴ……!」
六旗手カカトと知る者も無い“守護者”スキューレ。男として生まれた以上、その両者によって繰り広げられる激闘に、興味が無いと言えば嘘になる。無責任な話ではあるが、興奮が抑えきれないとまで言ってもよい。
ナナムゥではないが、宜しくはない。
かといって、私自身がカカトの助勢として両者の元に駆け寄らなかったのにも理由が有る。何よりも、脚を引っ張るだけの結果となるのが目に見えているからだというのがまず一つ。そもそもあの賢しいナナムゥですら、周囲の警戒以上の事はせぬように予め釘を刺されたくらいである。
そしてそのような戦術的な理由に加え、更に物理的な障害もあった。
そもそもそれが如何なる“力”によるものなのか、かつては石畳であった地面は既に私の眼前で一面の泥沼と化していた。崩れた石畳のブロックそのものは既にその殆どが泥の中に沈み、ところどころに思い出したかのように泥水の上に角だけを覗かせているのがせいぜいであった。
(深い……!)
私の腰の辺りまでの深さしかなかった初遭遇時と異なり、眼前の泥土が半ば底無し沼と化している事を私は知った。スキューレの下半身と末端の掘削器とを連結する太い“管”が、沼に沈みのたうちながらもその一部しか姿を現していないことからもそれは明らかであった。
何とか週一更新に戻したいのですがそれもままならず、己自身に歯噛みする今日この頃です




