飢妖(12)
「だいたい!」
心のどこかに火が付いたのか、妖精少女の苦言は止まらない。
「君は昔から後先考えずにいつも目先の――」
「それでも……」
カカトは一旦脚を止めると、徐々に声の大きくなりだした胸元の妖精少女に対しそっと囁いた。
「あの娘は最期に笑ってくれた。自己満足なのかもしれないが、その甲斐はあったと、信じたいんだ」
「……」
再び先を急ぐカカトの胸の中で、妖精少女は口をつぐんだ。つぐまざるを得なかった。
見えはしないがきっとカカトは笑っているのだろう。彼女の好きな、あの笑顔を浮かべているのだろう。
それでも、と少女は一人歯噛みする。例え最期に笑って逝けたのだとしても、死んでしまえば全てが終わり、そこに何の意味も無いのではないかと。
そう反論したところで、魂は救われたんだと彼女の相方は笑うのだろう。
この世界で非業の死、無念の最期を遂げた者は心を失くした白い“幽霊”と化し、死して尚晒しものとなる。
だが、この商都ナーガスを目の前にして看取ることとなった行きずりの縁を結んだ娘はそうはならなかった。そうなって然るべき境遇であったにも関わらず、カカトの腕の中で微笑みながら死んでいった。“幽霊”と化す事もなく。
しかしそれが救いなのだとは、救われたのだとは、妖精少女にとって到底納得できるものではない。娘を埋葬し簡素な墓標を立てている時のカカトの無念さを滲ませた横顔からは、彼にとっても益な交わりだったとは到底認めたくない。
“死”に関わる事を、妖精少女は常に恐れた。正確には、カカトが“死”に囚われる事を何よりも彼女は恐れた。
カカトの懐中にスッポリと収まり膝を抱えながら、妖精少女はその温もりに包まれ一人身悶えする。
この様なやり取りを、二人はこれまで幾度も重ねてきた。だが何度言っても考えを改めないお人好しは、いつか誰かを護って自分の命を散らすに違いない。
(だから――)
妖精少女――妖精機士ナイ=トゥ=ナイは、再び固い決意を胸に灯す。あの日、自分にも自我があることを知ったあの日の事を彼女は決して忘れはしない。
まだカカトが“旗”をコルテラーナより授かる以前の話である。彼は猿人達の嬲りものであった妖精族の少女――製造番号『グランザム・ナイトゥナイ・イシュ・ミレイト・ヤ』でしかなかったもの――を、半死半生になりながらも猿人の居留地より救い出した。
あの時に初めてナイトゥナイは他人の躰の温もりを、他人の心の温もりを知った。それが尊いものだということを、誰に教わるまでもなく彼女は知った。倒れ伏したカカトの横で、慟哭と共に。
だからいつかカカトが誰かを――自分以外の誰かを――護る為にその身を散らさぬように、いざその時にはそれを阻止することが出来るよう――カカトが護ろうとした者など彼女にとっては知ったことではない――彼女は励んできた。カカトの隣に共に立つ者として、妖精機士となり妖精皇から“旗”を譲り受け、妖精皇に護衛の任を解かれた側近に代わり名誉の証である“黄金の太陽花”の紋章を掲げる事を許されるまでになった。
ナイトゥナイに限らず、自我に目覚めた妖精は数少ないとは云え他にもいる。その様な妖精達はほぼ皆、妖精皇から機械の甲冑を授かり妖精機士として妖精皇国の近衛隊に属することとなる。その機士達も大小の差こそあれ常に皆一様に何かに特定のものに固執していた。
固執するからこそ自我が生じるのだという者もいる。浮遊城塞オーファスの老先生の弁ではそうであった。ガッハシュートも。
(だから私が護るんだ……!)
ほぼ暗闇に等しいナーガスの地下迷宮を、夜目の効くカカトが迷うことなく駆け抜けていく。滔々と流れる水路の脇道に沿って。その胸の中でナイトゥナイは己が想いに身を焦がす。己の身をくるむカカトの着衣をギュッと、赤子のようにその手に強く握りながらも。
バシャリと、遠くの水路で何かの跳ねる水音が響いた。
地下迷宮の水路を流れる水は、一見したところ清流ではあるがそれ自体は飲料には適さない。それでも地下に住まう小動物や水棲生物にとってはまたとない生息地であり、名も伝わっていない彼の者がこの地に腰を落ち着けた時には既に独自の生態系が構築されていた。
この閉じた世界に墜ちて来た事で躰の造りを変えられたのは人間だけに止まらない。動物の類もそうであり、かなり無茶な交配が可能となったが故の忌まわしき落とし児――俗に『魔獣』と呼ばれる化生の存在もかつてはこの地下迷宮の暗がりの奥に潜んでいた。
これもまた過去の話ではある。商都ナーガスの前身である彼の者の教団において、それら魔獣を独自の儀式に用いた――詳細は不思議なまでに伝わっていないが、儀式と言うからには儀式なのであろう――という覚束ない逸話が伝わるのみである。
加えてそれよりも更に聞く者の気を惹く噂話がまことしやかに伝えられていた。この地で落雷により失われた彼の者の“旗”が、この地下迷宮の何処かに漂着し、新たな旗手となるべき主の到来を待ち続けているのだと。
かくして教団の離散後、打ち捨てられるかと思われたこの地に“旗”を探し求める山師達が入れ替わる形で殺到した。彼等は地下迷宮の階層を踏破し、障害となる魔獣を追い落とし、やがて皆、失意と共に地表へと戻った。
何もかもが過去に起こった出来事である。
今ではナーガスの地下迷宮は封鎖され、会合衆として都市を切り盛りする選ばれた特定の商家が管理している。かつて闊歩していた魔獣が討伐されたことで単なる空家となった地下迷宮が、会合衆の有事の際の避難路なり潜伏場所なりとして独占されているというのは、商都ナーガスにおいては公然の秘密として噂されていた。
「確かここの筈だったが……」
その地下通路を迷うことなく進んで行たカカトの脚がようやく止まる。袋小路に行き当たった彼はその壁面を仔細に眺めると、壁の装飾に巧妙に偽装された昇降用のコの字の手すりを掴むと躊躇わずに昇っていった。
ナーガスで噂される地下迷宮に関する『公然の秘密』は、半ば的外れなものであった。確かに一時的な避難場所として使えるよう整備はされていたが、各商家を結ぶ直通通路でもあるこの地下通路を脱出用として当てにしている者はいない。むしろ侵入路として悪用されぬよう内側から塗り固めている商家が殆どであるのが実情である。
「よっと」
壁の昇降路はやがて頭上に張り出した天井で頭打ちとなり、カカトは軽業師の様に器用につま先だけでコの字の手すりに躰を固定させると、手慣れた様子で天井の一部に両手を当ててそのまま押し上げた。
要は隠し扉である。ヘタをすれば扉を開けようと覚束ない足場で四苦八苦している内に落下しかねない危うい構造からも、地下迷宮側から昇りで使う事は本来想定外であることが窺える。
もしも灯りがあったならば、カカトが命綱として補助的に張った“糸”が反射によってその存在を露わとなったかもしれない。兎も角、カカトは忍者の様に側面の壁を蹴ると、その勢いを生かしてスルリと隠し扉からその内側へと身を躍らせた。
或いは懐に妖精少女を忍ばせていなかったなら、そのまま飛び込んだ部屋の隅にでも転がり逃れたのかもしれない。部屋の中に侵入したカカトはしかしそうはせずに、代わりに低く身を伏せ油断なく周囲に目を光らせた。
隠し部屋そのものは物置を思わせる簡素な四角い空間となっており、コバル公国の地下大空洞と同じ様に壁の窪みに据えられた夜光茸がささやかな光源の役割を果たしていた。
部屋の片隅には長櫃が二つほど置かれており、おそらくはここに逃げ込んだ後に有用となる細々とした物が収められているのであろうか。少なくとも定期的に手入れされていることが、さして埃にまみれてもいないその外装から察せられた。長櫃だけでなく、掃き清められているとしか思えない、塵も墜ちていないような化粧石の敷かれた床からも。
「よぅ」
部屋の中央に蹲る、平たい円形の“番人”の姿を認め、カカトは親しげに声を掛けた。彼にとっては御馴染みの、浮遊城塞オーファス謹製の三型機兵である。
その三型が、脚部を本体に折りたたんだ巨大な硬貨の様な形態のまま、縁にピッと赤い単眼の光を宿す。それは無遠慮に直近まで歩み寄って来たカカトの額に対し、レーザーポインタのように照射された。
光が目を細めるカカトの貌を撫で上げ、一拍の間を置いてから、三型から低い機械音声が流れる。
“――ギオンショウジャノカネノコエ”
「ショジョームギョーノヒビキアリー」
淀みなく合言葉の対の句を口にするカカト。だが合言葉として丸暗記しているだけで、その異国の言葉の真の意味を彼は知らない。
“――シシテシカバネ”
再度、三型が別の合言葉を発する。カカトの返答も又、先程と同様に淀みないものであった。
「ヒローモノナシー」
ピッという音を発しながら始めて三型が脚部を展開し、ヤドカリの様な形態に変じつつ部屋の片隅へとのそのそと退いた。それに連動するように、カカトの向かいの壁が重い音を立てて回転式隠し扉としての真の姿を露わとする。
「めんどくさいことだ」
カカトは門番としての役目を終えた三型に労いの目線を送ると、躊躇うことなく隠し扉をくぐった。
脚を踏み入れたその先は、先程のものと寸分変わらぬ四角い寒々とした空間であった。中央に鎮座している三型の存在まで同一であり、この二機が対となって回転扉で繋がれたこの隠し部屋を管理していることが窺えた。
「さっきの合言葉は茶番ではないの?」
「所長もそうだし、ああいうのが好きなんだろう」
胸元の妖精少女の呆れたような問いに、カカト自身もまた肩を竦めてみせる。その気になれば合言葉などを介さずとも――全ての三型が等しくその機能を有している訳では無いが――貌の認証だけで事は済むことを彼等は知っていた。
「私には分からない」
ニュッと顔だけだしたナイトゥナイが、眼前に口を開けた長い通路の入り口に目をやる。対として構成された二つの四角い隠し部屋において唯一と言ってよい程の大きな相違が、奥へ真っ直ぐに伸びるその通路の存在であった。
『カルコース商会』――元々が商都ナーガスでも代を重ねた古い商家である。とは云え商いの規模としては中堅に近く、古参として一目置かれてはいるものの会合衆としては末席の目立たぬ存在であった。
新たに雇い入れた番頭によって商会を取り巻く状況が変わったのがほんの数年前のことである。妖精皇国と懇意であるという番頭の言葉に嘘偽りは無く、それまで――決して消えることの無い遺恨が故に――幾つもの仲買を経由していた妖精皇国とコバル公国との取引を一手に賄うようになってからは、カルコース商会は内外でその名を知らぬ者がいないまでに業績が上がったという経緯がある。
その矢先に大旦那が夭折する不幸に見舞われはしたが、揉め事を期待する衆目に反し件のやり手の番頭が婿入りすることによって、商会の経営は盤石にして――大旦那の突然の死に関する口さがない噂だけは如何ともし難いものではあったが――揺らぐことはなかった。
番頭――もとい『若旦那』は派手な言動を取ることなくあくまで商都の『新参者』としての節度を護り、また身寄りのない子供達の為に孤児院を設けるなどの福祉への後援に努めた。
今、カカトが進んでいるその地下通路の先こそが、そのカルコース商会の地下倉庫へと繋がる道であった。
「……」
依然として通路の要所要所に配置された夜光茸の仄かな明かりだけが闇の中に存在を示し、青いマフラーをなびかせ奔るカカト以外に動くものの姿は皆無である。
「――!」
そのカカトの脚が、不意に止まった。
白目の部分の極端に少ない彼の蒼瞳が、油断なく周囲を見回す。その視界の端に、すぐに何者かが動く気配が露わとなった。
通路の上半分、中二階とでも言うべき場所は一定の間隔でアーチ状の梁が通路をまたぐ形で設置されていた。一見すると単なる通路を飾る簡素な意匠のようにも見えるその巨大な柱は、人の姿を紛らすには恰好の構造でもあった。
おかしな言い方になるが、隠されたこの地下通路に設けられた更なる隠し通路とでも呼ぶべきか。カカトの瞳は既に気配だけではなく、潜んでいる人影が複数であることまで察知していた。
ここに乗り込んだ時点で予測の範疇ではあった。胸元のナイトゥナイが騒ぎ立てない理由もそこにある。
「降りて来い!」
通路にこだまするカカトの呼び掛けに、潜んでいた影達の気配が揃って闇に溶け込んでいく。それまでカカトの視界の端々に映った影はいずれも小柄なものであったが、彼の誰何の声にも一切動揺することなくただ気配だけが消えていった。
その一矢乱れぬ動きから、並々ならぬ修練と統率の行き届いた侮りがたい集団であることが窺える。カカトが生来夜目の効く体質であり、尚且つ監視者の存在を予期していたのでなければ、その気配を捉えることすら困難であっただろう。
(ならば……!)
カカトは僅かに口の端で笑うと、高々と右手を頭上に掲げた。その右の掌中に青い蛍火が集い、一つの大きな光球と化す。
「――電楽器!」
カカトの握った光の球が弾け、一本の“棍”が代わりに姿を現す。それはたちまちの内に7本の弦を備えた電楽器へと外観を変じると、煌めく青の輝きを通路の薄暗がりの中に撒き散らした。
「ならば聴け!」
カカトの長い指が7本の弦の表面を撫で上げる。ただそれだけで電楽器が硬質のけたたましい音色を通路中に響き渡らせた。
おそらくは耳を塞いでいるのであろう胸元のナイトゥナイが、苛立たしげに胸板を蹴ったことをカカトは黙殺した。
実際に彼が電楽器を演奏している訳ではない。あくまで所長の持つ記録動画に感銘を受け、その流れで物まねをしているだけである。動作までは分かっても、その事細かな演奏技術は所長の観測船瑞穂には残っていなかった。
要は見様見真似で『演奏』めいた動きをするカカトに合わせて、電楽器の形状を模した“旗”が自ら金属音を掻き鳴らしているに過ぎない。だがそれでもカカトにとっては憧れた映像の再現であり、魂を震わす音の洪水に自らの心を震わせた。成せぬことなど何も無いと錯覚するまでに心が高揚し、電楽器もまたその想いにより一段と猛り音階を増した。相互に高め合うように。
六旗手が“旗”から超常の力を得るとは、すなわちそういうことであった。
「――!」
放たれた鋭い殺気にカカトは咄嗟に床を蹴り、後方に飛びすさった。刹那、彼が今しがたまで電楽器を掻き鳴らしていた場所に短刀が3本、小気味良い音と共に縦一列に床に突き立つ。
年甲斐もなく社内でデンジャラスゾンビごっことかやっていればそれは風邪も引くのでしょう。
それは兎も角、年始年末の繁忙期が近付いてきたため、次回更新が年内最後かとも思いますが、何とか更にもう一回位は頑張りたいところです。




