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飢妖(9)

 流石に“少女”がナナムゥの誰何に応えることはなかった。言葉を交わすことができるのか、そもそもが意思疎通が可能なのかどうかすら、その妖怪めいた動きの前には儚い願いにも思えた。

 “少女”は眼前の仁王立ちの幼女には目もくれることなく、その後方に控える私達の方へとギギギと首を巡らした。それに遅れて頭部の宝玉が青い輝きを短く明滅させ、“少女”の頭が再びクタリと落ちる。まるで糸の切れた操り人形の様に。

 (何か干渉でもしているのか?)

 繰り返される一連の“少女”の異様な動きに、私は何らかの法則があるらしいことに気付いた。『法則』と呼ぶには些か異なるのかもしれない。まるで何かが交互にせめぎ合っている、そんな感じであった。

 最初に“潜水服”の中からその身を晒した“彼女”を見た時、私はどこか操り人形めいた雰囲気を感じた。“少女”自身の瞳が固く閉ざされ、彼女の意思を微塵も感じ取ることが叶わなかった為かもしれない。

 その印象が真実だとしたら。目の前に漂っているのが本当に“操り人形”だとしたら――

 同様のことをナナムゥも感じたのか、背後の私へと僅かに顔を巡らせ目配せをする。

 出来る事ならば四肢を外して“紐”を伸ばし、ナナムゥの紡ぐ“糸”と直結したかった。そうすれば最初のガッハシュートとの遭遇戦の時の様に密かに意思疎通を謀り、“少女”を騙し討ちする目もあったのかもしれないというもどかしさがあった。

 尤も所詮は素人の浅知恵、裏目に出るのがオチなのかもしれないが。


 “…ティス…”

  “…ティス…”


 「――ヴ!?」

 不意に、空間に声が滲んだ。まるで割れ散るシャボン玉のように断続的に聴こえてくる、消え入りそうな女の声。それが幾つも虚空に沸き、恨み節のように私の耳に漂い消えた。

 それは本当に声だったのか、或いは化生の鳴き声か。何れにせよコルテラーナともナナムゥとも異なる起伏に欠ける嘆き声。無論、その声の主となるのは残る一人しかいない。

 “旗”が変じたと云う魔法のステッキを握った“少女”。最後に現れし六旗手であると云う彼女しか。

 黒布に覆われた“少女”の顔が一度は上を向き、そしてギュルリと私達の方を視た。眼前のナナムゥではなく、私の方を。


 “…ティス…”

  “…ティス…!”

   “…ティス…!!”


 輪唱の様に浮かんでは消える謎の声が、すぐに合唱の様に一つの雄叫びへと変じた。


 “――ティス!!”


 “少女”の躰が前方に斜めに傾ぎ、それまでの緩慢な動作が嘘であるかのように、不意にこちら側へと迫り来る。

 まるでその躰自体が弾丸を模しでもしたのか、速やかに、流れるように、クルクルと錐のように回転しながら。

 ナナムゥではなく、私でもなく、私達が揃って背後に庇ったコルテラーナ目掛けて。


 「――愚か者(キャリバー)め」


 大きく広げていた両腕を今は腰に当て、ナナムゥが一人呟く。私に背を向けたその顔を拝む事こそ叶わなかったが、それでもニタリとした品の無い笑みを浮かべているであろうことは容易に想像ができた。

 嗤うナナムゥは――我が幼主は、依然として幼子とはとても思えぬほどに賢しく、同時に年相応の邪気の無い邪悪さをも兼ね備えていた。

 私はナナムゥのことが好きであった。或いは心の内で亡き妹の代用を求めてしまっていたのかもしれない。だが、それを踏まえても尚、共に過ごす内に彼女のことを愛おしく思うようになっていたのもまた紛れも無い真実である。ナナムゥが私の事を弟分として案じてくれている恩に報いる機会はまだ無いが。

 故に私は例え標的から外れているらしいとは云え、ナナムゥを護るべく前に出ようとした。出なけば嘘であった。だが、あまりにも彼我の距離が近過ぎた。

 「――遅いわ」

 ナナムゥの哄笑は、決して私に向けられたものではない。やけに落ち着き払った彼女の手前で“少女”の突進が止まる。まるで自ら虫取り網に飛び込んでいた蜻蛉のように。

 機械めいた挙動で中空でギギギともがくその姿は、まさに蜘蛛の巣に絡めとられた羽虫の様でもあった。

 実際のところ、この時点での私の単眼には、文字通り“少女”の躰を絡め取る“糸”の存在を可視化することが出来た。そういう調整を、バロウルなりが施しておいてくれていたのだろう。

 どうよとばかりに鼻息も荒く、ナナムゥが再び首を捻り私を誇らしげな目線を送る。

 部屋から廊下に逃れ出た時には既に、ナナムゥは用心深く“糸”を網の様に通路に張り巡らせていたのだろう。先程私やコルテラーナを庇うように自ら先頭に立ったのも、私達が誤って“網”にかからないように配慮していたのだろう。

 「好機じゃ、キャリバー。奴のあの有様なら、大した知恵も持ってはおるまい」

 ナナムゥが両腕を差し上げ、不可視の“糸”を囚われの“少女”へ更に追加していく。傍から見ても“少女”の右腕の動きが重点的に固定されていくことが分かった。

 「“旗”の力を振るうには、“旗”をかざす動作が必要じゃ。それさえ封じてしまえば、後は“旗”を奪い取って終いという訳よ」

 それまで目線だけを私に向けていたナナムゥが、今や完全に首を巡らせ私を仰ぎ見るとキシシと笑った。ここまで“旗”に詳しいということは、何か思うところがあってこれまでその研究に余念が無かったということであろう。おそらくは、六旗手になるという大望が。

 (そういうことか……)

 その意味では確かに今こそがナナムゥの云う絶好の好機ではある。私は再び“少女”へと視線を戻した。

 その意表を突いた突撃の割にあっさりと封じられた“少女”を前に、私はあっけないものだという感想しか抱くことができなかった。六旗手だなんだと言っても、よほどガッハシュートの方が手強い相手であった。

 「――ヴ」

 それ故に、私は改めて身構えた。胸の内の虚像となるが口を固く結び、“少女”の一挙手一投足を見逃さぬように視界を絞り込む。

 物事が、こんなに都合良く行く筈がない。

 ナナムゥやコルテラーナだけならまだしも、私も関わっている以上、そんなに上手くいく筈がない。きっと私は足元を掬われる。

 如何に今は醜態を晒そうと、相手はこの閉じた世界(ガザル=イギス)の象徴でもある『六旗手』の一人なのだから。


 “…ティス…”

  “…ティス…”

   “…ティス…”


 再び謎の音声が――音声の一群が、“少女”を中心として湧き上る。拡大した視界の内で入念に観察できる今の状況だからこそ分かるが、その“声”は黒布に覆い隠された“少女”の口から発せられたものではなかった。

 ナナムゥの“糸”に絡め取られ歪な向きで固定された“少女”の口元を、今は僅かにではあるが垣間見ることが可能であった。だがその唇は固く閉じられたままであり、言葉の一つも発することの出来る状態にはとても見えなかった。

 すなわち“声”とは“少女”を中心とした空間に、あたかも湧き立つ泡のように次々生じた現象そのものだとしか思えなかった。

 「――ナナムゥちゃん!」

 それまで私の背後でただ沈黙を保っていたコルテラーナが、始めてナナムゥへと警告を発した。

 “少女”の右手の内から魔法のステッキが離れる。それはそのままナナムゥの不可視の“糸”に絡め取られるかとも思ったがそうはならなかった。ステッキは再び薄桃色の光の球に戻ると、触れた“糸”を切断しながら垂直に落下しそのまま床へと転がった。

 全ては我々の油断を誘う為のまやかしであったのだろうか。最初からその緩慢な動作は擬態であったのだろうか。“少女”の左腕が――ステッキを取り落した右腕とは反対側の腕が、手首だけを動かしナナムゥに対し掌をかざす。

 もし“少女”の黒髪を飾る青い宝玉がこれまでにないくらいに激しく明滅し、その煽りを受けて“少女”の左腕が激しく痙攣していなかったら、或いはそれ(・・)は動線をずらされることもなくナナムゥの顔を直撃していたかもしれない。

 疑問形であるのには理由がある。

 それ(・・)が射出される直前に、私の背後でコルテラーナが、静かだが良く通る声で宣った為である。ナナムゥから標的を逸らす為に。

 仇なすならば、このコルテラーナからになさい、と。


 “ティス!” “ティス!” “ティス!”


 ちょうど、アニメやゲームに出てくる『吸血鬼』が全身をコウモリの群れに変じた時のように、群れなす小さな物体が“少女”の伸ばした左腕から水流のように迸った。

 元より動線からは外れたナナムゥの頭上を飛び越え、そして当然のように試製六型(わたし)には目もくれることなくコルテラーナへと殺到する黒い奔流。それが先程まで“少女”の身を飾る魔女っ子衣装へ変じていた黒い布の一群である事を、遅延をかけた視界の内に私はようやく識別できた。

 (コルテラーナ!?)

 視界に遅延などかけている場合ではなかった。『護る』と決めた以上、後手に回るべきではなかった。

 私もナナムゥも慌てて背後に身を翻し、狭い通廊の中を競うようにコルテラーナの許に奔った。

 元より狭い閉鎖空間である。翻る視界の端には、つい直前までフリルに飾られていた筈の“少女”が元の簡素な長袖と長ズボンの出で立ちに戻っている様が映った。ナナムゥの“糸”に拘束された姿のままに。床に転がる薄桃色の“旗”の光球もいつしかその姿を消していた。

 その何れもが看過して良い状況ではない。しかしそれに割く猶予などある筈も無い。せめて言葉を交わせたならば、ナナムゥと互いに示し合わせ、手分けして事態に対処できたのかもしれない。

 否――であろう。例えそれが叶ったとしても、コルテラーナを襲った惨状を前に言葉を失い無益に立ち尽くすのが精々であっただろう。所詮、私ごときでは。

 「ヴ!?」

 まるで動物によるパニック映画の一場面の様に、黒い布の切れ端の群れが一つの固まりと化してコルテラーナが立っていた筈の場所で蠢いていた。まるでそれ自体が一つの生きた巨大な毛玉か何かの様に、表面が逆巻き波打っていた。その内に呑まれている筈のコルテラーナの姿は、髪の一房すら表層には露出していなかった。

 ただ、引き裂かれたのであろう彼女の衣服の切れ端が周囲に無残に散っていた。

 「ヴ!」

 このままこの布の内側で貪り食われているのではないかと、私は只そのことを恐れた。

 後から落ち着いて考えてみると、小動物ではなく牙も爪も備えてはいない“布”ではあるので、私の怖れはいささか的外れではあっただろう。現に最初に“少女”に巻き付いた時点で、“布”は彼女の身を損ねることもなく、ただ新たな衣装にその形態を変じただけであった。

 だが、理屈ではなかった。私はまたしても護るべき者を護れなかった事を知った。またしても。


 “落ち着け、馬鹿者(キャリバー)!”


 脳内に再びバロウルの叱咤の声が響く。それに合わせてこれもバロウルの判断によるものであろう、私の躰が深い赤色へと変じ、粒体装甲が再稼働したことを私は知った。


 “コルテラーナなら心配無い!”


 (知りもせずに、勝手なことを!)

 目の前の惨状に絶望するあまり、私は自分の視界をバロウルが共有していることすら失念していた。

 私は愚かだった。何らかの根拠があるからこそ、バロウルはそう助言してきたのであろうに。それが頭では納得出来なかったとしても。


 “ティス!!”


 私とナナムゥがコルテラーナであったものに駆け寄り、纏わり付く“布”を毟り取ろうとしゃがみ込んだだけでその表層が一斉に威嚇の鳴き声を上げた。

 塊の表面の“布”の幾つかが、私達の動きに反応したのかその表層から起立する。その様は、まるで鎌首をもたげた蛇のようであり、そして間髪入れずに一斉に私達へと飛び掛かってきた。

 至近距離である。避ける暇が無かった。

 石の躰の私はまだいい。“布”にたかられたところで如何ほどの事があろうか。期せずして粒体装甲の可動検証すら可能であっただろう。だがナナムゥは――


 “――電光石(グリドソール)!”


 響く低音声。奔るプラズマ。赤い可視の雷光が、投網の様に“布”の群れを撃つ。

 「ヴ!?」

 その抑揚に乏しい機械の様な低い声を、私が忘れることはない。ボトボトと地に墜ち痙攣する“布”などには目もくれず、私は彼方の通路よりゆっくりと歩み寄ってくる白づくめの姿を凝視した。

 「うかつにソレに手を出すなと、バロウルに言われなかったか?」

 胸の前に掲げた右腕の手甲に赤い雷光を纏わせたままに、咎める口調で青年が口を開く。

 艶のある声。男の私でも見惚れるほどの美貌。私がその名を呼ぶ――呼ぶ為の口などそもそも無いが――前に、眉間に皺を刻んだナナムゥが真っ先に噛み付かんばかりに叫んだ。

 「おのれ、何しに来おった!」

 身を屈め威嚇する様は、まるで猫のようだと場違いながらも私は思った。

 「ガッハシュート!!」

 フッと、その名を呼ばわれた青年の口元が緩む。

 「それは今する話ではないだろう?」

 微笑を絶やさずに、しかし傍から見ても明らかに幼女を軽くいなそうとするガッハシュート。無論それにより、ナナムゥの貌はますます険しいものとなる。

 「もう少し早く来るつもりだったが、掘り出し物に目移りしてしまってね。それは詫びよう」


 “――排出”


 道すがら、ガッハシュートの右肘から排出された例のスティックが空薬莢のように通路に転がる。

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