飢妖(14)
「ヴ…!」
予測はしていた。覚悟もしていたつもりだった。だが、それでも私は我知らず気圧され後ずさっていた。
褐色の巨女を前にして。新たな“敵”を前にして。
先程までの“少女”の艶姿とお揃いの、リボンとフリルに彩られた魔法少女のような華麗な装い。肘まで覆う長手袋に包まれたその右手には、やはり“少女”と同じ様に“旗”の変じた魔法のバトンが握られていた。
一つ決定的な差異があるとすれば、巨女の躰に合わせた為か魔法のバトンも大振りの物となっており、あたかも巨大な槌鉾の様な異様な圧を放っていた。
私は誰が工作室を破壊したのか、何が設備機器を殴打したのか、その答えを知った。
(バロウル……!)
普段ならば、その性質の悪いコスプレにしか見えないバロウルの仮装じみた姿を、ナナムゥと二人して指を差して笑っていたことだろう。バロウルの方も又、好きでやっている訳ではないと顔を朱に染めて私達に食ってかかっていたことだろう。
(バロウル……)
短い間ではあったがあのオーファスで過ごした穏やかな日々が私の脳裏に蘇る。コルテラーナに幼主ナナムゥ。老先生。そしてバロウル。自分にとって子供達と共に雑用をこなしていたあの日々が如何に自分にとってかけがえのない安寧であったのか、この時私は改めて気付いた。
“…ティス…”
バロウルの周囲に漂う謎の声。それが“布”の発する嘲りの声であることを今の私は知っている。
バロウルの瞳は見開いていたが、その目線は虚ろでどこを向いているのかですら定かではない。事ここに至ってようやく私は理解した。妖精皇国に向かう途上で猿人の襲撃に会い、追跡の末にその死骸を見届けた時から心に引っ掛かっていた朧気な疑念のその理由を。
猿人の襲撃の際に、まるで未開部族の戦士の様に体に巻き付いていた飾り布。屍と化した猿人からその布だけが跡形も無く消え失せていたその理由を。
猿人の躰を飾っていると思っていたその“布”こそが、猿人を操り私達を襲撃してきた“本命”であることに違いあるまい。今のバロウルを、そしてあの“少女”の躰をそうしていたように。
ガッハシュートの手によって猿人が討ち果たされた際、単に装飾品が外れて落ちただけであるかのように擬態して“布”は猿人の躰を捨て、自ら這ってその身を隠したのだろう。“潜水服”の中に戻ったか、或いはもっと単純に周囲の草むらの中にでも潜んでいたか。
そうとも知らぬ間抜けな私が“潜水服”ごと『観測船瑞穂』に持ち込んでしまったが故にこのざまである。ただ全てが作為的である以上、もし私があの時“潜水服”を放置したとしても二の矢三の矢があったに違いない――今の私にできることと云えば、そう自分を慰めることだけであった。何処の者の差し金かも分からぬままに。
“…ティス…!”
「ヴ!」
標的を定めたのか、バロウルが――バロウルであった者が、工作室の扉口をくぐり通廊側へと歩み出す。
“少女”の躰を使っていた時の様なぎこちなくも捉えどころの無いフワフワした挙動ではなく、床を踏み締め私の前に仁王立ちとなる褐色の巨女。ただ黙って事態を見守ることしかできない私にとって、その高圧的な態度はあたかも人を喰らう鬼女か何かのようでもあった。
“――電光晶!!”
気押される私に喝を入れるかのように、突如として響く無機質な低音声。その聴き覚えのある宣言の機械音声に、私は慌てて隣のガッハシュートへ単眼のみならず頭部ごと振り向いた。
半ば呆けていた私とは異なり状況的に目敏くスティックを装填し終えたのであろうガッハシュートが、右の掌をバロウルへとかざしていた。
「……強過ぎるか」
『電光晶』という名称からも、先程と同様に雷の類を放出する技であるのだろう。しかしガッハシュートはそうはぜずに、無念の呟きと共にその右腕を降ろした。
“――排出!”
右肘の先から零れ落ちる小さなスティック。雷光を発動させなかった為か、かつて見た時とは異なり、スティックは砕けることもなく元のままの形状を保っていた。
「預かっていてくれ」
「ヴ!?」
不意にポンと、ガッハシュートがその吐き出されたスティックを私の方へと放って寄こした。あまりに突然な事であったので、私はかろうじてそれを手で掬い上げ、お手玉のように掌の内でワタワタと泳がせるままであった――その筈であった。
(――ん!?)
スティックが消失した。ほんの二度三度私の手の中で撥ねたところまでは確認していた。それが今、気付いた時には煙のように消え失せていた。まるで手品か何かのように。
落したと――間抜けな話だが自分なら有り得ると――私は確信した。かと云って、それを探し求めて右往左往できるような状況では無論無い。
「人質代わりか……」
ガッハシュートの呟きに、私も気持ちを切り替える。常にどこか飄々としていた彼には珍しく、声色には微かにではあるが憤りの色が確かにあった。
事実バロウルは――バロウルの躰を奪った名も知らぬ六旗手は、まるで己自身を誇示するかのように私達の前に無造作にその身を晒すに留まり、進むか退くかの素振りすらも見せはしていない。
少なくとも今はまだ。まるで私達をせせら笑うかのように。そこに確かに、私は『悪意』を感じた。
と、状況に変化が生じたのはまさにその時であった。
バラバラと、バロウルの長手袋を形成していた“布”が、まるで殺虫剤を掛けられた羽虫か何かの様に元の四角い布へと戻り力なく地面に落下する。
外気に露出するバロウルの褐色の腕。その肌に紋様のような光の線が浮かんでいるのを、確かに私は見た。忘れる筈も無い。所長の行司の下に相撲の取組をした時に私の腕の結合を外した、得体の知れぬあの輝きであった。
『これが私の“力”だ』
異能を誇示する訳でもなく、ただ淡々と事象を告げるバロウルの言葉が私の脳裏にこだまする。ほんの数日前の事であるのに、すいぶんと昔のことのような気もする。おそらくはバロウルの流した涙を見なかったことにする為に、私が心の奥底に仕舞い込もうと誓ったことに起因するのだろう。何れにせよ、このような形であの無様な対戦の続きをやることになるとはあの時は思いもしなかった。
だが、私には感傷にふける暇すら与えられはしない。バロウルの呆けていた瞳に今再び意思の光が宿る。ちょうど“布”の一部が剥がれ落ちた事象に合わせて。
「……っ」
造り物のお面のように固く閉じられていたバロウルの唇が、苦しげな喘ぎ声と共に封印をこじ開けでもするかのようにギチギチと開く。
それを成し遂げた“力”がどのようなものなのか私は知らない。知らされてもいない。それでもあの相撲の取組で私の四肢を外したように、“結合”している物体に干渉できる“力”を、バロウルは備えているのではないかと私は推測した。
「−−外にっ!」
かろうじてそれだけを叫んだバロウルの太腿に、一度は床に落ちた“布”が一斉に纏わり付く。
何かの映画で視た、軍隊蟻の絨毯を連想させる容赦の無い蹂躙。我知らずバロウルの方へ駆け出しかけた私を、そのバロウル当人とガッハシュートの二人が同時に厳しく叱責した。
「寄るな!」
「行くな!」
「ヴ!?」
私は脚を止めた。止めざるを得なかった。
先達の“少女”がそうであったように、まるで操り人形の様な硬い動きでバロウルの腕が動く。ただ“少女”と違ったのは、貌を苦悶に歪めながらも、バロウルが確固たる意志で己が右腕を動かそうとしていたことだろう。
その右の掌が、ようやく彼女の胸元まで届く。まるで掻き毟るが如く左の鎖骨から右の脇腹まで爪を立てながらその手が滑った。
“ティス!”
“ティス!!”
先程の腕の時と同じように、その箇所の“布”が身悶えしながら床に剥がれ落ちる。それによって生じた間隙から、小間切れとなった衣服の残骸と褐色の素肌、そして左の乳房までもが露わとなる。だがそれも鱗の様に十重二十重に取り囲んでいる別の“布”がすぐに塞いだ。
バロウルを“布”の支配から解放するには決定的な何かが足りない、それだけを見せつけられる儚い抵抗であった。
「ガッハシュート!」
悲痛なバロウルの叫び。私に出来ることはただ、無力な自分に臍を噛むことだけであった。
「『揺り籠』で…『揺り籠』で私を……!」
そこまでだった。
まるで眼前の私達を嘲笑うかのように、まるでバロウルを嬲り者にでもするかのように、落ちた“布”が再び彼女へと殺到する。
「行くなと言った!」
ガッハシュートが素早く私の機先を制する。さもなければ単純な私は遮二無二バロウルの元に走り寄り、無策のままに彼女の躰を救い上げようとしていただろう。結果として、私もまた“布”に拘束されその支配下に置かれていただろう。
「お前にも手伝って貰うぞ。駆けるのはその時だ」
出来の悪い生徒を相手にした時の教師の様な、噛んで含めるようなガッハシュートの物言い。バロウルの惨状を前に無言を保ったままだったその態度といい、今の冷徹な物言いといい、流石の私も抗議の唸り声の一つでも上げるつもりだった。
(――なっ!?)
私を黙らせるに充分過ぎるガッハシュートの横顔。怒りと怜悧さが同居した、私が初めて目にする感情を露わとした端正な横顔。
やはりバロウルとガッハシュートの間には、私の立ち入ることの出来ない何かがある。バロウルがまずガッハシュートの名を呼んだことからもそれは徹底的に明らかだった。
胸の痛み。自分が頼るに値しない無能な男であることを突き付けられた痛み。
でもこの痛みの原因がそれだけでは無い事にもわたしは気付いていた。認めるわけにはいかないけれど。
なんとか折を見て書き進めてみましたが、これが精一杯でした。
一月半ばまで繁忙期が続きますので、次回更新は一月下旬となります。
これまでお付き合いいただき誠にありがとうございます。
全10章で5章まで「承」を予定していますので、来年は話が大きく動いていきます。
個人的な目標としてはブックマーク二桁を目指したいところですが、まぁ厳しいかなと。
それではありがとうございました。




