喜貌(7)
「キャリバー」
私の腕の中で軽く身を捩りながら、ファーラが私の名を呼んだ。それが地に降ろすようにと云う合図だと察すると同時に、私は“少女”と二人きりとなった事に遅まきながら気が付いた。
流石にもう、ファーラ本人に対する疑惑の念は無い。私個人の見解ではなく、コルテラーナ達がその処遇をナナムゥに一任している様からみても、皆そうである事が見て取れる。
それでも念の為か厨房の中に入る事だけは――細かい事を言えば貯水槽を始め立ち入り禁止区域は多いのだが、それはファーラ以外の住人も等しく対象である――依然として禁じられてはいた。しかしそれもナナムゥの口添えも有り、遠からず解禁されるのではないのかと思う。
所長の付けた『姫』という渾名に引っ張られているだけなのかもしれないが、私はファーラに対し漠然と良家の――頭の緩い――息女という印象だけを強く持っていた。私が移動の際に彼女を抱きかかえる時、鷹揚にこちらに身を任せる仕草もその先入観を後押しした。
正直な話、ファーラよりはナナムゥの方がよほど年嵩ではないのかと見紛うばかりのあどけなさであったのだが、不思議な事に家事とは無縁と思われた『姫』は料理だけは自らの意志で作りたがった。正確には、故郷の焼き菓子を作って子供達に振る舞いたいということらしい。
わたしも一時期菓子作りに凝った事があるので、誰かに食べて貰いたいという気持ちはちょっと分かる。それと同時に私のファーラに対する認識も少し変わった。無論、良い方にである。
そもそも妹に似た雰囲気を持つ者に、悪い者などいる筈も無い。
そのファーラが、背中側に腕を回しながら上目使いでこの単眼の石の顔をジッと見上げていることに私は気付いた。
「――ヴ?」
「貴方も私と同じ様にこの世界に落ちて来たんですって?」
「ヴ」
つい“肯定”を示す青い眼光をファーラに対し灯した後に、私は彼女に青と赤それぞれの眼光の意味を伝えておいたかどうかに思い至った。
しかしその意味を知ってか知らずか、ファーラの顔が僅かに翳り、その唇から独り言にも似た呟きが漏れる。
「私も色々な世界を回って来たけど、酷いらしいわね、この世界……」
「ヴ!?」
私はマジマジとファーラの貌を見た。まだうら若い“少女”の、内面は更にそれより幼い、良く言えば“無邪気な子”という認識でしかなかったファーラ。見直しつつあったとは云えその口から出た意外な言葉に。大人びた独白に。
所長のおさがりだという質素な淡い色のワンピースに身を包んだ“少女”。その額には依然として白銀の宝冠が飾られており、その中央に填められた青い宝玉が静かな光を放っていた。これまで不審な行動は一切見当たらないと云うファーラではあったが、唯一その宝冠だけは沐浴時も就寝時ですら外すことがないと私も聞き及んでいた。
だが、そのどこか痛切な呟きは私の錯覚であったのか、すぐにファーラはいつもの明るい調子に戻り、私に対しニカッと満面の笑みを浮かべた。
「『赤い彗星がこの世界を解放する』、だったかしら?」
微妙に細部の異なる救世の預言の一節を口にするファーラ。その貌に何故か誇らしげな表情を浮かべたまま、彼女は私に対し驚くべき予言の言葉を口にした。
「その預言、もうすぐ叶う筈よ」
(――なっ!?)
「あ!」
あっけらかんと笑うファーラの貌が、再び百面相の様に目まぐるしく変わる。額の宝玉が明滅したように見えたのは気のせいか。ファーラは左目だけをつぶると、左の手の平を唇の前にかざす独特のジェスチャーと共に私に悪戯っぽく告げた。
「ナイショよ、キャリバー」
“少女”の言葉が単なる戯言なのか、或いは確たる理由が有るものなのか私には咄嗟には判断できなかった。一つだけ確かな事はファーラの満面の笑みを前に、彼女が愛嬌だけで世の中を渡って来たのであろうという、妹と同種のタイプであるという認識を改めて抱いたことくらいである。
(或いは――)
ナナムゥが縁起物だと喜んだように、EXキャリバーの躰は粒体装甲によって赤く染まる。それを預言で云う『赤い流星』になぞらえ、私にもこの閉じた世界を救う力があるのだと励ましてくれているのかもしれない。
まさかと、私は己が妄想に対し胸中で頭を振った。自分にそんな“力”がある訳は無いし、そもそもが預言にある『赤い流星』と化して夜空を翔ける術が無い。
何よりもファーラの口調は単なる適当なリップサービスなどではなく、完全に何かあてが有る確たる口振りであった。
「ヴ……」
どうする、というのが今の私の偽らざる本心である。コルテラーナに報告すべき事案ではあるまいかと。それこそ予言じみたファーラの言葉を。
まさかまさかと、私は再び胸中で激しく頭を振った。
(私としたことが、何を戸惑う……?)
敢えて私はファーラの“予言”を聞き流すことに決めた。確かに他ならぬ私が拾ってきたこの“少女”には謎が多い。『色々な世界を回ってきた』という突拍子の無いその言も、何故かまったくの出鱈目だとも思えない。
しかし、ファーラの童心を残したままの純粋な笑みは、あくまでソレが子供の戯言だと私に断じさせるに充分過ぎるものであった。
(……)
否――正直なところ、断じるに充分だと自分に思い込ませていたに過ぎない。邪気の無い、妹にも似たファーラをコルテラーナの前に告げ口めいて差し出す行為を私は恥じた。
つまらない思い入れだと、自分の悪癖だという事を、自覚しているつもりではあるけれど。
「――ヴ!?」
後ろめたさに頭を伏せる私をまるで嘲笑うかのようにグラリと地面が揺れたのは、正にその時であった。
(地震だと!?)
私が傍のファーラの躰を咄嗟に抱き抱え上げたのは、完全に本能めいた危機感によるものであった。それもファーラに密かに亡き妹の姿を重ね合わせていなかったならば、ここまで躊躇なく躰が動くこともなかっただろうと後から思う。
ゾブリと、私の右脚が地に沈み込む。間髪入れずに左の脚も。
地震による地割れなどでは無い。固い大地であった筈の足下の地面が、今は何故か瞬く間に泥沼へ変わった事を私は知った。
“――粒体装甲、稼働!”
半ば唖然とする私を叱咤するかのように、脳裏に声なき声が響き渡る。
たちまちの内に暗灰色から赤色へと私の装甲の色が変わる。丁髷の様に頭部に沿って寝ていた“角”が、それに呼応して頭頂にそそり立つ。もっとも、当たり前の事ながら私自身はその頭頂の“角”の動きを視認できない。そのギミックを私がナナムゥから教えられたのはもっとずっと後、昏い昏い地の底での話である。
ともあれ、私の重量にしてはゆっくりと、しかしそれでも確実にこの石の躰は泥土の中に沈みつつあった。粒体装甲が発する“障壁”がバリアとしての役割を果たすおかげで、泥が私の装甲を汚し脚の関節が埋まるようなことはない。それでも“障壁”ごと泥の海に沈み込む事態だけは如何ともし難かった。
(――考えろ!)
などと、いつもの如く己を鼓舞してみたものの“相手”のいない自然現象相手に有効な対処法などある筈も無い。
ただ一つ新たに気付いた事は私達の周囲の木々――ナナムゥの姿が消えた林道を形成する木々が変わることなく健在であるということである。私とは異なり、沈みも傾きもせずに依然として。
(南無三!)
迷っている時間は無かった。私は手近な樹の根本に目星を付けると、両腕で頭上に掲げていたファーラの躰を勢い良くそこに放った。
無茶な事は自覚していた。ヘタをせずとも大怪我を負わせかねない乱暴な行為である事も。しかし石の躰で呼吸不要の機兵ならば兎も角、生身のファーラが泥の海に沈んだ場合、遅かれ早かれ待っているのは明確な“死”である。手をこまねいているのは悪手でしかない。
それに私の――私達の憶測が正しければ救いが有る筈であった。
腰まで埋まった私の単眼が望遠で必死にファーラの姿を追う中それは――願望めいた予想通り――起こった。
ファーラの額の宝玉が青く眩く光り、彼女の躰がまるで羽毛に変じたかの如く、投げられた勢いを完全に殺してゆっくりと地に着地する。
(やはりか!)
“少女”を守護する光の出し惜しみの無い顕現に私は些か拍子抜けすらした。それに追い打ちをかけるかのように、私自身の躰の沈下も腹の辺りで止まった。
いざとなれば腕を分離し“紐”で手近な樹に躰を固定せねばならないところまで覚悟していただけに、底に脚が付いた事自体は僥倖であった。
ようやく粒体装甲の再調整が済んだにも関わらず再び四肢の切り離しを決行し、そしてその分離した腕部を泥沼の中に喪失する――それは今回の試製六型機兵による“闇のカーテン”への突入テストそのものの継続不可を意味していた。如何に緊急時によるやむを得ぬ対処とは云えその失態は私には耐え難く、いっそ後先考えずに泥の海に沈み込んでしまおうかとも考えた程である。引き揚げ等々はバロウルに一任するとしても、その方がまだ幾分かましではないのかと。
だが想定外に泥沼が浅かった事で私の最大の懸念は払拭された。かねてよりの疑念であったファーラを護る存在――青い宝玉の光の顕現をようやくこの目で視認できた事すら脳裏から掻き消える程に。
しかし私には、安堵の余韻に浸る暇すら与えられはしなかった。
車道で云うとおよそ二車線分位であろうか、地面のその幅の部分だけが泥化していることにようやく私は気付いた。その泥の道の中から、何かが鎌首をもたげたのである。
「ヴ!?」
そのゆっくりとした動きは、古き良き時代の恐竜映画の一場面を私に思い起こさせた。湖面を割り雷竜が顔を覗かせるお約束の名場面である。
不可思議なことにそのステンレスのような表面にはまったく泥が付着しておらず――改めて振り返ると、私自身の粒体装甲が“障壁”により同様に泥を弾いている以上、まったく不可解という訳でもないのだが――そろそろ夕暮れが到来しようかと云う陽の光を反射して鈍い輝きを放っていた。
“首”の太さは人間の成人男性の胴周り位であろうか。その先端に位置する“頭”は更にその“首”の倍程の太さを誇る、茶筒を思わせる円筒形をしていた。
(アレは……!?)
物の本か何かで見覚えのある円筒の正体に思い至るよりも先に、私は己が右手を砲身の様にその“頭部”へとかざしていた。円筒が緩慢に“首”を振り、何かに狙いを定めているのが明らかであった為である。
直近にいる私に対してでは無い。いまだ樹の根元に一人突っ立ったままのファーラに向けて。
立って右往左往している以上、腰が抜けた訳ではあるまい。にも関わらずファーラがその場から逃げる素振りを見せない理由は一つしかない。
私を置いて逃げる事を躊躇ったのだ。おそらくは。
なればこそ、その厚意に応えねばならない。例え私の勘違いかもしれなくとも。
“――炸裂岩!”
私の脳裏で声なき声が鬨の声を上げる。
私の両腕に仕込まれた一対の魔晶弾倉、それはガッハシュートのソレのような装填式ではなく、一度込めた魔晶を取り出す事すら不可能な簡易版である。バロウルが、何らかの“誓約”に抵触しないよう考え考え私に教えてくれた説明によるとそうであった。それでも私にとって大いなる助けとなる“力”である事には変わりない筈である。
『筈である』などと歯切れの悪い言葉を用いたのには理由が有る。“遺児達”の襲撃の際に殆ど成り行きで私が用いる事となった電光晶などの強力な魔結は、今は私の手元には無い。
コルテラーナが新たに用意した幾つかの魔晶は、私ではなくナナムゥに与えられその腰のポーチに入れて管理されていた。
魔晶自体が貴重であるという事もあり、私に直接管理させると無駄撃ちをすると判断されたのだろう。あれだけ事前に禁じられた四肢の切り離しを敢行した前科があるだけに、私としてはただただ恐縮する他ない。ナナムゥが管理する方が、私などよりもよっぽど適切な運用が出来るだろうという得心は謙遜でも何でもない。正直なところ、魔晶弾倉自体が私にとっては過ぎたる“力”ではないのかと、秘かに恐れる想いもあった。
そういう事情もあり――私自身の要望も合わせて――私の両腕の弾倉には比較的量産の効く炸裂岩という空砲が装填されていた。
一つは緊急時の警報や狼煙として使う為、そしてもう一つが無駄に大きな炸裂音で対象の注意を私に引き付ける為である。今、私が茶筒状の“頭”に向けて撃ち込んだように。
直撃させる必要がない分、私でも変に躊躇する事なく発射できるのも都合が良い。
立ち込める赤く着色された粉塵を振り払うように、ファーラの方を向いていた“頭”がゆっくりと私の方を向く。如何なる算段があったのか、“頭”そのものがハンマーを振り下ろすようにすぐに私の方へと打ち付けられた。
(これでいい!)
珍しく、自分の狙い通りの展開になった気がする。この隙にファーラが私を置いて野営地に逃げ帰れば御の字。例えそうでなくともあの炸裂音でナナムゥが予てからの打ち合わせ通りこちらに取って返して来るだろう。そもそも野営地で何が起こっているのかはいまだに不明ではあるが、後に残る面子的にそう大した問題にはならないであろう。
振り下ろされる“頭”を躱すという考えは始めから私には無かった。腰まで泥に浸かって動きを阻害されている上に、変に抵抗してファーラに再び対象が移る恐れがあった為である。
沈下が止まっている以上、泥と云っても底無しには程遠い。私は脚を踏ん張り両手を広げると、“頭”をしっかと頭上で受け止めた。
周囲に轟く衝突音。
視界に遅延効果さえかけてしまえば只でさえ速度の遅い振り落としである、鈍い私とは云えそれくらいの対処は出来た。
「――!?」
“頭”の淵を掴んだのには、深い考えがあった訳では無い。他に妥当な個所が無かっただけではあるが、行為としては正解であった。
茶筒の様な円筒の底面には、すり鉢状の穴が開いていた。その穴の壁面には鮫を思わせる正三角形の“歯”が等間隔で植えられており、壁面そのものがミキサーのように回転していた。
私の躰を頭から呑み込み、そして粉砕する為に。




