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飢妖(10)

 「コルテラーナ」

 ガッハシュートからの呼び掛けが合図であったかのように、モゾリとコルテラーナだったもの――今は蠢く“布”にびっしりと覆われている黒い塊と化したものが震えた。その表層から瘡蓋のように、ボロボロと“布”が剥がれ落ち彼女の足元に塵積もる。それらは一様に例の『ティス』というか細い鳴き声をあげると弱々しく平たい躰の一端を持ち上げ、そして力尽きたかのように動かなくなった。

 「ヴ……!」

 見た目はハンカチより一回り小さい程度の単なる布切れの集合体でしかない。しかしその動作の端々には、確かに何か付喪神めいた意思とでも云うべきものが感じられた。

 そう私が困惑している間にも、着ぐるみか何かを脱ぎ捨てでもするかのように全ての“布”がドサリと一気にコルテラーナの足元に堕ち、こんもりとした山を築き上げた。

 「……」

 ようやく外気に晒されたコルテラーナは、一糸纏わぬ裸身であった。周囲に散った衣服の残骸から予め予測できていたとは云え、その痛ましさに私は目を逸らし、ナナムゥは驚きの声を上げた。

 「生きているか?」

 動揺する私達を尻目にガッハシュートはコルテラーナに労わりの言葉を掛けると、その白いマントを肩の留め具から外した。そして流れるような慣れた手付きでそれをコルテラーナの裸身へと掛ける。

 精悍な白亜の美青年と、どこか浮世離れした線の細い美女。宗教画を思わせる取り合わせであり、これほどまでに絵になる男女の様を、私は視た事が無い。

 ナナムゥはガッハシュートに対し――異様なまでに――毛嫌いする程の因縁が有り、バロウルもまたガッハシュートの事を良く見知っているようでもあった。

 両者がそうである以上、コルテラーナもまたガッハシュートとの間に過去如何なる縁が有ったとしても不思議ではない。しかし、到底それだけとは思えない何かが――余人の立ち入ることのできない何かがあるように思えて、私は両者に近付く事すら躊躇われた。

 「生きてる……」

 茫洋とした表情のまま、ポソリとそれだけを呟くコルテラーナ。その言葉の意味を、私は最初のガッハシュートからの労りの言葉への返答かと思った。彼女自身が死の淵から生還出来たことを噛み締めているのだと。

 だがそれがまったくの見当違いであったことを、ガッハシュートの次の台詞で私は知った。コルテラーナの呟きだけでなく、最初のガッハシュートの台詞が労りの言葉ではなかったということも。

 「お前の精神干渉が効いたということは、やはりコイツらには『心』が在るということか……」

 精神干渉――私は妖精皇国へ向かう途上の、猿人の襲撃の一場面を思い起こした。あの時も確かにコルテラーナは、猿人の出現に恐慌を起こし荒ぶる馬を、光る手で撫でるだけで宥め沈静化させていた。

 であるならば、彼女の足下に堆積した“布”の群れも生命活動を停止した訳では無く、あくまで『精神干渉』によってその戦意を喪失しただけなのだろう。

 「――」

 やはり相当無理をしたのか、不意に膝から頽れるコルテラーナの躰をガッハシュートが慌てることなく手早く抱き止める。身を包む白いマントの他は一糸纏わぬコルテーナの躰が、すっぽりと彼の両腕の中に収まる。

 そのまま意識を失ったのか、ガッハシュートの胸元に抱かれたコルテラーナの躰が身動ぎ一つしなくなる。一連の脅威は消え失せ、後にはただ“布”の一群がかき集められた枯葉の山の様に無防備なその集合体を晒すだけとなった――かに見えた。

 ザザリと、まるで大蛇が鎌首をもたげるかのように、ちょうど人間の腕位の太さの固まりとなって、塵積もった山の中から“布”の一部がその身を起こす。


 “――ティス!”


 “布”の固まりは吹き出す間欠泉のように上に伸び上がると、コルテラーナを抱き止めて両腕が塞がったままのガッハシュートの頭上から、一気に襲い掛かる素振りを見せた。二人まとめて頭から呑み込むつもりなのか、“布”の群れが顎の如く大きく二つに広がる。


 “――電光石(グリドソール)!”


 その時には既に、先程我々を救った――不本意どころかナナムゥにとっては激昂案件であるが――低音声が響き渡っていた。傾いだ躰から高々と頭上に蹴り上げられたガッハシュートの右脚から発せられた機械音声が揚々と。

 コルテラーナを胸の中に掻き抱いてるにも関わらず、その体勢は塑像のように美しかった。右脚の脚甲の表面に弾ける赤い雷光が弧を描いて宙を奔る。その残光を目にした時には既に勝敗は決していた。

 悲鳴をあげることもなく、煙に燻された羽虫の群れの如く“布”がボトボトと雷光に撃たれて墜ちる。

 「雑だな」

 脚甲のふくらはぎから先程と同様にスティックを排出しながらガッハシュートが半ば呆れたように呟く。

 「こうなることくらい予測できるだろうに……」

 (終わり、か……?)

 あまりにも呆気ない幕切れに、私は唖然とする他なかった。先程と同じ技であるのならば、生命までは奪わずに痛めつけたに留まるのだろう。六旗手、それすらも歯牙にも掛けないガッハシュートに、私などが勝てる可能性は皆無である。

 (まして――)

 ガッッハシュートの腕の中で眠るコルテラーナの横顔を盗み見て私は絶望の念を深める。勝った負けたという単純な優劣だけではない。大切な誰かを護ることすら、私はガッハシュートには到底及ばないだろう。


 「キャリバー!」


 よほどガッハシュートの存在が癇に障るのか、ナナムゥはいつの間にか私達から少し離れた位置に一人陣取っていた。最初に“少女”を絡め取った“糸”の網の場へと。

 依然としてそこに囚われたまま身動ぎもしない“少女”の足下を、ナナムゥはフンスフンスと探っていた。おそらくは消え失せた“旗”である光球を探しているのだろう。その手助けをさせる為に私の名を呼んでいるのだという事はすぐに察しが付いた。

 望遠で確認する“少女”の顔は既に黒布で覆われてはおらず、無防備にその素顔を晒していた。

 実のところ、素体となる“少女”が単なる“操り人形”の核としての役割しか果たしていないのではないかと訝しんだ時に、私はその正体が屍体を辱めたものではないのかと些か恐れてはいた。しかしその予想に反し、“少女”はまるで寝惚けただけであるかのように――瞳だけは固く閉じられたままだが――大口を開けて僅かに身動ぎをした。妹と同じくらいの小柄な背丈なので、身長150?といったところだろうか。黒く長い真っ直ぐな髪に太い黒眉。そういう細かな特徴もまた、私の妹に酷似していた。

 あどけない、寝顔であった。口の端に涎を垂らした、一見だらしない寝顔ですらも子供のような愛嬌のある、そこもまた妹に似ていた。

 「やはり、そっち側に隠しておるか」

 流石にいつまでも放置しておく訳にもいかず私がナナムゥの元に駆け寄る前に、彼女の方から渋々といった感じでこちら側に戻って来る。“旗”を見つけることが出来なかったことは明白であり、ナナムゥは腰に手を当てると屈み込むようにして“布”の固まりを睨め付けた。

 ナナムゥが言うように、“旗”の変じた光の球がこの“布”の内の何処かに隠匿されている事には私も異論は無い。この手の群体の御約束として『核』に当たる部分が有り、それこそがいまだその名前さえ知らぬ真の意味での“六旗手”と云えるのだと私は推測していた。どこに出しても恥ずかしくない漫画脳ではあるのだが。

 それは置くとしても芯としていた“少女”をあっさりと捨て去りコルテラーナの躰に群がったことも、新たな寄生元への鞍替えを試みたというのなら納得もいく。幾ら見た目があどけないとは云え見ず知らずの“少女”よりも、コルテラーナを(ひとじち)とされた方が相対する私達にとっては打つ手がなくなる。

 問題は、幾らコルテラーナが自分から名乗りを上げたとはいえ、そこまでの知能が群体にあるのかということであった。

 「無茶しおって」

 ナナムゥが“布”の山を挟んで向かい側に立つガッハシュートの胸元に心配げな目をやる。昏睡したままのコルテラーナの蒼白な顔に。

 「礼は言わぬぞ」

 忌々しげに吐き捨てるナナムゥの顔からはそれまでの賢しき面影は消え失せ、ただ駄々をこねているだけの如何にも子供じみた代物へと変わった。年齢を考慮するとそれが普通なのではあるが、豹変と云ってもよい変わり様に私はいまだに慣れる事ができないでいた。

 「どちらにせよ埒があかん」

 バロウルがいないのをいいことに、お行儀悪くナナムゥが顎で“布”の山をクイと指し示す。そもそも雌ゴリラがこの場にいればまずはガッハシュートへちゃんと礼を言うようにナナムゥを窘めていただろう。少なくとも、背中のケーブルを通じて脳裏に伝わるバロウルの気配には確かに怒気があった。

 「お主の得意のまやかしで全部焼き払ってしまえ」

 何かの(まじな)いか、あやとりでもしているかのように指をワキワキと忙しなく動かしながらナナムゥがガッハシュートを促す。その口振りは、明らかに挑発の色を含んだ小憎らしいものであった。

 「雑な指示だな」

 苦笑を浮かべながらも、先程“布”に返したそれと似た台詞で軽く流すガッハシュート。その目線が、チラと腕の中のコルテラーナへと向けられる。

 「いい機会か」

 そのまま何を思ったか、ガッハシュートの貌がフッと真顔に戻る。その碧眼が、値踏みするかのように私へと向けられた。

 「キャリバー、お前がやるんだ」

 「――ヴ?」

 青天の霹靂という言葉がある。私にとって今のガッハシュートの言葉がまさにそれであった。

 私がそこで固まってしまった原因は二つある。一つはガッハシュートの言葉が単純であるが故にその真意を判りかねたこと。そしてもう一つは、屈服したと思っていた“布”の一群が再び大蛇の様に高くその鎌首をもたげた為であった。我々のすぐ間近で。

 周囲に散らばっていた力尽きた筈の“布”の切れ端も既にその姿はなく、ジワジワとにじり寄りでもしていたのか、おそらく“大蛇”本体に合流していることが窺えた。

 そればかりではない。“大蛇”の頭頂部と言える場所に伸びる一本角が私の目を引いた。

 (――“旗”!?)

 一見したところ角にしか見えないそれが、紛れも無く“棍”の形状をとった“旗”であることが私には視えた。尤もそれはあくまで外見の話でしかなく、その大きさは先程まで“少女”の手の中にあったステッキなどとは比較にならない程に小さく、まるで鉛筆か何かのようでもあった。

 その根元に一枚の黒い布が巻き付き、まるで指揮棒でも振るかのようにヨタヨタと左右に揺れていた。

 (――“核”か!)

 遅延させた視界の中で私はそう確信した。


 『“旗”の力を振るうには、“旗”をかざす動作が必要じゃ』


 先程のナナムゥによる教示がエコーとなって私の脳裏に甦る。まさに今、“大蛇”の頭頂で揺れているのがその先駆けなのだろう。光の珠から“棍”へ、そして“少女”の手の中で魔法のステッキへと次々に形状を変えていったところを見るに、“旗”にとって形状や大きさには然したる意味は無いのだろう。

 いずれにせよ、“旗”を振るという死の宣告にも等しい行為をそのまま看過する訳にもいかなかった。だが私が阻止する行動に移る前に、“旗”の動きそのものが止まった。まるで四方から絡め取られでもしたかのように拘束されていた。

 「ヴ!?」

 「また不意打ちを仕掛けてくると思っておったが、“旗”を晒すとは迂闊よな!」

 これまたキシシというお世辞にも上品とは云えない笑みを満面に浮かべ、ナナムゥが手元の不可視の“糸”を手繰る。先程の不可解な指の動きが“糸”の仕込みであったのだということに遅まきながら私も気付いた。

 その“糸”に絡め取られた“核”の役目を果たすのであろう布が、見る間にギチギチと固定されていく。

 『やったか!』などとは、ここまで来たなら流石の私も無邪気に確信はしなかった。そこにガッハシュートのチィという短い舌打ちが重なる。

 それはコルテラーナを依然として胸の内に抱き抱えたままであったが故に後手に回った事に対してであったのだろう。確かに“排出”を終えた腕と脚に新たなスティックを装填する暇があったとも思えなかった。

 私達の眼前で、絡め取られた鉛筆大の“棍”が再び光の球と変じてそのまま垂直に落下する。私が“核”だとみなした“布”そのものを、依然として“糸”の捕囚としたままに。

 落下地点では別の“布”の一枚が鎌首をもたげ、文字通りハンカチのように光の玉を包み込み“布”の山の中に潜りその姿を隠す。


 群体――


 “核”が存在するというのがそもそも先入観であったのか。“大蛇”はその場でペシャリと潰れると、地を這う鼠の群れの如く翻って一斉に逃走した。最初に“旗”を手にしていた“布”一枚だけが、“糸”に絡め取られたまま中空に取り残される。完全な切り捨てであった。

 (そういうことか!)

 少々思い違いをしていただけで、やはり“核”はあるのだと私は悟った。“核”が“旗”を繰るのではなく、“旗”に触れたものが“核”となるのだということを。おそらくは。

 潮が退くように“布”が床を這い逃れる。彼方へ。先程ガッハシュートが姿を現した側の通路の奥へと。

 (隔壁を!!)

 背のケーブルを通じた意志の疎通が双方向なのか私は知らされてはいない。私の思念がバロウルに届くのかは分からない。少なくとも私の叫びも虚しく隔壁が降りることはなかった。

 後から所長に聞いた話ではあるが、そもそも隔壁の降りるスピードを最速に設定していない為、どちらにせよ封じ込めには間に合わなかったということである。私以外の誰も隔壁を降ろすよう口にしなかったのは、以前からそれを知っていたからであると。

 それに加え、私が上階の工作室から引き摺ってきたケーブルが通路を縦断して長く伸びており、隔壁を降ろすことで噛み込ませる訳にもいかなかったとも、所長は付け加えた。

 ケーブルの取り回しと有線通信の実施訓練のつもりが、全て裏目に出てしまったと。

 「追うぞ!」

 完全に虚を突かれた形ではあったが、ナナムゥの反応は素早かった。弾かれたように“布”の一群が消えた通路の奥を見据えると、私に付いてくるよう促し駈け出そうとした。

サムライキャリバーさんはあざとさの権化だというのにウチのキャリバー君ときたら・・・

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