飢妖(5)
「……」
背中に隠し持っていた皮翼を展開しようとしていた少年が、横槍を入れた者に目をやる。今し方までデイガンの背に隠れ、事態の経緯を見守るだけで自分からは一言も声を発することの無かったザーザートの方へと。
「デイガン様の手を煩わせまでもなく、既に妖精皇国には尖兵を差し向けております」
初めて、ザーザートがデイガンの背後から前へと歩み出る。男か女かも定かではない中性的な貌から発する声は、控えめな声量ではあるが見た目に反し明確に青年男性のそれであった。
「しかも幸いな事に妖精皇と浮遊城塞の重鎮達の会合の場に潜入できております」
「……儂は聞いておらんぞ」
デイガンの咎める声に、胡散臭げな真紅の少年の視線が重なる。ザーザートは慇懃に頭を下げると、おもむろに滔々と釈明を始めた。
「予てより極秘裏となりますが“客将”の一人を南部へ尖兵として派遣しておりました」
「“客将”をか!?」
流石に狼狽の色を浮かべるデイガンに対し、ザーザートによる弁明はこうであった。
国策として成された以上、如何に自分が“紅星計画”の責任者であるとは云え、招来した三人の客将はコバル公国のクォーバル大公直接の麾下であり、宰相が越権行為だと咎められるのも当然である。
しかし宰相が腐心する妖精皇国との開戦を回避する助勢として“客将”を正式に遣わすにしても、大公が公の場に姿を現さない以上、承認を得ることが叶わない。それに例え上奏できたとしても、貴族達から私兵化の誹りを受けるのは目に見えている。
故にあくまで自分の独断専行と云う形で、秘密裡に事を運んでいたのである、と。
曰く、開戦を回避する為に……。
「むぅ」
無論、ザーザートの釈明を素直に受け取る程デイガンも甘くはない。
実のところ、宰相であるデイガンですら“客将”に関しては『三人いる』という事――全てを疑い出せばきりがないが、計画の途中で“青のカカト”により忌導召喚陣が破壊されたが故に、それまでの“客将”の数自体に嘘はあるまいとデイガンは踏んでいた――しか知らされてはいない。
元々が大公直々の立案であったが為に宰相であるデイガンを始めとした貴族達の中で、“紅星計画”の全容を知る者はいない。デイガンが見知っている“客将”にしても、最後に招かれそしてデイガン自身が後見を申し出た、『アルス』とだけ名乗る眼前の真紅の少年唯一人だけである。
そのようにコバル公国の一大機密である筈の“紅星計画”であったが、いつしか貴族達の間では確たるものとして“客将”を巡る噂話がまことしやかに声を潜め語られ始めていた。
曰く、“客将”は三人。一人は少年、一人は少女、そして残るは地獄の亡者。
“亡者”などと愚かな事をとデイガンは呆れ果てたが、庇護下の“客将”が確かに『少年』である以上、全てを一笑に付す訳にもいかなかった。
「残りの一人はどこにいるんです?」
ザーザートに向けて発せられた、遠慮がちな問い掛け。無論、些事には興味が無いという態度を崩さぬ少年が発したものではなく、先程までその背に追い縋ろうとしていたオズナの発したものであった。
(我が孫ながら、まぁよくも……)
三人いると言われている“客将”の最後の一人。噂話はオズナの耳にも届いていたのであろう。色々な意味で遠慮と云うものに欠ける孫の――良い意味でも悪い意味でも――図太さに改めて胸中で苦笑しつつも、デイガンにとってもそれは重要な情報であることに違いはなかった。
「確かに、当然の疑問ではありましょう」
宰相の孫であるオズナは勿論、“客将”である少年を前にしても、ザーザートはまったくと云って良い程物怖じしてはいなかった。
元々が“旗”によって超常の力を得た六旗手に抗すべく、“旗”に依存しない超常の者を“客将”として召還し使役する――それが“紅星計画”であると、デイガンも概要だけは聞き及んでいた。その“客将”を制する為の“不可視の首枷”。六旗手であるクォーバル大公の“力”によって生み出されたその死の結界の効力にザーザートが絶対の自信を持っているのだと、傍で見ていたデイガンは推測する。
無論、真紅の少年もその死の軛に繋がれていることに変わりない。
「では宰相、遅まきではありますがこれより“客将”同士の初顔合わせとさせていただきます。宰相におかれましては何卒、立会人をばお願い致します」
ザーザートの慇懃な挨拶に合わせ、彼の背後にまるで始めからそこに控えていたかのように一つの影がユラリと揺れる。
何もない空間から滲み出て来たかのように、明確な人の似姿を伴った三人目の“客将”として。
「――!」
これまでザーザートには然したる興味も示していなかった少年が、僅かにその眦を吊り上げる。
タスリと無言で歩を進める新たに出現した“客将”たる美貌の青年は、ザーザートの言葉通り真紅の少年にとっては“初顔合わせ”の相手である。しかしまったく覚えがないという訳ではなかった。
オズナが少年に執拗に押し付けて来た妖精皇国と浮遊城塞オーファスに関する資料の中に、その青年の絵姿が添えられていた為である。
「まさか、こやつが……!?」
無論、訝しげな声を漏らしたデイガンもまた、同じ資料に目を通していた。これまで直に会った事はないにしても、それ故に“客将”だという青年を前にデイガンもまた資料に記載されていた重要人物の一人に思い至り、加えてこれまで少なからず耳にしていたその人物と浮遊城塞オーファスの“青のカカト”との因縁をも併せて思い出した。
頷くザーザートを前にデイガンの唖然として声を失い、オズナは場に居合わせた者の顔を訳も分からず見回した。
「……忌導か」
少年が最後に吐き捨てた謎の言葉だけが、ただ室内に冷たく響いた。
*
“――試製六型、稼働開始”
果てしない闇の中、声なき声の号令によってこうして意識を取り戻すのも、ずいぶん久しぶりな気がする。
ここしばらくは浮遊城塞の工房でバロウルと共に過ごし蓄積したデータを抜かれる日々であったが、改めて思うとその間は生身の時と変わらぬ普通の睡眠を取っていた気がする。例えて言うならば、テレビやゲーム機の様に大本の主電源とスリープ用のボタンの二種類のスイッチが有るようなものだろうか。その様な詮無い事に思いを馳せている内に、私の視界は急速に開けた。
妖精皇国の繁華街の食堂でガッハシュートの去り行く姿をただ見送った後の我々は、帰りが遅いので迎えに来たという老先生と共に、ナナムゥが土産に買った花糖菓子を皆で抱えて所長の館へと帰った。
そして待ち構えていた所長とバロウル、そしてコルテラーナによって腰を落ち着ける間もなく研究室の更に深部――地下の更なる階層といった方が分かりやすいだろうか――の工作室に導かれ、一旦“眠り”に付かされたと、要はそういう次第である。
おそらくは元々はシロとクロ用なのであろうか、館の工作室の設備も浮遊城塞のバロウルの工房と見劣りしない充実したものだった、と思う。
と云うのも、いわゆる文系の私はそもそも工作機械の類は門外漢であるし、ましてや工作室に有る自分のいた時代の物より数段未来の機械設備の善し悪しなど分かる訳も無い。
後から気付いたこととなるが一つはっきりしているのは、館の主である所長よりもむしろバロウルの方が設備の操作に熟達しているようだということであった。
それは兎も角、ハンガーに吊るされた状態で私は覚醒した。これまでと異なり、腕も脚も付いていることはすぐに感じ取れた。
目の前には左右に分かれて立つコルテラーナと所長が私を見守っており、その奥側では相も変わらずバロウルが何かキーボードを忙しなく叩いている音が聴こえた。拡大した視界に映るその生真面目な褐色の貌は、少なくとも外面からは昨日の相撲での取り乱しようが嘘のように思えた。
(そういえば、最初に会った時はすごい喧嘩腰だったな……)
バロウルのこれまでと変わらぬ様相に何故か心底安堵してしまった私は、次いでコルテラーナとバロウルに初めて相対した日の事を思い起こした。
目覚めたばかりの私に対し、最初から何故か不機嫌で怒鳴りつけてきたバロウル。あれからまだ20日程しか経っていないのに、ずいぶんと昔の事の様に感じる。
第一印象は正直最悪であったが、それでも今は彼女なりの事情が有るのだろうと、バロウルの事を受け入れる境地に至った。
私が“眠り”に就いてから何日経ったのかは今はまだ分からないが、全てはあの夜に所長が教え諭してくれたそのおかげである。
(結局、私はまた借りてばかりだ……)
誰かの厚意によっていつも支えられている私が、いつかその恩を返せる日が来るのかは分からない。分からないが返さなくてはならない。返したい。
この未来の無い閉じた世界だからこそ。
(それはそれとして……)
私はまた手前勝手な感傷に浸る己が気を引き締め直す。例えバロウルに悪意が無いのは確かだとしても、あのガッハシュートと何らかの形で通じている疑念が晴れた訳では無い。
この妖精皇国においてさえ、まるで待ち構えていたかのようにガッハシュートは私達の前に姿を現した。猿人の襲撃の時と合わせると二度目である。油断など出来よう筈もない。
「――調子はどうかしら、キャリバー?」
と、覚醒したばかりの私が落ち着くまでを待っていてくれたのだろうか、単眼を始めとした私の各部が稼働し始めたのを見計らって、コルテラーナがようやく私に声を掛けてくる。
その言葉に合わせるかのように、私をハンガーに拘束していた枷が外れた。バロウルの操作によるものであることは、そちらを見ずとも察せられた。
「ヴ……!」
ギシリと、私は摺り足気味に一歩を踏み出す。コルテラーナの問い掛けに対し、調子が良好である事を示すべく青い光を単眼に灯しつつ。
「どう、バロウルちゃん?」
私に対しては微笑を絶やさぬまま、コルテラーナが後ろに座してモニターをチェックしているバロウルへと尋ねる。
「装甲を追加しただけだから、支障が出ても困る。魔晶弾倉の方は動かしてみないと」
初めて会った時と同じ様に、そっけないバロウルの答え。しかしその声に最初の時のような刺々しさだけは感じなかった。
――装甲を追加
――魔晶弾倉
バロウルの発した単語に、私は自分の全身を改めて眺め回した。鏡が設置されていない以上、そうするより他に無い。
とは云え、視界が及ぶ範囲で自分の胴体部分に大きな変化が有ったという訳でもない。確かに四肢に関しては、新たに装着されている今の碗部は従来の物より一回り大型化しており、より一層ゴリラ体型が強調されてはいた。だからといって、これからは両手を床に付いてウホウホ歩けなどと要求される訳でもあるまい。
「……ヴ?」
ここに至り、ようやく私はこれまでの躰とは違う些細な、しかし明確な差異を見つけることが出来た。
それまで“換装”の兼ね合いから半ば剥き出しの、隙間から“紐”がまるで動力パイプか何かのように垣間見えていた膝や肘の関節部分が、皮かゴムか或いはそれに類するものなのかは分からないが、隙間が完全に密閉されていた。
まるで潜水服のようだと思った瞬間、私は今回の改装の目的が見えた気がした。
私の使命――肉体を失くし、この石の躰へと転生したその理由。
闇のカーテンに遮断されたこの世界の中心点“黒き棺の丘”への斥候、その為の備えであることを私は確信した。各稼働箇所を密封された私は文字通り潜水夫の如く、闇のカーテンをくぐり『生きて還りし者は無し』と謳われるその深淵へと一人脚を踏み入れる事になるのだろう。
その中に墜ちて失われた妹の石の亡骸を探し求める傍らに。
唯一気になる点があるとすれば、先程からあちこちへと巡らせている単眼の部分が可動部を含めて従来通り――要は頭部そのものが密封されずに剥き出しのままだということである。背中の首の付け根からケーブルが1本伸びて後ろのハンガーに依然として接続されているようなので、その兼ね合いもあるのだろうか。
密封部分の加減を知る為に取り敢えず肘の関節を何回か折り曲げてみる私に対し、コルテラーナが補足してくる。
「可動に関しては今までと変わりない筈よ。後はバロウルちゃんの肝いりで新たに腕に組みこんだ魔晶弾倉については」――バロウルの狼狽した声が聴こえた――「それは後から本人に確認しておいてね」
この密封世界の中心に踏み込みその謎を解き明かす――積年の悲願の第一歩をようやく踏み出せた為か、普段は低いテンションで喋るコルテラーナですらも心なしかその貌が軽く上気しているかのようにも見えた。
「ヴ!」
可憐だと思う。痛ましいとさえ思う。この身に変えてもその願いを叶えてやらねばとも想う。
でも、わたしの勘が危ういとも言っていた。
「ではキャリバー、今からが本番よ」
スッとコルテラーナが片手を上げる。それは背後のバロウルへのモニタリングの合図か何かだと私は思った。
しかし違った。コルテラーナの合図に合わせて私の脳裏にこだましたのは、声なき声による起動のナビゲーションであった。
“――粒体装甲、稼働”
気が付いたら投稿から一年が過ぎていましたので、なにか短編の一つでも書きたいとは思っているのですがなかなか時間が……




