飢妖(6)
「――ヴ!?」
奇妙な感覚が私の全身を襲った。総毛立つと云うのともまた違う、生身を失くした筈の私を責め苛むむず痒い感触。巧くは言えないが敢えて無理やり例えるならば、床屋の蒸しタオルを一斉に全身に押し当てられたような、そんな熱気を帯びた息苦しい感覚が私の爪先から首筋までを撫で上げた。
それがいつまで続く責め苦なのか或いは永続に続くものなのか、判断の手がかりすらない私は己の全身に直に目をやる他なかった。
だが私の必死の抵抗も、驚愕の前にすぐに儚いものとなる。
「ヴヴ!?」
再度、私はくぐもった振動音を発した。自分の身に生じた明らかな変化に狼狽した為である。
この石の躰の表層の色が変わっていた。それまでの墓石を思わせる黒味がかった灰色から、一転して人目を惹く深い紅の色合いへと。間近でつぶさに観察すれば単に装甲の色が変わっただけでなく、表皮にあたる部分が絶えず細やかに波打っていることにも気付くことが出来ただろう。
(くっ!)
たまらず私は片膝を付いた。バランスを崩した訳では無い。この奇妙な感覚に耐え切れず変に転倒するよりは、その方が遥かにマシだと思ったからである。それが醜態であろうとも。
幸いなことに私を悩ませる熱を帯びた不快な感覚はすぐに消え失せ、何とか平静を取り戻せた私は訳も分からずにコルテラーナ達を見上げた。もしも私が生身のままであったなら、縋るような貌をしていたことだろう。
「どう説明をすれば一番理解しやすいかしら……」
最初に私の懇願の視線に答えた――実際には私の単眼に表情がある訳では無いので偶々であろうが――のは、所長の方であった。
「インカリッド……クロノスキン……」
所長は私にとっては耳慣れぬ単語を幾つか口にしながら僅かに小首を傾げ、いささか考えあぐねているようであった。
その理由は私でもすぐに察せられた。私が理解しやすい、所長にとっては過去の遺物である用語の記憶を探っているのだろう。
「ナノマシン……DGセル……まあ、その系譜と云えば分かりますか?」
「ヴ」
流石に私も『ナノマシン』なら創作の世界で聞いたことがあった。私は『肯定』の青い光を単眼に灯し頷いた。
私の理解が正しければ、要は装甲に自己修復機能を付与したということだろう。前人未到の闇のカーテンの奥に踏み込む以上、確かにそれに適した機能には違いない。
ただ問題が二つあることにも私は気付いていた。
一つは幾ら自己再生とは云え『無から有を生む』訳では無いので、気休め程度の役割しか果たせない疑念があること。尤もこれは文系の私の余計な心配なのかもしれない。
そしてもう一つは、そもそも何故わざわざ目立つ深紅なのかということである。
「要は装甲が欠損しても自己修復で補う機能――と言っても自己増殖までは流石に無理なので、背中に補充用タンクを接続して“黒き棺の丘”の中に突入してもらうことになります」
そこまで説明をしたところで所長が一旦言葉を切ると、前屈み気味に上半身を私の方へと突き出した。その黒い瞳にからかうような茶目っ気が宿ったのを私は見逃さなかった。
「粒体装甲用のインカリッドジェルは現存する分が全てなので、この前みたいにむやみやたらと四肢を外して欠落させないこと。いいですね?」
「ヴ」
言う程そこまでしょっちゅう四肢を切り飛ばしているつもりはないのだが、私は素直に頷いておいた。確かに体内に伸びる触手状の“紐”を振り回す為に手脚を切り離すこともあったが、これからはその様な奇策も叶わぬこととなる。
戦闘用では無く探索用の機兵である私にとって、そもそも奇策以前に戦闘に持ち込まれた時点で敗北にも等しい話ではあるのだが。
「何にせよ、細かい調整は実地試験の時に詰めていきましょうか」
(実地試験!?)
思わず身構えてしまった私であったが、当然と言えば当然である。試作型とは云え虎の子である私を、いきなり死地に放り込むような馬鹿な真似をすることの方が稀有だろう。
「後、他に話しておかなければならないことは……」
私の全身をつぶさに見ながら思案していた所長の視線が、私の新しい腕の前で止まる。
「魔晶弾倉については、バロウルがとても熱心に後押ししていたから、彼女に直接聞いてみた方が良いでしょうね」
――バン!!
両の掌を計器に打ち付ける凄まじい音が響いた。
「なんです!? さっきから2人揃って!!」
席から立ち上がったバロウルが、コルテラーナと所長に対して憤慨した声を上げる。褐色の肌の為に分かりにくいが、おそらくは全身が怒りのあまり紅潮もしているであろう。私が視界を拡大しそれを確認しないのは、ひとえに武士の情けによるものである。
私に対しては兎も角、バロウルは他人に対しては素っ気無いながらも丁寧な応対をするのが常に思えた。にも関わらず彼女をここまで激昂させた当のコルテラーナと所長の方はと云えば、互いに意味ありげに目配せするだけでまったく悪びれた様子はなかった。
(なんなんだ……?)
そこまで仔細に観察する機会があった訳でもないが、私から見てもコルテラーナと所長はどこか互いに一線を引いているような間柄に見えた。例えばこの妖精皇国を訪れた最初の時も、コルテラーナはまず図書館とやらに直行し、所長の方も別段コルテラーナの不在を気にした様子は皆無であった。
単に私の考え過ぎなのかもしれない。あの夜に所長が口にした、私に余分な情報を与えないという『約定』も、単に何らかの決め事を大袈裟に表現しただけのことかもしれない。
現に今この瞬間のこの2人は、明らかにバロウルをダシにして楽しんでいるようにしか見えなかった。あからさまにほくそ笑んだりこそしていなかったが、心を通わせているようにも見えて私は混乱した。
女性同士で友情は存在しないと、亡き母は私に言っていた。ならばそもそも女性に縁の無い私が彼女達の――初めに激高したバロウルも含め――心情を推し測ろうという行為自体が、まったくの無謀だったのかもしれない。
(訳が分からない……)
私は胸中で嘆息すると、自分にとってより重要であろう用語へと意識を切り替えた。それ以上女性同士の喧騒に首を突っ込んだところで碌な目にあわないことを本能的に判ったからである。
――魔晶弾倉
この石の躰に新たに付与されたらしいそれが何であるのかを、無論私が知る由も無い。脳裏の声なき声による漢字表記の補足が無ければ、完全に意味不明のものであっただろう。
少なくとも『弾倉』と云うからには何らかの射出装置であろうと、辛うじてそれだけは推察できた。
それならばそれでいい。私にとって何よりも気にかかったのは、何故バロウルがそこまで魔晶弾倉とやらを私の躰に組み込むことに――コルテラーナや所長の言を信じるならば――拘ったのかであった。
あの夜――正直なところ、ナナムゥ達や迎えに来た老先生と共に街中から帰って“眠り”についた後、今何日が経過しているのか私は知らない――相撲の取組をめちゃくちゃにしたことへの雌ゴリラなりの詫びのつもりか、或いは試製六型機兵の技師として機体の完成度を高める欲求に抗えなかったのか。
或いは単に私を、“黒き棺の丘”への特攻兵器とでもみなしているのか。
「そうね……」
気が付けば私がまたも思考の袋小路に入っている間にバロウル達の喧騒も収まっており、私の躰を目の前で眺め回しながら所長が何やら一人ぶつぶつと呟いていた。
「――命名!」
やおら顔を上げた所長が、キリリとした表情を浮かべ凛とした声を上げる。私の鼻先へと突き付けられた真っ直ぐに伸びた腕の先には、またしてもいつの間に取り出したのか折りたたまれた扇子が握られていた。まるで指揮棒の様にも見えたそれが、所長の号令に合わせて半円に広がり二匹の鯉の絵柄を露わとする。
「EXキャリバー!」
カコンというししおどしにも似た音が、静まり返ったラボの中に絶妙のタイミングで鳴り響く。その効果音を聴いてようやく私は室内の一角に、音の主である赤い機体のシロが溶け込むように控えていたことに気が付いた。
「……所長?」
静寂が支配する空間で、コルテラーナの訝しげな声がようやく所長へと掛けられる。
「名前を付けるという行為は重要で神聖な儀式です」
場の引き気味の空気にまったく動じることなくむしろ滔々と解説を始める所長に、私は感服せざる得なかった。
「そもそも私の元いた国では――」
「キャリバー!!」
突如として部屋を揺るがす大音声が響いた。満を持した所長の説明とそれに伴う私の新たな名前の候補がその甲高い声の前に一瞬で弾け飛ぶ。
「改造終わったそうじゃな!」
横開きの自動ドアの向こうから、一人の幼女が大声を上げながら転がるようにラボに飛び込んでくる。
改めて確認するまでも無く、我が幼主ナナムゥである。ここに来てからは所長御付きの小間使いのミィアーと行動を共にしていることが多いように思えたが、少なくとも今は彼女一人であった。
「おぉ、赤いのっ!」
目敏く――試製六型の巨体だと最初に目を惹いて当然ではあるが――私の体色の変化に気付いたナナムゥが何故か異様に嬉しそうな声を張り上げる。
「良いな、良い色じゃ!」
「ヴ?」
この赤い躰の色の何がそこまで彼女の歓喜を招いたのか、私にはすぐには分からなかった。むしろ首の付け根から新たにケーブルが伸びた兼ね合い上、それまで同じ箇所に仮付けしてあったナナムゥ専用の台座が撤去してあることにより、彼女が失望の声を上げるだろうとばかり予想していた。
「何じゃ、前にも教えたじゃろう?」
私がつい首を傾げた事が上手いこと通じたのであろう――或いは所長の癖が浸透しているのかもしれない――戸惑う私に対しナナムゥが仁王立ちでフンスと鼻を鳴らした。
幼い姉が幼い弟にそうするように。まるで己自身が成し遂げた成果であると誇るかのように。
「赤はあれじゃ、赤い流れ星が世界を救う預言があるって教えたじゃろう。つまり赤はめでたい色なのじゃ」
『真紅の流星が夜の帳を翔る時、この閉じた世界の殻は砕け、再びあるべき大地へ還るであろう』
「ヴ!」
そういうことかと、私はかつてガッハシュートが初めて邂逅した際に述べた預言とやらの一節を思い出した。
確かにその預言が真実であるならば、この世界にとっての『赤色』は吉兆であるのだろう。
「流石はナナムゥね」
ナナムゥの興奮を後押しするかのように、所長が満足げに頷く。その口振りからすると、新たな『粒体装甲』を赤色にするように主導したのは所長なのであろう。敢えて赤色を選んだと云うことは、色はある程度は任意に変えられるのかも知れない。
(この世界を救う色か……)
単純に私の好みで選ぶのならば、赤よりは黒の方が好ましい。何よりも、赤色がそのような希望を意味する色であるのならば、私には到底相応しいものではない。
「……預言なんか、あてになる筈がないのに」
ポソリと一人呟くコルテラーナ。単に自分の信念に反するなどとも明らかに異なる妙に実感のこもった暗い呟きに、私は思わず彼女の方を返り見た。眉間に僅かに寄った皺と、既に固く閉じられた唇はまるで全てを拒絶しているかのようでもあった。
どうしたものかと慌てて盗み見たバロウルとナナムゥの表情は、普段と一切変わりはしないものであった。或いは預言に対するコルテラーナの暗い呟きは、身近にいる二人にとっては聞き慣れたものだったのかもしれない。
「あ、いかん、そうじゃそうじゃ」
私の推察を後押しするかのように、コルテラーナに気を使う様子も無く平然とナナムゥが別の話題を口にする。
「ミィアーに皆を呼んで来るよう頼まれていたんじゃった」
「ミィアーが?」
どこか心配げな所長の問いに、ナナムゥがコクコクと頷く。何か心当たりが有りげな所長の様子に疑念を覚える暇も無く、ナナムゥが失念による照れ隠しか一気にまくしたてる。
「見張り頼まれていた、拾ってきた例の人形が急に光り出したんじゃ!」
「ヴ?」
ナナムゥの言う『人形』が、猿人と遭遇した際に捨て置かれていた謎の潜水服を指すことに私が思い至るのには少しかかった。
「クロウから連絡が無いということは、まだ光っただけのようね……」
そう呟く所長に、コルテラーナが無言のままに頷いて返す。その落ち着き払った清楚な貌からは、先程の渋面が錯覚であったのかとすら思える。
「バロウル、モニターの方はお願いします」
奥の雌ゴリラへとコルテラーナが声を投げ掛け、所長の方は私の正面から背中側へと回る。
「良い機会ですし、貴方もこのまま付いて来てください」
私の首も単眼も真後ろまでは回らない。しかし視界の及ぶ範囲からでも、所長が私の背から伸びる太いケーブルの接続具合を確認しているであろうことは分かった。
「『本番』では、補充タンクに加えてこれより一回りは太いケーブルを曳いて歩くことになります」
ポンポンと私のケーブルを叩きながら、所長が涼しい声で私に宣言した。
「それでは今から早速訓練といきましょうか」




