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飢妖(11)

 「待て!」

 ガッハシュートの鋭い制止の声は、あのナナムゥをしてその場に立ち止らせるには充分であった。

 「ナナムゥ、お前は残れ」

 有無を言わさぬガッハシュートの言葉に、振り返ったナナムゥがその顔をみるみる内に紅潮させる。

 「どういうつもりじゃ!!」

 柳眉を逆立て爆発寸前のナナムゥに対し、しかしガッハシュートはコルテラーナを床に丁寧に横たえながらも冷徹に先を続けた。

 「お前はここに残り、コルテラーナとそこの“少女”(むすめ)を見張っていろ。尤も――」

 思わせぶりに一旦言葉を切ると、ガッハシュートはナナムゥへ含みのある視線を向けた。傍で見ている私には分かった。その一連の溜めの動作が全て、ナナムゥに考慮する時間を与えているのだということを。

 淀みの無いガッハシュートの一連の言動からは、彼が私などよりも余程ナナムゥの扱いに手慣れているように感じられた。まるで常に傍に侍っている者であるかのように。

 「俺にコルテラーナの身柄を預けたままでいいならば好きにするがいい」

 ガッハシュートの言葉にナナムゥが眉根を寄せグヌヌと内心で葛藤する様は、口惜しげな表情となって諸に外面にも顕れ出ていた。

 実際のところガッハシュートの提案は理に適っているものであった。いまだ昏倒したままのコルテラーナは無論の事、眠りにつき無力化されたように見えるとは云え謎の“少女”を同じこの場所に揃って放置しておく訳にもいかなかった。

 ナナムゥの代わりに私が残り両者を見張るという手もあっただろう。しかし今の状態のナナムゥをガッハシュートと共に行かせたところで碌な事にならないのは、火を見るよりも明らかであった。そしてそれは誰よりも我が幼主自身が――年齢の割に非常に聡明である我が幼主ならば――一番良く理解している筈でもあった。

 「だからお主のことは嫌いなんじゃ……!」

 ナナムゥは私達に背を向けると、俯きながら絞り出すように想いを発した。

 「いつもいつも見知ったような口振りで現れて、そのくせ肝心なことは何一つとしてハッキリとは言わん!」

 ナナムゥの激白に対しても、ガッハシュートはフッという僅かな笑みを唇の端に浮かべただけであった。これまでナナムゥ相手に常に浮かべていた、からかう様な含み笑いではなく自嘲にも似た昏い微笑みを。

 それに良く似た笑みを私は幾度か見た憶えがあった。私にこの世界の摂理について述べる時のコルテラーナが浮かべる、倦み疲れたかのような薄い微笑。

 それは錯覚であったのか、ガッハシュートはいつもの涼しい貌のまま、ナナムゥの背中に対してただ頼むとだけ告げた。そして私を目で促し、“布”の群れの逃げ去った方へと駆け出そうとする。

 仕方のないこととは云え、ここまでのやり取りで時間を浪費してしまったのは事実である。


 「――キャリバー!!」


 ナナムゥが大音声で私の名を呼んだ。ガッハシュートの後へと続く私の背中へ向けて。

 負けるなでもなく、気を付けろでもなく、ましてや“旗”を手中にしろなどという無茶振りをするでもなく、ただ私の名前だけを呼んだ。

 何一つ付随する言葉が無くとも、それだけで私にとっては充分であった。

 「ヴ!」

 私は一旦脚を止め頭部だけでナナムゥの方を振り返ると、瞳に青い光を灯してみせた。

 ニカッとナナムゥが笑顔で返す。私はそれだけを見届けると、すぐに踵を返してガッハシュートの後を追った。

 改めて言うまでもなく、私の力では“旗”を回収することなど手すら届かぬ夢物語であろう。だがせめて幼主の名を辱めぬよう善処することだけは可能な筈だった。

 「アレ(・・)が散開すると厄介だが、そういう訳でもないようだな」

 並走しながら――と云っても、私の速度に合わせているので速くはない――ガッハシュートが首を捻る。

 私に対して屈託なく語りかけてくるガッハシュートの真意は分からない。むしろ、最初の遭遇時の死闘は何だったのかと逆に問い詰めたいくらいである。釈然としない思いは強かったが、いずれにせよ、これ程までに心強い同行者は他に得られはしないだろう。

 だがそれはそれとして、私には新たに気掛かりなことが一つだけあった。

 “布”が散開していないと、ガッハシュートは言っていた。それは逆に言うと“布”の群れが特定の場所を目指しているということでもあった。

 それが単に、群れることで身を護り逃走確率を上げようという目論見ならばそれで良い。そうでないならば、何らかの目的地が定まっているのか、或いは何か目印となるものに導かれるように移動しているのかどちらかであろう。愉快な話ではない。

 「……」

 今の私達は、バロウルの居残る工作室に向けて元来た通路を懸命に戻っているということになる。私の背中に――これまた仮止めであろうが――増設されているコンテナ状のユニットが、ちょうど掃除機のコンセントのようにケーブルをユルユルと巻き取り収納してくれていた。そのおかげで帰路であってもダブついたケーブルをどこまでもズルズルと引き摺るような、取り回しに難のある造りにはなってはいない。

 そればかりか元々が方向音痴の私にとっては、帰路に真っ直ぐに伸びる一本のケーブルは工作室への道標そのものであった。ガッハシュートが先導してくれているおかげで、今はその役目を果たす必要がないのだとしても。


 「――ヴ!?」


 一つの重大な見落としに私はようやく気が付いた。先程、ナナムゥがガッハシュートを前に感情を露呈した時、何故保護者であるバロウルは何の反応も返しはしなかったのかと。少なくともその場にいる私に対し、バロウルが何らかのフォローをするよう指示しない筈がなかった。

 そしてガッハシュートと共に“布”の行方を追っている今、何故私の視界をモニターしている筈の彼女は何の情報も送ってはこないのかと。


 (――まさか!?)


 暗闇を見通すことの出来る私の単眼でも、その暗闇の更に先を見通すことは出来ない。私の背から敷かれたケーブルが伸びる、工作室へと続く暗がりで何が起こっているのかを――


        *


 商都ナーガス――


 コバル公国と妖精皇国に並ぶ、この閉じた世界(ガザル=イギス)における第三の都市である。

 この世界の中心に鎮座する闇のカーテンに覆われた“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”、そこから半日ほど東に移動した窪地の中に、かつては巨大な地下遺跡が誰に知られることもなく存在していた。

 過去形である。商都ナーガスの事の起こりは、この世界に墜ちて来た人々が雨露をしのぐ為にこの遺跡の地表露出部に寄り集まって来たのが最初だと伝えられている。

 その商都ナーガスを語る上で、他の二都市とは大きく異なる点が一つある。コバル公国と妖精皇国が共に国の元首として六旗手を文字通り“旗頭”として置いている――もっとも妖精皇国の妖精皇は国の基盤が固まると“旗”を妖精機士(スプリガン)の一人に下賜してしまったが――のに対し、ナーガスには公の統治者というものが存在しない。

 名の知れた豪商からなる会合衆による合議制の形をとるが、あくまで取り纏め役は持ち回り式であり、現在に至るまで抜きんでた盟主となるべき者は存在しない。

 要は明確な責任を負うべき者が誰かと云うのが常に曖昧模糊でもあり、それ故に互いに不干渉を前提とする会合衆の商家それぞれが、食客と称して様々なあぶれ者を囲い込んでいた。

 一言に『あぶれ者』と言っても、その内訳は多岐に及ぶ。殆どの者は自衛の為の私兵(『石』)にしか使えない訳ありの腕自慢でしかないが、それでも中には『玉』と呼ぶべき技術者もいた。彼等は豪商の援助の下、それぞれが元居た世界由来の失われた技術の再現に勤しんでいた。

 例えば紡績、印刷、保存食を主とした食品加工。普段より当たり前のように甘受していた技術であったからこそ、身一つでこの世界に堕とされた人々にとってはいざ再現するには困難で、それ故に渇望された技術であった。

 いずれもまずこの閉じた世界(ガザル=イギス)に現存する物から妥当な“代替品”を探す作業が大きな障害として立ちはだかった。『船』という巨大なリソースと共に墜ちてきた妖精皇が短期間で妖精皇国という強国を立ち上げることが出来たのも、その工程が不要であったことに起因する。

 とは云え、人が集い知恵を出し合えば既存の技術の再現は決して不可能という訳では無い。石炭の類さえ発見されれば蒸気タービンを永続的に回せるところまで――ご多分に漏れず隠匿されてはいるが――商都ナーガスは到達していた。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)を封じ込める不可視の障壁がいつか砕け、資源の枯渇に怯える現状から解放されさえすれば、木材を燃焼させることでタービンを回し電力を普遍的に得ることは時を置かずして成し遂げられることだろう。はげ山の増産と引き換えにではあるが。

 斯くの如く、他の二都市に比べてナーガスに欠けているものは主としての六旗手だけだと言えた。それすらも単なる『箔』の問題でしかなく、商都ナーガスの政道まつりごとが立ち行かなくなるなどということは決してない。

 確かに住民の絶対数が少ないこの世界において、六旗手が先頭に立ち兵を率いて攻め入ってくれば“旗”の超常能力への対抗手段を持たないナーガスは苦境に立たされるであろう。だがその為の根回しも無論抜かりはない。

 妖精王国の商工会にも、コバル公国で誼を通じている貴族達にも。そしてそのコバル公国の去就が些か怪しい為に、『喉元に突き付けた短刀』として抵抗勢力である救世評議会にも。

 無論、先程も記した様に有事に備えて各豪商が私兵を雇い入れてもいた。六旗手さえ前線に出てこなければ自衛組織としては充分に機能するように。

 農業や鋳造に飽き足らなくなった者、訳あって身を隠す必要が生じた者、その様な胡乱な者達が募兵目当てに商都ナーガスに集っているのは事実である。それとは別に、ある遺物を求めてナーガスの地下遺跡を探索する山師とでも呼ぶべき腕に覚えのある者達も。都市の名目上の支配者が存在しないということも、ナーガスのその雑多な現状に拍車を掛けた。

 そのような成り立ちもあり――『旗頭』となるべき六旗手を除いて――他の二都市が到底並ばぬ程に商都ナーガスにはあらゆるものが揃っていた。立身の為の術も、胡散臭い儲け話も、情け容赦の無い貧富の差も含めて。

 その意味では、ここ商都ナーガスだけに留まらずこの閉じた世界(ガザル=イギス)そのものに欠けているものがもう一つだけあった。

 宗教組織である。

 この世界に墜ちて来る以前より礼拝していた神を――半ば習慣だとしても――依然として祀っている者も少なくはない。信仰の厚い人間が礼拝堂なり祠なりをささやかに建立することもままあった。

 だが組織立った宗教集団を立ち上げ、その『教祖』に収まる者はいない。今は。今現在は。

 かつてはいた。このナーガスを拠点として、六旗手の一人として。

 彼の者が元から何かしらの能力を持っており“旗”によってそれが強化されたのか、或いは“旗”によって新たな『力』そのものに目覚めたのか、それはもう伝わってはいない。

 いずれにせよ彼の者が予知預言の類を生業としていたのは事実である。

 彼の者は旗竿を杖代わりに各地を巡り、請われるままに地下水脈や鉱床を探り当て、その行脚に追随する者もそれに連れて徐々に増えていった。

 やがて彼の者は誰もが意識的に避けてきたこの世界の中心にあたる“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”、そこに程近い窪地に行き先を定めた。夜露をしのげる程度の朽ちかけた小さな遺跡が存在するだけだと思われていたその荒れ地には、地下に巨大な遺構が隠されていた。

 彼の者はそこを定住の地と定め、取り巻きの人々もまたそこに腰を落ち着けると定住の為の集落を成した。決して彼の者に指示された訳ではない。

 彼の者が何を想ってそこを終生の地と定めたのかは伝わってはいない。だがそれまでは過酷な日々の暮らしを乗り切る為にただ予知預言を享受するだけであった取り巻きの人々は定住することで組織化し、先鋭化し、やがて新たに恩恵を授かりに来た新参の人々に対価を求めるようになった。

 その為にも単なる集落でしかなかった居住地の見栄えを整え街道を整備し、内部に厳格な階級制度を形成した。それも決して彼の者に指示された訳ではない。

 彼の者が何を想って祭り上げられるがままであったのかは伝わってはいない。ただ数多の信者に傅かれ、唯一無二の絢爛な法衣に身を包んだ彼の者は、行脚の始めから携えていた旗竿――“旗”を掲げることによって一つの未来を予見した。


 『――真紅の流星が夜の帳を翔る時、この閉じた世界の殻は砕け、再びあるべき大地へ還るであろう』


 救済の言葉であった。この呪われし世界からの解放が約束された瞬間であった。具体的な刻こそ示されなかったものの、それは新たなる預言を待てば良いだけの話であった。


 天からの赤い雷が彼の者を撃ち倒したのは、預言の言葉を前にシンと静まりかえっていた聴衆が歓声のどよめきをあげたその瞬間であった。


 焼け焦げた跡の他には何も残らなかった。骨一つ、法衣の切れ端一つ、髪の一房さえも。

 手に握られていた“旗”は、雷光の輝きの中に失われた。

 人々は絶叫し、逃げ惑い、そして憶測を撒き散らした。六旗手である彼の者を塵へと還した赤い雷こそ、この忌まわしき世界を造り上げた“彼等”が下した神罰なのであろうと。

 人々は恐れ、彼の者一人が犯した罪であると弁明し、それに関する一切を口にするのは禁忌となった。彼の者の名も姿も全てが闇に葬り去られ、やがて真に忘れ去られた。

 ただその救世の預言だけが、不滅のものとして残った。

 信者だった人々――「信者? 誰の?」――は一旦巣を追われた小動物のようにやがて再び窪地へと舞い戻り、地下の遺構を基礎として一大居留地と化していたその廃墟を恥知らずにも再び自分達生来の地とした。

 後の商都ナーガスの誕生であった。


 「いやー、まいったまいった」

 誰が呼んだか、ナーガス地下大迷宮。

 その湿った地下回廊を灯りも持たずにぼやきながら進む人影が一つ。

 仄かな燐光を纏った青い布マフラーをなびかせ、その照り返しの中にまだどこか少年の面影の残る貌が覗く。

 六旗手の一人、青のカカトである。

 「まさかあんなハメになるとはなぁ」

 「何もかも!」

 相変わらず彼の胸元に収まった妖精族(フェアリー)の少女が、その胸板を打つくぐもった音が僅かに漏れ聴こえる。

 「君が悪いんじゃないか!!」

 腹立ちが治まりはしないのか、少女がもう一度カカトの胸板を強く打つ。

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