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飢妖(17)


 “ティス!”


 “紐”を伝った“布”が私の装甲の表面に次々と貼り付く。伝奇好きの者が見れば、呪いの品に御札が自動的に貼り付いて封印しているようにも見えたに違いない。

 本来ならばそれに対抗しうる粒体装甲は起動しなかった。

 『しなかった』と云うと語弊がある。『出来なかった』と云うべきであろう。エネルギー――結局のところ、私はこの世界の諸々の正確な呼称すら知らない――切れでさえなければ殺到する“布”を粒体装甲の“力場”で弾き散らす事も可能であっただろう。そして隙を見てバロウルを“力場”の内側に素早く“紐”で手繰り寄せ、その無防備な裸身を完璧に守り通せる筈であったが仕方がない。

 裸身。

 バロウルが私と同じ黄色人種であったならば、一糸纏わぬ白い裸身が月夜の下に浮かび上がり否応なく無残に晒されることになっただろう。だがバロウルの褐色の肌はある意味保護色となって逆に夜の闇に紛れ、その細部を巧みに覆い隠していた。今はそれを慰めとしてもらう以外に他は無い。バロウルにとっても、私にとっても。

 何をくだらぬ雑念に私は囚われているのだろう。それよりも問題とすべきは最初に“布”の支配下にあったあの“少女”の方にあった。バロウルも、コルテラーナですら殺到する“布”によって着衣を喰い千切られたというのに“少女”にだけはそれがなかった。

 おかしい。

 いや、本当におかしい。色々な意味で。考えがまとまらない。意識が白濁に染まりつつある。

 失神? 魂魄があの漆黒の闇に包まれた訳でも無いのに?

 今は例えくだらぬ事でも思いを巡らし自我を保つしかない。これも全て想定内……想定内? 誰にとっての想定内? わたし? 私か?

 誤算があった。

 否、確かにかつて“紐”を通じてナナムゥと“心”を通わせたことがあった。ガッハシュートと戦った時の話だ。

 それを忘れていた。忘れてはならない事なのに。

 ティティルゥ。

 しっかりせねば、私。何と云う体たらくか、私。

 母に会わす顔がなくなる。(ふたは)にも。

 妹…? わたしに妹……?

 否、誤算があった。

 要は“紐”は人の意志を伝達する。ナナムゥはそうであった。すなわち、“紐”を介せば私の意志に――

 ザーザート。

 考えがまとまらない。巧く言い表すことが出来ない。声なき声も聴こえない。単純に心が薄れていくとしか言いようがない。

 精神攻撃。ティティルラファン。

 精神汚染。(ティティルゥ)の仇を討たねば。

 いざとなれば――

 いざとなれば自爆してこの躰ごと――


 「――チェスッ!」


 少女の短い掛け声が響いた。まだ幼さの抜け切らない、聞き覚えのある少女の声が。

 しかしナナムゥ程は幼くは無い。そう悟った時には、投擲された何かが“布”が鈴なりとなっている私の“紐”に突き立っていた。

 (――銛!?)

 それは投擲武器というよりは、むしろケーブルの接続プラグを思わせた。肩口から伸びる私の“紐”に絡み付いた先端が、アンカーのように傘状に開き固定される。その末端からは何か細いワイヤーの様な物が伸びており、何と結ばれているかは夜の闇に紛れていることもあり私には判断できなかった。

 視覚を暗視モードに切り替えることも望遠にすることすらも、精神汚染に抗う今の私にとって手の届かないものであった。“布”が物理的に私の単眼を塞いでいないだけでも僥倖だったのだろう。情けないどころの話ではない。


 「シノバイド・ミィアー、見参!」


 ズザザザザッと腰を落とし地を横滑りしながら、長スカートと半袖メイド服の少女が倒れ伏したままのバロウルの許へと馳せ参じる。

 “布”――否、精神侵食を受けつつある今ならば逆に少しは相手のことも分かる。断片的な記憶の接触。“ティティルゥの(ティティル)遺児達”(ラファン)、それがこの群体の名前だった。

 何故かは分からねど、“遺児達”(ラファン)が私の精神支配に手間取っていることだけは分かった。試製六型(このみ)に注がれた所長やバロウルの技術の賜物か、それともコルテラーナの加護によるものか。兎も角私は、天に向かって電光を撃った目的の二つ目がようやく達せられたことを知った。

 大した策では無い。只、自分の居場所を告げる少々派手な信号弾として利用しただけの話である。

 そして今、ミィアーがあわやというタイミングで駆け付けてくれた。流石に彼女単身と云う訳でもあるまい。ガッハシュートの言を信じるならば、後続として妖精皇直属の妖精機士団(スプリガン)とやらも後詰で到着する筈であった。

 いまだに誰も直接は教えてくれないとは云え、所長こそが妖精皇国の妖精皇であることは、流石の私も薄々気付いていた。

 「信じられない……」

 そのミィアーが足元に一糸纏わぬ姿で力無く横たわるバロウルの裸身を前に呆然と呟くと、気を取り直してすぐに私の方へと視線を転じた。例えるならば、風呂上がりに下着一枚でうろつく父親を見掛けた思春期の少女を思わせる苦い眼差し。あくまでも私の勝手な連想であるし、そもそもわたしにはそんな機会もなかったけれど。

 決して私がバロウルを裸に剥いた訳では無いのだが、異なる世界の異なる人種の少女とは云え、やはり思春期に該当する時期は有るのだろう。私に出来ることは『否定』を示す赤い輝きを単眼に必死に明滅させることくらいであった。

 そんな私の弁明を完全に無視しつつ、ミィアーが手にした苦無――あの忍者が使う棒手裏剣である――で腰紐を無造作に絶つ。黒い長スカートがストンと彼女の足元に落ちる。

 黒い短パンと、そして露わとなる鍛えられた両の素足。その左の太腿には少女には似つかわしくない大きな裂傷の痕が変色と共に無残に刻まれていた。それも二箇所も。

 ミィアーは脱ぎ捨てたスカートを手早く縦に裂いて一枚の布を形作ると、それをそっとバロウルの裸身へと掛けた。

 どこをとっても大柄なバロウルの躰が、そのような心許ない即席の薄布一枚で隠される筈も無い。それでも何も無いよりは遥かにマシではあった。

 「……貴女が囮役を引き受けてくれたおかげで、無事に所長を待避させることができました」

 私からはバロウルが失神したままなのかどうかまでは目視できない。ミィアーの言葉が彼女の耳に実際に届いているのかどうかすらも定かではない。

 「今度は私が助ける番です」

 ミィアーの怒気を含んだ氷のような鋭い眼差しは“遺児達”(ラファン)に向けられたものか、或いは何の役にも立たない私に対してか。

 疑問に思う間もなく少女の手の内から、何か小瓶が放たれる。それは私の胸部に当たって易々と砕けて散った。

 瓶の中に充たされていた色付きの液体が飛び散り、私の装甲と“布”とを濡らす。

 一見したところ、割れた小瓶は陶器製に思えた。このように粗雑に扱える程度には陶器がこの閉じた世界(ガザル=イギス)でも普及しているのだなと、“遺児達”(ラファン)の精神支配に抵抗しつつも私は妙な点だけが気になっていた。

 小細工か、或いは魔法か忍法か、間髪入れずにミィアーの投擲した苦無が、私の装甲を擦ると同時に発火する。

 割れた小瓶の中身は――薄々予想は付いたが――油の類だったのだろう。私の表面装甲にたちまち火の手が上がる。“布”と、そして無論私自身の躰も含めて炎の舌が一斉に走る。

 派手に燃え上がった割にはそれ程の有効打ではないことはすぐに知れた。“遺児達”(ラファン)が苦悶の声一つあげなかったからである。

 形状こそ“布”としか形容しようがないとは云え、そこまで単純に可燃物という訳ではないのだろう。事実、油のかかった“遺児達”(ラファン)の表層こそ燃えてはいるがそれは薄皮一枚の話であり、芯から燃えているようには到底見えなかった。炙りにさえ達しているとは思えない程の無反応と言ってもいい。

 少なくとも、“遺児達”(ラファン)は私の知る『生物』の範疇から大きく逸脱しているのだろう。生体兵器と言われた方がまだ腑に落ちる感じであった。

 それでも私の意識を白濁に染めつつあった精神侵食の圧迫は確かに緩んだ。何とか次の策を捻り出すべく己を鼓舞しようとした矢先に、先程のミィアー登場の時と同様に唐突に外部から二の矢が放たれた。

 そこまでは始めから想定通りだったのだろう。ミィアーがやたらと落ち着いていたその訳を私は今ようやく合点した。


 “ティス!!”


 早々に火勢の弱まる炎の断末魔に混じって、初めて“布”の絶叫が響き渡る。

 青白い電流が夜の闇を切り裂き奔ったことを私は知った。私の“紐”を到達点として。私の躰には痛覚が存在しないが、そうでなければ私も“布”と共に悶絶していたことだろう。

 装甲に御札のように貼り付いていた“布”は依然としてその状態のままであったが、私の左肩口から伸びる“紐”に絡み付いていた“布”の方はそうはいかなかった。苦悶し、絞った雑巾のように全身を捩りながら、“紐”から地面に蚊トンボのようにボトボトと落ちる“遺児達”(ラファン)の群れ。

 いつの間に潜り込んでいたのか、左腕を分離したことで空いていた左の肩口と、可動部で唯一密封されていなかった首回りの間隙からも“遺児達”(ラファン)が逃れ出て来る。それは見る者によっては巣に殺虫剤を流し込まれた蟲を思わせる悍ましい光景であっただろう。

 電流の出処はすぐに判った。夜の暗がりの中に所々に青い火花を散らす一条の細い線。それに連なっているのが、最初にミィアーが私に投じたアンカーの末端であった。それは依然として私の“紐”に絡み付いたままであったが、その楔に当たる部分が同様に火花を散らしているのが視えた。

 結局のところ、ミィアーによる火攻めも全てはこの本命とも云える放電への目眩ましであったのだろう。では闇夜に紛れるそのワイヤーへの電流はどこから流れたのかと云えば、そのような発電装置を自在に扱える者となると自ずと絞られた。

 現に私の予想に違わずに、その発電装置を内蔵しているであろう機体が私にとっても馴染の深いパトカーのサイレンの音を鳴らしながらノソリとその姿を現した。

 黒と白の二色の装甲を持つ人型機械――所長の護衛の片割れのクロである。

 おそらくは、元は暴徒鎮圧用の機構を持たされていたのではないのかと思う。兎も角もクロの肘から先の腕部装甲が上下二つに別れて開き、露出した電磁警棒とでも呼ぶべき端子が今も尚激しい電撃を放っていた。

 その派手な火花と炸裂音は、どちらかと云えば威嚇目的が主なのであろう。私に絡み付いたアンカーから伸びるケーブルは、そのクロの腰に接続されており、電流もそこから供給されていることは間違いない。

 「――」

 相も変わらずクロは――この場には居ないようだがシロも――終始無言である。かつてナナムゥが試製六型機兵(わたし)に彼等のような会話機能を持たせられないかとごねた件からも――流石に漫画に出て来るような自我を持つAIとまではいかなくとも――本来ならば簡単な会話位はこなせるのだろう。いつか私も己が使命を果たした暁には、彼等と語らう日が来るのだろうか。ナナムゥや所長を交えた上で。

 少なくとも、そのような詮無い事を考えるだけの余裕を、ようやく今の私は得ることができた。

 元々意志伝達の特性を持つ“紐”を介して私の精神を乗っ取りかけていた“遺児達”(ラファン)の群れ。少なくとも“紐”に集っていた一群はクロが流した電撃により全て地に墜ち微動だにせず、後は火に炙られながらも未練がましく私の装甲に貼り付いたままの一団を残すのみであった。

 既に状況は掃討戦の様相を見せ始めていると私は確信した。それを後押しするかのように、クロの後ろからやや遅れて四足の異形の機兵数体が姿を現す。


 “――五型妖精機士(スプリガン)


 私の疑問に応えるように脳内で声なき声が響く。それは完全に私の精神支配の危機が去った証でもあった。

 頭頂までは2m、私より二回り程小さいといったところだろうか。ゲームに出て来る半馬人(ケンタウロス)蜘蛛女(アラクネ)を思わせる下半身が異業と化した四脚歩行の機兵。それがざっと見渡すだけでも8体程が、ちょうど私達を中心に包囲網を形成する形で次々とその姿を現した。

 夜の月明かりの下に、妖精機士達の左肩から揃って仄かに反射する金色の紋様。

 この時は気にも留めなかったが、それが妖精皇の象徴である“金色の黄金花”であることを私が知ったのはもっとずっと後――六旗手ナイ=トゥ=ナイが半月を背負って私の前に飛来した時である。


  “ティス!!”


 クロを始めとし、包囲を狭める妖精機士達は揃って『外敵』に容赦なかった。力無く地を這い下生えにでも身を隠すべく足掻く“布”の群れを、電極を備えた腕や手にした槍状の武器で丁寧に潰していく。

 もうこの時点で私の出る幕はないと云ってもいい。

 「ヴ」

 偶然にも下生えの中に潜む硬貨を思わせる三型機兵の姿を認め、私は援軍の手際良さの理由を知った。おそらくは始めから所長の館の周辺に見張り役として三型は投入されていたのだろう。それが私と対峙した六旗手が電光に怯んだ様子を解析し、所長や老先生を介して情報を共有したのであろう。

 推測だらけの過程ではあるが勝利は勝利である。後の処理はクロ達に任せ、私も自分のやるべきことを果たさねばならない。

 “布”自体が不燃性と思しき以上、そのまま息絶えたとは思えない。かと云っていまだ装甲に貼り付いている“布”の一枚一枚を引き剥がす程の時間的余裕も私には無い。

 私の装甲表面で燃え盛っていた炎は今は完全に鎮火し、仮死状態にでもなったのか“布”が微動だにしないことを確認すると、私は身を引き摺るようにバロウルの元へと向かった。

 認めるのには抵抗があるが、私が電光を天に空撃ちした三つ目の理由。

 私は、バロウルを撃ちたくはなかった。

 無論、それが他の誰であっても結局は撃つことは出来なかっただろう。そんなことは百も承知だ。

 だがそれでも認めざるを得ない。バロウルを、撃ちたくはなかったのだと。

 いまだこの身に貼り付いた“布”のことを考えると、迂闊にバロウルの裸身を直接抱き上げる訳にもいかない。バロウルが意識を失っている以上、そもそもその側に向かう意味も無い。

 だがそれでも行かねばならない――それが私の男としてのけじめでもあった。人としての躰を失くした私ではあるが、だからこそ人としての心だけは譲れなかった。

 「ここは私に任せてもらいます」

 ノタノタと進む私の前に、ミィアーが両手を腰に当て立ち塞がる。少女は私にそれだけを言い放つと、バロウルの脇にしゃがみ込みその肩を丁寧に抱き起した。そして立ち尽くしたままの私に対し、再び冷ややかな目線を向けた。

 「あっち向いててください、いやらしい」

 「ヴ……」

初期プロットではここまでが第三章の予定だったという・・・

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