喜貌(2)
“方術”とは、この世の事象や理などの概念を形と成す業である。“因果律”を“構文”の形として刻むと云うのが最も実情に近いのかもしれない。
些か言葉遊びじみてくるが、『因果律を書き換える』となると、それはすなわち『運命を書き換える』行為に他ならない。そこまでの域となると、それは神の領域の話であった。この世に本当に“神”が実在すれば、であるが。
“方術”にはそこまでの力は無い。あくまでもこの世の“事象”を滔々と綴るのみである。
死を与える災厄を生み出すことは出来る。
死を与える災厄を逸らすことも出来る。
だが災厄によって死んだものをなかったことには出来ない。
刻を戻す呪法は、方術士にとって永遠の命題でもあった。
その方術士ザーザートが――形式としては主君であるクォーバル大公の命によって――墜ちて来たばかりの“少年”に施した三重の方術。
それぞれが“圧潰”、“爆破”、“灰塵”という“事象”そのものである三連の不可視の輪は、いざ発動した際には中心点として据えられた少年という存在を欠片一つ残さず消滅させるのだと、ザーザート自身から受けた宣告ではそうであった。
(“方術士”か……)
望まぬとは云え様々な時空を流浪してきた身である以上、アルスにとっても“方術”そのものを見るのは初めての事では無い。だが一方、この身に術を施す事が可能なまでの強力な方術士を見るのはザーザートが始めてであるというのもまた、アルスにとっては事実であった。
例えそこの何らかの仕掛けがあり、ザーザート本人のみの術ではないのだとしても。
「それじゃあ、そろそろ出発しましょうか」
小太りのユーモラスな外見でありながら、鞍に跨る手慣れた挙動も含め意外とオズナの騎乗はさまになっていた。公国の礎である幾多の“洞”の主の一人、すなわち貴族の出として相応の修練は積んでいるということなのであろう。
アルスにしては珍しく口元に僅かな苦笑が浮かんだのは、祖父である老宰相デイガンに半ば強制的に修練させられたであろう様子が容易に予想できたからである。
「はいっ!」
馬上からアルスに向けてオズナが勢いよく手を差し伸べる。それが、自分を鞍に引っ張り上げて相乗りを促しているのだということに気付くのに、アルスは些かの間を要した。
「不要だ」
フンと鼻を鳴らしながらアルスはオズナに背を向けると、彼をその場に残したまま一人大股で歩み始めた。
これまでアルスが相応の時間をかけて近隣の“洞”なり集落なりに探索の手を広げたにも関わらず、彼の捜し求めている者の影も形も見当たらなかった。同じこの世界に墜ちて来たのが確かであるにも関わらず。
ならば次に向かうべきは新たな探索の拠点となる大集落、すなわち商都ナーガスである。
わざわざ街道を真紅の装いで人目を惹きつつ練り歩いているのも、絡んで来る人間に強い印象を与えながらも追い払っているのも、全ては噂を聞きつけた彼の従者の方から接触してくであろうという目算あってのものであった。
無論、今の時点でアルスも“少女”の気配を完全に見失ったその背後に作為的な影を感じ取りはしていた。その報いをいつか受けさせるにせよ、全ては“少女”をこの手に取り戻してからの事である。
「待ってくださいってば!」
慌てて背後に追い縋って来る馬の蹄の音。それを敢えて聴こえない振りをしていたアルスだが、オズナを――腕づくで――追い返すまではしなかった。
彼なりに一目置いていた老宰相への義理も無いではない。だがそれよりも、良く見知った人間に雰囲気が似ていたからだというのが理由であることを、アルス自身が気付いていたかどうかは定かではない。
物怖じせずに彼に纏わりついてくる奇特な人間に――アルスが捜している愚か者の“少女”に醸し出す雰囲気が似ているのだということに。
*
「行ったか……」
山中に穿たれたコバル公国の公都奥深く、主君クォーバル大公の御所の中で、方術士ザーザートはゆっくりと目を見開いた。
“客将”であるアルスに施した“不可視の枷”。それはザーザートにとってもある種の“付箋”として、常にアルスの位置を感知することを可能としていた。流石に無限の有効範囲を誇るなどということは無いが、この閉じた世界の内側程度の距離であるならばどこに居ても把握できる為、実質無限であるとも言えた。
そしてそれはザーザートが望めば何時如何なる距離を隔てていたとして、アルスに施した“不可視の枷”を発動させ、その“少年”の躰を“圧潰”し“爆破”し“灰塵”と帰する事が可能であるということでもあった。
「まさに道化だな……」
ザーザートの口調には、既に宰相達に追随していた時の様な慇懃さは微塵も無い。また暗がりでさえなかったら、その瞳にありありと浮かぶ侮蔑の色を見て取ることもできただろう。
と、常時人払いをしてある御所の薄暗がりが、ザーザートの目の前でユラリと揺れる。
不意に闇の中に灯る、ささやかな一つの光の珠。薄桃色の光を放つそれが“旗”の変じた光球であることをザーザートは知っていた。
「……」
ザーザートが一人無言で見守る中、右の掌に光球を指で半ば包み込むように浮かべたまま、暗がりの中から一人の青年がヌルリと歩み出る。まるで闇の中にいきなりその身が生じたかのように。闇そのものが人の形に変じたかのように。
端正な顔立ちは、しかしその血の気の失せた肌の色で見事に相殺されていた。身に纏った黒い衣によって一際その青白さが強調されているのだとしても、血の通った人間の温かみをまったく感じさせないと云うのは異常であった。造り物の硬質な美しさと言ってもいい。
“亡者”――それが、公国の三人の“客将”の最後の一人であるその不気味な“青年”が自ら名乗った呼び名である。
「回収の手筈を漏らしていたか?」
無造作にメブカがザーザートに向けて、漆黒の“鳥”を用いて回収して来た光の珠を放る。
「まさか」
肩をすくめて見せるザーザートの姿は、一見したところただの強がりのようにも見えた。だが彼が再び眼前に戻った“旗”に貪欲に手を伸ばさなかったのは確かである。
放置されたに等しい“旗”はザーザートの胸の前で浮遊したままに停止すると、まるで宇宙に浮かぶ恒星の様にその場でゆっくりと回転を始めた。
「妖精皇国に残しておくのも想定内だ」
回る“旗”を見下ろすザーザートの口の端に僅かに皮肉な笑みが浮かぶ。
「妖精皇国が“旗”を二本も獲得したとこの国の貴族達が知れば、後は少し焦燥を煽るだけで容易く戦を引き起こせたものを」
「失われていた最後の“旗”と偽ってか」
メブカが発した言葉は、ただその一言だけであった。それすらも事実を確認したというだけの事で、およそ興味を惹かれている声色ではない。
それを裏付けるように、しばしの間を置いてメブカが再び口を開き問うたその内容は、己が持ち帰った“旗”とはまったく無関係の事柄であった。
「――“少年”は?」
「想定通り、妖精皇国目指して出立したところだ」
こちらも普段はあからさまに感情を表に出さない――ように努めている――ザーザートの貌に、快心とでも呼ぶべき満面の笑みが浮かぶ。
「後は”ティティルゥの遺児達“が残してきた”撒き餌“に釣られるのを待つだけでいい」
「……」
滔々と語ってはいるものの、無論ザーザートにとっても自身が“客将”として送り出した”ティティルゥの遺児達“の本来の目的が未達成であることは知っている。妖精王国か浮遊城塞の要人に憑り付き拉致して来ることが、そもそも遺児達に課せられた任務であった。
その過程として、妖精皇が秘匿していた未知の設備に痛打を与える事は出来た。この世界の技術水準を遥かに超越しているであろう妖精皇国の切り札を、或いは二度と稼働できない程の損傷を与えたことは確かに大きな成果であった。
しかし非公式の場であったとは云え、宰相デイガンと何よりも“少年”に対してその出番は無いという宣言が、大言壮語であったと嘲られてもした仕方のない失態であったことも事実である。
策の二の矢として“餌”を撒いてくることは成功していたが、それが効力を示すのはまさに今からの話であるし、何よりもその対象である“少年”自身にそれを誇るなど愚の骨頂である。
ここは大人しく殊勝に首を垂れるべき案件ではある。だが、ザーザートは任務の失敗を認める訳にはいかなかった。自身の“甥”であり“姪”でもある遺児達の失態を認める訳にはいかなかった。
それが亡き“姉”への、無力であった自分のせめてもの贖罪である。そして遺児達の失態を知るのは公国おいても2人だけである。
それが宰相デイガンと“少年”アルス。ザーザートにとっては何れにせよ“処断”すべき立場の相手であった。デイガンの孫もその場には居たが、そちらは始めからザーザートの眼中には無い。所詮は宰相のおまけであった。
「あの“少年”がそう易々と“餌”に釣られる相手だとは思えないが」
疑念を口にするメブカだったが、相も変わらずその口調は単に事実を淡々と告げているといった体であり、策を巡らすザーザートを揶揄する響きすらまったく感じ取れはしない。俗な言い方をするならば、まさに『言ってみただけ』という感じであった。
「まさか」
メブカの言葉に対し、ザーザートが嗤う。それは“少年”に対する明らかなに嘲笑でもあった。
「ああいう自分が強者だと自負している輩の方がむしろ御しやすい。己を超える力を持つ者を前にした時、どのように虚勢を張るのか見物だな」
ザーザートの右手の中に、不意に鈍い金色の光の珠が浮かぶ。それは彼の手の中で“棍”の形状を経て、そして長い杖へと外見を変じた。
「残念ながら、それを見る機会は無いだろうがな」
六旗手ザーザート――彼が手にした長杖もまた“旗”の一つである。その“旗”の助けによって超常の力を得た彼が“少年”へと施した三つの“不可視の枷”。
“少年”――アルスはその軛から逃れられぬまま、遺児達の撒いた“撒き餌”である“少女”の元に遠からず辿り着くだろう。ザーザートが然るべき時にその情報を伝え誘導する為である。
そして遺児達の目的である要人拉致に代わり、妖精皇国か浮遊城塞か、そのいずれかの中枢部を吹き飛ばす戦果を上げるであろう。アルス自身の躰を引き換えに。
確かにアルス自身が自負するように、“客将”に任じられた彼に比肩する程の“力”を持つ者はこの閉じた世界にもそうそういないであろう。だが言い換えればそれはザーザートにとって、確実に目的に到達する理想的な爆弾であるとも言えた。
無論それはザーザートの与り知らぬところではあるが、ちょうど浮遊城塞の試製六型機兵『キャリバー』が、自らの使命を自爆だと悟ったのと似ていた。
「まあ、ここは好意に素直に甘えるとしよう」
やおらザーザートが、放置されたままであったもう一つの“旗”である薄桃色の光の珠に左手を伸ばす。
依然として彼の胸の前で回転していたままであった光球が、ザーザートの左手の中で“旗”として目覚め、すぐにその形を“棍”へと変えた。それが次に、波打つ両刃の儀式用の短剣へと外見を変じたのは、瞬きする間も無い程の時間であった。
右手に金色の光の珠が変じた杖を、左手に薄桃色の光の珠が変じた短剣を。それは、六旗手ザーザートが現時点では唯一無二である2本の“旗”を持つ六旗手に再び戻ったことを意味していた。
――グゥゥ……
彼等の頭上に響く、獣の様な野太い唸り声。暗がりを震わすその声は、苦しげな呻き声でもあった。
だが唸り声の主の方を、そもそも自我が無いように見えるメブカは無論のこと、ザーザートですら目線を向けることさえしなかった。
コバル公国の公都深部に設けられた、クォーバル大公の閨でもある御所。
陽光を備蓄し暗がりで光源の役目を果たす月光石によってかつては眩く彩られ、公国中より集められた女官の嬌声の――或いは悍ましい絶叫の――絶えることのなかった磨き上げられた石造りの後宮。
今は側近であるザーザートがその管理を大公より一任され、彼の許可なく何人も立ち入る事の許されることのない、光さえ奪われた寒々とした地底の氷室。
ザーザートによって床に刻まれた“方陣”そのものが放つ青味がかった蛍光が、今はこの御所の僅かな光源として下から室内を照らすのみである。それすらも、床を這うモノ達の影によってしばしば覆い隠される次第であった。
それは決して地底の窖に住まう虫や小動物の類が這い出て来た訳では無い。この部屋の隅に溜まりアチコチを這いずり蠢くモノ達こそ、一つ一つが一枚の黒い布としか見えない”ティティルゥの遺児達“の群れであった。
その異形のモノ達が、我が物顔でこの国の君主である大公の閨を蹂躙している。ザーザートの命ずるままに。
「早急に“少年”を排除することだ……」
メブカが一歩背後に下がり、出現した時と同じ様にその躰が暗がりの中に消えていく。まるで彼自身が闇そのものであるかのように。
後にはただ、抑揚の無いその忠告だけが漂い残された。
フッと、僅かな笑みで完全に気配の失せたメブカへと応えるザーザート。
“少年”に施した“方術”は、今手にしている2本の“旗”の“力”によって構成された方術式によるものであった。その三重の方術から成る“不可視の枷”は、ザーザート自身をして完全に解除することが既に不可能なまでに、複雑に絡み合ったものとして生成されていた。
実際、何者であろうと“不可視の枷”の解除を試みた場合、“圧潰”、“爆破”、“灰塵”の何れかの方術が発動し“少年”――アルスの身にその名の通りの災厄が降りかかるであろう。発動するのが一つだけなのか、或いは三つ全てであるのか、それさえも方術を施したザーザート本人ですら確たる事が言えない程である。
もし“不可視の枷”の発動を完全に防ぐ手立てがあるとするならば、それこそ6本の“旗”を全て集め“彼等”の力を借りる他には無い。願いが“彼等”に聞き入れられれば、の話ではあるが。
ザーザートの半ば戯れの入った見立てではそうである。そして何よりも、“旗”を全て集める時間などアルスに赦される筈も無かった。
「せいぜい開戦を告げる派手な狼煙として爆死してもらおうか」
今更ではありますが流行に乗って「異世界転生」だと言い張っていますが「異能力バトル」ものですよね
注:この作品の「方術」は実際の方術(法術)とは名称が同一なだけで内容はまったく異なります




