喜貌(9)
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「遅かったの、キャリバー」
それが、野営地に辿り着いた私を出迎えたナナムゥの最初の一声であった。会話自体は何と云うことのない、いつもと変わらぬ差し障りの無いものである。
敢えて言うならば『遅かったの』と云うからには、ナナムゥは私が独力でここに逃げて来ることを予め知っていたという事になる。待ち受けるだけで助けに来なかったと責めるのは御門違いであろう。
それよりも、唯一つ普段とは大きく異なるナナムゥの様子が私の気を引いた。いつもならば幼女特有の熱を帯びた甲高い声で発せられたであろう出迎えの言葉が、遠慮がちにひそひそと小声で発せられたものであった為である。それはあまりに小さくて、ナナムゥが私の肩の上に飛び乗り直接耳打ちしなければ、周囲の喧騒に掻き消されていたことだろう。
ザイフ村に向けて出立した時には揚陸艇が単独で乗り付けているだけであった筈の空き地は、今はちょっとした村祭りの場の様な人だかりを見せていた。
その名の通りちょっとした船舶程の巨体の“揚陸艇”が往来可能な程、この空き地へと通じる路は伐採によって切り開かれていた。“黒き棺の丘”に程近い“要地”として、おそらくは定期的に人の手により整備されているのであろう。
その地に今や大きさや造りはまちまちではあるが10台程の馬車が一団となって、揚陸艇と対峙するように停められていた。その馬車の半数は既に馬を放してある処を見るに、かなり長時間――おそらくは日をまたぐのを厭わぬまでに――逗留する気である事が見て取れた。
隊商かと見紛う程の大所帯である。馬車を中心として既に使用人と思しき者達があちらこちらで何らかの作業に勤しんでいる姿が認められた。ざっと目視しただけでも、その数は10人は優に超えるだろう。
男の使用人の中で、ある者はパリッとした執事服に身を包み周囲に指示をして回り、またある者は動き易い作業服で馬車の軛から解放した馬を木陰へと牽いていた。数は少ないが女の使用人もおり、そちらは揃いのメイド服を着用していた。その古風なデザインが妖精皇国で留守を預かっているミィアーのそれと同一の仕立てであることに気付いたのは、恥ずかしながら後日彼女と再会を果たした時のことである。
問題は、彼等使用人が揃いも揃ってまだ若い、少年少女と呼んでも差し支えない者達のみで構成されていることにあった。
更に付け加えるならば、使用人達の表情は皆一様に能面の如く硬く、喜怒哀楽の表情が一切表に出てはいなかった。激務で目が死んでいるとか、或いは何らかの精神操作を受けているとか、そのような非道の扱いによるものとはまた違う。良く言えば相好――この場合は笑顔ではなく澄まし顔ではあるが――を常に崩すことの無い、統率のとれた一団であるとでも言うべきか。そう思うと俄かに彼等の一挙手一投足が、全て研ぎ澄まされた油断のならないものにも視えてくる。
「カカトは一緒ではないのか?」
使用人の挙動に目を奪われていた私の太腿を、注意を引こうとペチペチと叩きながらナナムゥが尋ねる。いつの間にやらその傍らにファーラがのほほんとした顔で寄り添う様に立ってはいたが、彼女をここまで運んできたであろう“六旗手”ナイトゥナイの姿は少なくとも視界の内にはどこにも無かった。
「ヴ!」
何れにせよ、何の興が乗ったのかリズム良くペチペチペチペチと私の大腿部を平手で叩き続けるナナムゥをいつまでも放っておく訳にはいかず、私はスッと、今自分が来た方角をナナムゥに指し示した。
周囲で使用人達が目まぐるしく働いている割には、広場は不自然なまでに静寂を保っていた。聴こえてくる音と云えば馬が鼻を鳴らす音のみであり、その中で重々しく彫像のように腕を伸ばす自分が、我がことながら妙におかしい。
「そうか」
口のきけぬ私の意図するところを幼主は的確に汲み取ってくれたらしい。ナナムゥは得心したように頷くと、私の指差した彼方に遠い目を向けた。
「カカト達がお主達の後を追っていると聞いて任せておったが、まだ何ぞやっておるのじゃな」
嘆息するナナムゥの大きな緑色の瞳が一転して曇り、力の失せたドンヨリとした眼差しでチラリと背後を盗み見る。
「こうなると知っておったら任せずにわらわがお主達を迎えに行くべきじゃった……」
いつも姦しい幼主がここまで弱り切っているのを見るのは私も初めてであった。常に共に笑い合っていたファーラも同じ様に困惑しており、ついつい互いに顔を見合わせてしまう。
尤も、ファーラが周囲の事態をまったく把握できていないのだろうと勝手に判断したのは誤りであった。彼女が次いでツイツイと私に分かるように人差し指を向けた先は、空き地の中央部であった。
そこには屋根こそ無いが即席のテラスのような場が設けられており、中央の木製の丸テーブルを挟んで背もたれの無い簡素な椅子が何脚か置かれていた。ちょうど揚陸艇と馬車の一団を、それぞれ背に戴くように。
周囲に漂うピンと張り詰めた空気の出処がまさにそこである事を、ファーラによって私は知った。そればかりか私も良く見知った、決してその様な負の感情を露わにすることはあるまいと信頼していた淑女が、明らかな怒気をその小柄な躰に湛えている事も。
「止めなさいと、私は以前告げた筈です」
毅然とした、そして何よりも硬く寒々とした女性の声が、場に漂っていた静寂を破る。怒鳴った訳でも、僅かでも声を荒げたという訳でもないが、周囲に余計な雑音が無かった為にその声は遠巻きに眺めていた私達の処までも良く響いた。
にも関わらず周囲の使用人の若者達は依然として表情一つ変える事なく、各々の作業を続行していた。私がここに辿り着くまでもそんな感じで慣れてしまっていたのかもしれない。それはそれとしてここまで徹底していると、私としては規律の正しさを称賛するよりもむしろ不気味さの方が先に立った。
そして、叱咤の主が声と共に手を振り差し示しているのがまさにその感情を無くしているかのような使用人達の姿であった。
「私はこんなことをさせる為に、貴方に暇を出した訳ではありません!」
ナナムゥは幼女であるが故に喜怒哀楽の感情の動きが激しい。バロウルは私に対しては――私に対してだけは何故か――辛辣ではあるが、他の者の前では基本的に寡黙を通している。コルテラーナに至っては、そもそも滅多に人前に出るような事が無い。それ自体がまるで苦痛であるかのように。
斯くの如くそれぞれ一癖ある女性陣において、常に物腰の柔らかなこの人だけは礼を尽くした穏やかな応対が出来ると私が信頼している人物が一人だけいた。
無論、“妖精皇”こと所長である。
しかし今まさにその所長が、憤怒にまでは至らぬまでも、これまで見たことの無いような強い非難の光を目に湛えて向かいに座る男を詰問していた。
意外であった。所長が感情を露わにしているそのことよりも、所長にもその様な言わば“素”を露わにしても構わない相手がいたことにである。
そのまま心配げなナナムゥに引っ張られるように揃ってテラスの近辺にまで寄った私達であったが、流石にその場に割って入る事は憚られた。それでも、今のこの距離からでも、所長の瞳に宿っている光がただの怒りの炎ではなく悲しみの色がないまぜになったものである事は見て取れた。私の勝手な思い込みなのかもしれないが。
「ミィアーのことにしても、年端もいかぬ少女にあのような大きな傷を負わせて、恥ずかしくはないのですか」
所長の言葉の鋭さは、それでも面罵には到底及びはしない。しかし所長の対面に座る叱咤の当事者でもある中年の男は、ただひたすら無言のままに面を伏せたままであった。
「……」
別に不貞腐れているとか、心を無にして怒りが鎮まるまで不本意ながら耐え忍んでいるといった体ではない。両目を閉じただひたすらに面を伏せている中年男性の顔には確かな沈痛の面持ちが浮かんでいた。
中年男性――そう私は言ったが、それはあくまで『若くはない』といった意味合いである。どこか素浪人を思わせる長髪も、目を瞑った横顔からも知れる気真面目そうなその容貌からも、『中年』という字面から連想させるような脂ぎった厭らしさなどどこにも無い。
モガミ・ケイジ・カルコース――この閉じた世界に所長と共に墜ちて来た24名の随伴員の、たった一人の生き残り。
全ては後からバロウルなりに教えられたことではある。尤も、もしそれを先に聞いていたとしても、私は所長が何故ここまで彼に対して静かな怒りを爆発させているのか分からなかっただろう。それはモガミが一言たりとも抗弁しなかった為でもある。
だがその沈黙を訝しむ私の前で代弁という訳でもあるまいが、彼の右隣りで肩が触れ合うまでに密着して座る女性が一人、キッと顔を上げると所長に対し強い抗議の声を発した。
「モ、モガミはもう貴女の部、部下ではありません! じ、じ、自分で追い出しておきながら、しゅ、主人面するのは、い、いい加減止めてください!」
思わぬ反撃を喰らった所長の顔が、みるみる内に蒼白に変わる。
あっ、とわたしはその様子を見てなんとなく分かった気がした。所長が何に対して怒っているのかを。
所長の年齢が30半ば、一方のモガミが40前後だと推察されるのに対し、少女の域こそ脱しているとは云え、彼にベッタリと身を寄せて座る女性は明らかに一回り以上は歳の離れた若輩の徒であった。女性の年齢の識別に自信が無いので断言しかねるが、それでもまず20歳に成るか成らぬかといった微妙なところだろう。この世界の20歳に何の意味があるという訳でもないが。
今のただ一言で所長を黙らせた女性の方は化粧気の乏しい青白い肌をした、学者を思わせる堅い風貌をしていた。
『黙らせた方』と云う表現を用いたのには無論理由が有る。ちょうどモガミを挟んで反対側に、もう一人の女性がまるで所長に当て付けるかのように肩を摺り寄せ座っていた為である。
要は一人――声を荒げることなく――気を吐く所長の対面に、三人の男女が密着して座っていることになる。
その残る左隣の一人が追い打ちをかけるかのように始めて口を開いた。
「それに孤児の中でシノバイドとして拾い上げるのはほんの一握り。残る殆どの者は私達カルコース商会の未来の従者として普通に養育しています」
先に発言した吃音の激しい片割れとは違い、左側の女性の言葉は穏やかでゆったりとした、明らかに他人の聴かせる事を念頭に置いた喋り方であった。
「慈善事業と称賛されることこそあれ、それをむやみに責められましても……」
モガミを挟んで座る二人の女性は、顔の見分けが覚束ない私が見ても一目で双子だと判別できる程に似通っていた。どこかシャム猫を思わせる、キリリとした顔立ちそのものは。
双方とも青みがかった黒髪であるが、しかしその髪型だけは大きく違った。吃音の主の方は毛先を揃えた俗に云う姫カットめいたものであるのに対し、流暢な物言いの方は――お洒落の一環と思っていいのだろうか――サイドを一房赤く染めていた。
それに加え吃音が青白い肌であるのとは対照的に、流暢な方は血色も良く唇に紅まで引いていた。要は化粧が濃いということであるが、額や頬にも直線で構成された紋様の様な太い線が描かれており、どこか南米辺りの原住民を思い起こさせた。
『もう貴女の部下ではない』――私は所長とモガミの関係が破綻に至るまでの細かい経緯を聴かされてはいないが、痛いところではあったのだろう。所長は口をつぐむと、先程までとは異なる哀しみのみを秘めた視線を伏したままのモガミへと向けた。
追い打ちを――実質とどめの一撃に当たるのだろうが――かけるべく更に何か言い掛けた両脇の双子を、モガミは始めて面を上げスッと両者の前に平手をかざしてそれを制した。
「……」
依然として、モガミ自身は無言のままである。そればかりか、自身を咎める三対六つの射るような視線を注がれながらも、彼は静謐を湛えた表情を崩すことはなかった。
(強い……!)
私のような小心者には到底及ばぬ境地。むしろ遠巻きに見守っているナナムゥとファーラの方が、成り行きを心配して顔を見合わせたくらいである。
「み…所長」
ようやくモガミが少し言い淀みながらも初めて口を開く。最初に言い掛けた言葉が、今は『所長』を名乗る所長の本名なのではなかったかと私が思い至ったのは、この場が収まった後の事である。
「奇縁により、貴女の配下であるナイ=トゥ=ナイを無事送り届けることが出来ました。しかしながら――」
ツイと、不意にモガミの視線が固唾を呑んで見守っていたこちら側へと向けられる。正確には私達にではなく、いつからそこにいたのか、私達の背後に立ったコルテラーナと老先生の方へと向けて。
「しばし貴女方の六旗手、ナイ=トゥ=ナイとカカトの力をお借りしたい」
改めて深々とその場で頭を下げるモガミ。両脇の2人の女性が、それをかばうように所長を睨む。コルテラーナの方へは始めから目を向けようともしない。




