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飢妖(19)

 周囲の妖精機士達は依然として“遺児達(ラファン)”の掃討に専念しており、今の一連の騒動に気付いた者は少ないようでもあった。老先生の放った電撃が、音も光も微弱だったというのもある。流石に全員という訳ではないのだが。

 そして、こちらを注視しているその数少ない妖精機士もまた、こちらに急いで駆け寄って来るなりの行動を起こす素振りすらなかった。

 後から考えると、老先生がこの場を取り仕切っているように見えたのも勿論あったのだろう。だがそれ以上に機士達は、私の目の前に浮かぶ光球が“旗”であるとは微塵も気付いていない風でもあった。

 無理も無い。

 おそらくは『この閉じた世界を解放する鍵である六振りの“旗”』という伝承のみが独り歩きしており、その実体が光の球でありそれが変じた“棍”であることは知れ渡ってはいないのだろう。もし私が六旗手だとするならば――まさに今それを拒絶したところではあるが――奪い取られる危険性を少しでも解消するために、やはり同じ様その外観を隠し通していただろう。

 所長の付き人として比較的その手の情報を知り得る立ち位置にいるミィアーですら、光の球に対し苦無を手に警戒を強めるだけで、それが何であるのかを知っている素振りではなかった。

 クロに至っては――そもそも今は“布”を追ってここから離れた位置に居るとは云え――所長からの命令が無い限り“旗”に関しては完全に管轄外であろう。

 その様な周囲の状況の中で、唯一バロウルの息を呑む声だけが聴こえた。今にも消え入りそうなか細い声ではあったが、それは彼女が光の玉が“旗”である事を知っているという証でもあった。


 “旗”――


 “彼等”がこの閉じた世界(ガザル=イギス)に残した、得た者に超常の“力”を与える六振りの“祝福”。コルテラーナの昔語りを聞いた私から言わせるならば、有りもしない希望を囁く為だけの六振りの“呪詛”。

 持ち主を喪ったその一つが今、私の目の前に無造作に浮遊している。

 私の――この私の手だけが届く範囲に。

 昔読んだ有名な幻想小説にも似たような一節があった。

 “旗”から目を逸らすことなく私はその分厚い文庫本の記憶の端を辿る。あの物語では魔法の指輪への愛しさが程無く邪念へと変じ、関わった者を皆破滅へと導いたのではなかったか……。


 「――取ラヌノカ?」

 「ヴ!?」


 不意に背後より老先生に声を掛けられ、私はこれまでにない位に狼狽してしまった。カートゥーンアニメだったらショッキングな効果音と共に飛び上がっているところである。

 私がやましい気持ちを胸の内に抱き、それを老先生に指摘されたからではない。老先生が背後に居ることすら失念する程に目の前の“旗”にのみ意識を囚われた己の迂闊さが、あまりにも情けなかったからである。

 「――」

 あまりにもボソボソとした小声であったが故に、老先生がその場で何を呟き出したのか私には聴き取る事ができなかった。それでも独白にも似た老先生のその呟きが止むと同時に、それまで微動だにしなかった私の四肢固定が解除されたことを知った。

 バロウルの発した『デモノバ』なる緊急停止コマンド。老先生の呟きがその対となる解除コマンドであったことを悟ると同時に、私は再び猛烈な自己嫌悪に苛まれた。

 “旗”を手にするか否かどころの騒ぎでは無い。自分の四肢が今の今まで可動を封じられていたことすらも、私は完全に失念していたのだから。

 亡き母がこの場にいたならば、どんなにか嘆かれたことだろう。如何に目の前に“旗”が有るにせよ、その実、私には腕を伸ばす事すら叶わなかったのだ。我が事ながらあまりにもお粗末に過ぎた。

 胸中でうなだれる私の横にスイと並んで立った老先生が、その手押し車のアームで光球を指し示す。機械の様に抑揚のない囁き声は、標本を前に事務的に解説を始める講師か何かを私に連想させた。

 「機兵トイエド魂魄ヲソノ身ニ宿シテイル以上、オ前ニモ六旗手トナル資格ハ有ル」

 「……」

 「強イ信念ガ共ニ有レバ、ソノ“力”ハ間違イナクオ前ノ助ケトナルコトダロウ。我ガ弟子かかとト並ビ立テルマデニ」

 咎めるでもなく、さりとてけしかける訳でもない、ただ淡々と私に教え諭す老先生。

 この人の真意はどこにあるのだろうかと探ろうにも、古びたフードと無貌の仮面とに隠されたこの小柄な人物からは、顔色一つ窺うことすら出来はしなかった。

 だが、何れにせよ私の心は最初から決まっていた。老先生の解説が有ろうと無かろうと、それは些かも揺らぐことない。それが、老先生の云うところの私の『信念』であった。

 「ヴ」

 私は老先生へと貌を向け――老先生が常時猫背で、私の膝上にすら届かない背丈であるが故にどうしても見下ろす形となってしまうが――単眼に光を灯した。

 赤い光――『否』の意志を示す赤い輝きを。

 確かに六旗手となり“旗”から超常の“力”を得る事ができれば――それがどのような“力”となって私の内に顕現しようとも――“黒い棺の丘”(クラムギル=ソイユ)を覆う闇のカーテンの“あちら側”を探索する際の、大いなる助けとなる事は間違いない。

 そればかりか、私が求めてやまなかった『誰かを護れる力』として、更なる良き目的の為に存分に振るう事もできるだろう。

 これまでも私を――何故か――支え諭し導いてくれた、血も繋がっていない『赤の他人』の厚意に報いる為に。

 だが、事態がそれだけで済まないであろうことは私でも予測できる。この閉じた世界(ガザル=イギス)を解放する鍵となる――“彼等”はあくまで『望みが叶う』としか告げていないらしい事が気には掛かるが――“旗”の一本を手中にすることで、私は否応なくそれを巡る諍いの只中に巻き込まれることになるのは間違いない。

 それが今まさに開戦に向け暗雲たち込めつつある戦場での話となるのか、或いは更に厄介な謀略という暗闘となるのかまでは分からない。

 どちらにせよ、それはあくまで探索機として造られた六型機兵(わたし)にとっては望ましい事態では無い。本末転倒とはこのことだ。

 (それに――)

 何よりも、他人の生命を奪う事など私には出来ない。過酷なこの世界に生きる住人からは鼻で笑われることだろう。それでも平和な世界で生まれ育った私にとって、人を殺すことは禁忌であり、それを犯す覚悟も無い。

 何よりも、怖い。誰かの生命を絶つことなど。

 「……」

 老先生は、私の拒否の合図(サイン)を見てもそれ以上は何も言わなかった。文字通り宙に浮いた形となった光の球を、私に代わり手押し車の可動腕で回収する素振りすら見せなかった。

 安堵した、と云うのが正直なところである。とは云え、二人揃って立ち尽くし、“旗”をこの場に放置しておく訳にもいかない。

 (触れるだけなら問題あるまい……)

『“旗”を得て六旗手となることを念じれば超常の“力”を得ることが出来る』――誰かしらからそう聞いた憶えも有った。ならば“力”を望まなければ何も起こらぬ道理ではあった。

 念の為に己の右腕に一切の“布”が残っていない事を確認すると、私は“旗”である光球へと右手をそろそろと伸ばした。私にその気が無い以上、後は私などよりも余程相応しい誰かに託せばいいだけの話だ。

 その選別はコルテラーナや所長の領分である。正直な所、私にはパッと思い浮かぶ適任者はいないが、あの二人ならば相応しい人物の心当たりがあることだろう。


 「――ヴ!?」


 闇を切り裂き迫り来る、黒く、細く、長い影。

 気付いた時には、既に手遅れであった。

 夜の闇の中を矢の様な勢い飛来して来たソレに気付いた時には、既に“旗”はその影によって掴み取られた後であった。

 「チェスッ!!」

 警戒を解いていなかった為に唯一反応できたミィアーだけが辛うじて咄嗟に、手の内より苦無を投擲していた。

 しかし、黒い“影”の胴体に確かに直撃した筈の苦無は、そこにはまるで実体が存在しないかのようにあっけなくすり抜け、そのまま夜の闇の彼方へとすっ飛んで行った。

 無論、夜の闇に溶け込むかのような“影”に些かの怯んだ様子も無い。

 「ずるい!」

 ミィアーの唖然とした声を尻目に、謎の“影”はそのまま来た時と同じ様に一直線に飛び去った。

 ようやく視界に遅延(ディレイ)を掛けた私にとっても、“影”の姿は猛禽類か何かとしか見えなかった。黒一色のゴムのようなツルリとした表皮であることを除けば、であるが。

 尋常な生物ではないということは、目も口も羽毛も無いその異様な外観からも明らかであった。

 とは云え、如何に遅きに失しようとも、このまま黙って見逃す訳にはいかない。“旗”自身が放つ光の尾が、依然として曳光弾のように夜空を一筋に走っているのだから。文字通り、残された我々への旗印となって。

 兎にも角にも追跡の為に駆け出そうとした私やミィアーを制止したのは、しかし状況の深刻さを最も理解しているであろう筈の老先生その人であった。


 「構ワン、捨テ置ケ」


 即決とかしか思えないその言葉に、脚を止め訝しげに顧みる私やミィアーに対し、老先生は更に念を押すよう重々しく頭を振った。

 抑揚の乏しい機械音声の様なその枯れた声に、どこか悲哀の色が滲んでいたように聴こえたのは私の気のせいであったのか。


 「所詮ハ、紛イ物ノ“力”ヨ」


 「ヴ……」

 か細い光の尾を残し完全に消え去った“影”の姿を目で追うことを諦めた私は、足下の老先生の小柄な躰を改めて見下ろした。

 “旗”から超常の“力”を授かる六旗手――確かにそれは見方によっては“彼等”の甘言に乗り、所詮は仮初めの“力”を振るっているだけの道化に過ぎない。

 “旗”を我が物とすることを拒んだ私にとって、その考えは充分に共感できた。弁えもせずに、自分の考えに通じていると訳知り顔で頷いてしまったというのもある。

 “旗”を手にしたとして、それは紛い物の“力”でしかない――そう老先生は憂いているのだと、その時の私は理解していた。

 その時は。

 その時には……。


        *


 そこから先は、もう私に出来る事は特にはなかった。

 ミィアーは何かバロウルに羽織らせる物を求めて館へと戻り、クロもまた所長の護衛という本来の使命を果たすべくその後に続いた。

 老先生は”ティティルゥ(ティティル)の遺児達(ラファン)“の死骸の幾つかを採取している姿を最後に、いつの間にか私達の前からその姿を消していた。相も変わらず老先生らしい神出鬼没ぶりではあった。

 その様な次第であり、すっかり喧騒の静まった月明かりの下、いまだに周囲の哨戒を続けている妖精機士達の歩行音だけが遠方より切れ切れに聴こえてくる、そんな穏やかな一刻の中に私は立っていた。

 「……」

 片腕でさえなかったら、バロウルを抱きかかえて私もミアー達と共に館へと戻るべきであったろう。だが片腕である事に加え上半身は火と電撃の洗礼により煤で汚れきっており、それを考えるとヘタにウロウロせずにこの場に留まった方が良いように私には思えた。

 館の方も事後処理に追われていることは想像に難くなく、今私がノコノコ戻っても邪魔になることだけは確かだった。

 そしてもう一人――バロウルがこの場に残ったのは、疲弊の度合いが強くしばらく身を休めたいと彼女自身がミィアーに訴えかけたからである。

 「……座ったら?」

 元はミィアーのスカートだった長布で裸身を辛うじて――正直なところ、気休め以上の役には立っていない――隠しながら、今は私の横の地面に腰掛けていたそのバロウルが、ポツリと私に声を掛ける。

 「……ヴ」

 機兵である私が立ちっ放しで疲弊するようなことはない。整備を担当するバロウルが、それを知らぬ筈も無い。むしろ片腕の欠けた今、座るという動作そのものがバランス的には覚束ないものであった。

 それでも私がバロウルに寄り添うようにゆっくりと座ったのは、私なりの彼女への気遣いと敬意からである。

 実際、バロウルがあの時に咄嗟に私の躰を停止させていなければどうなっていたことか。結局私は誰かを救うと意気込みながらも救われる形となった。いつもの如く。

 私が両脚を前方に投げ出す形で座る――不作法だが、正座にせよ胡坐にせよ私の脚部では長さが足りないのである――のを見届けてから、バロウルは落ち着かなげに胸を隠す両腕の力を強めた。

 「……」

 先程からバロウルの様子が些かおかしな事には私も気付いてはいた。

 何よりも、ミィアーに対し疲れたから残るなどと自ら弱音を吐くなど、私の知る限りバロウルはそのような事を口にするタイプでは決してなかった。プライドの高さが本人に仇成すというやつである。

 或いは“遺児達”(ラファン)に寄生されたことで本当に衰弱しきっているのか。どちらにせよ、彼女の気の済むまでは側で付き合うつもりであった。恩返しなどと口にすると、却って彼女の怒りを買うのであろうが。


 (停止機能か……)


 私は、時と場合によってはナナムゥを人質代わりに浮遊城塞オーファスからの逐電を目論んでいた。試製六型(じぶん)の造られた目的――この世界を解放する為の斥候――を理解してからはその企み自体は据え置いたに等しいのだが、今にして思えばどちらにせよまったくの茶番だったということになる。

 ナナムゥを身近に留めておけばこの躰に内蔵されている自爆装置を起爆させることも出来まいと云う算段だったのだが、停止コマンドで私の身体機構を停止させた後にナナムゥを救出し、締めとしておもむろに私を自爆させればいいだけの話である。


 (そういうことか……!)


 不意に私は一つの仮定に思い至った。

 私はこれまで自爆装置は単なるこの機体(からだ)の機密保持の為のものだと考えていた。だが私の赴く“闇のカーテン”の“向こう側”にこの世界を封じ込めている機構なりなんなりが存在するのならば、それを破壊する為の爆弾こそが私なのではないのかと。

 私の士気に影響を及ぼすことの無いように、あくまで非常時の機密保持用の自爆装置であると敢えて明かしていたのではないのかと。

次回で四章終了となります


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