飢妖(15)
「良く聞け、キャリバー」
ガッハシュートが、この工作室からも程近い通路の行き止まりをツイと指し示す。その通路の終点の周囲には、私にも馴染深い緑色の案内表示が燦然と輝いていた。
望遠機能によって拡大した私の視界に飛び込んでくる絵文字と、それに添えられた二種類の文字。片方はアルファベット、そして残る一方が私が読める唯一の単語――漢字による案内表示である。
――『脱出艇』――
「ヴ!」
流石に鈍い私でもガッハシュートの目論見を――何となくではあるが――察することが出来た。映画を始めとした娯楽作品で良く見る解決策であったというのもあるのだろう。
「脱出口からバロウルごと六旗手を船内から排出する」
腰に手をやり慣れた手付きで何かを探りながら、ガッハシュートが予想通りの作戦を私へと告げる。唯一予想外であったのは、その端正な貌にかつてない程の険しい影が浮き出ていたことであろうか。ギリリという歯噛みの音さえも、実際に聴こえてきてもおかしくはなかった。
「僅かの間でいい、キャリバー、お前はバロウルを拘束しろ。その隙に私が射出の操作をする」
腰に収納用の小袋でも隠し持っていたのか、既にガッハシュートの手には例の装填用のスティックが4本握られていた。
与えられた明確な指示。私でも、ここまでの自分のやるべき事は分かった。しかし次にガッハシュートの発した言葉は、私にとって聞き覚えの無い単語を含んだものであった。
「いくぞ、バーハラ」
“――排出!”
まるでガッハシュートの『バーハラ』という謎の単語に呼応したかのように、私の脳裏に声なき声が響く。果たしてそれは単なる偶然だったのか。私の背中からユニットの一部が外れ、ドサリと無造作に床に落ちた。工作室と私とを繋ぎ留めていたケーブルと、それを巻き取り収納していたドラム部分のユニット一式が。
それは試製六型機兵の躰が有線という軛より解き放たれた事を意味していた。
“――震空鋼!”
“――震空鋼!”
“――風紋砂!”
“――風紋砂!”
その背面ユニットの“排出”に重なる様に、ガッハシュートの側から重低音の詠唱が響く。四肢に手早くスティックを装填し終えた美貌の青年は、眼前の六旗手が何か反応を起こす事を懸念したのか、私へと矢継ぎ早に指示を加えた。
「外に出た後は護りに徹しろ。街からもすぐに妖精機士団が到着する筈だ」
そう流れるように一息で告げた後、ガッハシュートは私の顔を改めて凝視した。まるで値踏みするかのように。出来の悪い生徒を前に逡巡する、生真面目な教師か何かのように。
「いいか、向こうが撤退するなら後追いはするな」
「ヴ!?」
私は、己が耳を疑った。ガッハシュートの言はすなわち、人質と化したバロウルを見捨てることを意味していた。
改めて確認するまでもなく――かつてナナムゥが不機嫌に漏らしたように――ガッハシュートは私達にとっての『敵』である。バロウルの安否を最優先する義理など無い。だが、それでも私は心の何処かで――そもそもあの二人が通じているのではないのかと云う疑念はあるが、それを一旦置いたとしても――ガッハシュートならばバロウルを救える、救ってくれるという密かな期待を抱いていた。
裏切られた、などと責め立てる立場でないことは分かっている。でも、それでもわたしは激しく動揺してしまった。
「瑞穂の設備を失う訳にはいかん」
言葉を発することができないとは云え私の剣呑な雰囲気を察したのであろう。ガッハシュートが強い口調で更に念を押した。私に向けていた顔を背け、既にバロウルの方を険しく凝視しながら。
「自重しろ。試製六型がこの閉じた世界を解き放つ先駆けだという使命を忘れるな」
「!」
ガッハシュートから怒鳴りつけられでもした方が、有無を言わさず無理強いでもされた方が、私にとってはどれ程楽だったことだろう。だがガッハシュートはただ淡々と私に事実だけを告げた。たった一人の女とこの世界の行く末と、そのどちらを選び取るのか、議論の余地すら無い筈だと言外に。
どちらも護る――そんな啖呵を切ることすらも今の私には出来ない。両方どころかその片方ですら危うい事を、誰よりも私自身が一番良く知っている為である。
「寄せ集めの悲しさだ」
消沈する私を鼓舞する為か、ガッハシュートが顎で六旗手を指し示す。
「“奴ら”は事ここに至っても誰かに憑り付く以外の行動を起こしてない。起こせないと見た」
「……」
「それにバロウルは人質だ、そう易々と殺しはすまいよ」
「……ヴ」
ガッハシュートの慰めを、おためごかしだと責める事は出来ない。所長の意向により今は隠匿されているとは云え、この私から見ても『瑞穂』に残された貴重な技術の数々を失う訳にはいかないことくらいは分かる。この閉じた世界の牢獄を打ち破った後の事を見据えるならば尚更の事である。
それだけに、『瑞穂』の設備を躊躇なく破壊した眼前の闖入者を早急に排除する必要があった。それを理解できない程、私は愚かではないつもりだった。
理屈の上の話である。如何に思い悩もうが代案を思いつかない以上、ガッハシュートの策に乗ることが最善であろうことも。
「いくぞ、キャリバー」
「――ヴ!」
『馬鹿の考え休むに似たり』と云う。これ以上浪費して良い時間も無い。ガッハシュートの掛け声に合わせ、私は通路を真っ直ぐに六旗手目掛けて駆け出した。
肝心なところは結局他人任せかと、自嘲する私の脳裏に声なき声がこだまする。
“――粒体装甲、稼働!”
黒灰色の装甲が赤く彩られ、私の躰を吉兆の色へと染め上げた。
“ティス!”
バロウルの胸部の辺りから一筋の“布”が触碗の様に私へと伸び迫る。しかしそれは私の石の表層にすら届くことなく、その手前30センチ程の位置で“く”の字にねじ曲がった。まるで見えない障壁にでも弾かれたかのように、触腕の先端が“布”へと戻り四散する。
ホースから放たれた水流に傘を開いて押し進む、そう表現するのが的確であろうか。粒体装甲の障壁によって勢い任せに進む私に、背後から掛けられた二つの声が重なった。
「備えろ、キャリバー!」
“――風紋砂!”
それが、どういう魔力を秘めたスティックだったのか私は知らない。備えろと言われてもと、まず困惑が先に立ったのも事実である。唯一つはっきりしていることは、私の背中が猛烈な勢いで押されたという事である。文字通り、私の移動を後押しするかのように。
それが空気の壁であることはすぐに判った。粒体装甲による不可視の障壁の前に散った“布”の一群が、風に吹かれたビニール袋のように私の前方へと一斉に押し戻されて来たからである。
(そういうことか!)
元の人間の躰のままであったなら、私も“布”と同じ様に風にまかれて吹き上げられでもしていたことだろう。だが幾らガッハシュートの放った“風”とは云え、流石に私の石の巨体を浮かすまでの力は無い。小器用にも私の速度と合わせる事により試製六型を物理的な壁として、“布”を余すところなく一気に『脱出艇』に押し込めようとしているのだろう。まるで鞴を用いて筒に風を送り込むように。
そこまで考えを巡らした時には、既にバロウルの躰は私の目の前であった。脳内の声なき声の制御下にあるのか、粒体装甲が私自身の意志とは無関係に解除され、躰の赤い輝きが失せる。或いは背のケーブルを介した粒体の供給が無くなった為、単に稼働限界だったのかもしれない。何れにせよ私はバロウルの躰を不可視の壁で弾き飛ばす事も無く、むしろ彼女の躰を押し潰すことのないよう両腕をピンと伸ばし、褐色の巨女を壁側へと押し付けねばならなかった。
このような状況でなかったら、昔読んだ恋愛漫画の『壁ドン』だとわたしは笑っていたと思う。私とバロウルの関係は、そのような甘ったるいものとは真逆の間柄ではあったのだけれども。
おそらくは警告を発したのだろう、ガッハシュートの不明瞭な叫びと共に、すぐに私達の背後の隔壁が閉まる。まるでロッカーに閉じ込められた男女みたいだと、さっきの『壁ドン』に続いてわたしは思った。
何故そのような愚にもつかない感想がまず頭に浮かんだのか、自分でも不思議ではある。それは兎も角としても、今居る四方を仕切られたこの空間こそが、先程バロウルが懸命に口にした“揺り籠”内部であることはすぐに判った。その名がどうであれ、脱出カプセルの類であろうことも。
事前に所長辺りから操作方法を教わっていたとしか思えないが、ガッハシュートが通路側に設置されている計器盤を用いて外部から隔壁を閉める等の操作していることは間違いない。
『操作方法を教わっていた』――それが意味することを精査する間も無いままに、振動が私達の居る“揺り籠”全体を、その名の通り大きく揺るがした。
それが一連の射出シークエンスの最終段階だったのだと思う。試製六型の石の躰の特性によるものか、或いは『瑞穂』備え付けである脱出装置の性能によるものか、私がイメージしていたような射出時の激しい重さなどは感じなかった。それどころか、私達のいる“揺り籠”なる中心部は、射出されたであろうにも関わらず天地が逆になるどころか横倒しになることすらなかった。
だがそのような“揺り籠”の現況よりも、まず気にすべきは六旗手の動向であった。しかし――意外にもと云うべきか――ほぼ密着している状態にも関わらず六旗手側からはまったくの反応が無かった。身動ぎ一つせずに、ただその身を無防備に私の前に晒していた。
“人質”を盾にしているという余裕だろうか。確かに犠牲を覚悟で“人質”の身を押し潰したとしても、“布”の集合体でしかない本体には何の痛手も無いのだろう。
正直な話、“布”がバロウルの躰を捨て私に憑り付いてくれた方が、この後に対応することとなるガッハシュート達にとってもまだ楽であっただろう。機兵ならば手脚どころか胸部以外は替えが効く。いざとなれば四肢を切り落として逃亡を妨げる事すら可能であるからだ。
だが物事が自分の思い通りにいくことなどある筈も無い。諦念と同時に私は、しかし一つの事を確信していた。ガッハシュートが既に口にしていたことでもあった。
――『何者かに憑り付く以外の行動を起こしてない。起こせないと見た』
“布”の知能がそれほど高くないか、或いは何らかの制約が存在しているかのどちらかだと、私の考えも帰結していた。
考えるまでもない。“少女”の躰を捨てて“布”の一群として逃走を図った際、一時的とは云え追っ手である私達は後手に回りその姿を完全に見失っていた。その時に“布”の群れが幾手にも分散していたならば、私達は打つ手を失っていただろう。
或いは“少女”に半数だけ憑り付いたままで、残りが他の寄生先を狙っても良かった筈である。猿人を操っていた時には、“布”は単なる飾り布と見間違う程度の少ない枚数しか憑り付いていなかった。猿人の知能が低いであろうという点を考慮しても、全ての“布”が一斉に集らずとも、犠牲者を操る事はできていたのである。
私ですら分散の利に気付くのだ。そうしないという事は、『出来ない』か『思いつきもしない』かのどちらかでしかない。
(――おそらくは、一度に乗っ取ることが出来るのは一人だけ!)
状況証拠にしか過ぎない事は自分でも判る。しかしそれでも、『見切った』と思った。激しく心が高揚した。それに呼応するかのように、私の表層でバチリと何かが弾けた。
“ティス!”
初めて六旗手が慄く。それまでは単なる魔法少女のような服装の表面が、首元から爪先まで激しく波打つのが視えた。まるで怯えた猫が全身の毛を逆立てているかのように。
(なんだ!?)
それを疑問に思う間もなく、これまでとは打って変った強い衝撃が私達を揺さぶった。
着地であろう。『揺り籠』には窓にあたる箇所が無いので確認しようもなかったが、私の予想よりも遥かに短い滞空時間であった。着地にしては――確かに射出時とは比較にならない大きな揺れではあったが――控えめな衝撃に『瑞穂』付属のテクノロジーに感嘆する間もなく、周囲の壁面が喜劇のセットのようにバカリと四方に開いた。
緊急脱出装置である以上、最初からそういう挙動となるようにセッティングされていたのだろう。しかしこの時ばかりは私にとっては不利に働いた。
何はなくとも速攻で六旗手の躰を両腕で掻き抱き、その身柄を拘束すべきであっただろう。だが、私では咄嗟にその判断が出来はしなかった。
バロウルの躰が転がるように私から逃れ離れる。これまで人質を誇示するように棒立ちのままであった姿からすれば、異様なまでの素早さであった。
(わたしを怖がってる?)
無論、そんな筈もあるまい。
『瑞穂』の船体が隠れされた丘の上に建つ、こじんまりとした所長の館。月の灯りに照らされたその影が、少し離れた場所から私達を見下ろすようにそびえ立つ姿が見えた。
今の時刻が夜であることをようやく私は知った。今居る場所が所長の館を挟んで妖精皇国の市街地とは反対側、いわば館の裏庭に繋がっているまばらな雑木林の中である事も知った。
本年もよろしくお願い致しますと言いたいところですが、繁忙期が過ぎたと思えば風邪を引いてしまいまして、散々な出足です。
話は変わりまして、今年もしも急に更新が途絶えたとしたら、姪っ子にバレて「おいは恥ずかしか!」状態になったと笑ってブックマークを外してください。




