飢妖(7)
*
「遅いぞ!」
先を行くナナムゥの急かす声が『観測船瑞穂』の通路内に響く。とは云え通路の壁面は軟質のマット状となっている為に、幼女の声がどこまでも反響したりするようなことはない。
「ヴ」
バロウルを一人ラボに残した私達一行は、私を最後尾に急ぎミィアーの待つ階下のフロアへと徒歩で向かっていた。
『潜水服』――私個人的にはそう呼ぶのが妥当だとは思うがこの世界には潜水服そのものが無いらしく、所長を除くとナナムゥを始め周囲の賛同を得ることはできなかった――から光が漏れるのはこれが初めてではないと、道すがら所長は解説してくれた。潜水服が完全な透過を阻害する為に内部の解析は不完全なものであったが、潜水服頭部のバイザーのスリットから青い光が漏れる様が幾度か観測されていたのだと。
試製六型の改修に専念している間ミィアーに潜水服を監視させていたのは、やはり所長も不穏には感じていたからであろう。頭部バイザーのスリットから内視鏡を差し込むことも考えたが、補充の効かないこの閉じた世界で精密機器を不用意に失う危険を冒せなかったのだと、私は後から所長に聞いた。
「所長!」
ラボの一層下の階には規則的に扉が立ち並んでおり、その内の一つの前でミィアーが一人、私達が来るのを落ち着かなげに待ち望んでいた。遠目から見た時点で既に年相応に焦燥していることが明らかであった貌が、私達の姿を認めてみるみる内に明るく輝く。
『観測船瑞穂』は地中深く杭の様に縦向きに埋まっているのだと、所長は言っていた。潜水服を収監してあるというフロアは、構造としては六層に大別される『瑞穂』の内の五層目に位置していた。最下層にあたる六層目はこの閉じた世界への落下時にかなりの箇所が圧潰した為、今は『ガラクタ置き場』としてのみ運用されているのだと云う。故にその意味ではこの五層目こそが、『瑞穂』の事実上の最下層であった。
ちなみに――完全に所長の受け売りでしかないが――『瑞穂』内の全電力を供給しているのが三層目の全てを占める融合炉であり、その存在は公的には秘匿――妖精皇国内部に向けてさえ――されていた。『瑞穂』の船体を隠蔽する為に後から造成された『丘』の頂きに設けられた、所長が普段の居住地として使用している『館』にすら電気設備は導入されてはいない
例え自己保全機能を有しているとは云え、専門家がいない以上いずれは整備不良により休止せざるを得ない融合炉に依存する生活が正しい選択だとは思えない。故に日常生活においてはその恩恵を受けないようにしている。少なくとも所長の説明ではそうであった。
「それから何か変わりは?」
「光っただけです」
ミィアーとの感嘆なやり取りの傍らで、所長が扉の施錠部と思しきパネルの前に右の手の平をかざした。
ヴンという微かな振動と共に、扉の前の中空に一枚の画像が投影される。
最初に私が識別できたのは、こちら側に背中を向けて立つ白黒二色の人型機械の姿であった。次いでその奥に例の潜水服が台座の上に仰向けに寝かされている様子が窺えた。
そこでようやく私は、目の前の画像が室内の状況をモニターしている画像が直接投影されていることを理解した。
所長の横に立ったコルテラーナが、画像では無くこの通路周辺に幾度か視線を巡らせる。暇があれば階下の『ガラクタ部屋』へ脚を運んでいるという老先生が合流するのを待っているのかもしれない。
「今はもう光ってはいないようね」
「先程急にまた目の隙間から青い光が点滅しだしたんです」
私達の傍らで、懸命に所長へと状況説明を始めるミィアー。その時は一緒に居たのであろうナナムゥも、ミィアーに合わせてウンウンと相槌を打つ。
しかし滞りの無い説明とは別に、ミィアーの貌にはありありと不満の色が浮かんでいた。
「所長が見えられるまで直近で見張っているつもりが、クロウに部屋を追い出されてしまいました。これでは何の為にシノバイドとして修練を積んだのか分かりません」
「元からそういう段取りだったでしょう?」
所長は不満を漏らすミィアーを苦笑交じりに軽く嗜めると、すぐに表情を引き締め横のコルテラーナと頷き合った。コルテラーナがさり気なくナナムゥの肩を抱き、幼女が急に飛び出さぬようその動きを封じる。片や所長はそれを見届けた後に、施錠部の黒いパネルの上を人差し指と中指で軽くなぞった。
パネルの内部に丸い緑色の光が幾つか灯り、一拍置いてシャッと扉が横開きに開く。
「こちらです」
生真面目にも先導するミィアーに続き、ドヤドヤと室内に踏み込む一同。それほど広い部屋では無いことと入り口が狭いこともあり、私は最後に室内に脚を踏み入れた。
先程まで私と共に最後尾に付いていたシロだけが、歩哨のつもりか中に入ることなく通路上に留まった。
3m近い巨体であるが故に、試製六型は扉をくぐれないのではないかという懸念はあった。しかしギリギリではあったが私も特にどこかを引っ掛けることもなく室内に入る事ができた。改めて思い起こせばこれはこの入口に限らず、『瑞穂』船内の全てにおいても同様であった。
この『観測船瑞穂』の船内自体が余裕をもった造りであることも無論ある。しかし所長も試製六型の設計に関わっている以上、おそらくメンテナンス等でこの船内を歩き回る事を予め想定したサイズで設計されていると云うのが正解なのであろう。
「さすがにいつまでもこのままという訳にもいかないでしょう」
私が入り口をくぐって室内に入っている間にも、台座で仰向けに寝ている潜水服を前に所長がコルテラーナに同意を求めていた。
「強引なやり方にはなりますが、やはり工作室で首のところの繋ぎ目を――」
皆、油断があったのだと思う。
『観測船瑞穂』船内という所長のお膝元であったこと、そして後から聞いたことだが『潜水服』は瑞穂の設備でも中身の完全な透過こそ不可能だったものの、中は小柄な――おそらくは女性――人物が一人と、その周囲を何か軟質の詰め物のようなもので充たされているところまではクロとシロの『触診』も含めて判明していた。その過程において爆発物の可能性がある固体の類が一切認められなかったことも、この『潜水服』に即物的な危険が無いという認識を後押ししていた。
「――所長!」
ミィアーの逼迫した声が聴こえた。次いで誰かが息を呑む音が。
一同の中で頭三つ程高い私には、最後尾そのままの位置で異変の源を目視することができた。
糸で四肢を繋がれた操り人形の様にぎごちない挙動でギギギと立ち上がる、一変して魔物の如き様相を露わとする潜水服の姿を。
「お下がりください!」
ミィアーとクロが所長を庇うように彼女の前に立ち、ナナムゥはその場から一歩退くそぶりすら見せずに逆にキャリバーと私の名を呼んだ。
そしてコルテラーナは一人、潜水服が全身を不安定に揺らし立つ台座の方へと何を思ったのか一歩歩み寄った。
まるで私達全員を庇っているかのような、怖れを打ち払う献身的な歩み。それは悪鬼に己の身を捧げる聖女のような、美しく崇高な趣すら私に感じさせた。
“――護らねば!”
クロ達がそうしているように、コルテラーナの盾となるべく最前列に飛び出す行為は、狭い部屋で皆がひしめく今の状況では不可能であった。むしろ最後尾の私が率先して外に出て退避スペースを確保すべきであったのだろう。
所詮は素人の悲しさ、私が誤った判断に固執している間にも、潜水服の両腕が左右バラバラの向きにモゾリと動いた。まるで大道芸人のパントマイムであるかの様に。それに幾テンポか遅れて頭部バイザーのスリットから、青い光が2度3度明滅する光が漏れる。
「早くどいてください!」
「ヴ!?」
ミィアーに叱られてようやく私は自分の巨体が部屋の出口を塞いでいることに気が付いた。慌てて脇にどいた私の横を、所長の腕を取ったミィアーが半ば引き摺るように主人を通路へと退避させる。クロだけが殿のつもりか、私の反対側の戸口へと陣取った。
「なんじゃ!?」
本来は所長と共に退避してしかるべきナナムゥが、いつの間にか私の脚を掴み潜水服の方を長い指で指し示した。
まさか物理的な留め金という訳でもないのだろうが、潜水服の内部からバチンバチンとしか表現のしようが無い、何かを解除していくかのような音が響いた。
「ヴ!」
所長達が室外に退いた今こそ、私はコルテラーナを庇うべく前へと飛び出した。つい今しがたまで失念していたが、上階から引き摺ったままの背に接続されたケーブルが、戸口やナナムゥ達に引っ掛からないことを祈る。
幸いケーブルの取り回しに不具合が生じることもなく、私はコルテラーナの前へとようやく躍り出た。私の嫌な予感に反し、内部の拘束を解かれた潜水服がその場で弾け飛ぶような事態にはなってはいなかった。
「ヴ!?」
だが安堵したのも束の間、私の目の前で潜水服それ自体が割れた。胴体と手と足の境目である肩口と足の付け根、そして胴体そのものも前後に分割するべく腋のラインに切れ目が走る。
分割された潜水服の各部位はそのままドサドサと台座の上に落下し、まるで脱ぎ散らかしたパジャマのように“少女”の足元に塊となって溜まった。
“少女”――
瞳が硬く閉じられたまま表情すら覚束ないい貌と何より平坦な胸が、私に潜水服の『中身』が少女であるとの確信を阻害した。それでも背中の辺りまで伸びた黒髪と全体的に華奢な体つき、そして何よりもその黒髪を飾る中央に蒼い宝玉をあしらった白銀のティアラが、“彼女”が少女であることの証ではあった。
「隔壁を降ろします! 早く退避してください!」
ミィアーの叫び声が、部屋の何処かに設置されているのであろうスピーカーを介して響く。おそらくは所長を安全圏へと退避させ少しは猶予も生まれたのであろう。その言葉を理解出来ているのか、クロもミィアーの言葉を合図に我々の去就を確認することもなく迅速に踵を返した。
元々が所長御付きの機械の衛兵である。それを冷酷だと批難するのは筋違いであるだろう。結局部屋に残ったのは、潜水服の中から出て来た“少女”を除けば既に三人だけであった。
チラチラと私の貌を見上げるナナムゥ。しかしその表情には怯えの色は皆無である。厄介な事に。
無論コルテラーナが退くまでは私がそれを打ち捨てていく筈も無く、幼女の視線に気付いた私は手の平を出口に向けて幾度か振った。ナナムゥだけは退くようにと。
「仕方ないのぅ」
いくら育った世界により身振り手振りの意味合いが異なるとは云え、『下がれ』という意思表示が伝わらないとは思えない。しかしナナムゥは両手を腰にあて胸を反らすと、キシシとでも言わんばかりの品の無い笑みを満面に浮かべた。
「お主一人では荷が重かろう。やはりわらわが付いてやらんとの」
「ヴ!?」
強引にナナムゥを赤子のように抱き抱え、有無を言わさず部屋の外に放り出す選択もあった。しかし、もう既に状況がそれを許さなかった。
フワリと、何の予備動作も無く“少女”の躰が宙に浮かび上がる。まるで海中のクラゲのようにユラユラと。
装飾の無い実用性に重きを置いたであろう地味な色合いの長袖と長ズボン。適度に痛み、使い込まれていることを示す皮靴。どことなくジャージを身に纏った部活動中の女子中学生を連想させる風体。それだけに髪を飾る白銀のティアラだけが、全体としてまったく不釣り合いで異彩を放っていた。
それでも、精一杯のお洒落のつもりなのだろうか。首に、四肢に、腰回りに――“少女”の体の至るところに色とりどりのスカーフやバンダナが巻き付いてその躰を飾っていた。
私の脳裏をよぎる強い既視感――
最初は、妹の面影を追ってしまったのかとも思った。
“少女”の太い黒眉と、背中まで達した艶のある真っ直ぐな黒髪と、何よりもその貧相な体つきがそう錯覚させたのかと我がことながら呆れかえった。
しかし違った。私が間抜けにもようやく猿人のことに――古い洋画の原住民のようにカラフルな布を全身に巻いていた猿人との同一性に思い至った時には、既に遅きに失していた。
蠢く何か小さな群れが、少女の足元から一斉に奔流となって立ち昇った。まるでそれ自体が長大な触手か何かであるかのように少女の足首に絡みつき、凄まじい勢いで脛を、膝を、胴体を、次々と黒い包帯が締め上げていくかのように全身をくまなく覆い尽くしていった。
それが、脱ぎ捨てられた潜水服の内側に潜んでいたものだと私は知った。それまでは単なる緩衝材だと思われていたものこそが本命であったのだと。
油断であった。
後悔をする暇さえ与えてくれずに、“包帯”の表面が紫色の輝きを帯びる。それに遅れて頭部のティアラの蒼い宝玉が、負けじとばかりに青白い輝きを放ち追随する。
「なんじゃ!?」
これまでとは明らかに異なる眩い輝きに、ナナムゥが両手で目を庇いながら叫ぶ。部屋を呑みこむ紫と青の二つの光球の中で、コルテラーナの呆然とした呟きだけが私の耳にも届いた。
「こんなものを…人の似姿ですらないものをこの世界に招き入れたというの……?」
コルテラーナの嘆きの声に、私が応える術は無い。今の私に出来る事は両手を広げ壁となって、せめて光の球から彼女達を護ること。そして後手後手ではあるが脳裏の声なき声にこの現象への問い掛けを行う事であった。
“――人体への害無し”
声なき声からの簡潔な答えが、光球の影響に対する私の懸念に返される。私がそれに安堵する間にも、少女を中心に発っせられた二色の輝きは、始まった時と同じ様に唐突に膨らみ爆ぜた。
「ヴ!?」
私の単眼をも眩ます一瞬の輝き。後には光の残滓が粒となってキラキラと周囲を漂う。
そして光が爆ぜた中心には、その姿を変じた“少女”が居た。依然として中空に浮遊した、操り人形を思わせるフラフラと落ち着かない挙動で。
「何者じゃ……!」
強い光源に反応したのだろうか、通路中に警報が鳴り響く中、唖然としたナナムゥの呟きが警報に半ば掻き消されながらも私の耳に届いた。
無理も無い。
少女の全身を拘束していた黒い包帯のような帯は今や完全に消え失せ、今その身を包んでいる装束は膨らんだ袖と膨らんだスカートを備えた白とピンクを基調とした派手な二色のドレスであった。まるで少女向けアニメから抜け出て来たかのような華やかでキャッチーな装い。身も蓋も無い言い方をすれば、魔女っ娘のコスプレと言っても過言では無い。
唯一つ、寡婦の顔を覆うヴェールのように“少女”の顔が一枚の黒い布で完全に覆い隠されていること以外は。




