飢妖(4)
「お祖父ちゃん!」
それまで“お目付役”として少年の傍らに付きっきりであったオズナが、慌てて壁際に走り寄る。そして予備としてそこに並べられていた椅子の一脚を掴み取り、踵を返してデイガンへと駆け寄った。
「ん、済まんな」
差し出された椅子に腰掛けると、デイガンが一つ大きな息を吐いて気持ちを整える。そしておもむろに顔を上げると、脚を投げ出した姿勢のままで向かいに座る態度の悪い少年を、改めてまじまじと見つめた。
その老いて煌めきの失せた瞳には、しかし老人独特の幼子へと向ける慈愛の色など一切無く、むしろ射抜くような鋭い目力を宿したままであった。あたかも油断ならぬ相手と対峙した時のような、ピンと張り詰めた緊張の色が確かにそこにはあった。子供にしか見えぬ、真紅の“客将”を前にして。
「御前会議にお主がわざわざ顔を出すとは思わんかったな」
「……」
デイガンの挨拶代りの軽口にも、少年は固く口を結んだまま無言で応えた。
「その事なら私が――」
気負って大声で会話に割り込んで来ようとした隣の小太りのオズナを、少年がジロリと睨み上げ黙らせる。そして忌々しげにフンと鼻を鳴らすと、吐き捨てるように始めて口を開いた。
「この馬鹿が顔を出せと、いつまでもしつこく纏わりついてきたからだ、鬱陶しい」
睨め上げられ萎縮していたオズナが、一転してフフンとばかりに胸を張る。嫌味の一つも通じていない孫の空気の読めなさに、ついつい苦笑を浮かべるデイガンであったが、やがて真顔に戻り少年の名を呼んだ。
「――アルス」
オズナのおかげで一時的にどこか緩んだ雰囲気を醸し出していた場の空気が、その言葉を境に引き締まる。
「ならば会議で聞き及んだであろう。儂は三ヶ月後の建国式典で宰相を辞し、一線を退くこととなった」
「――それで?」
アルスと呼ばれた真紅の少年の三白眼は何一つ揺らぐこともなく、ただ無機質な硝子玉のように依然としてデイガンを見据えた。
「これまで貴族どもを上手い事宥めすかして先延ばしにしてきたが、いよいよ妖精皇国への正面切っての出征が不可避となったということだ」
「まさか!?」
重々しいデイガンの言葉に、それまで会議の何を聴いていたのか、オズナがまるで初耳であるかのように素っ頓狂な声を上げて驚愕を露わにする。
「戦争を仕掛けるには大義名分が必要だって、ものの本に――」
「馬鹿か、貴様は」
少年が煩わしげにオズナの訴えかけを即下に否定する。
滑り出しに色々と不幸な行き違いが有ったが故に、現在コバル公国と妖精皇国の間では如何なる国交も結ばれてはいない。物資の輸出入ですら間に主として商都ナーガスを介し、直接やりとりを行うことはない。
あの空を渡り独立勢力を謳っている浮遊城塞オーファスですら、水面下では頭であるカカトと宰相デイガンを始めとするコバル公国の重鎮との顔合わせの機会を設けているにも関わらず、である。
故に何を持って宣戦布告のお題目とするのか、そもそも国家間の接触が無いが故に苦しい言い掛かり以上のものに成り得ないということを、オズナは危惧したのである。
確かにそうであるし、そして空論でもあろう。
『妖精皇国』『救世評議会』『商都ナーガス』『浮遊城塞オーファス』、そして神秘の霧の向こう側の『移動図書館』――この閉じた世界における全ての要所を手中に収めることが最終目的である以上、『大義名分』で体裁を繕うべき相手がそもそも存在しないのである。この完全に閉じた世界の平定を目指す以上は。
煩わしいだけのオズナに対し、一々そこまで説明してやる程少年は甘くは無い。しかし普段ならば完全に無視を決め込んでいるであろう少年が、完全否定の形とは云え相手をしてやること自体が非常に珍しいと、流浪の旅の同行者である少女がもしこの場にいたならば、そういって目を丸くしていたに違いない。
「……」
チラリと、デイガンが背後に黙って控える若者に目配せをする。
心得たもので若者は老宰相の意図をすぐに悟ると、淀みない口調でデイガンに耳打ちした。
「人払いの手筈は済んでいます。今、この場にいるのは我々のみです」
「そうか」
そつのない手配に頷くデイガンとは対照的に、片や少年のオズナを見る目は苛立ちを含んだものであった。ある意味では、初めて感情らしい感情がその真紅の瞳に浮かんだと言っても過言ではない。
再びデイガンの背後に溶け込むように、耳打ちをした若者が身を引く。“方術士”ザーザート――それが“紅星計画”によって少年とその従者をこの閉じた世界に招いた若者の名であった。
「まずは何としても、妖精皇国との開戦だけは避けねばならん」
ザーザートによって人払いの保証が成されたとは云え、それでもデイガンは一同に対して声を潜めて告げた。
「その為に、アルス。“客将”であるお主の力を借りねばならん」
「……」
依然として沈黙を守る少年の代理だとでも言わんばかりに、オズナが身を乗り出し祖父へと抗議の声を上げる。無論、少年の気持ちを代弁しているなどということは一切無い。
「でも公国の兵が、妖精皇国の操り人形相手に後れを取るとも思えません!」
オズナも噂にだけは聞いたことがあった。機械仕掛けの異形の甲冑を纏った“妖精機士”、そして巨大な槍を携えた石の躰を持つ“機兵”。
字面だけだと物怖じしても仕方のない異形の兵であるが、家柄上様々な貴重な書物に目を通す機会に恵まれていたオズナにとって、それが勝敗を決する絶対のものだとは思えなかった。
「いくら妖精皇国が奇っ怪な守護兵を用いたとしても、その数は少ないと聞きます。結局は兵を多く揃えた方が勝つのだと、ものの本にも――」
「確かに負けはせぬよ」
少年が再び辛辣な言葉を浴びせる前に、今度はデイガンがオズナの言葉を遮った。
祖父として孫を見るデイガンの目は優しい。上気したオズナの貌を無言のまま冷ややかに見つめる少年やザーザートとはまったく対照的である。
「聞き及んではおろうが、妖精皇と大公との間には深い遺恨がある。素直に軍門に降ればそれで良し。だが――」
ゴクリと、オズナの喉が鳴る。
「死なば諸共とばかりに、妖精皇国そのものを焼き払われでもしたら元も子も無い」
貴族達にどのように誹られようが、デイガンが戦を避けて来た理由はそこにあった。商都ナーガスが貯め込んだ目先の富など後からどうとでもなる。この閉じた世界において真に押さえておかねばならない要所こそ、この10年の刻において一大穀倉地帯へと変貌を遂げた妖精皇国そのものであった。
妖精皇がこの地にもたらした耕作物を、その農耕のノウハウを含めた管理が必要不可欠であることをデイガンは知っていた。
単に『飢えない』ことだけが目的であるならば、今は妖精皇国が拡充していく様を注視しておくだけでいい。だが問題はこの世界の民が飢えを満たすのは良しとしても、その反面『増えない』必要がある点にあった。
この世界に囚われた者達が自滅せぬ様に、限りある資源で少しでも食い繋いでいく為に、まずは民人の数をも含む『資産』の厳正な管理が必要であるというのがデイガンの持論であった。
ちょうど浮遊城塞オーファスのコルテラーナが、『壺の中の魚が増える』ことを憂いていたように。
この世界に墜とされた若かりし頃のデイガンは、世界を塞ぐ障壁から脱する為に北の果てに逃れ籠もり、地の底深く坑道を掘った過去があった。
そして地下深くにすら破ることの叶わぬ不可視の障壁が張り巡らされていることを知った時の絶望と怒りが、老宰相をして“旗”のような“彼等”の用意した物に頼らず自力で抗うことに固執させる理由であった。
それが結局は単なる延命策に過ぎないこともデイガンは知っていた。だからこそ、自分の世代が選民により鬼と化して生活環境を安定させ、続く後の世代に全てを――“旗”にせよ“彼等”にせよ全てを託すと誓ったのである。
「――いいだろう」
今一つ流れが飲み込めずオタオタするオズナを尻目に、少年が足を投げ出したまま軽く上半身を後ろに反らせ、そして腕の力だけで勢い良く真上に跳ね上がった。そのまま放物線を描いて両脚から見事な着地を決める軽業士めいたその一連の動きを、少年は何の気負いも無く当然の事の様にやり遂げた。
どこからか出現した真紅のマント。それが少年の肩口で、炎の舌の様にはためいた。
「いずれにせよ、南には向かうつもりだった」
少年はデイガンを一瞥すると、居丈高な物言いで続けた。
「この近辺には、どうやら俺の求める者はいないようだからな」
マントを翻し、カツンカツンという硬質な音を靴底で奏でながら歩き出す少年。慌ててオズナがその背中に悲鳴にも似た声を投げかける。
「待って! お目付け役の私を置いてどこに――」
「……」
カツンと、一際大きな靴音と共に少年が歩みを止める。肩越しにジロリと睨むその三白眼の眼光の鋭さに、空気の読めないオズナですら思わず息を呑んだ。
「妖精皇国とやらと直接戦火を交える訳にいかぬのなら、外堀を埋めていくしかあるまい」
少年の問い掛けは、しかしオズナではなくむしろデイガンに向けられたものであった。
「要は浮遊城塞を落として、妖精皇国を孤立させればいいのだろう、違うか?」
少年の言葉に、デイガンが重々しく頷き返す。
少年の言う通り妖精皇国と誼を通じている浮遊城塞を陥落させ、あわよくばその“旗”を奪うことまで出来たのなら、妖精皇国への事前の恫喝によって無血開城を迫る策にも現実味が出てくる。
実際はそこまで都合の良い話は無いにしても、少なくともその戦果を盾に貴族達の欲にまみれた暴走の抑止力にはなるだろう。
「頼めるか、アルス?」
自然にその言葉を口にしたデイガンであったが、次の瞬間己の放った内容に慄然とした。それを一切おくびにも出さなかったのは、ひとえに年の功のおかげであった。
いくら国を挙げた“紅星計画”により招来された“客将”であるとは云え、アルスはあくまで『少年』である。軍勢を率いて浮遊城塞オーファスを正面から攻め落とす手段は無いが、確かに『少年』単身であれば策を弄せば着水した城塞に潜入することも不可能ではないだろう。
(『子供』、か……)
デイガンが慄然としたのはその難題を前にした少年の確たる自負と、そして知らぬ間にそれを是としてしまった自分自身に対してであった。
こちらに背を向けたままの紅い少年の『正体』をデイガンは知らない。明らかに人智を超えた何かを秘めた少年が、この世界に墜ちて来る時にはぐれたという何者かを探している――デイガンが知るのは唯その一点のみである。
だが自ら口にした以上、眼前の『少年』は浮遊城塞を落とせる術が有るのだろう。老練のデイガンは、それを嫌でも肌に感じていた。
「――待て、徒歩という訳にもいくまい」
ようやくデイガンが絞り出した声は、先程の孫のそれと似て動揺の色を滲ませていた。
「妖精皇国に向かう馬車を用意させる。案内役も必要だ――」
「不要だ」
デイガンの提案を一言で斬って捨てた少年は、しかし不意に何かに思い至ったかのように珍しくも自分の方から一つの疑念を口にした。
「浮遊城塞は完全に破壊していいのか?」
「あ、いや……」
突拍子も無い事を当たり前のように口にする少年に、さすがの老宰相も思わず口籠もった。
デイガンが想定していたのはあくまでも潜入工作である。それもせいぜいが着水を余儀なくさせる程度であろう。だが少年はあたかも城塞に真正面から攻め込むかのような軽い口振りであった。さも当然の如く、人智を超えた傲慢さで。
(お祖父ちゃん……)
端で見ていたオズナは、我知らずギュッと拳を握っていた。あの思慮深い祖父がここまで狼狽する姿を、オズナは初めて目の当たりにした。
(アイツを野放しにしてはいけない……!)
顔面が蒼白になりながらも、オズナは少年の後ろ姿を決死の思いで睨んだ。落盤事故で幼い時に両親を一度に亡くした彼にとって、デイガンは唯一の、そして誇るべき祖父であった。
恩返しの時が来たのだと、それがオズナの秘めたる覚悟であり、気弱で穏やかな彼の初めての我が侭でもあった。
一方、孫の決死の覚悟など知る由もないデイガンは、ようやく気を取り直し少年の問いに答える事が出来た。
「城塞の中には貴重な製紙工房がある。破壊ではなく、拿捕で願いたい」
我ながら『子供』相手に馬鹿を言っていると、デイガンは胸中で呆れざるを得なかった。だが決して抗えぬ何かが少年にあったのも事実であった。
「そうか」
自分から尋ねたにも関わらず、さしたる抑揚も無く淡泊に頷いて返す少年。だが次に煩わしげにポソリと呟いた声には、明らかな感情の色が込められていた。どこか楽しげな、そしてどこか寂しげな。
「あのバカにも『殺すな』と言われているからな……」
「お待ちください」
老宰相と少年とのやり取りが一段落したのを見計らったかのように、それまで沈黙を保っていた別の声が押し留めた。




