飢妖(2)
と、恰幅の良い年配の女給が木製のカップが2つ乗ったトレーを片手に、ドタドタと私達の方へ大股で歩み寄って来た。如何にも下町のおばちゃんと云った風情の満面の笑みを浮かべ、大声でまくしたてる。
「ほらよ、お嬢ちゃん達!」
初手から気圧されたナナムゥ達が、差し出されるがままに揃って木のカップを両手で受け取り、互いに困惑した顔を見合わせる。
カップの中で波打つ、薄茶色のカフェオレを思わせる色合いの液体。私には嗅覚が備わっていないので定かではないが、生息する動植物が元の私の世界に近似している物も多々認められる以上、或いは本当にカフェオレだったのかもしれない。
「所長のとこのお嬢ちゃんがここに顔を出すなんて珍しいねぇ!」
「あ、あのっ……!」
流石に幼女に対する年の功か、一方的にまくしたてる女給を何とかミィアーは遮った。
「私達、飲み物は頼んでません!」
直に行動を共にするのは今朝が始めてであるとは云え、これまでの短いやり取りの中でもミィアーが快活な少女であるのは明らかであった。だが所詮は若輩の悲しさ、中年女性の押しの強さの前に成す術も無く押し切られてしまうのはどこの世界でも共通の事らしい。
「なんだ、そんなことかい!」
バチンと音が鳴りそうなくらい派手な目配せをして、女給が背後の人影を指し示す。
「あっちの色男からの奢りさね!」
「――ヴ?」
一斉にそちらを向く私達の視線に対し、気さくに手を上げ応える一人の青年。その肩を、女給が去り際に何を勘違いしたのか思わせぶりな笑みを浮かべ、勢い良くバチンと叩く。
「次はあたしにも頼むよ!」
ガハハと笑いながら去る女給に咳込みつつも苦笑で返す青年を前に、私は文字通り石像の様に唖然と固まり、ミィアーは息を呑み頬を染め上げ、ナナムゥは文字通りその場で飛び上がった。
幼女特有の甲高い声が、一瞬遅れて響き渡る。
「――ガッハシュート!?」
これまで対峙して来た時の純白の外套と白銀の胸鎧とは異なり、ガッハシュートはラフな長袖の上着と飾り気の無いズボンでその身を固めていた。
一見するとどこにでもいる地味な衣装の青年。しかしその整った精悍な容貌は、にも関わらず視る者を等しく魅了した。両手で口を覆ったまま言葉を失うミィアーがそうであるように。
これが夜の場末の酒場であったなら、その顔が気に食わないとゴロツキ共に因縁を付けられていてもおかしくはない。
一方、ミィアーのそれとはまったく対照的な反応を示したのがナナムゥであった。
怒髪天とはこういうことを言うのであろうか。木箱の上に不作法に立ち上がり、ダンダンと地団太を踏みガッハシュートを睨め付けるその姿は、威嚇する子犬の様でもあった。
「お、お主、どこまでわらわ達を付け回せば気が済むんじゃ!」
その剣幕に流石に周囲の喧騒も収まり、何事かと店先の農夫達の注目が集まる。
幼女が我儘を聞き入れてもらえず癇癪を起こしているようにしか見えないのは、我々にとっては無用の騒動を巻き起こさないという意味で幸いであった。農夫達の視線もすぐに駄々っ子を見守る温かいものに変わり、往来も元の慌ただしさを取り戻した。
「嫌われたものだな」
ガッハシュートはナナムゥの威嚇を前にどこか愉しげに笑うと、何のジェスチャーかフルフルと顔の横で左手を振った。
長袖と、指先まで覆う皮のグローブを装着している為に、ガッハシュートの腕の部分は一切肌が露出してはいない。だが布の下に隠されたその両腕が、あの謎のスティックを装填していた手甲のような武骨なものではなく、シュッとした人間のそれと近しい形状をしていることが窺えた。
あの私を圧倒したスロットが文字通り手甲として着脱できるのか、或いは腕そのものが丸ごと換装できるのか。精製六型機兵がそうであるように。
「そう警戒せずとも、今は非番だ」
ガッハシュートが本気とも冗談ともつかぬ軽口と共に、それまで座っていた丸テーブルの席を立つ。手にしたカップをそのままに、涼しげな笑みを浮かべこちらに近寄って来るのが見えた。
何をやっても絵になる男と云う者は存在する。最小の動きで人ごみを抜け、私の居るカウンターの隣に並び立ったガッハシュートの流れるような動きがまさにそれであった。カウンターの上に肘を付くただそれだけの動作一つにしても、いまだにその横顔に見惚れているミィアーにとって眩い輝きを伴っていることは、彼女の上気した頬から察せられた。
「昨晩はバロウルと色々あったそうだな」
「ヴ……」
まるで既に見知った仲であるかのように、前触れも無く親しげに私に話しかけてくるガッハシュート。あの夜の死闘が――私にとっては、であるが――嘘であるかのように屈託ないその口調に、私は正直どう返していいのか分からなかった。言葉を発する事が出来ぬこの身が、今また逆に私の窮地を救ってくれたと云ってもいい。
とは云え、幾ら周囲がざわつき沈黙とは無縁であるとは云ってもこの気まずさだけは覆しようも無い。
どのような形であれ場を持たせてくれたであろうナナムゥは、ミィアーを相手に何か互いにゴニュゴニョと耳打ちに励むばかりで私の助けにはなりそうになかった。
よりにもよって幼女の助けを期待するのはどうなのだという話ではあるのだが。
ナナムゥが怒鳴るのを止めすぐにミィアーとの内緒話に打ち込んだ為、すっかり元の状態に戻った往来を前に、私とガッハシュートは互いに言葉を発する事なくしばし佇んだ。ただガッハシュートが時折、手にしたカップを口元に運ぶのみである。
相も変わらず目まぐるしく行き交う農夫や妖精。道の中央を一切鳴き声を発する事なく、木箱を満載した荷車を力強く曳く水牛もどき。遠くより聴こえる犬の吠え声。
(困った……)
私は自他ともに認める小心者である。あまりの気まずさにどうにか身振り手振りでも間を持たそうとしたその矢先に、まるで見計らったかのようにガッハシュートが手にしていたカップをカウンターの上に置いた。
中に半分程残ったコーヒーのような黒い液体の表面が波打つ。
「――非情には、徹しきれないか?」
「ヴ?」
前置きも無く不意に発せられた、どこか同情すら感じさせるガッハシュートのその問い掛け。
無意識の内に、私の脳裏に亡き母の嘆きがこだまする。
――貴方は何一つ他人に勝るものの無い可哀想な息子……
昨日の猿人との小競り合いの末に止めを刺せなかったことだけを言っているのではあるまい。どういう経緯で知ったのかは知らねども、昨夜のバロウルとの茶番にも等しい相撲の結末のことも含んでいるのだろうと、私はそう判断した。
ガッハシュートの口調が嘲りでも叱責でもなく、哀れみの色を多分に含んだ口調であるということも。
バカにしてという自分の苛立ちを、しかし私は表に出す気にもならなかった。そう思われても仕方の無い体たらくであったし、何よりも他人を傷付けること、その生命を奪うことに躊躇いしかないことは事実であった。
「『護る』、か……」
ガッハシュートの言葉は重く、そして昏い。
「気負うのは結構だが、分不相応な望みは抱かないことだ」
フと、ガッハシュートが浮かべた僅かな笑み。それはガッハシュートの自嘲であったかのように、何故だか私には思えてならなかった。
「『護る』と決めた者を護れないことは何よりも悲しい。出来もしない願いに終生苦しむよりは、出来る範囲の者だけを守ればいい」
「……」
私ではなく往来に目をやるガッハシュートの瞳は、通りの雑踏を眺めているのではなくもっと遠く――目視することの叶わない遥か遠くの何かに向けられているかのように、わたしには視えた。それが自分の気のせいだとは、どうしても思えなかった。
タンと、飲み干した木のカップをカウンターに置くと、ガッハシュートはやおら私の隣から身を離した。
引き止めるべきなのか私が躊躇している間にも、既にガッハシュートは身を翻していた。
「――コルテラーナの子として、お前は与えられた使命を成すことだけを考えればいい」
去り際の背中越しに私に振り返り、ガッハシュートはニッと笑った。凡百の男だと単に軽薄に見えるのであろうその笑みは、わたしにとって謎めいた、しかし心に安寧をもたらしてくれる力強い微笑であった。
美形だからという理由では決してない。
「この世界は自分が護る。今度こそ、な」
(今度!?)
ガッハシュートの思わせ振りな言葉に完全に虚を突かれた私は、去り行く青年を引き留めることすら忘れ固まった。
(今度こそ……!?)
「――待て!」
私に代わりガッハシュートを鋭く呼び止めたのは、今度も我が幼主ナナムゥであった。先程からミィアーと子供っぽく耳打ちばかりしていたと思っていたが、聞き耳だけはしっかりと立てていたらしい。或いは、ガッハシュートの油断を誘う為に、敢えて無邪気な幼子を演じていたのかもしれない。
「『今度』とは、どういうことじゃ?」
幼女のそれとは思えない、核心を突いた鋭い言葉。年端もいかぬ身でありながら相も変わらぬナナムゥのその賢しさに、私は今度もまた胸中で舌を巻いていた。
「あぁ」
完全に私達に背を向けたガッハシュートは、それ以上振り返ること無く歩を止めると、ヒラヒラと右手を振った。
「昔の話さ。すっと、ずっと昔のな」
「そんなので誤魔化されんぞ!」
(――いかん!)
ヘタをすればナナムゥがそのままガッハシュートの背中に小猿のように飛び掛かるのではないかと、私は一瞬懸念した。
しかしナナムゥは眉根を寄せ今にも掴み掛からんばかりの険しい顔をしはしたものの、辛うじてその場に踏みとどまった。
ガッハシュートの声色が、あまりに哀愁を帯びたものだったからかもしれない。
「大事な者を俺は護れなかった、それだけの昔話さ」
「……っ!」
ナナムゥが固く下唇を噛む。そして私もまた、その呟きを最後に雑踏の中に消え行くガッハシュートに追い縋ることなど出来はしなかった。
拭い切れない、自分の甘さ。いつか私も護ると誓った大事な者を、それ故に再び失う日が来るのだろうか。妹を亡くしたように。
ガッハシュートが懸念した通りに。
「追っかけます? シノバイドの私なら――」
焦れた少女の声が、私とナナムゥを我に返す。結果として、ガッハシュートをただ黙って見逃してしまった私達主従に対し、むしろ積極的に声を掛けてきたのがミィアーであった。
まだわずかに思慕の念が窺える少女の熱を帯びた瞳からは、その提案に利己的な理由を多分に感じさせた。
「よい」
ナナムゥはミィアーを制止すると、手にしたカップを一気にグィッと呷った。唇の上の真白い肌に薄茶色のヒゲができる。
「後を付けさせる程、迂闊な男でもあるまい」
「ヴ……」
私もまた、ナナムゥ達のやり取りを傍らで聞きながら、ガッハシュートの最後の言葉を胸中で反芻していた。
今度は護る――何故あのような謎掛けにも似た言葉をガッハシュートが残したのか、その本当の意味すらも私はまだ理解してはいなかった。
「キャリバー、良く聞け」
箱の上に立ち上がったナナムゥが先程のガッハシュートに張り合うかの如く、ターンという高い音を立ててカップをカウンターに置く。バロウルがこの場にいたならば、行儀の悪さを嗜められるところだろう。
「あの無礼者に、いつか必ずギャフンと言わせてやるぞ」
「……ヴ」
青い光を、私はこの単眼に灯し応えた。“肯定”の伊を表す、青い輝きを。




