飢妖(13)
(――クナイダート!!)
その菱形の刃を持つ独特の形状の短刀もまた、カカトにとっては馴染の物であった。そもそもこの通路上部に潜んでいる影達の正体すら、彼は最初から承知していた。予想外だったのは、いきなり『クナイダート』を投擲されたことくらいである。
「チェス!」
カカトは上から下に大きく弦を撫で上げ、ギャィィィンという締めの音色を満足げに掻き鳴らした。そして演奏の手を止めやり遂げた顔で一つ大きく息を吐くと、クナイダートの飛んできた暗闇へと顔を向け投擲主の名を呼んだ。
「何のまねだ、モガ――」
カカトの言葉が終わらぬ内に、一つの長身の影が空を翔る。それは他に一切の無駄の無い軽快な動きでその身を捻ると、そのままストンとカカトの目の前に見事に降り立った。
最初に目に飛び込む、この世界では見慣れぬ濃紺の装束。それが『忍び装束』と呼ばれるものだということは、カカトもかつて所長から聞いたことがあった。
その『忍び装束』の人物の後に続き20近い小柄な影が、暗がりの中から湧き出るように姿を現しその後ろに並んで立った。
揃いの頭巾と忍び装束に身を包むことで個性を消したその一団は、得も言われぬ独特の威圧感を醸し出していた。後ろに控える小柄な忍び達の頭巾の奥からは、暗闇に光る瞳だけが唯一覗き、油断なくカカト達を注視しているのは明らかであった。
とは云え、その瞳は一様に皆若く、むしろあどけなさすら感じさせるものでもあった。
『シノバイド』――カルコース商会の『若旦那』が新たに育成した私兵である。だがその実態を明確に知る者は会合衆と云えど皆無に等しい。『若旦那』が創設した施設に収容された若輩の中から『若旦那』自らが見込みのある者を選別し、そして自ら鍛え上げているのであるから然りである。
そもそもシノバイドとは単なる私兵ではなく密偵であり、文字通り『影の軍団』でなければならない。ナーガスの同業者に尻尾を掴まれるなど論外であった。
「……」
「……」
対峙したまま言葉を交すこともなく、互いに相手の出方を窺うように無言のまま気を張り詰めるカカトと、そして不気味なまでに多佇んだままのシノバイドの首領。
その剣呑な空気を打ち払ったのは、カカトの懐から顔を出した妖精少女ナイトゥナイであった。
「機士団長!」
いまだ一言も声を発することも頭巾の下の素顔を晒すこともないシノバイドの首領。その正体の手がかりすら与えられない状況であったが、しかし彼に呼びかけるナイトゥナイの声は確信に充ちたものであった。
フッという大きな溜息を首領が吐いたのは、頭巾に隠されているとは云えその身振りからも知れた。
「……今の機士団長はお前の筈だが」
初めて、首領が根負けしたように口を開く。サッとその左手が上がり、それが合図であったのか背後の小柄なシノバイドの集団――少年の類によって構成されていることはその背丈からも明らかであった――が、潮が引くように背後の暗がりに後退し、やがて完全に気配を絶つ。
「……」
この場に残っているのが自分達だけであることを確認したのか、シノバイド首領が無造作に頭巾を外す。夜光茸の仄かな灯りの下に、始めてその素顔が明らかとなった。
青年と呼ぶには些か年季の入った年嵩の男の顔がそこにはあった。かといって風格があるといった体ではなく、後ろで縛った長髪も含めむしろ若作りだと言った方が正確であっただろう。いずれにせよ肌のハリツヤだけは年相応にくたびれていた。
実際のところ不惑間近の彼の実年齢を初見でそう判断できる者は少ないだろう。今こうして対峙している時ですら、瞳の所在の知れぬ俗に云う糸目と、そしてほころんだ口元は常に穏やかな笑みを浮かべているようでもあり、静かな物腰と合わせて見る者に穏やかな人柄を印象付けるには充分であった。
始めて見る者には、である。
何を企んでいるか知れたものではない――市井の民は兎も角、それがひたすら身を低くする彼に対する会合衆のもっぱらの評判であった。身を低くしているからこそ、その程度の悪評のみで済んでいるとも言える。
カカトの白目の少ない大きな蒼い瞳もまた、素顔を晒したその男を気を抜くことなく見据えていた。モガミ・ケイジ・カルコース――それが目の前のシノバイドの首領にしてカルコース商会の『若旦那』、そして妖精皇国より去ったかつての機士団長の名前であった。
「――コバル公国から早馬で正式な要請があった」
そのモガミが、沈黙を破り口を開く。
「流石に仔細こそ漏らさなかったが、重罪人がナーガスを目指して逃亡しているのでその捕縛に協力して欲しいとのことだ」
「胡乱な話だな」
完全に他人事の体で肩をすくめてみせるカカト。
「いつからナーガスはコバル公国の支配下に入ったんだ?」
挑発と取られても仕方のないカカトの言葉にも、モガミはただ淡々と事務的な口調で応じた。
「『命令』ではない、『要請』だ」
「言葉遊びだろう。まぁ、色々きな臭いというし、ここらで公国に媚を売っても不思議なことではないしな」
カカト自身が言うように言葉遊びであり、実の無い会話であった。空々しい空気が、カカトとモガミの周囲を充たす。
普段ならばこれが茶番だと毒づくであろうナイトゥナイであったが、この時ばかりは様子が違った。
妖精――その種族名は妖精皇国の妖精皇が新たに名付けたものであり、元々は『奉仕種族』という陰惨な玩具として造られた小型の人口生命体である。その『隷属』を基とした仕様上そもそも腹芸が出来るようには造られておらず、そして何よりもカカトに関することとなるとナイトゥナイの思考は荒ぶりがちであった。
加えてかつての上司――そして妖精皇国から去った『裏切り者』――との久方ぶりの対面までが重なったことで、ナイトゥナイの心を悪い意味で昂ぶらせるには充分過ぎた。
「だから私はナーガスに潜伏するのに反対したんだ!」
今にもガシと掴んだカカトの服の襟を引き裂かんばかりの勢いでナイトゥナイが吠える。銀の長髪を振り乱すその小さな様は、ちょっとした妖怪のようでもあった。
ナイトゥナイがカカトのこととなると著しく自制を欠く事は、近しい者の間では周知の事実であった。故に悲恋で終わるのだろうと、老先生が密かに嘆息した程である。ガッハシュートも。
過度に興奮する者を前にすると、周囲の人間は揃って醒める。カカトとモガミもまたその例に漏れず、居たたまれない面持ちのままにどちらからともなく顔を見合わせ、そして困ったように笑みを交した。
「機士団長! 団長がカカトを捕えるというのなら私が相手に――」
ナイトゥナイが上気した貌で、いまだ微笑を――見かけ上は――絶やさぬモガミを睨んだ。今にもその手の中に銀色の蛍火と共に“旗”を召還しかねないその勢いに、慌ててカカトがその銀髪をワシャワシャと撫でた。
「落ち着けって」
「!!」
白い肌を真っ赤に変じたナイトゥナイが、己の頭を撫でるカカトの手を振り払うと、恥辱に我を忘れたのかその指に歯まで立てる。しかし対するカカトは僅かに片眉を上げはしたものの、呻きも叱咤もすることなくただそのまま静かに語り続けた。その様は、完全に野生動物に対するソレであった。
「始めから俺達を捕らえて引き渡すつもりなら、ここまで侵入を許さんよ」
魔の黒い森の奥底で獣の様な幼少期を送ってきたカカトには学が無い。浮遊城塞オーファスの老先生の指導の下に読み書きだけは学びはしたが、逆に言うとその程度でしかない。
だがそれをもってカカトが無知無学の徒という訳では決してなかった。むしろ、独特の嗅覚とでも云うべきものに恵まれていた方であろう。もし自分達をコバル公国に引き渡すつもりならば、『カルコース商会』としては決して自らが関与することはないであろうと、カカトは直感的にではあるがそう察していた。
確かにそれは事実であった。商都ナーガスの会合衆としてもコバル公国の出方を注視している今、わざわざカルコース商会単独で悪目立ちする必要も無い。それをわざわざモガミが己の『手の内』まで招き入れたということは、依然として状況が流動的である証拠であった。交渉の余地は充分にあるという、カカトの見立て通りである。
元居た世界でも特殊警護を勤めていたと言うモガミの手腕に、カカトは一目置いていた。そもそもしばしカカトの前に現れ拳を交わしたガッハシュートを裏の師とするならば、正式に格闘術の基礎を彼に伝授した表の師こそ他ならぬモガミであった。
“旗”さえ得ていれば、この閉じた世界の内でガッハシュートにすら比肩するのではないか、市井の民として生きるという制約を課すならばそのガッハシュートすら凌ぐのではないかとすらカカトは評していた。
「単刀直入に頼む」
ナイトゥナイが余計な茶々を入れぬよう興奮が冷めるのを見計らってから、カカトは遂に本題を切り出した。
「ここでしばらく匿って欲しい」
「……」
モガミの開いているかどうかすら定かで無い細い両の瞳からは、何の表情も窺うことはできない。しかしその眉が僅かにピクリと動いたことをカカトは見逃さなかった。
「本来なら妖精皇国でコルテラーナ達と落ち合うつもりだったが、まぁ色々あって予定が大幅にずれ込んでしまった」
ここまでは淀みなく自分達の置かれた状況を率直に説明するカカト。遅延のそもそもの元凶である彼の胸板を、ナイトゥナイが呆れ顔でベシと叩いた。
「今から急いだところで期日には到底間に合わない。“黒い棺の丘”で直接落ち合うようにするから、それまでの間でいい、匿ってはくれないか」
「……」
交換条件すら示さぬ交渉とも云えぬカカトの物言いに、モガミは軽い嘆息で応えた。
「……ここのところコバル公国は盛んに演習を行い、兵站の類を買い求めることも盛んだと聞く」
淡々とした、冷徹にすら聞こえる口調でモガミが返す。不穏な空気を前に胸元から飛び出そうとするナイトゥナイを、再びカカトはそっと撫で抑えた。
それを見届けてから、モガミはカカトに抑揚のない声で訊いた。
「ここでお前達六旗手2人を公国に売り渡せばカルコース商会は安泰だと、そこまで考えが及ばなかったか?」
「そこまでの華々しい役得は、逆に商会の首を絞めると思うが」
「我が商会が表に立たずとも、会合衆に引き渡すだけで構わんのだが?」
「公国に追われる者がわざわざカルコース商会を選んで接触してきたともなれば、痛くもない腹を探られるだろうな」
「……」
沈黙が、一刻場を支配する。
「……都合のいい解釈だな」
そう詰るモガミの口調に嫌悪感は無い。さりとて喜色がある訳でもない。
「互いにな」
返すカカトの口調も又、同様であった。
茶番である。
結局のところ、こうして密かにカカトを招き入れ接触を持った時点で、モガミにとっては『後ろめたい』、ヘタをすれば詰み兼ねない案件であった。
敢えてそうしたことを、カカトは承知していた。
元々モガミは妖精皇国縁の者であり、その妖精皇国と浮遊城塞オーファスが誼を結んで久しい。彼等2人もまた、モガミが妖精皇の護衛として傍らで仕えていた時以来の知己であった。
「一つやってもらいたい仕事がある」
モガミの言葉に、そら来たとカカトは胸中で肩をすくめた。それと同時に安堵もした。
旧知の仲だとは云え、カカトはモガミのことを無条件に信頼している訳では無い。してはならないと、彼は心得ていた。見返りも無しに庇護を申し出て来たならば、そちらの方がよほど恐ろしい事も彼は知っていた。
かつて、モガミが妖精皇国を去った時に、師事していたカカトはその理由を問うて回った。彼はまだ幼く、その理由を知りたいという欲求に抗えなかった。
応えてくれる者は皆無であった。コルテラーナも老先生もバロウルも、妖精皇その人ですら。
やがて彼はそのモガミが商都ナーガスで名を上げた事を知った。捨てられたのだと思った。
その日から、彼は独り日課としていたシノバイドの修練を止めた。自らの手で、自らの得意とする技の研鑽に励んだ。
六旗手――“青のカカト”の始まりであった。
今ならば、明かされなかったなりの理由があるのだろうということはカカトにも分かる。しかし、わだかまりだけは依然として残った。消えぬ不信の念も。
「……」
ふと胸に沸いた感傷を、カカトは人知れず振り払う。
モガミに代価を求められたということは、少なくとも彼との交渉自体は成立したということである。
浮遊城塞オーファスとの合流自体を断念し、ナーガスを素通りしてとにかく妖精皇国を目指すという選択もあった。そうしなかったのはこれから予想される追っ手の苛烈さに尻込みしたからではない。
逃げ込んだ自分を口実に妖精皇国に対しコバル公国が――ちょうど自分がモガミに対して語ったように――圧を掛けてくることを避けたかったというのも無論ある。
何よりもようやく起動に成功したという試製六型機兵を――コルテラーナのいう希望の先触れの姿を早く見たいという想いに、カカトは抗うことができなかった。
「オーファスと合流してからでも構わない。六旗手として魔獣討伐に力を貸してもらうだけだ」
ニコリと初めてモガミの顔に明確な笑みが浮かぶ。人好きのする笑みでもあるし、満面であるあまり見る者によっては底知れなさに悪寒を感じる笑みでもあった。
「魔獣?」
「討伐?」
予期しない展開に、カカトとナイトゥナイは思わず顔を見合わせた。
「そろそろ話は終わりました〜〜?」
通路の奥より若い女の声が響いてきたのはまさにその時であった。
*
「――ヴ!?」
工作室に飛び込んだ私の単眼に映り込んだのは、すさまじい破壊の傷跡であった。
大きく開け放たれた両の扉。もしも私の背中のケーブルを這わす為に開け放っておく必要さえなかったら、扉は固く閉ざされ、そう易々と侵入者の襲来を許すことはなかった筈であった。
“黒き棺の丘”の闇のカーテンをくぐる事を前提とした私の背のケーブルは、私の新たな装甲と同様に粒体装甲を編み込んだ固いものであった。そうでなければバロウルもケーブルそのものを切断して籠城に備えることも出来ただろう。
私のせいではないと、己に言い含めることもできた。お前のせいではないと、慰めてくれる者もいると思えた。
(だが、それでも――)
私でなかったら、この試製六型機兵に宿っているのが賢しい者であったなら、せめてもう少し有用な対応が出来た筈だった。
私でさえなかったら……。
扉口から覗く室内の機器は火花こそ噴いてはいないものの、ある物はへこみ、ある物は倒され、その計器全てがレッドアラートを示す赤い光を点灯させていた。
見紛う筈の無いシロとクロの姿はどこにもなく、少なくとも所長を――そしておそらくはミィアーも――伴って別の安全な場所に避難していることは間違いない、それだけが救いであった。
総員退去を終え無人となった工作室を、殺到した“布”の群れが勢い任せに破壊した、それならば不謹慎ではあるが幾許かは私も気が楽であっただろう。
だが、破壊された機器には明らかに物理的な衝撃――要は殴打の跡がありありとしていた。“布”の形態では到底無理であろう、バットか何かで殴りつけでもしたかのような原始的な跡が。
「居るな……」
私の隣に並ぶガッハシュートが、私と同じ結論に至ったのか眉を顰める。
その瞬間であった。ソレがぬっと、工作室の暗がりから姿を露わしたのは。
新たな褐色の肉体を得た、新たな女の六旗手が。
実は既に本業の繁忙期に突入しており、一月半ばまで執筆の時間が取れない状況です。
それでも何とか年内もう一回くらいは更新したいものです……




