起動(5)
巨人への攪乱の為に切り離した足腰のパーツを下り通路側に転がしておくが、気休めであろう。
私は脳裏の“矢印”に導かれるままひたすらに回廊を這い上った。恐らくは先程までいた“ゴミ捨て場”への搬入の都合であろうか、回廊には階段どころか段差すら無く、やがて螺旋状に弧を描き始めたことが分かった。
何本もの“紐”をちぎれた内蔵のように引き摺りながらただひたすらに上を目指し腕だけで這い進む私の姿は、あたかも都市伝説の妖怪のようであっただろう。
私が辿って来た側の回廊の奥より、歩を進める音がわずかに反響して届いてくる。間違いなく、追い縋って来ている巨人の足音であるが、今は敢えてそれは考えないことにした。
何か状況に大きな変化が無い限り、今再び対峙したところで手詰まりなことに違いは無い。
今いる螺旋回廊が吹き抜け式であったなら、勝る膂力に物を言わせて階下に突き落とす荒業もあっただろう。尤も両者諸共に落ちる未来予想しか浮かばなかったが。
或いは隠れてやり過ごす事も検討しなかった訳ではない。しかし周囲の見取り図を得ようと幾ら問い合わせてみたところで、何ら脳裏からの“応え”は返っては来なかった。
依然として進路を示す矢印は健在であるにも関わらず。
声なき声の有している知識に偏りがあるのか、或いは何らかの制限が働いているのか……。
どちらにせよ前に進むしかない今の状況下では、それこそ詮無き事であった。
「……」
どれ程の刻を這いずり進んだのだろうか。なまじ疲れを知らないだけに、鬱々として単調な今の環境下では刻の流れすらも漠としたものに感じられた。
今の自分がせめて人の似姿か何かであったならば、風の流れを肌で感じることもできたのだろうか。だが今の石とも鉄とも知れない武骨な巨人の躰には、空気の流れも気温の変化も全ては無縁のものであった。
それ故に私にとって、突如として視界を占める満天の夜空の出現は、完全に虚を突かれたものであった。
「――ヴ!?」
発する声が有れば私は歓喜の雄叫びを上げたのだろうか、揃った脚さえ有れば私は歓喜の舞を踊ったのだろうか。
否、否である。半ば放心し真の意味で石像のように硬直するに任せていたに違いない。今の自分のこの有様と、寸分違うこともなく。
何故私は、己が内の声なき声の示す道標を、無邪気に信じてしまったのだろうか。
私が導かれ辿り着いた場所はまさに終着点、これ以上どこにも逃れようのないどんづまりの場所であった。
壁も屋根もない張り出した環状の展望台、それが長い回廊を抜けた私が辿り着いた場所だった。
天上は、夜であった。
頭上に浮かぶ大きな白い月明かりの下、手早く見渡した限り石畳と欄干しか認められない殺風景な場所であることを私は知った。木々や建造物の影すら見当たらない以上、かなりの高所であろうことだけは見て取れた。
夜空に星は瞬いてはいたがその輝きどこか奇妙に朧で、まるで半透明の膜越しの遥か彼方に存在するかのようにも感じられた。
その代わりというわけでもないのだろうが、気付いただけでも幾つもの流れ星が色とりどりの尾を引きながら地表へと絶えることなく降り注いでいた。
そして――歌が聴こえた。物悲しい歌声が。少女のものとおぼしき拙い歌声が。
その歌声が頭上からのものであることに、私はすぐには気付けなかった。
前方頭上、屋根もない展望台の中空に彼女は一人こちらに背を向け浮かんでいた。夜空を見上げ、まるで流れ星に祈りを捧げているかのように懸命に歌っていた。
その背丈はあまりに小さく、少女というよりも幼女といった方が妥当であろうと思われた。
「――なんじゃ?」
どう声をかけてよいものか戸惑う私――あまりに突飛な状況だった為、自分に発声機能が無いことすら私は失念していた――の身動ぎの音にでも気付いたのだろう、幼女が不意に私の方を見下ろすように振り向いた。
肩口まで伸びた緩やかなウェーブのかかった髪。寝間着の類であろうか、装飾のない簡素な衣服。
白い月光を背に立つ幼女は表情が影になっていたこともあり、ひどく幻想的なものに視えた。そして彼女が空中に浮遊しているのではなく、まばらに張り巡らされたワイヤーのような紐の上に器用に立っていることに私は気付いた。
「館長の仔がここまで見回りに来るとは珍しいの」
彼女の異様に古風な物言いに、私は月明かりの下で老婆を幼女と見間違えたのかと一瞬焦った。だがその声は確かに幼く、何よりも拡大した自分の視界に映る彼女の貌は間違いなく年端もいかぬ幼女のそれであり、大きな瞳が悪戯っ子めいた輝きを放っていた。
「流星がうろついているとは聞いておるが、わらわは一人で平気じゃというに…」
幼女はわざとらしく嘆息すると興味が失せたようにクルリと私に背を向けた。
「去ね。見て分かるじゃろう、わらわは忙しい」
そしてチラリと顔だけを再び私に向けて更に芝居がかった口調で続ける
「と言うても、心が無いお前達じゃと理解もできぬか」
心が無い――そのように罵倒じみた言葉をかけられるとは思ってもみなかった。
(我思う故に我あり……)
自分で自分を鼓舞しながらも、私は半ば途方に暮れた。
この場をどうすれば良いのか、或いはどうすれば良かったのか、私には分からない。一つだけはっきりしていること、それは去れと言われたところで終点のこの展望台で出来ることといえば、せいぜいがここから飛び降りるくらいだということである。
と、それまでこちらをチラ見しつつも突き放すような態度であった幼女の瞳が、不意に大きく見開かれた。
「どうした、お主!?」
どこに隠し持っていたのか、幼女は新たなワイヤーを今居る中空より地へと垂らすと、レンジャー部隊のようにスルスルと降下し展望台の床の上に降り立った。そのままトタトタと私に向かって駆け寄って来るその様は、年相応の無邪気さ、微笑ましさがあった。
幼女が驚愕した理由はすぐに分かった。私自身もつい失念していたが、月光の薄明かりの下、私の腹から下の部分が存在しないことに始めて彼女は気付いたようだった。
「しっかりせい、流星にやられたか?」
ゆっさゆさと私の肩口を――無論、微動だにしない訳だが――揺さ振る幼女。白眼の部分がほぼない瞳は間近で見るとやや人間離れした風貌を強く印象付けたが、その必死の表情からは彼女の懸命さが痛いほど伝わってきた。
それは私の都合の良い錯覚なのかもしれない。
それでも先程心が無いと一蹴した私を心配してくれている、それだけのことが今の自分には堪らなくありがたく、そして愛おしかった。
地獄だと断じた、この見知らぬ世界の只中で。
――守らねば
私を動かす何よりの力。
迷いなどある筈も無かった。その為に私は妹よりも先にこの世に生を受けたのだから。
“味方機接近!”
声なき声の警告と同時に、私は幼女の体を脇にグイと押しのけた。
「なんじゃ!?」
抗議の声が上がるが、私は心の無い振りをして受け流す。
忘れた訳ではなかった。追手の存在を。袋の鼠であるということも。
私はただひたすらに追い縋り、遂にこの展望台まで乗り込んできた巨人を単眼で真っ直ぐに見据えた。
欄干から下を覗き高度を確認する暇もない。だが、先程も言ったようにかなりの高所であることはまず間違いないだろう。それはすなわちこの展望台から相手を投げ落とした方が勝者であるということであった。
要は相撲である。気取って言うなら神事である。
身も蓋もない言い方をすればステゴロである。加えて私は半身である。
“武器”ならば、実のところ多少のアテはあった。しかし都合よくソレを使える保証は無い。
今述べているその殆どは所謂詮無き事であろう。それでも私は今の自分が思いつく限りのことを脳内で羅列した。結果が、それどころか過程自体が無意味であろうとも、ただ考えを巡らすことしか私に残された術が無かったからである。
これまでも、そしてこれからも。
“――可哀想に、お前は両親の悪いところばかり似てしまった”
“――可哀想に、頭も力も顔も身長も視力さえも、お前が他者より勝っているところは何も無い。だからせめて、いつも笑っていなさい”
幼き頃から繰り返しかけられてきた亡き母親の憐憫の言葉が――私にとっては呪いの言葉が――何故か今この瞬間に心の中にこだまする。
本当は分かっていた。私には誰かを守る力など無いことを。辛い時に己が無力さを微笑むことで誤魔化してきた、ただの臆病者だということを。
だからこそ、無力で無能だからこそ、私も誰かを護りたかった。私にとって大切な誰かを。
私は真っ直ぐに前を見た。亡き母の教えの通りに。
巨人が突進と私が素早く展望台の欄干沿いまで這いずり辿り着いたのがほぼ同時だった。
幼女の金切り声が聴こえた。おそらくは静止しようとしたのだろう。
巨体同士のぶつかり合う鈍い音が展望台の夜気をビリビリと揺るがす。
膂力は私の方に分があったとしてもそこは上半身のみの哀しさ、四肢を余さず備えた巨人に敵う筈もなく、私は成す術なく半ば転がるように石畳の上に押し倒された。欄干と欄干とを繋ぐ鎖が二つの巨体の発する衝撃によって呆気なくも引き千切られる。
これが漫画の主人公ならば、せめて私に何らかの体術の心得でも有れば、巨人だけを器用に捌くことも可能だったのかもしれない。
無論、私にそんな器用な真似が出来る筈もない。視界に遅延をかけ巨人の動作自体を目で追えはしたものの、私の躰は敢え無く欄干を突き破り、展望台から落下した。
巨人諸共に。
彼方で幼女の悲鳴が聞こえた。




