起動(6)
(こんなところか……)
万策尽きたというのが正直なところである。後はただ落ちるのみ。この造り物の躰がどれだけの衝撃に耐えられるのか分からないが、運が良ければ助かるだろう。運が悪ければ死ぬのだろう。
どちらにせよ、最期まで痛みが無いのならば恐れることなど何も無い。懸念していた幼女を巻き込む事態も回避できた。巨人との長き諍いにようやく決着が付くことにむしろ安堵していたというのが、正直なところでもあった。
だが一つ大きな思い違いをしていたことを、私は次の瞬間に思い知らされた。
今居た展望台は張り出した塔か何かの一部であり、せいぜいが街中に建つビルの屋上から飛び降りる程度のものだと私は漫然と予測していた。
故に宙に放り出された瞬間に、その予測を確かめるべく私は視界の遅延状態はそのままに下界の様子に単眼をやり、そして我が単眼を疑った。
「――ヴ!?」
足下には何も見えなかった。先程から暗視機能を維持したままであるにも関わらず、視界の届く範囲には地面どころか何も認められはしなかった。
永遠に続くかのような悍ましい夜の闇。
深淵を前に私は今度こそ死を確信した。
何度目の確信だという自身へのツッコミは、しかしその披露の機会を永久に逸した。
落下の実感も無いままに、私の躰は直ちに何かに絡み取られ止まった。それが救命ネットの類であることはすぐに分かった。落下防止の安全策として、おそらくは随所に張り巡らされているに違いないだろう。
網自体は蜘蛛の巣を思わせるずいぶん粗い目の出来であったが、それを織りなす“紐”は試製六型の体内から伸びる例の“紐”と酷似していた。
だがそれらは私にとって些事であった。網に絡み取られた私は頭上を仰ぎ見、そして知った。
私の落下した展望台は予想通り確かに尖塔の一部であり、その尖塔自体は古風な石造りの城塞の一角を成していた。
そこまでは私も予想できた。問題は、その城塞自体が浮かんでいたことである。
天が遍く夜の闇に包まれたその只中に。
否、城塞が浮かんでいるというより、それを中央に据えた“飛行艇”が飛んでいるという表現が妥当であろうか。少なくとも、地面が目視できない程の高さであった理由はこれで判明した。
想定外の事実を前に見るべき事、確認すべき事は山のようにあった。にも関わらず、私にはそのような余裕は与えられはしなかった。
この期に及んでも尚、自分の隣で同じ様に網に絡め取られていた巨人が、明確な殺意をもって私に掴みかかってきた為である。
不安定な網の目の上である。このような足場で互いに立っていられる筈もなく、私と巨人は倒れ、転がり、互いに掴みかかるだけで手一杯の泥仕合と化していた。
こうなると私の上半身のみであるという短所は失せたに等しい。のみならず私は隙を見て、元は腹部のあった部位から伸びる“紐”の内の2本を網に固く結び――ボーイスカウトで習うような本格的な結び方は知らないので気休めに近いが――命綱として巨人に優位を保つことすらできた。
互いの頭部がゴチゴチとぶつかり合うのではないかとさえ思える児戯めいた肉弾戦。どちらかが相手を突き落す前に、網の方が切れて両者共に投げ出されるのがオチではないかと危惧するような、締りのない最終決戦。
見知らぬ世界に堕ちてまで、私は何をやっているのだろうか。
最後の勝負に打って出る時が来た。
揉み合いの中私の左腕がパカンと弾け飛び、下界の夜の闇の中に呑まれて消えた。
無論、故意である。後には肩口から伸びる三本の“紐”だけが私に残された。念じるとウネウネと触手のように蠢く黒いワイヤーの様な謎めいた“紐”が。
これが私に残された――否、私に備わった最後の“武器”であった。
揃って網の上に寝そべり転がり回る、互いの頭部の高さが等しい今だからこそできた。巨人が私を網の外に投げ飛ばす訳ではなく、掴みかかるだけの雑な動きであったことも幸いした。
「ヴ!」
揉み合い相互に馬乗りになる2体の試製六型の重みで網がたわみ、明らかに足場としては瓦解しつつある中でようやく私は成し遂げた。半ば偶然のタイミングではあったが、巨人の首に私の左の肩口から伸びる“紐”を巻きつけることを。
「ヴヴヴ!」
右腕で私は“紐”の端を掴むと、力の限り絞め上げた。絞首の形ではあるが、生物でない試製六型にどれ程の効力があるのかは正直不明である。
だが、力任せに巨人の頭部を引き千切る試みよりも遥かに有効である筈だった。単眼で視界を確保している以上、頭部を切り離しさえすれば流石にこの死闘も終わりを迎えるだろう。
堅い地面の上であれば敢えて倒れ、私を地に打ち付け怯ませることもできたに違いない。だが中空の網の上で、巧く背中側に張り付いた私を巨人がどうにかすることは不可能な筈であった。
今の自分はまるで闇夜でおぶさる妖怪のようだと心中で自嘲する中、私は締め上げながらある新たな一つの事実を知った。
自分独りでは気付ける筈もなかったが、試製六型の首と胴体を繋ぐ間隙にも四肢と同じように“紐”が存在していることを。
その“紐”と私が凶器として使用している肩口から伸びる“紐”とが、ガリガリと互いに擦れ削り合う。
リード線ではあるまいし、“紐”に表皮があるとも思えない。故に“紐”が削れて中の芯が剥き出しとなり、互いに接触する事態などある筈もない。
しかしそれまでの声なき声とは違う声――念とでもいうべきか――が私の脳裏に飛び込んできた状況は、まさにそうとしか思えない程に唐突だった。
“なんだこれは!?”“なんだこれは!?”
“助けて!”“誰か助けてくれ!!”
錯乱。恐怖。絶叫。
様々な負の感情が“声”の形をとって私の中に猛烈に流れ込んでくる。
巨人は単に狂っているものだと私は推測していた。だが紛れもなく救いを求めている人間の声に、私は激しく動揺した。
それが“紐”同士の接触による云わば“混線”のようなものだと、私は本能的に理解していた。巨人の心の芯線に触れたのだと。
絞めあげていた腕の力が途端に緩んだことが自分でも分かった。中身がどうであろうと、例え助けを求めていようと狂乱していることに変わりない巨人相手に何を甘いことをと、自覚もしているつもりだった。
それでも、それでも私は。私には――
“紐”は今や完全に撓み、巨人の首を絞めあげる役目をまったく果たしていなかった。だが今ならばまだ、右手に残った“紐”の端を引き絞るだけで元の体勢に戻るに充分間に合う筈であった。
(くっ……!)
躊躇する私の心は、しかし次の新たな“声”で完全に打ち砕かれた。
“お兄ちゃん……”
(――!?)
私の“紐”を握る手が完全に緩み巨人が縛めから脱するのと、たわみ続ける網の目を辛うじて吊っていた四方の紐の一辺が音を立てて切れたのがほぼ同時であった。
傾き波打ち、救命ネットの役目を果たさなくなった網の端から巨人が滑り落ちていく。
「――ふたは!!」
私は絶叫した。
“声”を持たねど心の底から声を絞り上げ叫んだ。
何故失念していたのだろうか。妹の名を。
何故虚ろな記憶としていたのだろうか。私が守るべき者の名を。
滑り落ちる巨人――否、間違いなく妹だと私は確信していた――を救うべく、私は咄嗟に右手で手元の網をしっかと握ると、空いた左手を懸命に妹に差し伸ばした。
私はいつもこうだ。
妹の躰を掴み取るべき腕は無い。何故ならば左腕は既に策士を気取って投げ捨てた後で、残された“紐”が力なく垂れ下がっているだけであったのだから。
せめてその“紐”を掴んでくれればとの祈りも虚しく、妹はただ滑り落ちるに任せたままだった。
ならば兄として、足下の深淵に共に落ちるのみ。
私は網を掴んでいた右手を離し、妹の元に跳ぼうと試みた。
私はいつもそうだ。
腹部より伸びる“紐”が――賢しいフリをして命綱代わりに網の目に固く結んでおいた“紐”が、まさに目論見通りに私の落下を阻止してくれた。
妹の躰が滑り落ち、夜の闇に呑まれて消えた。幸か不幸かあまりにも高所に位置しているが故に、その身が地に叩きつけられる音は私の耳に届きはしなかった。
私は必死に右腕一本で命綱を解こうと試みた。だが“紐”自体がそれを拒んでいるかのように網の目にしっかりと絡みつき、その作業を阻害した。
自暴自棄になって自爆を選ぶことが出来ればどんなにか楽だっただろう。
だが出来なかった。出来る筈もなかった。
妹がどうなったかを見届けもせずに自分だけ楽になることなど許される筈が無い。
遠くで幼女の呼び声が聴こえた。
無視するつもりだった。声の主の方を見もしなかった。
だが“紐”に苦闘する私の右腕を、もがく上半身そのものを、どこからか投じられた新たな“紐”が幾重にも巻き付き、垂れ下がる網に縫い付けるかのように雁字搦めに固定した。
蜘蛛の巣に捉えられた羽虫の様に。
この身の落下を防ぐ為だろう。今更…今更……!
だが私は既に悪態をつくことすら叶わなかった。
視界が、意識が急速に薄れつつあることを私は知った。精神の許容限界を超えて気を失いつつあるのか、或いは人ならざるこの身に何らかの活動限界があったのか……。
「しっかりせい、すぐに瞳を呼んでくるからの!」
幼女の声がすぐ間近で聴こえた気がした。網が張ってあったとはいえ、中空に等しい高所であるにも関わらず。
そういえば最初に姿を見た時も、彼女は“紐”の上に器用に立っていた気がする……。
心が途切れるその前に、私は一つ確信した。
全ては悪い夢なのだと。
目覚めたら、妹に美味しいものを食べさせてやる例の約束を…久々に二人で…街に……
アイツには本当に金がかかって困る…アイツ…喜んでくれるだろうか……
ふたは…私の妹………
わたし……お兄ちゃん…………
まずは一章の最後までお付き合いいただきありがとうございます。
書いている本人もあまりの閉塞感に登場人物を一人前倒しで登場させる体たらくでしたが
次章より登場人物もある程度揃い、普通の異世界転生物語に寄っていくと思います。
目を通していただいている方がいることを励みに、テッカマンブレードのような笑顔こぼれる最終回を目指していくつもりです。
重ねて感謝と共に締めとさせていただきます。




