喜貌(11)
「な、な、な!」
ティラムが椅子を後ろに弾き飛ばす勢いで跳ね上がり、その儚げな躰のどこにそんな力があったのか、次の瞬間には丸テーブルの上に圧し掛からんばかりに身を乗り出した。
紅潮した貌の双子の片割れを傍らに、ヴァラムの方も又、所長に負けず劣らずの冷やかな言葉を返した。
「いささか言葉が過ぎるのではありませんか?」
キシリという空気が軋んだ音を私は聴いた気がした。一触即発の不穏な雰囲気の中、しかしバチンという手を打ち鳴らす派手な音が充満する勘気を打ち払った。
「そこまでに願います」
進行役のバロウルが立ち上がり、その長身でのしかかるように所長と双子とを均等に睨みつける。
「話が先に進みません」
ゴリラめいた巨女の圧力に押されたのか、所長も双子もばつの悪い貌で互いに目を逸らし押し黙った。そもそも無用な軋轢を生じさせぬよう、それぞれの護衛役であるクロも使用人もテラスの周囲から排しての会合である。ここでヘタに進行役のバロウルにまで噛み付くのは少々見苦しい行為ではある。互いに対する憤りよりも己の面子を優先させた両者の心情は、私にも良く理解できるものであった。
いささか萎縮した場の空気であったが、それをまったく意に介さぬような、あっけらかんとした声が上がったのはまさにその刻であった。
「“魔獣”という割には、なにか機械仕掛けに見えたのですけど?」
数合わせですら無い完全に部外者であるにも関わらず、これまでの会話の流れとはまったく無関係の質問を無遠慮に投げ掛けるファーラの物怖じの無さに、私は戦慄すら覚えた。小心者である私には到底真似できない行為である。
ケロリとした態度のファーラの貌を思わず確認しようとした――こちらに背中を向けているので私からは目視できないのだが――私の視界の端に、代わりにコルテラーナが老先生と大きく頷き合っている姿が視えた。
無論、その思わせぶりな態度に他の者が気付かない訳も無く、場に緊張が走る。
「ソノ“魔獣”ニハ心当タリガアル」
静寂の中で話を切り出したのは、コルテラーナではなく老先生の方であった。
「まじで?」
エレキギターを無駄に掻き鳴らして応えたカカトの頬を、肩のナイトゥナイが無言で摘まんで黙らせる。
「サテ、ドレクライ昔ノ話デアッタカ……」
一座の者が注視する中、老先生はボソボソと語り始めた。
かつての悲しき工作機械の物語を。
*
ザイフ村――
遠くで何かの鳥の鳴く、低くも長い耳慣れぬ鳴き声が聴こえた。
夜である。とは云っても夜半などではなく、まだまだ宵の口の時刻ではある。私の元居た世界だと、子供達が母親手製のハンバーグなりカレーなりを頬張っている頃であろうか。
この石の躰に“魂魄”を移された私にとって食事という行為は不要である。元々少食で美食などにも興味の薄い為か、食事が出来ない事に対する精神的圧迫を感じないのは私にとって有り難い事なのだろう。
コルテラーナやバロウル、そして所長が揃って揚陸艇を閨として選んだのに対し、我が幼主だけが――当然付属品としてファーラもいるわけだが――再びザイフ村の宿屋に戻って来たのである。
と言ったところで特にナナムゥに何らかの深刻な理由が有ると云う訳でも無い。見知らぬ宿に泊まるという物珍しさに幼い心が抗えなかったというだけであり、その我が侭の――それを責めることは誰にもできまい――煽りを受けて配下である私もそれに同行する運びとなったと云う次第である。
予め分かっていた事とは云え3mはあるこの石の巨体が宿の中に入る事は物理的にも不可能であり、この宿屋の本棟の脇で彫像のように棒立ちのまま一夜を明かす羽目となるのだろう。
しかし怪我の功名とでも云うべきか、この一泊はコテラーナ達にとってもまったくの無駄と云う訳ではなかった。
これまでは夜の訪れと共に――ちょうど家電の電源を落とすように――“眠り”に就いていた試製六型機兵であったが、“黒き棺の丘”の闇のカーテンをくぐるにあたり、連続稼働状態の事前テストを実施しておく必要があった為である。コルテラーナ達の許を離れてのナナムゥの護衛も兼ねた今回の単独行動は、時間的にも距離的にもあつらえた様にちょうど良かったということらしい。
私自身の話をするなら、連続稼働試験に関しては興味と不安とがないまぜになっているというのが正直なところである。文系の私にとっては、技術的にどうだとか確率的にどうだといった高尚な話では無論無い。元は単なる人間の自分にとって“徹夜”がどう影響を及ぼすのか分からない。
人に非ざるこの身であった。“眠り”の有無に関わらず普段と何ら変わらぬまま時が過ぎるのか、或いは“眠気”だけは発生するのか。
そしてもし――と云うよりも、そうなる可能性の方が遥かに高いのは自分でも薄々分かってはいるが――“眠気”が発生しなかった場合、この見知らぬ僻地で一晩語る者も無しに過ごさねばならないという、些か修験者めいた体験が待ち構えているという事でもある。
モガミの嫁であるというティラムとヴァラムの双子も流石に馬車での寝泊まりは嫌ったのか、使用人の半数程を引き連れてこのザイフ村に到着していた。無論、小さな村であるが故に、宿屋は一軒しかない。更に補足するならば、ナナムゥとファーラの泊まる部屋とは隣り同士である。
使用人達に関しては、彼等自身がここまで率いてきた馬車で寝泊まりするのか、或いは宿屋の一室で雑魚寝でもするのかは私の知るところでは無い。何れにせよ双子を警護する為に宿の周囲に留まる事は確かであり、幸か不幸か狭い宿である以上、その警護の恩恵にナナムゥもファーラもあずかれるということでもある。
シノバイドとして修練を積んでいるという彼等ならば、私などよりもよほど頼りになることだろう。ならば私も多少は持ち場を離れて暇潰しの散策に勤しんでも問題はあるまい。
最悪、宿屋の前から動くことが憚られるようならば、脳裏の声なき声に念じてまたこの世界の歴史なり風土なりの情報を閲覧させてもらえばいい。読書好きの私にとっては近辺を変に彷徨くよりも、むしろそちらの方が愉しい時間を過ごせることだろう。
(読書好きか……)
私はふと、胸中で自嘲した。雑学は好きだ。自分の知らない事を知るのは楽しい。だが自分が書物から学んだ雑学が所詮付け焼刃の知識であり、この世界では何の役にも立たない――正確には私が思いつく程度の工夫は既に誰がしかによって普及しており、それ以上の専門知識が必要な物となると完全に私の手には余った――ことを、私は痛い程に実感させられていた。
(前を見ろ、か……)
亡き母の教えを私は今一度反復する。
自分の無能さ無様さを嘆き苦しむのは、物心が付いた時からの常である。そして自己嫌悪するしか能の無い者を飼殺しておける程、この閉じた世界は豊かな世界ではなかった。
それ故に、コルテラーナ達が与えてくれたこの新たな石の巨体は私にとって望ましいものだった。知識しか能の無いにも関わらずそれすら何の役にも立たない以上、この巨体ならば少しでもコルテラーナに労働力として貢献できる為である。
(ありがたいことだ……)
私は天を仰ぎ、祖先に対して感謝の意を捧げた。
「――ヴ?」
どれ程の時間が経ったのだろうか。不意に頭上でガタガタと音がした。間を置かずにギィと二階の窓の鎧戸が開く。確かめるまでもなく、ナナムゥとファーラが宿泊している部屋の窓である。
ニュッとナナムゥが開け放たれた窓から顔を出したのはその直後であった。幼主はそのまま窓の外に肩を出し上半身を出し、あれよと云う間に全身を宙に躍らせた。シュッと伸ばした右腕から支えの“糸”でも伸ばしたか、ナナムゥは足下の目標に勢いを殺しつつ流れるように華麗な着地を決めた。
無論、私の肩の上にである。
「しっ」
直地早々そう私の耳元で囁いたナナムゥであったが、すぐに私の背中側に移動し身を潜めるように器用にへばりつく。私の単眼の可動範囲ギリギリの為、それ以上細かいことは判らない。
何れにせよ、その不可思議な状態も長くは続かなかった。今度は宿屋の扉がゆっくりと開いたからである。位置的にはまさに私のすぐ横の出来事となるし、ナナムゥが身を隠したのもそれに備えてであることは容易に知れた。
緩やかな足取りで姿を現したのは、肩にショールを羽織った双子の片割れ――おそらくはヴァラムの方であった。
昼間と違い紋様込の化粧を落としたその顔は、ティラムとまさに瓜二つであった。双子なので当然と云えば当然ではあるが、特徴的な一房の赤い髪が煌めいていなければ私には判別できなかったに違いない。
と、戸口のヴァラムが色々と思いを巡らしている私の方に顔を向けた。一瞬、背後に身を隠したままのナナムゥの存在を気取られたのかとも思ったが、そうでは無かった。
意外にも、ヴァラムは私に一言添えて軽く会釈したのである。
ごくろうさま、と。
「ヴ」
反射的に――愚かにも――ついつい瞳に青い光を灯し応えた時には、もうヴァラムは右手に大きなバスケットを一つ下げ私の前を行き過ぎていた。
双子の片割れであるティラムの姿こそ見えなかったが、すぐその後を同じ様に宿から出て来た三人の少年の使用人が追う。一行の行き先が、どうやら村を囲む石塁の“門”らしいことに気付くまでには、しばし時間を要した。
「しもうた、そっちか!」
何に慌てたか、再びナナムゥが私の肩口によじ登り早口で指示を出す。
「すぐに追うのじゃ、キャリバー!」
「ヴ!」
慌ててドタドタと駆け出した私の視界の先で、“門”の処にいたこれまた別の青年の使用人がヴァラム達に合流するのが視えた。
予め話を付けてあったのだろう、夜間にも関わらずヴァラム達を通す為に石塁の門は開いていた。
「待て、ヴァラム!」
私の肩から頭の上によじ登ったナナムゥが形振り構わず前方に声を掛ける。この些か乱痴気めいた騒ぎに、ようやく私もナナムゥが焦っていたおおよその事態が呑み込めた。
完全に余所者である私達は、こんな夜更けに根回しも無しに郊外に出ることは許されないだろう。或いはナナムゥ一人ならば“糸”を用いて密かに村を出る事も充分に可能ではあるが、流石にそれは気が咎めたのであろう。お目付け役の私も――どちらがどちらのお目付け役なのか知れたものではないが――単独行動となると止めざるを得ない。何れにせよ、ここまでナナムゥが慌てているというのは、ヴァラムが村の外に出るという事態が完全に想定外だったということである。
「わらわを置いていくとは何事じゃ!」
やや唖然としている老いた門番に対し、これが突発的なものではないことを抜け目なくアピールするナナムゥ。
身構える使用人達に庇われたヴァラムは、僅かに眉をひそめたかに見えた。だが流石に門前で一悶着起こすのは自分自身の行動にも差し障ると思い至ったか、黙って私達が追うに任せた。
恐るべしはナナムゥである。おそらくは自分が幼女であるが故の“お目こぼし”すら考慮に入れての言動であるのだろう。
前後に2人ずつの計4人の使用人を配し、ヴァラムが夜の路を行く。先頭の使用人の持つランタンが些かも揺らぐことなく一行を先導する。当初は単純に揚陸艇の停まっている例の広場に向かうのだろうと考えていた私であったが、それはすぐに誤りであったことが分かった。村を出た初っ端から方角が違ったからである。
それでも、消去法ではあるがヴァラムがこれから向かう先は察せられた。
「それで……?」
会話の無いしばしの無言の徒行の後、ようやくヴァラムが始めて口を開いた。
「わざわざ村の外まで追って来たという事は、何か話が有るんでしょう?」
「まぁの」
向こうから話を振ってくるのを待ち構えていたのだろうか、今は私の頭の上から再び右肩の上へと移っていたナナムゥが勢い込んで言葉を返す。そして周囲の使用人を見回し、さも困ったように芝居がかった吐息を漏らす。
「女同士の話をしたいのじゃがのぅ……」
傍から見ると、完全にませた子供の戯言である。私が生身のままであったならば、思わず吹き出していたかもしれない。同様に妙にツボに嵌まりでもしたのか、ヴァラムの瞳が幼児に対する慈愛に満ちたそれに変わると、警戒気味の使用人達に指示を下した。
「悪いけど、少し場を外してちょうだい」
一瞬、ほんの僅かに使用人達の顔に困惑の色が浮かんだが、それも錯覚であったかのようにすぐに跡形も無く消え失せる。
「――散!!」
それが使用人達の中の誰の掛け声であったのか、彼等は一斉に地を蹴ると、たちまちの内に化鳥の様に周囲の夜陰に紛れて消えた。後には地面に残されたランタンが一つ、朧気に周囲に光を灯していた。
「普通に!」
ヴァラムの凛とした、しかしどこか呆れた様な声がすぐにその後を追って響く。その声に引っ張られるようにガザガサと周囲の木陰が揺らぎ、合間からゾロゾロと使用人達が再びその姿を現す。
どこから来ていつの間に紛れていたのか、盆を伏せたような三型機兵までもが一台、ヤドカリの様に茂みの中から這い出て来たのはちょっとした驚きであった。
それは兎も角、私達を取り囲みつつも離れた位置に使用人達が散開したことを見届けてから、ヴァラムは次に私の顔を訝しげに見上げた。




