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喜貌(1)


 北部 コバル公国――


 「……」

 商都ナーガスへと続く街道を、その少年は一人南へ向けて進んでいた。

 徒歩である。しかも(あか)い。

 10歳にも満たないであろう少年の一人旅というだけでも異様な光景である。更に加えてその少年の風体自体も異様であった。

 真紅の外套に鍔広の真紅の帽子。襟足から伸びる長髪もまた(あか)かった。

 目を引く点はそれだけではない。少年は旅装束には付き物の背負い袋の類を一切身に着けておらず、そして何よりも護身用の武具の類を一切携帯している様子すらなかった。例え懐に短刀なりを忍ばせているのだとしても、尋常な出で立ちからは程遠いものである。

 いうなれば年端もいかぬ少年が一人、この荒涼とした景色の公国領を毒虫のように派手な色合いの服を着て闊歩している、そのような異様な状況であった。まるで自分の家の近所を散歩しているような気安さで。

 無論、そのような呑気な道理が通用する程、この閉じた世界(ガザル=イギス)が住み良い場所である訳がない。

 確かにこの世界で稀少な『国』を名乗るだけの事はあり、コバル公国の領内で野伏野盗の類が跋扈しているなどということはない。流石に常備軍を置くまでの余裕は無いとは云え、近衛兵が警邏隊を組織し、定期的に領内を巡回している賜物である。

 だが、この閉じた世界(ガザル=イギス)に墜ちて来た“新参者”にとって、コバル公国で最も警戒すべきが実はこの警邏隊であった。

 警邏隊がそもそも、何に備えて警邏しているのかという話である。

 隣接する山岳地帯に六旗手である“知恵者”ザラド率いる『救世評議会』が存在するとは云え所詮は逃亡者の群れ、向こうから攻め寄せてくる筈も無い。

 警邏隊の主たる目的とは領内の不穏分子に対する備えというよりは、むしろ領内に墜ちて来た新たな異邦人の確保に重きが置かれていた。

 国家機密として秘匿されているが“紅星計画”(アルシュート・ベルマ)の一環として方術士ザーザートによる“新参者”の墜落(しょうかん)は激増しており、警邏隊もそれに合わせてその人員を増していた。来たる南部への侵攻に備えた士官候補の育成も兼ねているのは言うまでもない。

 警邏隊の真に恐るべき点は、公国で発行された――無論、良い値段のする――身分証を持たずに領内を闊歩している者を“新参者”として『確保』出来る権限を持っているという一点にあった。今はまだそこまで派手な街中での取り締まりなどは行われてはいないが、被疑者には抗弁する機会さえ与えられていないのである。

 では『確保』されたその“新参者”はどうなるのか。流石に建前として様々な『罪状』として理由付けはされるが――それこそ日本で云うところの『働かざる者食うべからず』レベルでしかないが――とどのつまりは鉱山に送られ強制労働に駆り出されるという流れである。女性の場合はクォーバル大公に直々に召し上げられる事例もまま有りはするが。

 それを無法と云う者は、少なくともコバル公国内にはいない。例えそれが先住者のみの意見だったとしても、それは公国においては絶対の真理であった。“新参者”は決して“奴隷”という身分ではないし、勤め上げれば市井の民としての身分を得る事も許されているからである。

 制度上は。

 むしろ鉱山から死力を尽くして逃亡し、『救世評議会』と合流して細々と暮らすと云う前例の方が遥かに多いくらいである。

 そういう次第もあって、徒手空拳の少年の一人旅など狂気の沙汰でしかない。だがその明らかに異様な風体と派手な真紅の装いにより、街道を行く他の数多の者達は逆に、無用の騒動を避けたのか少年を前にしても見て見ぬふりをしてやり過ごす者が殆どであった。

 それは毒を持つ生物が派手な体色で周囲に注意喚起を促すのにも似ていた。

 それでもやはり『少年』という姿形が気に掛かるのか、わざわざ馬車を寄せ彼に声を掛ける奇特な者も中にはいた。

 そのような手合いに対して少年は、煩わしげに鍔広帽子を脱いでみせるに留まった。声を掛けて来た者の前に初めて露わとなる、帽子の下に隠されていた黒光りする黒檀の様な二対四本の角。ただそれだけで皆そそくさとその場を立ち去るのが常であった。

 それでも極々稀にではあるが、引き下がらぬ者もいた。或いは少年がみすぼらしい、それこそ行き倒れと見紛う有様だとそうはならなかったのかもしれない。街道を一人涼しい貌で歩むその姿は、確かに俄かには立ち去り難い一種の神々しさがあったのは事実である。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)において、角の有る者や肌や髪の色が著しく異なる者も居ない訳ではない。そのような異形の外見では判断しないという博愛主義者か、単に好奇心が強い愚者か、或いは少年の只ならぬ気配を感じ魅せられた奇特な人間か。

 その真意が何れであれ、尚も絡んでくる相手への少年の取る態度はいつも一つであった。紅い三白眼で不機嫌そうにジロリと一瞥するだけで、馬車を引く馬も、そして声を掛けてきた当人達も揃ってその場で脚が竦み動けなくなるのである。その間に少年は悠々と歩き去り、その姿が視えなくなる頃にようやく哀れな犠牲者の脚の震えが治まるという次第である。

 敵意の無い人間相手だから、という訳では無い。いまだコバル公国領内では遭遇してはいないが、野盗などの敵意の有る人間相手でも少年はそうしたであろう。

 彼、深紅の少年アルスにとって、“少女”と交わしたあの約束は依然として有効であった。


 「待ってくださーーーーーいっ!」


 背後に響く聞き覚えのある青年の声に、アルスは無言のままに眉を顰めた。そして脚を止める事も振り返ることすらせずにそのまま街道を歩み続ける。


 「アルス卿ーーーーーっ!!」


 「……チッ」

 尚も追い縋って来る大声に、流石の少年の脚が止まる。渋面と共に右の拳が固く握られるが、“少女”との約束を思い出し短い溜息と共にその指が緩んだ。

 「間に合った!」

 安堵の声を上げて、一騎の騎馬が脚を緩めながら少年の横に並ぶ。その馬の背に跨った小太りの青年こそ、コバル公国宰相デイガンの孫である、オズナ・ケーンその人であった。

 「……」

 アルスが渋面を崩さないのには理由が有る。彼が――無論無断で――公都を出立してからかれこれ半日、山間部の裾を縫う形で伸びる街道からは既に公都が見えなくなって久しい。とは云え街道自体が曲がりくねっている為に直視できないというだけであり、馬を飛ばせば復路でも大した距離では無い。オズナの目的が単にアルスを連れ戻すだけであるならば、それこそ着の身着のままで馬を駆けさせれば済む話である。

 にも関わらず、馬上の鞍からノタノタと降り立つオズナ自身の装いも、馬の背に括られた幾つかの荷袋も明らかに旅人を思わせるそれであった。

 「宰相から通行手形と身分証明の札を預かってます。これが無いと、次の関所すら越えられませんよ」

 ようやく追い付いた安堵感からか上気して一気にまくし立てるオズナに対し、アルスの返す言葉は冷ややかなものであった。

 「……帰れ」

 吐き捨てるようにアルスはそれだけを告げると、まるで何事もなかったかのように再び一人で歩み出した。

 「関所など、俺一人でどうとでもなる」

 アルスの言葉の半分は嘘であり半分は真実である。関所を押し通ることくらい彼にとっては造作も無いことであった。

 どのような手段を弄してもいいのならば、という話ではあるが。

 自ら不用意に交した“少女”とのくだらぬ“約束”に縛られたアルスにとってそれが不可能である以上、後は関所を避け定命の者であれば踏破不能な地を選んで進むのみである。

 事実そのやり方によって、彼は近隣の集落における尋ね人の探索を既に終えていた。

 「でも、私はアルス卿のお目付け役ですし」

 馬の手綱を引きつつめげずに追い縋って来るオズナ。小太りの青年がドタドタと追って来る様は、それだけでどこかユーモラスなものであった。

 「変な称号で呼ぶのは止めろ」

 遂に根負けしたのかアルスが歩みを止めると、振り向きざまにピッとオズナの貌に下から指を突き付けた。

 「だいたい『お目付け役』などと当人に面と向かって告げる奴があるか。馬鹿か、貴様は」

 アルスのきつい口調も決して誉められたものではない。相手によっては――その結果どうなろうと――激昂されてもおかしくはない程の傍若無人さではある。

 「そうなんですか?」

 しかしオズナは一瞬キョトンとはしたものの、罵倒にもまったくの無頓着と云った感じであった。おそらくは、部外者に対する『お目付け役』というのが信用に値しない人物への『監視役』だということすら理解していないのだろう。

 呆れて返す言葉さえ失くしたアルスの前で、オズナがそれはそれとしてと言わんばかりに首に下げた袋を胸元から引っ張り出す。

 「それに、おじい…宰相から路銀も預かってきてますし、この世界の先輩として私が商都(ナーガス)までの道案内を――」

 袋の中からくすんだ銀色の硬貨を何枚か取り出しながら――見事なまでに形と大きさが整っていることからも鋳造技術が確立されていることが知れる――得意げに語り出すオズナを、アルスが些か挑発的な口調で遮る。ここまで感情を表に出すのも、少年にしては珍しいことではあった。

 「意気込むのは結構だが、両替商の所在地とか本当に押さえてあるのか?」

 「両替商……?」

 「やはり帰れ、貴様は」

 苦虫を噛み潰した顔でアルスが告げる。

 「この国の貨幣がそのまま余所で使える筈がないだろうが」

 傍若無人を極めているように見えるが、アルスも抜かりなくこの世界に関する情報を集めてはいた。これまではその様な些事を一任していた従者(ルフェリオン)とはぐれてしまったからというのも大きな一因ではあるのだが。

 それは兎も角としても、この閉じた世界(ガザル=イギス)に限らずそれぞれ独立した、しかも反目すらしている国家間で仲介者を通さずに貨幣が流通する訳が無い事を彼は無論知っていた。

 アルス達がこの湾曲空間の狭間に据えられた世界に引きずり込まれた際、辛うじて己の従者に“少女”を保護するよう託して久しい。流浪の旅を賄う資金の管理も全てその従者の管轄であったが、アルス自身も相応の価値の見込める貴金属の類を常に保有はしていた。まさに今のような有事に備えて。

 彼が両替商の名を口にしたのは、念の為に商都での両替商の情報を得ておきたいという思惑もあった。

 「え!?」

 しかし、オズナの人の好さが滲み出ている丸い茶色い瞳が更に大きく見開かれ、その青年の口から出た回答はアルスの予想に反するものであった。

 「お金ならどこでも使えますけど?」

 「……!」

 言っている意味が分からないというオズナの声色の前に、今度は逆にアルスの方が押し黙る番であった。

 オズナの言葉だけであったなら、馬鹿の世間知らずだと一笑に付していたのかもしれない。だが、オズナに路銀を預けたのが老宰相デイガンであるという事実が、硬貨が何処でも流通するというのが世迷言ではないのだとアルスを熟考させた。彼なりにある程度の信を老宰相には置いていたという事でもある。

 しばしの沈黙の後、ようやく発せられたアルスの声は些か不機嫌な色を秘めていた。オズナに教えを乞うという意識がそうさせたのかもしれない。

 「――誰が貨幣の価値を保証している?」

 そこまで言葉を発してから、アルスはオズナのポカンとした貌を前にすぐに質問を変えた。

 「その硬貨は誰が鋳造…いや、誰が造っている?」

 質問の意味をようやく理解できたのか、「あぁ」と始めてオズナの瞳が輝く。その質問のなされた意図の方は理解出来ていなかったとしても。

 「それなら『移動図書館』ですが」

 「……」

 『移動図書館』の名は、かつて老宰相デイガンから渡された資料にも記されていた。

 率いるは六旗手が一人“司書長”ガザル=シークエ。その名の持つ正確な意味をアルスが知る由も無いが、閉じた世界(ガザル=イギス)と共通の単語を持つという事は、相応の立ち位置にいるということだろう。オズナの言うようにこの世界の貨幣の鋳造を取り仕切っているというのが事実であるならば、少なくともこの世界の経済の根幹を握った影の支配者と呼んでも過言ではない。

 加えて“司書長”という組織の長であることを示す肩書きを持つという事は、属する『移動図書館』が集団で構成されているということでもある。

 それはすなわちこのコバル公国の目論む“紅星計画”(アルシュート・ベルマ)――それがこの世界の統一戦争を単に粉飾したものなのか、或いはその先に更なる目論見があるのかどうかは、流浪の身であるアルスにとっては意味の無いことではある――において、『移動図書館』という経済面を支配している集団は決して無視できる存在では無いということである。

 真っ当な判断力を持つ者であるならば、それに気付かず筈も無い。商都や妖精皇国、浮遊城塞などよりはよほど処すべき相手として、早急に対応すべき集団であった。

 例え主君であるクォーバル大公自身が落魄し、その念頭から抜け落ちていたのだとしても、臣下の身であるならば。


 (まぁ、俺の知ったことでは無いが……)


 実のところ、老宰相デイガンが自分に肩入れするのも孫であるオズナを『お目付役』の肩書きと共に自分の傍に置くよう取り計らったのも、全てが政変に備えての“手駒”を増す一環であるのだろうというのはアルスも察してはいた。

 先手を打たれデイガンの方が辞任に追い込まれたようでもあるが、それこそアルスにとっては知ったことではない。

 「気に食わんな……」

 自分をを中心としてその周囲をゆっくりと巡る三つの平たい輪を見やりながら、アルスがボソリと呟く。

 大公の側近中の側近である方術士ザーザートが、アルスに誓約変わりだと施した“不可視の枷”。それが中空の薄い円板と化して合わせて三つ、彼自身を芯として歯車の様にゆっくりと回転している様がアルスには視えた。

 円盤に実体がある訳では無い。例え回転の軌道上に障害物があったとしても、円板それ自体が幻影であるかのように擦り抜けるだけである。

 ただし、その回転が止まる事だけは決してない。あるとすればザーザートの方術によって定められた“滅びの事象”がアルスの身に降り注ぐその時だけであった。

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