喜貌(8)
“牙のある膣”――些か品の無い話ではあるが、私の脳裏にまず浮かんだのはその単語であった。
そしてそれと同時に、ようやく思い至った事がもう一つある。今自分が受け止め拮抗している“茶筒”が、自分の知る何に酷似しているのかを。
確か名称は『シールド』で良かっただろうか、地下トンネルを穿つ掘削機械がそれであった。実際に現物がどの程度の大きさであるのかを私は知らない。ただ工作機械に詳しくない私でも、円筒の底に大穴が開いているような形状では無いことだけは何かの本で見知っていた。
要は形状が似ているというだけでシールドではないのだろう。或いは泥沼と化した大地の中から出現した事から考えると、何らかの掘削装置ではあるのかもしれない。いずれにせよ、人間の胴体程の太さの“首”の先に円筒形の“頭”が付いているという私の当初の認識はまったくの見当違いであったということである。
どちらかと云えば『シールド』部分は“頭”ではなくむしろ末端、或いは何らかの“腕部”とでも呼ぶべき存在であったのだろうか。私の詮無い考えを――悪い意味で――後押しするかのように再び地が蠢動した。
「ヴ!?」
再び私の目の前で大地がズブズブとした泥沼へと変わる。ちょうど私とファーラの間を隔てるが如く、幅広い一筋の亀裂と化して。その泥の裂け目を二つに割りながら、やはり先端に『シールド』を備えた新たな“腕”がもう一本、私達の前に高々と隆起する。
それは今私が両腕で押し戻そうと奮闘している“腕”に比べると一回りも二回りも細い、“管”に近い物であった。その太さも長さも異なる二本の“腕”が揃ってうねり蠢く様は、私に巨大な烏賊の腕部を連想させた。
呑気な感想が許されたのは、しかしそこまでであった。新たに表れた“腕”はやはりとでも言うべきか、明らかに私ではなくファーラの方に狙いを定めていた。
(ちいっ!)
私を呑み込もうと強い圧力で押さえつけてくるシールドを何とか押し留めながら、私は己が無力さを歯噛みした。
例え私が打つ手も無く手をこまねいていたとしても、おそらくは先程と同じ様に青い光がファーラの身を護るのだろう。例え何が起ころうとも。私が如何にもがき奮闘しようとも、結局大勢に影響は無いのだろう。
だが、良くは無い。例え細い“管”であろうとも、ファーラを呑み込み捕える事が出来る程度の口径を新しいシールドは備えていた。まだうら若い少女に丸呑みにされると云う悍ましい体験を強いるのは良くは無い。
何よりも、成す術もなくされるがままというのは、男の沽券として良くはない。小柄で非力の身だった昔ならば兎も角、コルテラーナから新たに強靭な躰を授かった今ならばその甲斐が無い。恥だ。
(粒体装甲ならば――)
脳裏とは云え私が声を張り上げ声なき声に懸命に尋ねたのは、半ば苦し紛れのものであった。
(例え呑み込まれても耐えることが出来るか!?)
試製六型と『シールド』、互いの膂力が拮抗している以上、いっそ呑み込ませておいて内部からの破壊を試みるのは創作物のお約束の戦法である。逆に云うと、そのような世迷言に縋ろうというところにまで、私の思考は切羽詰っていた。
元より肝心な事には黙して語らぬ声なき声に過度な期待を抱く事はとうの昔に止めていた。それでも他に私にこれといった策は無かった。
そんな私の焦燥を揶揄するかのように、声なき声の澄ました答えが私の脳裏に突如として響いた。
“――粒体装甲なら防御可能”
(なっ!?)
声なき声による久方ぶりの――そして明確な――回答。完全に虚をつかれたことで、私は却って慌てふためいた程である。声なき声が防御可能と断ずるに足る根拠がある――すなわち、目の前の『破砕機』に関するデータが有るのだという事にも思い至らぬ程に。
何れにせよ、声なき声のお墨付きを得たからと云って状況が好転した訳では決してない。新たに出現したもう一本の『シールド』がコブラの様に首を左右に揺らしながら、依然としてファーラに狙いを定めているのが視える。悠長に内部から砕くなどと云う浪漫溢れる逆転劇を実行している間に、ファーラがどの様な目に遭うか知れたものではない。
冷静に考えるならば、私の粒体装甲ですら防御可能な『シールド』の破砕を、ファーラを護る――既に張られているのが朧気に視認すら出来る――青い光が耐えられない筈も無い。だが先程から述べているように、ファーラを頭から呑み込んで泥の海の中に姿をくらまされてしまうとそれだけで打つ手がなくなる。そもそも“少女”自体は護り通していたとは云え、”ティティルゥの遺児達“に全身を覆い尽くされ、いいように操られていた様を私自身が目撃している。最悪の事態は想定せねばならない。
せめて声が出せれば、『シールド』の気を引く事も出来ただろう。それが不可能である以上、残された手段は実力行使しかない。
確実な方法としては――結局は――このどちらかの腕を切り離し、“紐”でファーラににじり寄る『シールド』を絡め取りその動きを封じる他ない。少なくとも強引にこちらに注意を逸らす事は出来るだろう。
机上の空論ではあるが。
果たして残った片腕で自らを呑み込まんとする“牙のある膣”を凌ぎ切る事が可能なのか。そもそもが今のこの体勢から腕を切り離すまでは何とかするにしても、“紐”を鞭として巧く振るう事が自分に出来るとは到底思えない。例え視界に遅延をかけたとしても、そこまで私の身体能力は優れてはいない。
ならばせめて呑まれながらも左の腕に残った炸裂岩をめくら撃ちしてこちらに注意を引くしかない。完全にジリ貧ではあるが、流石にファーラもこの場から逃げ果せてくれるだろう。
どちらにせよ背に充填用のケーブルを繋いでいない以上、粒体装甲の稼働時間は有限である。それもかなり短い筈である以上、今のこの自問自答の時間ですら完全に無駄であったと言える。
(くっ……!)
如何に“EXキャリバー”だ、“魔晶弾倉”だ、“粒体装甲”だなどと過ぎたる“力”を与えられはしても、結局は“担い手”である私自身が判断を誤ればこの体たらくである。
決して手を抜いている訳では無い。侮っていた訳でもない。自分なりに精一杯やってこのざまである。
幼いナナムゥをして、自分が付いていてやらねば駄目だと言わしめたのは伊達や酔狂ではないのだ。悪い意味で。
故に――故に私は自分の足掻きが、時間稼ぎにもなっていない悪足掻きが無駄では無かったと知った時、心が打ち震えた。例え結果論であろうとも。
ファーラの様子を蛇の鎌首の様に窺っていた小型の『シールド』が、突如としてその動きを止める。まるで何か見えない力に抑え込まれでもしているかのように、ギチギチとその“頭”じみた『シールド』と管が虚しくもがく。
「ガルッ!!」
待ち人来たり。
ファーラの喜色満面の声が響く。
その声色に私は思わずファーラの顔に視線を拡大した。先程彼女が口にした、この世界がもうすぐ解放されるという胡乱な予言。それが戯言でないのなら、その根拠となるべき者が現れたのだと、ファーラの煌めく黒い瞳を見て私にもすぐに思い至った。
『赤い流星』――天翔けるこの世界の救世主が、少なくともその候補足るべき者が、遂に飛来したのだと。
「……えっ?」
ファーラが頭上の『シールド』の上に立つ人影を見、そして次に私へと視線を移した。口をポカンと開けた、遠慮のない言い方をすれば唖然とした“アホ面”で。
直接言葉として口に出されなかったものの、彼女の心境はその大きく見開かれた黒い瞳が何よりも雄弁に物語っていた。
『――誰?』、と。
私の方を見られても……、と困惑する私を余所に、ギャインと云う高らかな弦の音が全ての不穏な空気を一掃するかのように響き渡る。
ファーラが最初に見上げていた視線の先、今はその音の出処である小型『シールド』の頭頂へと私も視線を移した。
円筒の上に一人立つ、どちらかと云えば小柄な青年に。
まだどこか幼さすら感じさせる人好きのする貌。手にした蒼く輝く派手なエレキギター。そして、風に吹かれてたなびく長く青い薄布のマフラー。
直に目にするのは初めてではあるが、これまで彼の者の特徴を私は幾度も聞かされてきた。ナナムゥから、バロウルから、老先生からも。
故に声なき声による紹介が視界に表示される前に、私はその青年が何者なのかを確信できていた。
“――青のカカト”
(あれがナナムゥの“兄”……)
流石に望遠でそこまで仔細に確認する余裕も無いが、事前に聞いた話ではナナムゥと同じく白目の少ない青い瞳に特徴的な長い指をしている筈であった。
(そして…“六旗手”……!)
想定していた相手ではないとは云え待ち望んだ救援が登場したことで我知らず気が緩んでしまったのだろう。それまで私を押し潰そうとしていた『シールド』がもうお前には用がないと言わんばかりに振り払う動作を、私は押し留める事が出来なかった。
「狙いは俺達の筈だろう」
訝しげにチロリとこちらを見下ろすカカトのその言葉の真意を、私は量りかねた。そもそも推察する余裕も無かった。
私の手から逃れた『シールド』が高々と鎌首をもたげ、次いで咆哮じみた異様な音を轟かせる。それが刃を備えた筒内部を回転させているのだと私が悟った時には、『シールド』はカカトの元へと殺到しようとしていた。
「聴け!」
カカトの一喝と共に鳴り響くギターの音色。青いマフラーをはためかせそれまで立っていた小型シールドから飛び退ったその刹那、迫る『シールド』がまるで凝固したかのように“首”ごとその動きを止める。
ギチギチとその場で身を捩る『シールド』と“首”。そして何よりもスタイリッシュにギターを弾きながら何も無い空中をステップを踏むかのようにノリノリで跳ねるカカトの姿に、わたしは全ての仕掛けが“糸”にあることに思い至った。
ナナムゥの“兄”ならばむしろ当然のカラクリである。まさに我が幼主と同じ様に標的を“糸”で束縛し、ワイヤーの様に張り巡らせた別の“糸”の上を足場として移動しているのである。
「――ナイッ!」
一段と高いカカトの声に合わせて、それまでどこに潜んでいたのか、一騎の機兵がファーラの間近にその姿を現す。その人型の上半身と四脚の下半身を組み合わせた蜘蛛女を思わせるその独特なフォルムを、私は先日妖精皇国内で見たばかりであった。
妖精機士こと五型機兵。数の少ないその精鋭が今回の――妖精皇である――所長に同行していない以上、目の前の妖精機士の正体は自ずと絞られる。
“――妖精機士ナイ=トゥ=ナイ”
声なき声による新たな紹介。それが私の推察通り、カカトに同行していると聞き及んでいたもう一人の六旗手の名である事を私が確認できた時には、もうその妖精機士はファーラの体を横抱きに抱きかかえていた。
背面のスラスターと思しき“孔”から拡がる虹色の光の翼。羽ばたきこそしないまでも、ナイトゥナイは確かに地面より――スレスレとまでは言わないまでもせいぜいが高下駄分程度であろうか――浮いていた。
元より羽根や翼を持つものは別として、この閉じた世界で飛行可能な物体は貴重であると聞く。或いはそれこそがナイトゥナイが“旗”より受けた“力”なのかもしれない。
私がそのように推察している間にもナイトゥナイはファーラを抱えたまま泥沼の上を浮遊して突っ切り、大きく制動をかけつつも私の目と鼻の先にまで迫って来ていた。
跳ね上がる泥水は妖精機士の光の翼の粒子の前に阻まれ、彼女達の身を汚す事もない。
一体何をしようというのか。ついつい身構えてしまった私の脇を掠めるようにナイトゥナイは飛び去った。意図が分からずにその軌跡を単眼で追う前に、私の躰が泥の中より引っ張り出される。
妖精機士がすれ違いざまに腰のアンカーを私の躰に引っ掛け、そして勢い良く泥土の中から牽引したのだと知った時には、既にそのアンカー自体は切り離されていた。
「ヴ!?」
私の躰が勢いよく固い大地の上に投げ出される。その私に一顧だにすることなくそのままナイトウナイが飛び去ったところを見るに、後は自分で何とかしろということなのだろう。
西部劇の処刑方法の様にあのまま野営地まで引き摺られても困る訳であるが。
「退け、機兵!」
カカトに助勢すべきか一瞬躊躇した私に対し、頭上よりその本人から明快な声が届く。
私が臆面も無く直ちにその指示に従い、踵を返して飛び去ったナイトゥナイを追ったのには理由がある。言い訳になるけれど。
無理に留まったところで逆に足を引っ張るだけの結果に終わるだろうというのが最大の理由ではある。だがそれに加えてもう一つの大きな気掛かりが私には有った。
(ナナムゥ……)
結局のところ、我が幼主は最後まで救援としてこの場に姿を現さなかった。
見捨てられたなどとつまらぬ疑念を抱く程に浅薄な仲ではない――少なくとも私自身はそう思っている。今更ながらに戻ってくることが出来ない理由、すなわち野営地で何か不測の事態が発生しているのではないのかと云う強い不安に駆られたからである。
野営地に残っている面子自体に不安はない。その想いは今でも変わらない。それ故に私の想像の及びも付かないようなアクシデントが発生しているのではないのかと、逆に不安を覚えたのである。
背後に響くカカトのエレキギターの音は既に明確な“曲”の形となって奏でられており、さながら――実は全然詳しくはないのだが――ライブにおけるソロギターパートのように熱を帯びたものであった。要は余裕も余力も十二分に残っているということなのだろう。
と、再び私の背後で大地が揺れた。次いでバシャリという濁った大きな水音が続く。
振り返るまでもなく、新たな『シールド』がもう一本出現したのであろうことは私でも分かった。
(……伊達に六旗手でもあるまい)
半ば己自分を納得させるかのように私は胸中で呟くと、ナイトゥナイの去った方角、すなわち野営地に向けて再び走り始めた。
いつの間にやら粒体装甲は解除されており、赤から黒灰色に戻った石の躰を揺らしながら。
カカトが私を呼び止める声は最後まで上がることなく、代わりに演奏の間隙に上げられた陽気な叫びがいつまでも響いていた。




